第1章 異世界転生と最弱スキル 第4話「王宮の内側と天然王女」
王宮の客室で三日間の療養を経て、ようやく右肩の傷も癒えてきた。窓の外から差し込む朝日を浴びながら、俺は慎重に肩を動かしてみる。
「痛みはほとんどないな…」
治療に使われた魔法薬は驚異的な効果があった。元の世界だと数週間はかかる傷が、わずか数日で回復している。
「朝七時十二分四十三秒」
時間を確認し、ベッドから起き上がる。今日から正式に王宮での勤務が始まる。リーシャ王女の側近として、どんな仕事をするのか具体的には聞いていないが、とにかく慎重に行動するつもりだ。
部屋の隅には、昨日届けられた新しい衣装が置かれている。深緑色の上着と黒のズボン、そして王家の紋章が刺繍された白いマントだ。
「これを着るのか…」
服を手に取り、その質感に驚く。東京では高級ブランド品でしか味わえないような上質な肌触りだ。
着替えを終えると、ノックの音がした。
「時道様、お目覚めですか?」
「はい、どうぞ」
ドアが開き、年配の執事が入ってきた。
「おはようございます。私はアトラス、王宮の執事長です。本日からお世話させていただきます」
「よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げると、アトラスは微笑んだ。
「リーシャ王女様がお待ちです。ご朝食を一緒にとられるとのこと。ご案内いたしましょう」
「王女様と朝食を?」
思わず聞き返してしまった。王女と朝食を共にするなんて、想像もしていなかった。
「はい。王女様のプライベートダイニングでのご朝食です」
アトラスに導かれ、長い廊下を歩く。壁には歴代国王の肖像画や、王国の歴史を描いた絵画が飾られている。窓の外には美しい庭園が広がり、朝露に濡れた花々が輝いていた。
「王宮は広いですね」
「ええ、迷われないようお気をつけください。初めのうちは必ず誰かが同行いたします」
アトラスの言葉に頷きながら、頭の中で通った経路を記憶していく。いざという時のために、脱出経路を把握しておくのは基本だ。
「こちらです」
アトラスが扉の前で立ち止まり、軽くノックした。
「どうぞ」
中から聞こえた声に、アトラスがドアを開ける。
「時道様がお見えになりました」
「あ、時道さん!おはようございます!」
予想外に明るい声で迎えられ、一瞬戸惑う。
部屋に入ると、そこは小さめの優雅なダイニングルームだった。窓際の丸テーブルに、リーシャ王女が一人で座っている。
「おはようございます、王女様」
丁寧に一礼すると、リーシャは慌てたように手を振った。
「もう、リーシャでいいって言ったでしょう? 二人きりの時はそう呼んでくださいね」
「はい…リーシャ」
少し気恥ずかしさを感じながらも、テーブルに案内された席に着く。
「傷の具合はどうですか?」
「おかげさまで、ほとんど痛みはありません」
「よかった! 私のせいで怪我をさせてしまって、本当に申し訳なかったです」
リーシャの表情は心から心配しているようだった。公の場での凛とした姿とは違い、今の彼女はとても自然で飾らない印象だ。
「気にしないでください。それより、暗殺者はどうなりましたか?」
慎重に情報を集めるため、さりげなく尋ねてみる。
「あ、そうでした!」
リーシャは突然立ち上がり、隣の部屋へと駆け込んだ。何事かと思っていると、すぐに戻ってきた。
「これ、見てください!」
差し出されたのは、一冊の本だった。
「…これは?」
「『王国の歴史と伝統』です! 時道さんは王国のことをあまりご存じないでしょう? これを読むと色々わかりますよ!」
質問とまったく関係ない返答に、思わず目を瞬かせる。
「ありがとうございます。でも、暗殺者のことは…」
「あ、ごめんなさい! つい興奮してしまって…」
リーシャは頬を赤らめ、席に戻った。
「暗殺者は現在、王宮の地下牢に収監されています。尋問の結果、彼は『闇の使徒』という組織の一員だということがわかりました」
「闇の使徒…」
バルトも同じ名前を口にしていた。
「彼らは王国の転覆を目論む過激派です。特に王族を標的にしていて…」
リーシャの表情が曇った。
「以前にも暗殺未遂があったのですか?」
「はい、何度か…」
彼女の声は小さくなった。政治的な立場にいる者の宿命か。改めて、この世界の厳しさを実感する。
「でも、今回は時道さんのおかげで助かりました! 本当にありがとうございます」
リーシャは再び明るい表情に戻った。その切り替えの早さに少し驚く。
「私にできることがあれば、なんでも言ってください」
「そうですね…実は一つお願いがあります」
「なんでしょう?」
「私、料理を習いたいんです!」
突然の申し出に、言葉を失う。
「料…理?」
「はい! 王族は料理なんて習わないんですけど、私、自分で作ったものを食べてみたいんです! 時道さんは料理ができますか?」
「まあ、基本的なものなら…」
東京での一人暮らしで、最低限の自炊はできるようになっていた。
「素晴らしい! ぜひ教えてください!」
リーシャの目が輝いている。王女が料理を習うなんて、常識的に考えておかしいだろう。でも、彼女は本気のようだ。
「わかりました。ただ、王宮で料理をするのは難しいのでは?」
「大丈夫です! 私の専用キッチンがあるんです。誰も使っていませんけど」
専用キッチンがあるのに使っていないというのも不思議だが、彼女の天然さを考えれば納得できる。
朝食が運ばれてきた。パンと卵、果物、そして香り高い紅茶。シンプルだが上品な食事だ。
「いただきます」
「いただきます! あ、そうだ。今日の予定をお伝えしないと」
リーシャはパンを口に入れながら話し始めた。
「午前中は魔導院長のオルガ先生との面会です。時道さんの能力について相談するために」
「魔導院長ですか」
「はい。オルガ先生は少し変わった人ですが、とても優秀な魔導士です。時空系のスキルについても詳しいはずです」
「わかりました」
「それから午後は…」
リーシャが言葉を続けようとした時、ドアが開き、一人の男性が入ってきた。
「リーシャ様、失礼します」
がっしりとした体格の中年男性だ。騎士の鎧を身につけ、腰には立派な剣を下げている。
「あ、ガルドさん! おはようございます」
「おはようございます。こちらが噂の恩人ですか?」
男性――ガルドは俺を見て頷いた。
「佐倉時道です。よろしくお願いします」
立ち上がって挨拶すると、ガルドは強い握手を求めてきた。
「ガルド・ストーンハート、王国騎士団長だ。王女様を救ってくれて感謝する」
「ストーンハート?」
「ああ、商人のグレンは俺の従兄弟だ。彼から話は聞いている」
なるほど、だから顔立ちが似ているのか。
「グレンさんは無事ですか?」
「ああ、心配するな。彼は商売を続けている。お前のことを心配していたがな」
安心した。あの騒動の後、グレンとはまともに別れの挨拶もできなかった。
「ガルドさん、何か用事ですか?」
リーシャが尋ねた。
「はい。国王陛下が午後の謁見をご希望です。新たな側近についてご報告を」
「父上が? わかりました」
リーシャは少し緊張した様子だ。
「国王陛下に会うのですか…」
俺も思わず緊張する。異世界の国王に謁見するなんて、想像もしていなかった。
「大丈夫ですよ。父上は怖そうに見えて、実はとても優しい方です」
ならなぜリーシャ自身が緊張しているのか気になるが、気にしても仕方ないか。
「では、準備をしておきます」
ガルドが一礼して退室した後、リーシャは小さくため息をついた。
「実は、父上に会うのは少し緊張するんです」
「そうなんですか?」
「はい。私、父上の前だと変に緊張して、よく失敗してしまうんです」
リーシャは恥ずかしそうに頬を掻いた。
「例えば?」
「この前は、大事な国賓を前に挨拶をしようとしたら、つまずいて転んでしまって…」
思わず笑いそうになるのを堪える。
「それから、父上の誕生日パーティーでは、ケーキを運んでいたら、滑って父上の顔に…」
「え、まさか…」
「はい…ケーキが直撃しました」
リーシャは顔を真っ赤にして俯いた。
これが第三王女の素顔なのか。公の場では凛とした佇まいなのに、プライベートではこんなに天然で抜けているとは。
「でも、時道さんがいれば大丈夫ですよね?」
「私がどうして?」
「だって、時道さんは未来が見えるんでしょう? 私が失敗する前に止めてくれますよね?」
リーシャは真剣な表情で言った。
「私の能力はそこまで確実ではありません。それに、常に予知できるわけでもないんです」
「そうなんですか? でも、私を救ってくれた時は見えたんですよね?」
「あれは…特別なケースだったのかもしれません」
実際のところ、予知能力がどのように働くのか、自分でもよくわかっていない。
「そうですか…残念です」
リーシャは少し落胆したように見えた。
「でも、できる限りサポートします。王女様の側近として」
「ありがとうございます! やっぱり時道さんを選んで正解でした!」
リーシャの笑顔に、思わず心が和む。
朝食を終え、リーシャは自分の部屋に戻って魔導院長との面会の準備をすると言った。俺も自室に戻り、今日の予定に備える。
部屋に戻ると、窓際に立ち、王宮の全景を眺めた。広大な庭園、整然と並ぶ建物群、そして遠くに見える王都の街並み。
「ここが俺の新しい居場所か…「ここが俺の新しい居場所か…」
窓から見える景色に感慨を覚えながらも、冷静に状況を分析する。異世界に来てわずか数日で、王宮の側近という立場を得た。これは幸運だが、同時に危険も伴う。
「暗殺者が現れるほど政治的な緊張があるということだ…」
王宮という場所は、表面上の華やかさの裏に、必ず権力争いがある。リーシャ王女は天然で純粋そうだが、彼女を取り巻く環境は決して安全ではないだろう。
「慎重に行動しないとな」
ノックの音がして、アトラスが現れた。
「時道様、魔導院長との面会の時間です。ご案内いたします」
「ありがとうございます」
アトラスに従い、王宮の別の棟へと向かう。道中、俺は周囲の様子を注意深く観察した。警備の配置、出入り口の位置、人の流れ。すべて頭に入れておく必要がある。
「魔導院長は王宮内に専用の研究室を持っています。普段は魔導院本部におられますが、王族の要請があれば来宮されます」
「魔導院と王室は密接な関係なのですね」
「ええ。魔導院は王国の重要な機関です。特に、オルガ院長は国王陛下の信頼も厚い方です」
さらに情報を得るため、さりげなく質問を続ける。
「リーシャ王女様は魔導院とどのような関係なのですか?」
「王女様は魔法の才能をお持ちで、オルガ院長から個人的に指導を受けておられます」
興味深い情報だ。リーシャにも特別な能力があるということか。
やがて、塔のような建物に到着した。内部に入ると、壁一面に本が並び、様々な魔法の道具や結晶が置かれている。まるで魔法使いの研究室のような空間だ。
「お待たせしました、オルガ先生」
リーシャがすでに部屋にいて、老婦人と話をしていた。
「これが噂の若者かい?」
老婦人――オルガ院長は鋭い目で俺を観察した。白髪を後ろで結い、深紫色のローブを着ている。年齢は70歳前後だろうか。しかし、その目は若々しく知性に満ちていた。
「佐倉時道です。お会いできて光栄です」
丁寧に挨拶すると、オルガは満足そうに頷いた。
「礼儀正しい若者だね。さて、リーシャ様から君のことは聞いている。時空系のスキル保持者で、予知能力も持っているとか」
「はい、ただスキルレベルは1です。それに予知能力も安定していません」
正直に答えると、オルガは興味深そうに眉を上げた。
「レベル1か…でも、それで王女様を救ったというのは興味深い。詳しく話を聞かせてくれないか?」
俺は転生のことは伏せつつ、子供の頃から時々予知夢を見ていたこと、そして王女暗殺の場面を夢で見たことを説明した。
「なるほど…」
オルガは考え込むように顎に手を当てた。
「君の能力を調べさせてもらってもいいかね?」
「どのような調査でしょうか?」
慎重に尋ねる。魔法世界の「調査」がどんなものか想像がつかない。
「心配することはないよ。痛みも何もない。ただ、君のスキルの本質を見るための魔法を使うだけだ」
リーシャが励ますように微笑んだ。
「オルガ先生は信頼できる方です。私も何度か調べてもらったことがあります」
少し考えた後、頷いた。
「わかりました。お願いします」
「よろしい。では、こちらに座りなさい」
指示された椅子に座ると、オルガは俺の前に立ち、両手を掲げた。彼女の手から淡い青い光が放たれ、その光が俺を包み込む。
不思議な感覚だ。体が軽くなったような、頭がクリアになったような感じがする。
「ふむ…興味深い」
オルガの表情が変わった。
「どうされましたか?」
「君のスキルだが…確かに『時間認識強化』だ。しかし、その奥に…何か別のものが眠っているようだ」
「別のもの?」
「ええ、まるで封印されているかのように…」
オルガの言葉に、リーシャも驚いた表情をした。
「封印されたスキルですか? そんなことがあるのですか?」
「珍しいが、不可能ではない。特に時空系のスキルは複雑でね。時に、保持者の精神状態や経験によって、本来の力が抑制されることがある」
オルガは魔法を解き、深く息を吸った。
「時道君、君はもっと強力な能力を秘めているようだ。それが目覚めれば、単なる時間認識強化ではなく、もっと積極的な時間操作も可能になるかもしれない」
「時間操作…」
想像もつかない能力だ。
「ただし、それには時間がかかるだろう。自然に目覚めるのを待つか、特別な訓練を積むかだ」
「訓練とは?」
「魔導院で行っている特別なプログラムだよ。時空系スキル保持者のための」
リーシャが嬉しそうに手を叩いた。
「素晴らしいじゃないですか、時道さん! 特別な能力が眠っているなんて!」
「ええ、まあ…」
正直、複雑な気持ちだ。より強力な能力が目覚めれば便利だろうが、それが何をもたらすのかわからない。
「考えておきます」
慎重に答えると、オルガは理解を示すように頷いた。
「焦ることはない。君のペースで決めればいい。ただ、時空系のスキルは希少で貴重だ。王国にとっても大きな財産になる」
その言葉に、少し警戒心が芽生えた。「財産」という表現は、どこか道具として見られているような印象を受ける。
「それと、君の予知能力だが…これはスキルとは別物のようだ」
「別物ですか?」
「ええ。これは…『記憶の断片』のようなものだ」
「記憶?」
「過去の記憶か、あるいは…」
オルガは言葉を濁した。
「あるいは?」
「別の時間軸の記憶かもしれない」
その言葉に、背筋に冷たいものが走った。
「別の時間軸…」
「これ以上は推測の域を出ないが、君の中には通常の人間にはない何かがある。それが時々、未来の断片として現れるのではないかと思う」
リーシャは目を輝かせていた。
「すごいです! 時道さんは特別な方なんですね!」
オルガは微笑んだ。
「リーシャ様、彼を見つけたのは素晴らしい直感でした」
「ありがとうございます、先生!」
調査が終わり、オルガは魔導院に戻る準備を始めた。
「時道君、もし興味があれば、いつでも魔導院に来なさい。君の能力についてもっと調べることができる」
「ありがとうございます」
「それと、これを」
オルガは小さな結晶を手渡した。
「これは?」
「記憶結晶だ。使い方は簡単。夜、寝る前にこれを額に当てて、『記録』と唱えるだけ。予知夢を見たら、その内容が結晶に保存される」
「便利なものですね」
「ええ。次に会う時に見せてくれれば、分析できるだろう」
オルガとの面会が終わり、リーシャと共に部屋を出た。
「時道さん、すごいですね! 特別な能力が眠っているなんてちょっとうらやましいです!」
リーシャは興奮した様子だ。
「そうですかね…まだわからないことだらけです」
「でも、これで王宮での立場も安泰ですよ! 父上もきっと喜びます」
リーシャの言葉に、複雑な気持ちになる。確かに立場は安定するかもしれないが、それは同時に利用価値があるということでもある。
「午後の謁見までまだ時間がありますね」
「そうですね。では、王宮を案内しましょうか? 時道さんの新しい仕事場ですから、知っておいた方がいいと思います」
「ありがとうございます」
リーシャに導かれ、王宮内を巡る。広大な庭園、豪華な大広間、そして様々な機能を持つ部屋々。すべてを頭に入れておくのは難しいが、主要な場所と経路だけは記憶しておく。
「ここが私の専用キッチンです!」
リーシャが誇らしげに見せてくれたのは、小さいながらも設備の整った台所だった。
「本当に使われていないんですね」
「はい。料理人たちが『王女が料理をするなんてとんでもない』と言うので…でも、私、自分で作ったものを食べてみたいんです」
リーシャの目は真剣だった。
「わかりました。時間があるときに、簡単なものから教えましょう」
「本当ですか? ありがとうございます!」
リーシャが嬉しそうに飛び跳ねた拍子に、近くの棚に置かれていた皿が落ちそうになる。
「危ない!」
咄嗟に手を伸ばし、皿を受け止める。
「あ…ごめんなさい。私、こういうことよくあるんです」
リーシャは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「気をつけてください。特に国王陛下の前では」
「はい…頑張ります」
案内の後、昼食を取り、午後の謁見に備える。
自室に戻り、服装を整え、心の準備をする。国王との謁見は、この世界での俺の立場を決定づけるものになるだろう。
「慎重に、冷静に」
自分に言い聞かせながら、オルガから受け取った記憶結晶を見つめた。
「封印された能力…記憶の断片…」
これらの謎が、俺の異世界での運命とどう関わってくるのか。
答えはまだ見えないが、一つだけ確かなことがある。
この世界で生き抜くためには、自分の能力を理解し、活用する必要がある。そして、リーシャ王女を守りながら、自分の立場を確立していかなければならない。
「始まったばかりだ…」
窓の外に広がる王都を見つめながら、俺は静かに決意を固めた




