第1章 異世界転生と最弱スキル 第5話「国王謁見と隠された陰謀」
「国王陛下謁見の時間です、時道様」
アトラスの声に、俺は深呼吸をした。鏡の前で改めて服装を確認する。深緑色の上着と黒のズボン、そして王家の紋章が刺繍された白いマントは、完璧に着こなせているだろうか。
「緊張されていますか?」
「少し」
正直に答えると、アトラスは優しく微笑んだ。
「心配には及びません。陛下は公正な方です。王女様を救った恩人に対して、必ず良くしてくださるでしょう」
「ありがとうございます」
アトラスに導かれ、王宮の中心部へと向かう。廊下を進むにつれ、警備の騎士の数が増えていき、装飾もより豪華になっていった。
「王女様は?」
「すでに謁見の間におられます。王女様からのご紹介という形になります」
やがて、巨大な二重扉の前に到着した。扉の両側には、鎧に身を包んだ衛兵が立っている。
「佐倉時道様、国王陛下の謁見のため」
アトラスが告げると、衛兵たちは敬礼し、扉を開いた。
「それでは、中へどうぞ。背筋を伸ばし、陛下に近づいたら膝をつき、頭を下げてください」
最後のアドバイスを受け、俺は謁見の間へと足を踏み入れた。
部屋は予想以上に広く、天井は高く、壁には王国の歴史を描いた壮大な壁画が広がっている。中央には赤い絨毯が敷かれ、その先に王座があった。
王座に座る男性は、50代半ばといったところか。威厳のある顔立ちで、髪と髭には白いものが混じっている。金の王冠と深紅のマントが、その存在感をさらに高めていた。
王座の右側にはリーシャが立ち、左側には中年の男性がいる。おそらく宰相か何かの高官だろう。
絨毯の上を歩き、王座の前で膝をつき、頭を下げる。
「陛下、佐倉時道がまいりました」
リーシャの声が響いた。
「顔を上げなさい、若者よ」
国王レイモンド三世の声は、意外にも温かみがあった。顔を上げると、国王は穏やかな表情で俺を見ていた。
「我が娘の命を救ってくれたそうだな」
「はい、陛下。微力ながら」
「謙遜する必要はない。リーシャから詳しく聞いている。君の勇気ある行動のおかげで、最悪の事態は避けられた」
国王は満足そうに頷いた。
「オルガからも報告を受けた。時空系のスキル保持者とは珍しい」
「はい、ただスキルレベルは低く…」
「それでも価値あるものだ。時空系のスキルは、レベルに関わらず王国にとって貴重な財産だ」
またしても「財産」という言葉。少し警戒心が高まる。
「陛下、時道さんは予知能力も持っています!」
リーシャが嬉しそうに言った。
「そうだな。その能力こそ、今回の功績につながったわけだ」
国王は考え込むように顎に手をやった。
「佐倉時道、我が娘リーシャの側近として仕えることを正式に認める。王宮内での地位と相応の報酬を与えよう」
「恐れ多く、大変恐縮にございます」
深く頭を下げる。
「ただし、一つ条件がある」
国王の声が少し厳しくなった。顔を上げると、彼の表情も引き締まっている。
「はい、なんでしょうか」
「君の予知能力は、王国の安全にとって非常に重要だ。もし危険を予知したら、必ず報告してほしい。特に王族の身に関わることであれば」
「承知しました」
「それと、オルガの提案により、週に一度は魔導院での訓練を受けてもらいたい。君の能力をさらに発展させるためだ」
「喜んで」
国王は満足そうに頷いた。
「よろしい。では、これより佐倉時道を王女リーシャ・フローレンスの側近として任命する」
国王の宣言に、部屋の中にいた者たちが拍手を送った。リーシャは嬉しそうに微笑んでいる。
「陛下、一言よろしいでしょうか」
王座の左側にいた中年男性が一歩前に出た。
「何かあるのか、ヴェルナー」
「この若者の経歴について、もう少し詳しく調べるべきではないでしょうか。王女様の側近という重要な地位ですので」
男性――ヴェルナー宰相は、冷たい目で俺を見た。
「彼の出自については、オルガが調査済みだ。問題はない」
「しかし陛下、彼の言う『予知能力』なるものが本物かどうか、確かめる術はありません。単なる偶然かもしれないのです」
ヴェルナーの言葉に、リーシャが反論しようとしたが、国王が手を上げて制した。
「ヴェルナー、君の慎重さはいつも通りだな。だが、オルガの魔法診断と、何より実際の功績がある。彼が本当に王女を救ったことは事実だ」
「はい、陛下。ただ、王国の安全のために申し上げただけです」
ヴェルナーは一歩下がったが、その目は依然として俺を疑わしげに見ていた。
「それに、彼の黒髪は珍しい。東方の血を引いているのでしょうか」
ヴェルナーの言葉に、国王も俺の髪に目を向けた。
「確かに珍しい色だな。佐倉、君の出身は?」
「遠い東の地方です、陛下」
曖昧に答えると、国王は納得したように頷いた。
「なるほど。それで黒髪なのか」
この世界では黒髪が珍しいらしい。確かに、これまで見てきた人々は茶色や金髪、赤毛などが多かった。
「佐倉時道、今日から王宮での新しい生活が始まる。リーシャを頼む」
「はい、陛下。全力でお守りします」
再び頭を下げると、国王は立ち上がった。
「では、謁見を終わる」
国王が退室し、続いてヴェルナー宰相も部屋を出ていった。残されたのは、俺とリーシャ、そして数人の宮廷人だけだ。
「時道さん、おめでとうございます!」
リーシャが駆け寄ってきた。
「ありがとうございます」
「父上も認めてくれました!これで正式に私の側近です!」
リーシャは嬉しそうだが、俺の頭の中では先ほどのヴェルナー宰相の態度が引っかかっていた。明らかに俺を警戒している。単なる慎重さなのか、それとも別の理由があるのか。
「リーシャ、宰相のヴェルナーさんは…」
「ああ、ヴェルナー宰相ですか?彼はいつもああなんです。とても慎重で、新しいものを受け入れるのが苦手で」
リーシャは気にしていないようだった。
「そうですか」
「心配しないでください。父上が認めたのですから、誰も文句は言えませんよ」
リーシャの楽観的な態度に、少し不安を覚える。政治の世界はそう単純ではないだろう。
「これから私の執務室に行きましょう。時道さんの仕事内容を説明します」
リーシャに導かれ、謁見の間を出る。廊下を歩いていると、ヴェルナー宰相が数人の部下らしき人物と話しているのが見えた。彼らは俺たちに気づくと、会話を中断した。
「こんにちは、宰相」
リーシャが挨拶すると、ヴェルナーは形式的に頭を下げた。
「王女様、新しい側近と共にお忙しいところ」
「はい。時道さんに王宮内を案内しているところです」
「そうですか。佐倉殿、これからよろしく頼みます」
ヴェルナーの言葉は丁寧だが、その目は冷たいままだった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
挨拶を交わし、その場を離れる。
「宰相は父上の右腕です。王国の政治のほとんどを取り仕切っています」
リーシャが説明してくれた。
「長い間仕えているのですか?」
「はい、父上が即位する前からです。とても忠実な方ですよ」
リーシャの言葉に頷きながらも、宰相の冷たい視線が気になった。
執務室に到着すると、リーシャは俺の仕事内容を説明し始めた。基本的には王女の日程管理、書類の整理、時には外交使節との会見の同席など、秘書的な仕事が中心のようだ。
「あとは…私の料理の先生です!」
リーシャは最後にそう付け加えた。
「それは公式の仕事ではないでしょう」
「でも、私にとっては大切な仕事です!」
リーシャの無邪気な笑顔に、思わず微笑み返す。
「わかりました。できる限りお教えします」
仕事の説明を受けた後、アトラスが現れ、俺の新しい部屋に案内してくれた。以前の客室よりも広く、王女の居室に近い場所にある。
「側近としての待遇です。何か必要なものがあれば、いつでも申しつけてください」
「ありがとうございます、アトラス」
部屋に一人残され、窓から王都の夕景を眺める。太陽が沈みかけ、街にはランタンの明かりが灯り始めていた。
「ここからが本当のスタートだな」
ポケットから、オルガから受け取った記憶結晶を取り出す。今夜から使ってみよう。予知夢があれば記録しておくことで、何か手がかりが得られるかもしれない。
部屋の隅に置かれた全身鏡の前に立ち、改めて自分の姿を確認する。これまで落ち着いて自分を見る余裕がなかったが、今、鏡に映る自分の姿に驚いた。
「若くなっている…?」
確かに自分の顔だが、東京にいた頃より明らかに若い。25歳だったはずが、20歳くらいに見える。肌は張りがあり、目の下のクマも消えている。
「転生したからか…」
異世界転生の際に、体が若返ったのだろうか。それとも、この世界の時間の流れが違うのか。
もう一つ気になるのは、黒髪だ。国王との謁見でヴェルナー宰相が指摘したように、この世界では黒髪は珍しいらしい。目立つということは、良くも悪くも注目されるということだ。
「悪目立ちしないようにしないとな」
自分の姿を最後にもう一度確認し、夕食の準備を始める。
夕食はリーシャと共に、彼女の専用ダイニングでとることになった。食事をしながら、明日からの予定について話し合う。
「明日は午前中に外交使節との会見があります。アルフェイム王国からの使者です」
「アルフェイム王国?」
「ええ、エルフの国です。最近、国境地帯で小競り合いがあったので、その解決のための話し合いです」
政治的な話題に、少し緊張する。
「私に何ができますか?」
「会見の記録と、もし何か危険を感じたら教えてください」
「わかりました」
食事を終え、自室に戻る途中、廊下の角で声が聞こえてきた。
「あの男を信用するな。怪しすぎる」
ヴェルナー宰相の声だ。
「しかし宰相、国王陛下が認めた人物です」
「国王は娘に甘すぎる。リーシャ王女の一存で、素性の知れない男を側近にするなど」
俺のことを話しているのは明らかだ。確かに自分でも運が良すぎて怪しむ気持ちはわかる。
立ち止まり、壁に身を寄せて聞き耳を立てる。
「あの黒髪も不自然だ。東方の出身というが、言葉に訛りもない。それに、あまりにも若すぎる」
「調査を続けるべきでしょうか?」
「ああ。彼の出自、過去の行動、すべてだ。特に『予知能力』については徹底的に」
「承知しました」
「それと、彼の部屋に…」
声が小さくなり、聞き取れなくなった。足音が近づいてきたので、すぐに歩き始め、自然を装う。
角を曲がると、ヴェルナー宰相と側近はすぐ目の前にいた。
「おや、佐倉殿。こんな時間にどちらへ?」
「自室に戻る途中です」
「そうか。初日から大変だったろう」
ヴェルナーは表面上は友好的だが、その目は冷たく計算高かった。
「いえ、王女様のおかげで快適です」
「そうか。リーシャ王女は優しい方だ。時に優しさが仇になることもあるがな」
その言葉には明らかな警告が含まれていた。
「王女様は素晴らしい方です。私は全力で仕えるつもりです」
「立派な心がけだ。では、お休み」
ヴェルナーと側近は立ち去ったが、背中に視線を感じた。明らかに警戒されている。
自室に戻り、扉を閉めると、深いため息をついた。王宮内の政治的な緊張が、想像以上に複雑だと感じる。
「部屋に何かするつもりか…」
念のため、部屋の中を詳しく調べてみる。怪しいものは見つからなかったが、明日からは常に警戒しておく必要がありそうだ。
窓際に立ち、夜の王都を眺める。星空の下、街のランタンが美しく輝いている。
「転生して若返り、王宮で働くことになるとは夢にも思わなかったな…」
現実感がないような不思議な感覚だ。しかし、この世界で生きていくには、早く適応しなければならない。
ベッドに横になり、オルガから受け取った記憶結晶を手に取る。
「記録」
結晶を額に当て、言葉を唱える。結晶が淡く光り、温かさを感じた。
「これで予知夢があれば記録されるはずだ」
目を閉じ、今日一日を振り返る。
異世界に転生して数日。最弱と思われたスキルから始まり、予知能力で王女を救い、王宮の側近になった。そして、黒髪という特徴は、この世界では目立つらしい。
「慎重に行動しなきゃな」
自分に言い聞かせながら、眠りに落ちていく。
そして、夢を見た。
王宮の地下深くにある部屋。壁には奇妙な文字が刻まれ、中央には大きな魔法陣が描かれている。その周りに立つ黒いローブの人々。そして、魔法陣の中心に立つ一人の少女。
「時の扉を開け!」
誰かの声が響く。魔法陣が光り始め、少女の体が浮かび上がる。
「やめて!」
少女の悲鳴。それはリーシャの声だった。
「時の賢者の血を捧げよ!」
黒いローブの人物が短剣を掲げる。
「リーシャ!」
叫びながら飛び起きた。額には冷や汗が浮かんでいる。
記憶結晶が明るく光っていた。夢が記録されたのだ。
「これは…予知なのか?」
心臓が激しく鼓動している。リーシャが危険にさらされる夢。「時の賢者の血」とは何だろう?
窓の外はまだ暗い。夜明けまでにはまだ時間がある。
「時の賢者…か」
再び横になるが、なかなか眠れない。頭の中では夢の光景が繰り返し浮かび上がる。
この夢が本当に未来を示しているなら、リーシャは大きな危険に直面することになる。そして、その危険は王宮の内側から来るのかもしれない。
異世界転生から始まった新しい人生。最弱スキルと予知能力。若返った体と目立つ黒髪。そして、王宮内の陰謀。
すべてが不思議なつながりを持っているような気がする。その謎を解き明かし、リーシャを守るために、これからどう行動すべきか。
答えはまだ見えないが、一つだけ確かなことがある。
「何にせよ、慎重に行動だ。注意深く観察すれば見えることもあるだろう」
その決意と共に、俺は再び眠りについた。




