Chapter5-6
※この物語は97%ほどフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※ヒロインがVtuberですが、作者はVtuberの仕事を引き受けたことがありません。また、顔を隠して活動している方々の仕事を引き受けたこともなく、実際の警備体制と異なる場合があります。
※作者は完全な専門家ではないので、物語の内容と現実の内容が異なる場合があります。書いてある内容が正しいと思って読まないでください。
以上を注意の上、読んでください
犯人が鉈を振り上げた瞬間、公園の茂みから黒くて大きな影が飛び出した――
「うおおおおお!」
男性の気張った声が閑静な住宅街に響き渡る。
その男性は強化プラスチックで出来ている、全身を覆うほどの巨大な盾を構えて突進――アメフト選手顔負けのタックルを犯人に食らわせる。
「うおっ⁉」
犯人はほぼ一直線の放物線を描き、ギャグのように吹き飛ばされ、芝生がえぐれる勢いで地面に叩きつけられる。
重さ一〇〇キロ越えの物体が時速三〇キロ程度の速さで突っ込んだのだ。軽い交通事故に匹敵する。
「絵理佳! 大丈夫か!」
ニパーラのキャップに、ニパーラのパーカーを着た、オフモードの狩桶にそっくりな絵理佳に問いかける。
「うっ、うん、大丈夫……」
絵理佳はテーザー銃の針が刺さった右のふくらはぎを押さえて、立ち上がれていない。
犯人は危険を察知したのか、素早く立ち上がって公園から逃げ出している。
「絵理佳は警察に通報してくれ、おい! 待て!」
明良は走る行為に邪魔な盾を投げ捨て、一〇〇キロ以上の体重があるとは思えない身のこなしで夜の住宅街を駆け抜けていく。
(くっ……速いな……)
明良は鍛えた脚と、陸上選手に教えてもらった走法で走っているが、なかなか犯人に追いつけない。
走力といい、身体能力がかなり優れている相手だ。
(絶対に捕まえてやる! 誰かの大切な推しを守るために!)
信念のエネルギーを胸に、両足のギアを切り替え、アスファルトを強く踏み込んでキレのあるダッシュを決める。
帯革の鞘に納めている二本の警戒棒を体の前で腕をクロスさせて引き抜いた。
明良の戦闘スタイル、二刀流――
「ブローザ・スラッシュ!」
アドレナリンがドバドバに噴出するルルエラの魂の技を叫び、一本の警戒棒を思いっきり振り切る。
「グホッ!」
リーチが長い警戒棒は犯人の右腕にクリティカルヒットし、犯人の動きがよろめく。
その瞬間を逃さない。
警戒棒を持ったまま、右手で犯人の服を思いっきり引っ張る。
「くそぉ!」
犯人は逃げることをあきらめて、振り返りながら鉈の回し斬りを繰り出す――が、刺突ではなく、圧力が分散される斬撃では、防刃チョッキはおろか厚い生地のスーツすら貫通せず脇腹でドスっと受け止める。
犯人は斬撃を防がれて呆然としている――瞬間を逃さない!
「ハインド・ファイア!」
左手の警戒棒で犯人の鉈を握っている小手を叩く……カランカランと、鉈が地面を転がった。
そして、こちらも柔道を心得ている。犯人の胸倉を掴み、足を大きく振り上げて、振り下ろした。
振り下ろした足が犯人の脚に炸裂し、体をすくい上げる。
あっぱれな大外刈り!
見事な一本を決め、畳ではない、硬いアスファルトの上に背中から叩きつける。
「エッハ!」
背中を強打した犯人はうめき声を上げて倒れる……が、受け身が上手で、すぐに立ち上がろうとした。
明良は犯人が体勢を戻さないように馬乗りになる。
うつ伏せで倒したかったが、仰向けで倒してしまった。
マウントを取っているが、暴れ回っている犯人を押さえつけるのが難しい。
犯人は足をじたばたとさせ、パンチを振り上げて必死の抵抗をしている。
明良は犯人のパンチを避けたり、両手の警戒棒で防いだりしながら、一応話し合いで穏便に解決できないか狂人相手に交渉を試みる。
「おい! なんでこんな野蛮な行為に手を染めた! なんでみんなのMONEちゃんを殺そうとした!」
「あいつはデビューしたときから応援して……いっぱい応援のメッセージを送ったのに、振り向いてくれなかったんだ。生活費を切り詰めて、あいつのグッズを全部買って、写真を送ったのに、ありがとうの一言もくれなかったんだ!」
犯人は猫パンチを繰り出しながら答え続ける。
「だから、もうどうすればいいのかわからなくなって、あいつを脅して、誰にも渡さないようにするんだ!」
「応援してる推しを『あいつ』呼ばわりするようなやつがファンを名乗るな!」
アイドルのほうが悪いと言われ、血圧が危険水域までぐんぐんと上がっていく。
「いーや、俺のものだ! 七年前、メジャーデビューする前から魅力に気づいて『いい声だって』コメントした俺のものだ!」
犯人は興奮した大声で必死に訴えている。
昔から推しを応援していたと思える犯人の動機は何度聞いても悲しくなってしまう。
感情がある人間は誰しも、アイドルを好きになる瞬間は純粋な心で応援していきたいと思ったところがスタート地点だろう。推し始めた頃の純粋な心はどこに行ってしまったのだろうか。
しかし、脅迫、暴行という犯罪に手を染めてしまった以上、先人たちが作り上げた叡智の結晶、法の下、ファンという看板を取り上げて裁かなければならない。
そして、罪を償わせるために警察に渡さなければならない。
「悲しいやつだな。あくまでも推しは他人だ。見返りを求めたら、そこから先は地獄の始まりだ。俺が言ったこの意味を刑務所でよーく理解して、反省してこい!」
「くっそ……さっきから俺に説教してるけど、アイドルの隣にずっといられるスタッフのお前に、推しが離れていく寂しさがわかるのかよ!」
「自分のものにしたい気持ちはわからないけど、推しが離れていく寂しさは死にたくなるぐらいにわかる! 俺の推しはお前みたいな犯罪者の手によって殺されたからな!」
「……わかったよ。お前も辛いことがあったんだな。刑務所で反省してくるよ」
「……ん? おう」
話し合いが通じない相手だと思っていたが、犯人はすんなりと受け入れて、バタバタとさせていた手を下ろす。
(なっ――)
犯人の手には、胸ポケットから取り出した小さな缶が握られていた。
催涙スプレー……どこまで計画的で用意周到なのだろうか。
スプレーを握っている手を押さえる間もなく、プシューっと顔面に向かって液体を吹きかけられる。
「うほおおおおお!!」
即座に立ち上がり、噴きかかる液体を避けようとしたが遅かった。ほんの少し液体を吸い込んでしまう。
どれだけ強靭な体を持ってしても、粘膜は鍛えられない。
玉ねぎを何百倍にも濃くしたような刺激臭が嗅覚を攻撃して、涙がとめどなくボロボロと出てくる。
「へへっ! 引っかかったな!」
ぼやける視界の中、犯人がスペアのサバイバルナイフを握って、野獣のような眼光を飛ばして突っ込んできている。
ナイフの鋭利な刃先が向かう先は……顔面。
わずかに開く目で見つめる、スローモーションになる一瞬。
今から回避したり、カウンターを入れたり、軽症で済む腕で盾を作ってガードしたりしている時間はない。
(ここは一発食らうか……)
あきらめて犯人の憎しみに満ちたシワだらけの顔を見ていると、冷たい感覚が首筋にスーッと走った。
ものすごく卑怯で手強い犯人だ。防刃チョッキで覆われていない首元を狙うとは。
相手の強さに感心していると、生暖かい液体が首からブシャっと飛び出る。
「うっほおおおおおおう!」
明良は人生で一番のうめき声を上げながらも、一矢報いるために右ひざを思いっきり振り上げる。
「ぐほっ!」
突っ込んできた犯人のみぞおちに鋭い蹴りが入り、ヨロヨロとよろめいて後退する。
「ひっ、ひいいいいいい!」
犯人は蹴られた衝撃で目が覚めたようだ。勢いよく噴き出す鮮やかな赤い血を見て、取り返しがつかないことをした自覚が芽生えたのだろう。引きつった声を上げて踵を返し、脱兎のごとく逃げ去っていく。
「ううっ……」
一気に血が流れ、意識がぶっ飛びそうになり、犯人を追いかけることができない。
膝から崩れ落ちるように、その場にうつ伏せでぐったりと倒れる。
「待て……」
必死に手を伸ばして声を張り上げるが、消え入りそうな声だ。
全速力で逃げ去っていく犯人の後ろ姿にぼんやりとしたモザイクがかかっていく。動脈が切られて大量の血を流していれば当たり前だ。
(ああ……やっぱり俺は死ぬのか……)
ボディーガードになったときから死を覚悟していて、無鉄砲な性格から現役中に命を落とすと思っていた。
案外、簡単な事案であっさりと人生が終わってしまいそうだ。
(狩桶様……いや、MONEちゃん。身代わりになったから、絶対にライブ成功させてくれよ)
基本的に事後対応の警察だが、今回の事件はひとりの警備員の命が犠牲になった。これで、警察は無理やり動かざるを得ないだろう。
明日の狩桶のライブは、民間の脆弱なボディーガードではなく、国家権力を持った最強の警察たちが警備をしてくれるに違いない。
(ルルエラ……これでいいよな)
まだ感覚が残っている、鮮血で濡れた手をゆっくりと動かす。内ポケットからスマートフォンを取り出して電源をつけた。
ロック画面には、愛しくて、尊い、どのアイドルよりも輝いて見える、宝石の擬人化と言っても過言ではないルルエラとのツーショットが写っている。
その姿を目に映しただけで首の痛みが消え、優しい両腕で包まれているように温かく感じる。
(ルルエラ、ありがとな)
大学生になるまでは劣等感まみれの人生を歩んできた。その人生を少しでも良い方向に導いてくれたのが大天使ルルエラだ。
(そっちじゃ、いっぱい推し活するからな)
今日を持って、ボディーガードという、アイドルと仲良くしてはいけない戒めから解放される。明日からは高校生の頃にやりたかった推し活を、満足いくまで天国ですることができる。
(なぁ、ルルエラ聞いてくれ。ルルエラに憧れたアイドルがいるんだ……)
決して人気があったわけではないルルエラだが、それでもルルエラに憧れてアイドルの道を志した人がいることを伝えたらきっと喜んでくれるだろう。
それだけは絶対に伝えたいと思うと、満足感に満ちたまぶたはゆっくりと閉じていく……
「だから、チャマ君! 死んじゃダメ!」
「――⁉」
意識が完全に沈む寸前で、ルルエラ本人の声でハンドルネームを呼ばれて、意識がハッと戻る。
一〇年前、飛び降り自殺する寸前で聞いたとき以来のルルエラのお願いだ。
目が勝手に開き、ぼやけていた視界がハッキリと戻る。
「明良! 今どこにいるの!」
この声は、片耳イヤホンから流れる二年間聞き続けた信頼できる隊員、絵理佳の声だった。
力が入らない手で無線のマイクのボタンを押す。
「わからない……ただ、首を斬られて、もう終わりだ」
「えっ、そんなヤバイ状況なの? 救急車呼ぶよ!」
「たぶん、救急車を呼んでも間に合わねぇ」
……返事が返ってこない。おそらく、救急車を呼んでいるのだろう。
(キレイな星だな……でも、一等星しか見えねえ)
自殺しようとした時に見上げた夜空から一〇年経っても、夜空の景色は変わらない。
「今、救急車と警察を呼んだよ! 絶対に生きて! 死なないで!」
「いや……これでいいんだ。俺は元々、ルルエラが死んだ時点で死ぬ予定だった。このボディーガードの一〇年間は延長戦で、その中で、誰かの生き甲斐の象徴を守るために命を投げ出せたなら、俺は生まれてきた意味を果たせた」
「これ以上しゃべらないで!」
絵理佳の注意を無視し、大切なことを伝えなければならない。残っている力を振り絞って、マイクに向かって口を開く。
「なぁ、絵理佳。最後にお願いがある」
「なに?」
「もし明日、事務所と再契約を結んで仕事があったら、狩桶様には俺が死んだことは絶対に言うな。体調不良か、別の仕事に派遣されたって言ってくれ。とりあえず、俺が負傷したことや死んだことは伝えるな」
「わかった、絶対に最後まで狩桶様に不安は与えないから! てか、死なせないから!」
「よろしく頼んだぞ。狩桶様が私のせいで明良君が死んだとか思わせて、心に傷を負わせて活動自粛とかさせるなよ」
「了解だよっ!」
「ああ、これでようやく心置きなくルルエラに会いに行ける」
「なに言ってるの! 天国のルルエラに会いに行くのは、このエリートボディーガードの女勇者絵理佳ちゃんが許さないよっ! これからも明良が大好きなアイドルちゃんたちを一緒に守るよっ!」
「絵理佳……アイドルを守り続けてくれよ……」
明良はそっと目を閉じた。




