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Chapter4-2

※この物語は97%ほどフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。


※ヒロインがVtuberですが、作者はVtuberの仕事を引き受けたことがありません。また、顔を隠して活動している方々の仕事を引き受けたこともなく、実際の警備体制と異なる場合があります。


※作者は完全な専門家ではないので、物語の内容と現実の内容が異なる場合があります。書いてある内容が正しいと思って読まないでください。


以上を注意の上、読んでください

 世奈を先頭にスタジオに入り、世奈がフロントで部屋を予約していたことを告げる。

 絵理佳は関係者パスをもらい、ネックストラップで首から下げた。

 そして、廊下を進んで予約していた部屋に到着する。

 世奈がスタジオの重たい防音扉をグッと押して、部屋に入った。

 スイッチを押して明かりをつける。

 壁の一面が鏡張りになっている、だだっ広いレッスンルーム。部屋の角の天井には巨大なスピーカーが吊り下げられている。

 トレーナーはいなかった。

「絵理佳さん、少し話していい?」

 キャップと黒マスクを外した世奈は、絵理佳のスーツの袖を何度も素早く軽く引っ張り、早口で尋ねてくる。

 緊急事態だろうか。

「はい、いかがなされましたか?」

「明良君って、つき合ってる人いるの? それとも、もう結婚してるの?」

「えっ……」

 見当外れな質問をぶつけられ、体がピキっと音を立てて硬直する。

 女性が男性の恋愛事情を聴く場合、意図することはひとつしかない。いや、ド直球に結婚しているかまで尋ねてきた。

 恋愛経験が皆無の絵理佳だが、頭の中の危険アンテナがビンビンに反応している。

 真実を告げるだけなら「いません」と答えればいい。

 しかし、ここでそう告げてしまったら、世奈は明良へのアプローチを始めるだろう。

 相手はあの輝かしい大物女性アイドルだ。さて、この状況で一体どう答えればいいのだろうか。

「トレーナーがくる前に答えて!」

「えっと、誰ともおつき合いしていませんよ」

 急かされ、包み隠さず答えてしまう。

「そう、絵理佳さんは明良君とおつき合いしたいって思ったことある?」

「あの……えっと、その……ええ……笹川はただの同僚ですねぇ……」

 なんだろう、開いている唇がやけに重たい。昨日、明良にルルエラの死について尋ねたとき以上に重たい。

「よかった。それなら、ライブが終わって引っ越しする前に明良君に告白しよ」

 その言葉を聞いた瞬間、高圧の電流が全身を駆け巡った。全身の神経の位置がわかるようなしびれ。

 恐れていた最悪の回答。

 アイドルという手の届かないはずの存在が、まさか一般人に、それも同僚に恋をしたら一体どんな未来が待ち受けているのだろうか。

 混乱の嵐の中、精一杯、とりあえず動機を聞いておく。

「なんで、笹川とおつき合いしたいと思ったのですか?」

「好きになったというか、恋愛という行為がしてみたい。私、中学高校と女子高で恋愛経験がない。それに、会社やマネージャーから荒波を立てないように、恋愛禁止されてる」

 アイドルの恋愛禁止令は、男女問わず、人気で商売の若手アイドルがよくつけられる制約だ。

 絵理佳個人の意見としては、アイドルが恋愛をしてもいいと思っている。が、ボディーガードの視点から意見を述べるとすれば、変な煙が上がらないように恋愛しないほうがいいと思っている。

「アイドル活動も大切。でも、二〇歳の女性として楽しい時期に恋愛をしないのは、もったいない。だから、ルルエラのファン同士の明良君なら仲良くできると思って」

 アパレルショップで意気投合していた様子を見ていると、常に話が絶えないようなお似合いのカップルになるだろう。

「それに明良君なら恋人だってバレてもボディーガードです! で言い通せる」

 トントン

 爆弾の恋バナをしていると、扉をノックする音が響いて、ゆっくりと開いた。

「世奈ちゃん~、お待たせ~」

 友達のようなノリで、ジャージを着た女性トレーナーと……マネージャーだろうか、もうひとり女性が入ってきた。

 その女性は女性用のスーツを着ていてバインダーを持っている。顔と小さな手にはシワがあり、少々年配のように感じた。ネックストラップの関係者パスをぶら下げているので、なにかのスタッフだと予想する。

 実際、世奈もトレーナーもその女性を気に留めていなかった。

 世奈はシャツを脱いでスポブラの姿になり、ジャージに着替えている。この時点で確実に知り合いだ。

 不審者でないことを確信すると、扉の横で足を肩幅に開いてお尻の後ろで手を組んで背筋を伸ばす立哨姿勢でレッスンを見守る仕事を始める。

(どうなっちゃうんだろう……)

 呼吸がおぼつかなく、血の気が引いて指先がピリピリと痺れていた。

 そして、頭の中は予想する何万枚もの未来の映像が高速で流れている。

(明良なら、MONEちゃんとつき合わないよね)

 あれほど、ガミガミと、何度も何度も、嫌になるぐらいアイドルと仲良くなるなと警告してきた明良なのだ。

 明良は「恋人いない歴イコール年齢」だと言っているが、アイドルに愛の告白をされたとしても、尻軽にホイホイとつき合うことはないだろう。

(絵理佳ちゃんには関係ない)

 仮にふたりがつき合ったとしても、絵理佳が今後の人生を進む上でその事実が障害になることはないだろう。

 スキャンダルになった場合、会社の信用が失われて、仕事が減るかもしれないが。

(いいんだよね……明良とMONEちゃんがつき合っても)

 人生で味わったことがない底知れない不安が、濁流のようにドッと押し寄せてくる。

 ボディーガードの第六感だろうか。本能が世奈を明良に近寄らせたくないと叫んでいる。

 意味不明な不安をこれ以上考える必要はない……が、考えてしまう。

 四方を壁に囲まれた密室だ。

 正直な話、守りが頑丈に固められた部屋では気を抜くことができる。

 考える時間はいくらでもある。

 脳みそをギュルンギュルンと回し、必死に気持ちを落ち着かせる。

「お好み焼きにはハチミツを~♪ たこ焼きにはチョコレート~♪」

「うぉ⁉ ……おお!」

 思い詰めている途中、体の芯から震える、波を打った大音量の歌声が太い体に降り注いだ。

 何事かと我に返り、振り返る――

 ジャージに着替えた世奈が、軽やかなステップで足を細かく刻み、全身を使った大袈裟な踊りをしながら、レッスンルームに響き渡る大声を張り上げていた。

(すごい……)

 ボディーガードは役得として、アイドルやアーティストたちの、マイク、スピーカーを通さない、加工も一切していない、本人の喉から直接出る生の歌声が聞けるのだ。

 あまりトレーニングをしていないアイドルの場合、口パクをしていなければ動きながら歌うと歌声が安定せず、リリースされているデジタル音源よりも下手な歌になる。

 しかし、世奈は体を激しく動かしながらも、アニメで流れる録音音声とまったく同じ歌声だった。

 もちろん、甘々ながらも真水のように透き通った声は無加工だ。

 顔がいいだけで持ち上げられたアイドルや、お偉いさんと汚い裏取引をして持ち上げられたアイドルではないということが、歌とダンスを見ていてよくわかる。

 世奈は正真正銘、実力で地位を勝ち取るスターアイドルだ。

 そのような、ほぼ一対一の絵理佳のためだけに用意された、世奈の特別ライブの世界に引き込まれていると……悩みも忘れ、あっという間に予定していた二時間のレッスンが終了していた。

 世奈の顔には、大粒の汗がびっしりと滝のように流れていて、水のペットボトルを片手にハァハァっと激しく暴れる息を整えている。

 したたる汗もキレイな、疲れた姿も絵になる世奈の姿を眺めていると、それだけ真剣に練習に取り組んだことが伺える。

 下手をしたらボディーガードの絵理佳よりも体力があるかもしれない。

「あの~、すみませ~ん」

 突如話しかけられ、気を取り戻す。

 部屋の隅で世奈のレッスンを見守っていた、三人目の少し歳が行っている女性の関係者だった。

「はい! いかがなされましたか?」

「私、狩桶世奈のイベント運営担当の、乾です」

「初めまして、相葉です」

「相葉さん、よろしくお願いいたします。狩桶を自宅に送り届けてもらう前に、警備の契約の件で相談したいことがあるのですが、相葉さんにお話ししてもよろしいでしょうか? それとも、ほかの責任者の方に相談すればよろしいでしょうか?」

「大きな契約の変更であれば営業や課長に回さなければなりませんが、今すぐにできる軽い仕事であれば、特別な料金もなく、私の判断で対応いたします」

「それが軽い契約の変更ではなくて……」

 乾は腕時計を撫でながら口ごもる。

「大変申し上げにくいことなのですが……ライブ後のボディーガードの方々の契約を切りたいので、その相談をしたいのです」

「えっ……なんで契約を切りたいんですか?」

 仕事を始めて三年目。絵理佳自身に初めて契約破棄を持ちかけられ、反射で聞き返す。

「やはり、ボディーガードを雇うのは料金が高く、それも長期間雇うとなると予算のやり繰りが難しいのです。弊社事務所も決して稼ぎが多いわけでもないので、上からもう少し経費を削減できないかと言われまして……いや、まだ全然決定事項じゃないですよ」

 乾も後ろめたさがあるのか、歯切れが悪い。

「ライブ終了後の予定としては、仕事に関係する大きな仕事は入れていませんし、数日かかりますが予定は引っ越しだけですので、警備は不要だと思いまして……もちろん、契約を破棄した違約金は支払うので、どちらに相談すればよろしいでしょうか?」

「……」

 絵理佳は第四種女性要人警護課で、特別な役職についているわけでもない、一番下の平社員だ。お客様にお願いされたことは上にそのまま伝えるのが仕事になる。

 しかし、仕事をして三年目にもなれば上がなにを提示するのかわかるようになる。

 警備会社側も、食べていくためには仕事をもらわなければならない。営業の華倫、そして、最終的な仕事の決定を下す課長の陽子は、必死に警備の必要性を訴えて契約の継続を促すだろう。

(これは……チャンス?)

 しかし、ボディーガードとして抱いてはいけない邪悪な考えが浮かび上がってしまう。

 ボディーガードの隊員の契約が切られるということは、明良と世奈の仲がこれ以上深まらないことにもなる。

(なんだろう……スカッとする)

 契約を破棄できる選択肢が頭に浮かんだ瞬間、今まで思い悩んでいたことが嘘のように消えていった。

 この晴れた気持ちを保ち続けるなら、スタッフが望む内容をそのまま上に流せばいい……上がどのような判断を下すかはわからないが。

(でも、MONEちゃんを……危険に晒したくない)

 数日間だけだが世奈と過ごした日々を思い起こす。

 世奈は今まで守ってきたどの要人よりも気を遣ってくれた、心優しい要人だ。さらに、アニメ好き同士仲良くなり、そして人生を語り合い、恋愛相談に乗るまで気を許し合った間柄だ。

 少しばかり芽生えた友情が、世奈を守りたいと訴えてきた。

(明良を悲しませたくない……)

 つい昨日。明良が悲しげにボディーガードになった経緯を語っていた光景を思い出す。

 明良は思い描いているファンタジーの世界につきあって、いつも遊んでくれる、とてつもなく信頼を置いている人だ。

 その遠慮なく絡める、大切な人が大切にしているアイドルたちが健やかにアイドル活動を続けられる夢を叶えてあげたい。

 なによりも……明良が落ち込んでいるところを見たくなかった。

 ならば言うことはひとつしかない。

 薄いピンクのリップを塗った、花弁のような唇をキュッと引き締め、大きく開く。

「その契約の件については、外で待機している笹川か、お渡しした名刺の久保田の電話番号に連絡を入れていただければ相談できます」

「かしこまりました、ありがとうございま――」

「でも! 待ってください!」

 乾が頭を下げたところで止めに入る。

 少し声量のある声に、乾はパッと顔を上げた。

「おそらく、営業からも説明があると思いますが、私からも言っておきます」

 思い切ってしゃべり始めたが、ツギハギの言葉しか頭に浮かばず、口から出すことができない。

 息を大きく吸い込んで、つなぎ合わせた言葉を胸から押し上げる。

「確かに警備費用は高額でバカになりません。御社の負担になることは重々承知しています。ですが、よく考えてみてください。お金が残るほうがいいか、狩桶様が残るほうがいいか、どちらがいいと思いますか?」

「それは、狩桶が残ったほうがいいですけど……お金が……」

「お金は替えが効きますが、狩桶様は替えが効かないたったひとつの尊い命なんですよ! 警備費用というのは、その替えが効かない大切な命を守るための、主催者の戦う覚悟の数字なんです!」

 華倫や陽子が普段から営業で力説している説明を全力で主張して続ける。

「確かに警備費用を事務所の運営費用やアイドルたちへの給料にあてれば、より上質なアイドル活動ができたり、豊かな生活を送れたりするかもしれません。ですが、転がり落ちてしまえば、すべて失うのは一瞬なんです! 警備費用は保険と同じなんですよ!」

 新入社員時代、経験を積むことを兼ねて、営業の華倫と一緒に客回りしていたときの記憶を必死に呼び起こしている。

「いいですか? 世の中、これだけ脅迫や誹謗中傷で逮捕者が出ていますが、それでも抑制にならずに、犯行を続けている相手なんですよ。つまり、相手は話を理解していない、話が通じない、法律を超える衝動に駆られている、なにをしてくるかわからない相手なんですよ。このまま警備を緩めたらその隙をついて襲いかかってくるのは確実です!」

 乾は説得に圧倒されているのか、それとも真剣に悩んでいるのか、口を閉じて黙ったままだ。

 絵理佳は昨日知ったばかりの事実、ゼルテクサプロダクションに所属していた、明良が愛している尊い存在を持ち出してトドメを刺しにいく。

「ゼルテクサプロダクションさんはルルエラさんが亡くなった轍を踏むおつもりですか? 命が亡くなったら、そこでアイドルの人生が終わりなんですよ! そして、そのアイドルさんを応援してるファンたちも悲しませることになるんですよ!」

「……そうですね、狩桶がいなくなってからでは遅いですからね……わかりました。もう一度上とかけ合ってみます」

「あっ、いえ、変なことを言って、大変申しわけありませんでした……」

 絵理佳は慌てて腰を九〇度曲げ、深々と頭を下げた。

 熱血の説得が届き、乾は納得したが、今になって焦り始める。

 末端の平社員が勝手な判断で取引先と交渉してしまった……あとでクレームを入れられるかもしれない。

 クレームを入れられたら、ゼルテクサプロダクションとの契約は途切れ、今後の取引に支障をきたすかもしれない。

 会社の間で軋轢が生じた場合、どう責任を取ればいいのかわからず、冷や汗が毛穴という毛穴からたらたらと流れ出る。

「いえ、上から経費を減らせと言われているだけで、私個人の考えとしては、今の警備体制で狩桶を守りたいんです。狩桶の身の安全を第一に考えているのは、相葉さんと同じなので、もう一度上と話し合ってみます」

「契約を変更したい場合は、外で待機している笹川か久保田にいつでも電話してください」

「承知いたしました。それでは、今日も狩桶を自宅まで安全に送迎してあげてくださいね」

「かしこまりました、不安を一切与えることなく送迎いたします」

「よろしくお願いいたします」

 乾は社交辞令の機械的な挨拶を終え、一礼すると、絵理佳から離れる。そして、商談している間にへそ出しのTシャツに着替えていた世奈へと歩み寄っていく。

 今後の予定だろうか、バインダーに挟まれた紙を指差しながら、なにか打ち合わせしている。

(ホントに……これでよかったのかな……)

 正義感に駆られ、ついカッコつけた言葉を口走ってしまった。が、反動で後悔の波が押し寄せ、じわりと心を蝕んでいく。

 会社にクレームが入るかもしれないリスクを背負い、さらには明良と世奈を引き離せるチャンスまで手放したのだ。

 後悔しないほうがおかしい。

(いや、絵理佳ちゃんはボディーガード……誰かの大切な推しを守る、ボディーガードなんだから!)

 当然のことをしたまでだと正当化し、心の平穏を保つしかない。

 揺れ動く気持ちを胸に秘めて煩悶していると、打ち合わせが終わった世奈がトコトコと小さい歩幅で歩み寄ってきた。

「絵理佳さん、待たせてゴメン。乾となんかあった?」

「こちらの業務連絡ですので、狩桶様には関係ないですよ。今からは直帰でいいですか? 寄りたい所はありますか?」

「帰る」

「かしこまりました」

 レッスンルームを出ると、絵理佳は世奈の背後を歩き、スマートフォンを胸のポケットから取り出して明良に電話をかける。

「相葉から笹川、どうぞ」

「電話は双方受信できるから、どうぞはいらねえぞ。何年この仕事してんだ」

「ははっ、つい職業病で。それで、今、狩桶様のレッスンが終了して、直帰だって」

「了解した。少し遠い駐車場に停めてるから、クリアリングが遅れると思う。出入口で待機しててくれ。クリアリングが終わったら改めて連絡を入れる」

「了解」

 電話を切って気を改める。

(明良とMONEちゃんがつき合っても……やっぱり、絵理佳ちゃんには関係ない……よね)

 長時間使って、気持ちの整理をした末に導き出した答えは……開き直りだった。

 しかし、どことなく太い足に力が入っていない。

 そのゾンビ化した足取りでレッスンスタジオをあとにした。

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