Chapter5-2
※この物語は97%ほどフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※ヒロインがVtuberですが、作者はVtuberの仕事を引き受けたことがありません。また、顔を隠して活動している方々の仕事を引き受けたこともなく、実際の警備体制と異なる場合があります。
※作者は完全な専門家ではないので、物語の内容と現実の内容が異なる場合があります。書いてある内容が正しいと思って読まないでください。
以上を注意の上、読んでください
中古ショップ、店内。
絵理佳は無意識に動いてしまった震える両手に、震える両目を落としていた。
(なにしてるんだろう……)
絵理佳は二年間、遠慮なく明良をおもちゃにして遊んできた。だが、働き始めてからは社会人の自覚は持たなければならないと思い、時と場所をわきまえて仕事中に暴力的なイタズラをしかけたことなど一度もなかった。
しかし今回、まさかの仕事中に、それもお客様である狩桶の前で、明良の腕を引っ張るというまったく面白味もない、ただただ迷惑な行為に出てしまった。
(私は一体、なにをしてるの?)
反射的に体が動いたため、なぜこのような行動に出てしまったのか原因がわからない。
体を制御できなかったという事実が、絵理佳の心に得体の知れない恐怖を抱かせた。
(嫌だ……嫌だ……こんな自分、嫌だ!)
同じ過ちを繰り返しそうで怖い。
そして……なにより恐ろしいのは、最悪な場合、明良に嫌われてしまうかもしれないことだ。
明良に突き放されているような実態のない不安に心が押しつぶされて、今にも泣き出してしまいそうになる。
今は仕事中だ。さらに、お客様に安心を与える職業のボディーガードだ。
絶対に泣いてはならない。
絵理佳は任された責務を果たさなければならないと思い、感覚がない足を進めていった。
「………………」
なんとなく体が移動しているのがわかるが、移動という行為を続けることに必死で、辺りを警戒している余裕がまったくない。
黙ったまま、ボーっと見つめる先は……明良と世奈。
ふたりはワゴンの前で立ち止まり、グッズを指差しながら会話をはずませている。
(告白するのかな……)
世奈が明良を無理やり連れ出したということは、そういうことだろう。
男性隊員の明良と仕事の関係という大義名分の下、ふたりきりになれる時間はここしかない。
(やっぱり、つき合うのかな)
明良は現役中、アイドルはおろか女性とはつき合わないと言っている。が、口が高速で動いている明良を見ていると心配しかない。
(なんで、こんなに心配してるんだろう……)
先日レッスンスタジオで思いついた、精神を平穏に保つ方法。
たとえ、ふたりがつき合って、破滅の道に進んだとしても、絵理佳には関係がない。っと、頭ではわかっている。
しかし、絵にかいたようなお似合いのカップルの光景が目に入るたび、絵理佳の心臓には冷たい氷の刃が次々と突き刺さっていく。
あと数日仕事が残っている。だが、仕事を降りたい……その境地に至っていた。
今にも逃げ出したい仕事を続けること数分、世奈が所望していたグッズの購入を終え、中古ショップをあとにした。
隊列を組んで夜の繁華街を進めと言われたが、仕事をしていた記憶がない。気づいたときには警護車両に到着していた。さらに、警護車両に乗り、夜景をぼんやりと眺めているといつの間にか世奈のマンションに着いていた。
体が機械的に動き、世奈の前に整列する。
「あっ、ちょっと待って。部屋まで送るの、相葉さんひとりだけでいい」
「ですが、安全保障の観点から、私もいたほうがよろしいのですが……」
「私がいいって言ってるからいい。行こ! 絵理佳さん!」
「ええ、ああ、はーい!」
世奈に腕を軽く引っ張られ、ようやく我に返ることができた。
転ばないように足を前に出して、世奈の細い背中へとついていく。
世奈がエントランスの扉を開け、エレベーターに乗り、目的の階で降りる。
この廊下も何回通っただろうか。世奈のマンションに合法的に立ち寄れる日も残りわずかだ。見慣れた部屋番号を掲げる扉の前に到着した。
「絵理佳さん、今日も送り迎えしてくれてありがと」
世奈はサラサラとした髪がふわっと浮き上がる勢いでターンをして、マスク越しにやわらかく微笑んだ。
その感謝の笑みに対し、さすがに一対一で話すときは元気な態度で接しなければならないと思い、働かない頭で返事をする。
「どういたしまして。ホントに、ライブ前日まで何事もなくてよかったですね」
「どれもこれも、守ってくれたみんなのおかげ一週間、安心して生活や仕事ができて、明日無事にライブが開催できてよかった。特に絵理佳さんはずっと私の隣にいて、話し相手にもなってくれて、すっごく楽しかった」
「狩桶様のためになれたらなによりです」
「うん。私、高校一年生のときに今の事務所に入って、周りに正体を気づかれないように、仲がいい友達を作らないようにしてた」
キャップとマスクの隙間に見える、切なく輝く目を向けながら自分語りを始める。
「でも、相葉さんっていう、同年代の女の子と友達みたいにアニメの話ができて、とっても楽しかった。このまま、相葉さんが専属のボディーガードになればいいなって思うぐらいに」
世奈が明良に愛の告白をすると言ったときは底知れぬ不安を覚えていたが、やはり、アイドルという職業はズルい職業だ。
アニメのヒロインと同じボイスで、絵理佳のためだけに用意された特別な台本を読み上げられたら、ズキューンと胸を打ち抜かれ、コロっと心変わりしてしまう。
「狩桶様の専属のボディーガードに任命されるのは、嬉しい限りですね」
「お金が無限にあったらそうしてる。でも、アイドルとボディーガードという立場で出会った以上、お金を払わないと一緒にいられない」
「そうですね。狩桶様と友達同士で出会っていたら、とても楽しい毎日を送れていたでしょうね」
「ホントにそう……普通に出会いたかった」
世奈の目が徐々に潤んでいき、長袖の腕でグッとひと拭いした。
突如泣き出した世奈に、慌ててフォローを入れる。
「ちょっと、狩桶様、どうされたんですか?」
「ゴメン、抑え切れなくて」
世奈はすぐに涙を押さえ、真っ赤な瞳で元気な顔を作る。
「なにかあったのでしょうか?」
「さっき、中古ショップで明良君とふたりになったとき、告白したらフラれて」
「っ――」
世奈が悲しげな笑顔を見せた瞬間、体に充満していた、黒く淀んだ霧が魔法のように一瞬にして晴れ渡った。
「アイドルとボディーガードという仕事の立場で出会った以上、つき合えないって……そう言われた」
世奈は込み上げる感情を押し殺して、失恋した報告を親友にしている。
反対に、絵理佳の体内では全身の細胞が沸き立つように歓声を上げていた。悟られないように、ウズウズする体を必死に静止させていた。
「でも、明良君にフラれて、アイドル活動を応援してもらえて、夢を見直すことができてよかった。私は私の夢を叶えるためにアイドルの道を選んだから」
「私も友人としてアイドル活動を応援するのは難しいかもしれませんが、ボディーガードという一スタッフとして、狩桶様の夢が叶うことを祈っています」
当たり障りのないことを言っている口が、かなり浮ついているのがわかる。
「ありがと。でも、今回はフラれたけど、私と明良君の夢が叶えられたら、一〇年後ぐらいにまた明良君につき合ってくださいって告白しようと思う」
感情ジェットコースター。暗い谷底に突き落とされる。
「一〇年間、明良君と絵理佳さんのほうが一緒にいる時間が長くて、大きなハンデを背負うことになる。でも、私もできる限り仕事を依頼して、アプローチして、絶対に絵理佳さんに負けないから。せっかく友達みたいになれたけど、明良君だけはゆずれない」
引っかかるキーワードが次々と飛び出し、聞き返す。
「ハンデ? 笹川だけはゆずれない……とはなんでしょう? 笹川はボディーガードの職に就いている間は恋愛をしないと申していましたが」
「そうなの? さっき明良君に愛の告白をしたとき、将来的に結婚するなら絵理佳さんがいいって言ってたよ」
バラバラだったパズルが、一瞬で完成する。
(明良のことが……好き)
そう思うだけで、ここ数日思い悩んでいた原因がすべて判明した。
「相葉さんは明良君のこと好きなの?」
「あっ、いえ、笹川とはただの同僚で、恋愛なんて考えたことないですねぇ……」
今芽生えたばかりの、不確実な小さい感情だ。軽く否定しておく。
「ふーん。相葉さんに意志はなし、ね」
世奈はふむふむと顎に手を当てている。
「とりあえず、アイドルとボディーガード、ボディーガードの同僚っていう大きなハンデを背負ってる立場でも、絵理佳さんに負けるつもりは一ミリもないから。でも、仕事相手として、また依頼することがあったら、全力で守って」
「はい、またのご利用お待ちしております」
「それじゃあ、ライブ当日の明日もよろしく」
「お疲れ様です」
「お疲れ」
軽く手を振って部屋の中に入っていく世奈に軽く会釈をする。
ガチャンと重たい扉が閉まり、本日の業務がすべて終了した。
(キャアアアアア、絵理佳ちゃん、明良のことが好きなのかな? 好きなんだ! 好きなんだよね?)
世奈の部屋の扉を見つめる顔が、ニヤニヤと公害並みの気持ち悪い笑顔になっている。
幼い頃から戦うキャラクターに憧れ、体を動かし、恋愛とは無縁な人生を送ってきた。いや、リアルでは無縁なだけで、アニメでは恋愛物の作品は何回も見てきたので、人が人を愛する感情があること自体はわかっている。
しかし、その想像上のものだと思っていた感情が、まさか自身の身で体験するとは思ってもいなかった。
明良のことを思うだけで、こんなにも胸の奥が温かく、ふわふわと浮き上がるような満たされた気持ちになるものなのか。
今まで知らなかった、まったく新しい感情。
生まれて初めて自覚したこの恋愛感情を胸に、足取り軽く、ルンルン気分でマンションの廊下を走っていった。




