Chapter5-1 ファンが知らない戦い
※この物語は97%ほどフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※ヒロインがVtuberですが、作者はVtuberの仕事を引き受けたことがありません。また、顔を隠して活動している方々の仕事を引き受けたこともなく、実際の警備体制と異なる場合があります。
※作者は完全な専門家ではないので、物語の内容と現実の内容が異なる場合があります。書いてある内容が正しいと思って読まないでください。
以上を注意の上、読んでください
狩桶を警護して、六日目。
ライブ前日。
MONEという3Dアバターを使用してアイドル活動をしている狩桶は、モニターに映し出す映像でライブを行う。
よって、別スタジオからモーションをキャプチャーし、その動きを3Dアバターに連動させて現地のモニターに映せばいいので、狩桶本人は現地にいなくてもいいのだ。
アイドル本人が現場にいなくてもライブができるようになったのは、便利な時代になったものだ。この技術が確立されれば、全国、全世界、どこの会場でライブが開催されても、本人やスタッフが移動しなくてもいいので経費を抑えることができるだろう。
なによりも遠隔操作をする別の場所にアイドル本人がいることは、安全面でも理に適っている。
ファンが近寄らず、周りに関係者しかいないので、身辺調査がしやすい。また、密室に隔離しておけるため、セキュリティーを強化できる。
しかし、会場全体を把握してファンとの距離感を掴みたい狩桶は、会場となる商業ホールに設置されたステージを入念にチェックしていた。
日が落ちた、二〇時頃。
前日のリハーサルと安全確認が終わり、狩桶を乗せた警護車両は商業ホールの広い駐車場を出る。
狩桶は後部座席の背もたれにもたれかかり、黒いプリーツマスクが浮き上がる勢いで、疲労が溜まった大きな息を思いっきり吹き出す。
「ふぅっ、疲れた。明良君たちは明日ライブくる?」
明良が運転をしながら答える。
「はい、狩桶様をお迎えに行きますし、モーションキャプチャーを行うスタジオでも警護をいたしますので、安心して全力でライブを楽しんでください」
「よろしく。それで、明良君たちとの契約期間って、ライブ終わったら切れないよね?」
「はい、ライブ終了後、犯人が捕まるか、引っ越しが完了したら契約終了です」
「引っ越しが完了したらって……もう物件が見つかってるから、荷物を運んだら終わりか」
「そうですね」
「また依頼したら、守ってくれる?」
「もちろん、お守りいたしますよ」
「ありがと。運営スタッフに根回ししておくから、またよろしく頼んだ」
「お待ちしておりますが……我々の真の願いとしては、ボディーガードを何度も雇わないで済むことですので、今回の依頼が最後になることを祈っています」
「そうだね、明良君たちを雇うのは今回が最後になったほうがいい……じゃあ、本当のお別れがいつになるかわからないから、最後にお願いがあるんだけど、いい?」
「なんでしょうか?」
「中古のアイドルグッズを売ってる店に連れていって?」
狩桶は配信で聞くような作り込まれた声でもなく、アフレコ時の完璧なアニメ声でもない。とは言え、ルルエラの話で盛り上がっていたときのはしゃいだ声でもない。
子猫が甘えるような、切なげな声でお願いしてきた。
この仕事を請け負ってから間違いなく初めて耳にする狩桶の声だ。
「なんか中古ショップって、裏路地に入った陰鬱とした所にあって、ひとりで初めて行くのが怖くて、どうしても行けない。だから、つき添いがいる間に、ルルエラのグッズを買いに行きたい」
「かしこまりました」
狩桶から要望を受け、スマホのナビに場所を入れてハンドルを切る。
ナビに導かれ、マッチ箱のような低いビルが立ち並ぶ商業エリアの街へと入っていく。
中古ショップの最寄りのコインパーキングで車を停め、辺りのクリアリングを行ってから全員降りる。
明良が指示を出す。
「人通りがそこそこある夜の街だ。より一層警戒するように」
「了解!」
指示をすると、三人隊列を組んで足を運んでいく。
安全に歩くこと数分。見上げるほど高い雑居ビルの四つのフロア分を使用している、中古ショップに到着した。
エレベーターに乗り、アイドルグッズが置いてあるフロアで降りる。
「おおおおおおおお! すっごーい!」
所狭しと、至る所にグッズが陳列されているフロアに、狩桶は顔をブンブンっと忙しなく動かしている。
興奮している狩桶を他所に、明良は仕事の指示を出す。
「俺が見回りをするから、絵理佳がついていってくれ」
「ちょっと待って!」
「はい、いかがなされましたか?」
呼ばれて顔を下げると、狩桶がスーツの裾をぴょこぴょこっと引っ張っていた。
「ルルエラの推し同士、明良君とふたりきりで店を回りたい」
「ですが、男性の私が狩桶様とつき添っていると、異性関係でスキャンダルが出てしまう可能性があると思いまして……」
「店の中だから大丈夫だって。それに、ルルエラの話をゆっくりしよって言ったのに、全然話してない。会えなくなる前にゆっくりお話ししよ?」
「うわっ、ちょっと! 狩桶様――」
抵抗できる程度の軽い力で右腕の裾を引っ張られ、急いで足を一歩踏み出す――
「痛って! おん? なんだ?」
反対の左腕の関節に、ピキッと冷たい痛みが走った……振り返る。
絵理佳が真顔で腕をがっしりと掴んで引っ張っていた。
「なんだよいきなり引っ張って。仕事中はイタズラすんなって言っただろ?」
「あっ、ゴメン……」
イラ立ちを隠せない激しい剣幕で注意すると、絵理佳は慌てて手を腰の後ろに隠す。
「早く行こ!」
狩桶は明良の右手を容赦なくギュッと掴み、グイグイと引っ張り始めた。
「あっ、はい! かしこまりました!」
わがままなお姫様のような振る舞いをする狩桶に、明良は苦笑いを浮かべながらも忠実な執事のようについていく。
「絵理佳、見回り巡回を頼む!」
とっさに指示を入れ、絵理佳の了解を聞く間もなく狩桶に連れ去られた。
そして、ふたりは手をつないでルルエラのグッズを探す。
(この人、懐かしいなぁ……こっちの人は今なにしてるんだろうなぁ……)
グッズに印刷されたアイドルたちの半分以上は守った経験があった。
明良は仕事の配置上、アイドルたちを直接守ることは少ないが、それでも最後に「ありがとうございました」とお礼をしてくれた光景はすべて憶えている。
(すごいな、こんなグッズまであるのか)
中には明良が存在を知っている程度の、昭和や平成に活躍していたアイドルの骨董品のようなグッズもあった。
「おっ。あったぞ!」
発見したのはルルエラのグッズをほぼコンプリートしている明良だった。
「わああああ! ルルエラだああああ!」
狩桶は声にもならない甲高い感動の声を上げている。
フロアの隅に、忘れ去られたかのように追いやられたワゴン。そこには有象無象の無名アイドルたちのグッズにまぎれて、ルルエラのグッズが点々と散らばっていた。
奇跡的にグッズが残っていた嬉しさが込み上げる反面、ルルエラの熱心なファンだった明良としては虚しさが込み上げてくる。
ルルエラはワゴンに追いやられるようなアイドルではない……と思いたいが、残酷な現実だ。ルルエラは殺されるまで世間の誰も知らなかったのは事実なのだから。
本当に不名誉なトラブルが原因で有名になってほしくなかった。
そして、もうひとつの虚しさはグッズが売られている事実。
ファンを辞めた人だろうか……そうは思いたくない。引っ越しでグッズが邪魔になった人か、結婚して配偶者に捨てるように言われた人が売ったのだろうと無理やり理由をつけておく。
グッズを売った人にどのような背景があるか知らない。
しかし、捨てずに中古市場に流してくれたおかげで、狩桶のようにあとからグッズがほしい人の手に渡ってきたので、思い出を共有してくれた人には感謝しかない。
「これ限定生産のペンライト! このタオルほつれてるけどあったんだ!」
狩桶はグッズの海になっているワゴンの中から、次々とルルエラのグッズを掘り当てていく。
「わああああ、やっぱりルルエラかわいいいい! もう世界一かわいい! 宇宙一かわいいいいい! 生きてたら絶対に天下取れてたって! ああああああん、ルルエラ最高!」
見つけたグッズを吟味することなく、片っ端から買い物カゴにぶち込んでいる。
(懐かしいな……)
ハァハァっと、犬のような息遣いでグッズを手に取っている狩桶を眺めていると、無邪気に推し活をしていた高校生時代を思い出す。
現在のアイドルを守る生活に不満を覚えてはいないが、できるものなら、アイドルを守る戒めが心に刻まれていない、純粋な気持ちでルルエラを追いかけていたときの、青い時代に一度だけ戻りたい。
「明良君は買わなくてもいいの?」
「ここにあるグッズは全部持ってる。高校生の頃はお小遣いをやり繰りして、グッズを買うのが大変だったな。大学生でバイトを始めて金ができても、公式から供給されない過去のグッズを集めるのが大変だった」
周りには同僚がいない。
ファン同士の雰囲気でしゃべってしまう。
「いいね。私もリアルタイムで盛大に推し活したかった」
「それは残念だろうな。でも、今はリアルタイムで狩桶様の推し活を楽しんでるファンがいるんだ。自分が推し活できなかった悔しさをバネにして、ファンたちの推し活が続くように、少しでも長くアイドル活動を続けてくれよ」
「うん。ルルエラがいなくなって、その悲しみの傷は深く感じてるから、どれだけ人気が落ちていっても、ひとりでも応援してくれるファンがいる限りアイドルを続けるつもり」
「狩桶様が振りまく幸せは必ず守り抜くからな……夢を見る狩桶様のために。狩桶様を推してるファンのためにも。そして、ルルエラが叶えられなかった夢のためにな」
同じ絶望の時間を過ごした者同士、それぞれの職業の立場から約束を誓い合う。
――毎日を一生懸命生きている人々の日常を、ほんの少し彩る至福の時間をプレゼントするために――
「でも……夢のことも大切だけど……最近よく思うことがある」
狩桶は急にかしこまり、マスクからはみ出る肌の部分が真っ赤に染まっていた。
「なんだ?」
「えっと……私と明良君が、仕事の立場じゃなくて、ルルエラのファン同士、一般人の立場で出会ってたら、今頃どうなってたのかなって」
「っ――」
チラっと向けられる、心の底から自然と作り出される、嘘偽りない女の子の目元だけの笑顔。
ひとりの女の子として、もしもの世界線を告げられて心臓が肋骨を突き破りそうなほどに高鳴る。
このドキドキ感は嬉しい高揚感ではない。
不安だ。
全身の神経が焼き切れるぐらいの不安だ。
これ以上、関係を踏み込んではいけないと脳内の危険ランプが灯る。
(わかってても、怖えな)
明良はルルエラを殺された戒めを一〇年間も抱え、普段からボディーガードとしての心得を唱えている。
そして、絵理佳から事前に情報をもらい、蠱惑な攻撃に備えていたつもりだ。
それでも、目の前でとびっきりにかわいい女の子に好意を寄せられたら、重たい鋼の心をもったとしても引き寄せられそうになってしまった。
芯にしている信念を胸に、脳内で無数に溢れる選択肢の中から、黄金に輝く選択肢にマウスカーソルを合わせて……カチっとクリックした。
この間、わずか一秒。
選択したセリフを読み上げる。
「狩桶様、それ以上のことは口に出してはいけません」
「え?」
乙女の笑みを浮かべていた狩桶だが、瞳が徐々にくすんだ金属のようになっていく。
「他人の心の中まで踏み込んでいけないことはわかっていますが、アイドルである以上、狩桶様はもしもの出来事さえ思ってはいけません。特に、アイドルとしてのキャリアが伸び盛りのお若い年齢で、そのような邪な思いを抱いていたら、雑念がアイドル活動を阻害して破滅の道しかないでしょう」
「思ってもいけないの⁉」
声色が配信をしているときの尖りがあるものへと戻る。
「はい。人間とはとても弱い生き物です。言葉では理解していても、心の片隅にしこりが残っていたら、どこかで躓いてしまうでしょう。アイドルを守る者が、そのしこりになりたくはありません。どうか、ご理解していただけると幸いです」
狩桶は淀んで潤う目をヨロヨロと泳がせて押し黙り、マスクの下の小ぶりな口を必死に動かす。
「なに、そのしこりって」
「私たち共通の推しの、ルルエラが殺された経緯の中に、なにがあったのか詳しくは知りません。しかし、その経緯の中に、もしかしたら仕事の相手との関係が絡んでいたかもしれません。ですので極力リスクは減らしたほうがいいのです」
ファンのことを第一に考えていたルルエラが、仕事相手と仲良くしていたとは思えない。だが、見えないところで知らないルルエラの笑顔を見せていたかもしれない。
いや、見せていたに違いない。
アイドルの真横に四六時中ついて回っているボディーガードの仕事を始めてから、ファンに見せない秘密の笑顔は何度も向けられたことがある。狩桶もそうだ。
元ドルオタとして、この笑顔は独り占めしたくはない。
「でも……リスクばっかり考えたら、なにもできない……それに明良君なら、ファンや一般人と比べたら大丈夫。ボディーガードだし、仕事相手って押し切れば誤魔化せる。なにより、私は顔を隠して活動してるからバレない」
引けない狩桶は、どうにかグレーゾーンに持ち込もうとしている。
ここでトドメを刺すために、最終奥義を繰り出す――絵理佳に警告されたときから考えていた、とっておきの台本を読み上げる。
「私はこの仕事を続けて、一〇年の年月が経ち、守ったアイドルの数は、三〇〇名を超えています。そして、狩桶世奈改め、MONEというアイドルは、今まで守ってきたどのアイドルよりも特別で、大切なアイドルなんです」
「なんで?」
「狩桶様はルルエラの無念を背負って活動されている方です。つまり、私からしてみればルルエラの生まれ変わりなんです。ですので、ルルエラのファンとして、狩桶様にはトップアイドルになってもらいたいんです。ルルエラの面影を重ねていますが、ある意味、狩桶様のファンかもしれませんね」
微笑みを演じながら、考えたセリフを引っ張り出していく。
「狩桶様には、ルルエラが果たせなかった五大ドームツアーの夢を叶えてもらいたいんです。狩桶様もルルエラに夢を叶えてもらいたかったですよね?」
「はい」
「その夢が、スキャンダルによって断たれてしまったら、悔やんでも悔やみきれません。もしルルエラがファンや仕事相手との不貞によって夢を断たれたら、狩桶様はどう思いますか? 私は狩桶様の仕事相手であり……MONEちゃんのファンですよ? MONEちゃんのファンを悲しませられますか?」
「っ……」
気づいた狩桶はなにも返すことができず、ただただ明良に顔を合わせていた。
もう邪な思いは消えかけている。あと少しで落とせる。
「アイドルというものは、ひとりで成り立っているものではありません。ファンのみなさんで育て上げ、みなさんの夢を背負っている、生き甲斐の象徴なのです。狩桶様にも、狩桶様を育て上げたファンの方々がいます。その生き甲斐がいなくなって悲しくなった思いを狩桶様もしているはずです」
「うん……すごく悔しかった。この思いは私を推してくれてるファンにはさせたくない」
「そこまで理解できれば、狩桶様はトップアイドルになるでしょう。狩桶様のため、狩桶様のファンのため、そして、生きたかったルルエラのため、私たちの関係は仕事相手で留めておきましょう」
「……わかった。確かにルルエラはわき目もふらずにアイドル活動をしてた。こんな私だったら、いくら努力してもルルエラを追い越すことはできない。だから明良君、引っ越しが終わるまで、仕事相手として護衛をよろしく頼んだ」
狩桶は即座に人前に立つ者としての、気丈に振る舞うアイドルの笑顔を作り上げていた。
「はい、しっかりと承りました」
明良も感情を押し殺したピカピカのボディーガードスマイルを作った。
本当は、狩桶と夜が明けるまでルルエラのことを深く語り合いたい。
しかし、アイドルとボディーガードという立場で出会ってしまった以上、関係が低い壁で隔たれていたとしても、その壁を跨いではいけない。
悲しいがフラグをへし折るのも仕事だ。
「それじゃあ、やんわりとフラれたから、最後にひとつ聞きたい。プライベートなことだから答えなくてもいいけど」
「なんでしょうか?」
「明良君って、絵理佳さんのこと好き?」
「……はぁ」
スナイパーライフルで狙撃されたとき以上の、不意の質問。「……はぁ」としか言いようがない。
ただの同僚かつ、二次元文化が好きな仲間かつ、ファンタジーバーサーカー女としか認識していないので、恋愛感情など一ミリも感じたことがなかった。
(いや、これは使える⁉)
閃いた選択肢がひとつだけ狩桶の顔の前に現れる。
ここで他の女性になびいていることを言えば、狩桶は恋をあきらめてくれるかもしれない。
明良は一瞬にして狩桶を傷つけず、しかし確実に距離を取るための優しい嘘を脳内で構築した。
この間、わずか一秒。運命の選択肢をカチッとクリックした。
「そうなんですよ。私ももう三〇近い歳で、そろそろ結婚も考えないといけないのですが、結婚するなら相葉かな~って、ええ、そんな感じですかね。一〇歳ぐらいの年齢差で、相葉に好意を抱くのは引け目もあるのですが、慕ってくれるかわいいやつで、結婚したら長く続くかなって思いまして」
ボディーガード人生史上、過去一番の固まった笑顔が貼りついているだろう。
嘘をつくこと自体は成功した。が、さすがにストレートに「好き」という言葉は、言霊となって現実になってしまいそうで口に出せなかった。
「やっぱりそうだったんだ……なら、私が告白する以前の問題。残念」
狩桶は薄い唇を尖らせて、マスクが微かに浮き上がる
そのリアクションを前にして、作戦が成功したと心の中で「よっしゃー!」と叫んだ。
「なんで絵理佳さんのこと聞いたかって言うと、わき目もふらずにアイドル活動をして、ルルエラの夢を叶えて、三〇歳を過ぎたぐらいなら、明良君とつき合えないかなって思った。そういうアイドルの前例はたくさんある」
「そうですね。それぐらいの年齢であれば、絶望する熱狂的なファンの方々はいますが、明らかに一般人ではない一般人と結婚と大きく報道され、激しく荒れることもなく、祝福されて受け入れられていますし、よくあるお話ですね」
「だから、私と明良君の目標を全部達成できたら、一〇年後にまた告白しようって思ってた。でも、明良君と絵理佳さんのほうが、一緒に過ごす時間が圧倒的に長くて、私が入る隙がないって感じた」
「狩桶様はまだお若いです。これからアイドル業を続けていく中で、幾多の出会いがあります。きっと、狩桶様にお似合いになる、私以上の運命の人が現れるでしょう」
「そう願っておくことにする。でも、私、他人に甘えられない性格で、偶然だけど明良君が初めて甘えられた人だった」
狩桶は帽子をかぶった小さい顔を伏せ、細い指で目をひと擦りした。
「これから仕事を続けていく中で、また壁にぶつかることがあると思う。どこかで心の支えは必要だと思う。その時、明良君みたいな人に出会えなかったら、アイドル辞めるかもしれない」
顔を上げる狩桶……一等星以上の輝きを放つ、茶色い大きな目と目が合う。
「アイドル現役中、向こう一〇年は誰とも絶対につき合わない。でも、また問題があったら、明良君に依頼して相談してもいい?」
「それはもちろん、然るべき手続きを踏んで、仕事の関係であればいくらでも相談に乗りますよ。なによりも、狩桶様にはアイドルを辞めてもらいたくないので、積極的に相談に乗りますよ」
「よかった、然るべき手続きを踏めばいいんだね。じゃあ、私の体を守って、私の心も守って、絶対に私を五大ドームツアーに連れていって」
「もちろん、連れていきますよ」
「うん……よろしく」
狩桶の口からこぼれたのは、生糸のように細く、どこかあきらめ切れない気持ちがひしひしと伝わる、そよ風のような声だった。
明良はその声に秘められた狩桶の気持ちを痛いほど感じ取った。
だが、明良は戒めを負ったプロボディーガードだ。その感情に踏み込むことは許されない。
そして、買い物カゴにどっさりとルルエラのグッズを積み、レジで会計を済ませ、長い長い、それは長いレシートを受け取る。
念願だったルルエラグッズの購入を終え、両手に大量のビニル袋を持って店を出ると、警護車両に戻って三人は車に乗った。
沈黙が舞い降りる車内。通い慣れてしまった住宅街に入って、マンションのエントランスに到着した。
辺りのクリアリングを行ってから三人は車から降りる。
「あっ、ちょっと待って。部屋まで送るの、相葉さんひとりだけでいい」
「ですが、安全保障の観点から、私もいたほうがよろしいのですが……」
「私がいいって言ってるからいい。行こ! 絵理佳さん!」
「ええ、ああ、はーい!」
ボーっとしていた絵理佳が細い手を引っ張られ、慌てて歩き出す。
スーツと私服を着た、友達のようなふたりの少女がマンションのエントランスへと消えていった。
おそらく、ゆっくりとふたりきりで話せる確かなタイミングは最後だから、強引に連れ出したのだろう。
「ん?」
内ポケットに入っているスマホがブーブーと震え上がる。
スマホを取り出すと、画面には久保田陽子と表示されていた。緑の受話器を取る画面をタッチして耳に当てる。
「お疲れ様です、笹川です」
「あ疲れ、明良。今大丈夫か?」
「はい、ちょうど狩桶様を自宅まで送り届けて、仕事が終わったところです」
「ナイスタイミングだな。お前たちに伝えたい要件がある」




