第1章 異世界転生と最弱スキル 第3話「王都の喧騒と予知の的中」
王都ベルガードは、想像以上に巨大で活気に満ちていた。
城壁をくぐると、そこは別世界だった。石畳の道路が整然と広がり、両側には様々な店が立ち並ぶ。行き交う人々は色とりどりの服を着て、中には俺が見たこともない獣人や、耳の尖ったエルフらしき種族も混じっている。
「すごい…」
思わず声が漏れた。
「初めての王都は圧倒されるだろう?」
グレンが笑いながら言った。
「ええ、想像以上です」
東京の雑踏とは違う種類の喧騒。馬車や荷車の音、商人たちの威勢のいい掛け声、子供たちの笑い声。そして、どこからともなく漂う様々な香り――焼きたてのパン、香辛料、そして少し甘い魔法の痕跡。
「ここが東市場だ。王都の玄関口でもある」
グレンが説明してくれる。
「トキミチ、これからどうする気だ?」
バルトが尋ねた。彼は王国軍と別れた後も、俺のことを気にかけてくれているようだ。
「まずは宿を探して、それから魔導院について調べようと思います」
「そうか。実はな、俺たちは明日までこの東市場に滞在する。よかったら、今夜は俺たちが泊まる宿に一緒に来ないか?」
グレンの申し出に、思わず顔がほころんだ。
「本当ですか? ありがとうございます」
「礼には及ばん。お前の予知のおかげで助かったんだからな」
グレンは豪快に笑った。
「『銀の月亭』という宿だ。この市場では一番の宿だぞ」
馬車は市場の中心部へと進み、やがて三階建ての立派な建物の前で止まった。看板には「銀の月亭」と書かれ、月の紋章が描かれている。
「ここだ。荷物を降ろすのを手伝ってくれるか?」
「もちろんです」
グレンと一緒に荷物を降ろし、宿の中へと入った。内部は予想以上に豪華で、一階はレストランになっている。木製の梁と石造りの壁、そして暖炉の火が温かい雰囲気を作り出していた。
「おう、グレン! また来たのか」
太った男性が迎えに出てきた。宿の主人らしい。
「ああ、ドリアン。今回は三人分の部屋を頼む」
「了解した。いつもの部屋と、もう一部屋用意しよう」
ドリアンと名乗る男性は、俺を見て微笑んだ。
「新しい仲間か?」
「ああ、トキミチだ。王都は初めてらしい」
「そうか。では、王都の良さを存分に味わってくれ」
手続きを済ませ、二階の部屋に案内された。シンプルだが清潔な部屋で、窓からは市場の賑わいが見渡せる。
「休憩したら、一階で夕食だ。王都の名物料理を味わえるぞ」
グレンはそう言って、自分の部屋へと向かった。
部屋に一人になり、窓から外を眺める。日が傾き始め、市場には徐々にランタンの明かりが灯り始めていた。
「異世界に来て二日目か…」
現実感がないような、不思議な感覚だ。しかし、この世界で生きていくには、早く適応しなければならない。
ポケットから、カイルがくれた護符を取り出す。シンプルな木彫りだが、何か温かみを感じる。
「カイルさん、ありがとう」
心の中で感謝を伝え、再び護符をポケットにしまった。
少し休憩した後、一階のレストランに降りていくと、グレンとバルトがすでにテーブルについていた。
「おう、トキミチ! こっちだ」
グレンの声に導かれ、テーブルに着く。
「今日のおすすめは鹿肉の煮込みだ。王都の名物だぞ」
グレンの勧めで、鹿肉の煮込みとパン、それに地元のビールを注文した。
「乾杯! 無事に王都に到着できたことに」
グレンが杯を上げ、三人で乾杯した。
「それで、トキミチ。魔導院に行くつもりなのか?」
バルトが尋ねた。
「はい。自分のスキルについて、もっと知りたいんです」
「時空系のスキルは珍しい。魔導院なら興味を示すだろう」
バルトは真剣な表情で続けた。
「それに、お前の予知能力も気になる。あれはスキルとは別物なのか?」
「わかりません。子供の頃から時々あったんですが、この世界に来てから、より鮮明になった気がします」
「興味深いな」
バルトは考え込むように言った。
「魔導院は王宮の近くにある。明日、俺が案内しよう」
「本当ですか? ありがとうございます」
バルトの申し出に、心から感謝した。
「気にするな。俺も魔導院に用があるんだ」
食事が運ばれてきた。鹿肉の煮込みは、スパイスが効いていて香り豊か。一口食べると、柔らかい肉と深い味わいが口の中に広がった。
「美味しい!」
「だろう? この宿の料理人は元王宮料理人だったんだ」
グレンが誇らしげに言った。
食事をしながら、グレンから王都の話を聞く。王都は五つの区域に分かれていて、今いる東市場は商業の中心地。北区は貴族の住む高級住宅街、西区は職人街、南区は一般市民の住居区、そして中央区には王宮と政府機関がある。
「魔導院は中央区の北側にあるんだ。王宮からも近い」
バルトが地図を描きながら説明してくれた。
「明日は市場を抜けて、中央区に向かう。午前中なら魔導院も訪問者を受け入れているはずだ」
「わかりました」
食事を終え、しばらく談笑した後、部屋に戻ることにした。
「明日は朝八時に宿の前で会おう」
バルトの言葉に頷き、二階の自分の部屋へと向かった。
窓から見える王都の夜景は幻想的だった。ランタンの明かりが星のように瞬き、遠くには王宮のシルエットが月明かりに浮かび上がっている。
「明日は魔導院か…」
期待と不安が入り混じる気持ちで、ベッドに横になった。
そして、再び夢を見た。
王都の中央広場。大勢の人々が集まっている。壇上には美しい少女が立ち、何かを演説している。彼女の髪は金色に輝き、青い瞳が情熱的に光っている。
突然、群衆の中から一人の黒装束の人物が弓を構える。矢は少女めがけて放たれる。
「危ない!」
俺は叫び、少女に向かって走り出す。しかし、足が重い。間に合わない。
矢が飛ぶ。
少女の青い瞳が驚きに見開かれる。
そして――
「!」
飛び起きると、額には冷や汗が浮かんでいた。窓の外はまだ暗い。
「朝五時二十三分」
時間を確認し、深呼吸する。昨夜と同じ夢だが、より鮮明になっている。
「これは本当に予知なのか…」
もし本当なら、今日か明日、王都の中央広場で何かが起きる。そして、あの金髪の少女が危険にさらされる。
「どうすればいい…」
バルトに相談すべきか迷ったが、まずは自分の目で確かめようと決めた。
朝食の時間になり、一階に降りると、グレンとバルトがすでにテーブルについていた。
「おはよう、トキミチ。よく眠れたか?」
グレンが元気よく声をかけてきた。
「はい…まあ」
曖昧に答えると、バルトが鋭い目で俺を見た。
「何かあったのか?」
「実は…昨夜、また予知夢を見たんです」
二人に夢の内容を説明すると、バルトは真剣な表情になった。
「中央広場で暗殺…」
「今日、中央広場で何か行事があるのか?」
グレンに尋ねると、彼は考え込むように頷いた。
「そういえば、今日は『春の祭典』だ。王族が市民に挨拶する行事がある」
「王族?」
「ああ、特に第三王女のリーシャ様が演説をするという噂だ」
その言葉に、背筋が凍りついた。夢で見た金髪の少女は王女だったのか。
「バルトさん、魔導院の前に中央広場に行けませんか?」
バルトは少し考えた後、頷いた。
「わかった。もし本当に何かが起きるなら、見過ごすわけにはいかない」
朝食を急いで済ませ、三人で宿を出た。グレンは荷物の整理があるため、宿に残ることになった。
「気をつけろよ。変なことに巻き込まれるなよ」
グレンの言葉に頷き、バルトと共に中央区へと向かった。
王都の通りは朝から活気に満ちていた。特に今日は祭りの日ということで、道行く人々も晴れやかな表情をしている。
「祭りの日に暗殺とは…」
バルトが低い声で呟いた。
「本当に起きるかどうかわかりませんが…」
「いや、お前の予知は信じる。昨日の件もあるしな」
バルトの言葉に、少し安心した。
東市場から中央区へと入ると、風景が一変した。整然とした広い通りに、立派な石造りの建物が並ぶ。通行人も身なりの良い人が多く、騎士や役人らしき人々も見かける。
「あれが中央広場だ」
バルトが指さした先に、巨大な広場が見えてきた。すでに大勢の人々が集まり始めていて、広場の一角には壇上が設置されている。
「演説はいつ始まるんだ?」
近くにいた市民に尋ねると、「正午から」という答えが返ってきた。
「まだ二時間ある」
バルトが周囲を警戒するように見回した。
「人混みの中から暗殺者を見つけるのは難しいな」
「夢では、あの人は黒い服を着ていました」
「それだけでは特定できない。この時期、黒い服の人間はたくさんいる」
確かにその通りだ。どうすれば良いのか…
「とりあえず、壇上の近くに陣取ろう。何かあったときにすぐ動けるように」
バルトの提案に従い、二人で壇上に近い場所へと移動した。時間が経つにつれ、広場はどんどん人で埋まっていく。
「正午まであと十七分」
無意識に時間を口にすると、バルトは微かに笑った。
「そのスキル、こういう時には便利だな」
緊張しながら周囲を見回していると、突然、広場の向こう側にある建物の屋根に、黒い人影が見えた気がした。
「バルトさん、あそこ!」
指さした方向を、バルトが鋭い目で見据えた。
「確かに誰かいるな…」
その時、広場に設置された鐘が鳴り響き、人々が歓声を上げ始めた。王族の到着を告げる合図だ。
「来たぞ…」
バルトが低い声で言った。
広場の北側から、騎士たちに護衛された馬車が現れた。馬車は壇上の前で止まり、騎士たちが周囲を固める。そして、馬車から一人の少女が降り立った。
金色の髪と青い瞳。夢で見た通りの姿だ。
「あの方がリーシャ王女様だ」
バルトが説明してくれた。
リーシャ王女は16歳くらいだろうか。凛とした佇まいながらも、どこか儚さを感じさせる美しさがある。彼女は壇上に上がり、集まった市民たちに向かって微笑んだ。
「ベルガード王国の民よ、春の祭典おめでとう」
透き通るような声が広場に響く。人々は歓声で応えた。
俺の目は、しかし王女ではなく、先ほど黒い人影を見た建物に向けられていた。そこには確かに誰かがいる。
「バルトさん、あの建物に近づけませんか?」
「無理だ。人が多すぎる」
確かに、今から人ごみを掻き分けて移動するのは不可能だ。
「では、騎士たちに警告を…」
「誰が信じる? 証拠もないのに」
バルトの言葉に歯噛みした。どうすれば…
王女の演説は続いていた。
「今年は豊作の兆しがあり、王国の繁栄がさらに…」
その時だった。頭の中で、あの独特の感覚が走った。予知の感覚。
「あと30秒で矢が放たれる」
確信を持って言った言葉に、バルトの表情が変わった。
「本当か?」
「はい」
バルトは決断したように頷いた。
「俺は騎士たちに警告する。お前は…」
「王女様の近くに行きます」
「危険だぞ」
「でも、誰も信じないなら、自分で何とかするしかない」
バルトは一瞬迷ったが、すぐに頷いた。
「わかった。気をつけろ」
バルトが騎士たちの方へ走り出す中、俺は壇上に向かって人ごみを掻き分け始めた。
「すみません、通してください!」
必死に前に進むが、人が多すぎる。このままでは間に合わない。
頭の中でカウントダウンが始まっていた。
「あと15秒…」
壇上まであと数メートル。
「あと10秒…」
騎士たちが俺の接近に気づき、警戒の態勢を取り始めた。
「あと5秒…」
「王女様!危険です!」
叫んだ声に、リーシャ王女が驚いた表情で振り返る。
その瞬間、建物の屋根から矢が放たれた。
時間がスローモーションのように感じられた。
飛んでくる矢。
驚きに見開かれた王女の青い瞳。
俺の体は、ほとんど無意識に動いていた。壇上に飛び乗り、王女に向かって飛びかかる。
「危ない!」
王女の体を抱きかかえるようにして倒れ込んだ瞬間、矢が空気を切り裂く音がした。
「ぐっ…」
右肩に鋭い痛みが走る。矢が俺の肩を貫いていた。
「えっ…」
王女の驚いた声が聞こえる。
周囲は一瞬にして混乱に陥った。人々の悲鳴、騎士たちの怒号、そして走り回る足音。
「暗殺者を捕らえろ!」
バルトの声が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
リーシャ王女が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「はい…王女様は無事ですか?」
「ええ、あなたのおかげで…」
彼女の言葉が途切れた。俺の肩から流れる血を見て、顔色が変わる。
「医師を!すぐに医師を呼んで!」
王女の命令に、騎士たちが動き始めた。
「捕まえた!暗殺者を確保したぞ!」
遠くからバルトの声が聞こえる。
視界がぼやけてきた。失血のせいだろうか。
「あなたの名前は?」
王女の問いかけが、遠くから聞こえてくるように感じる。
「佐倉…時道…です…」
「時道さん、しっかりして!すぐに治療します」
王女の声が心配に満ちている。
「予知…当たったな…」
そう呟いて、俺は意識を失った。
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目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
天井は高く、壁には美しい壁画が描かれている。ベッドは柔らかく、シーツは絹のような手触りだ。
「ここは…?」
「目が覚めましたか」
優しい声がして、視線を向けると、そこにはリーシャ王女が座っていた。
「王女様…」
急に起き上がろうとして、右肩に痛みが走る。
「無理をしないでください。矢は取り除かれましたが、まだ傷は癒えていません」
王女の言葉に従い、ゆっくりと体を起こした。
「ここは王宮です。あなたを救うため、最高の治療を受けさせました」
「王宮…」
信じられない状況に、続く言葉が出ない。
「あなたは私の命を救ってくれました。本当にありがとう」
王女は真摯な表情で頭を下げた。
「いえ、そんな…当然のことです」
「いいえ、あなたの行動は勇敢でした。しかも、あの暗殺が起きることを予知していたと聞きました」
バルトが話したのだろうか。
「はい、夢で見たんです…」
「時空系のスキルを持つ方なのですね」
「はい、でも最弱のレベル1で…」
「それでも、あなたは私の命を救った。それだけで十分価値があります」
王女の言葉に、胸が温かくなった。
「バルトさんは?」
「あなたの友人ですね。彼は暗殺者の確保を手伝ってくれました。今は別室で事情聴取を受けています」
「そうですか…」
「彼から聞きました。あなたは魔導院を訪ねるつもりだったそうですね」
「はい、自分のスキルについて知りたくて…」
王女は微笑んだ。
「それなら、私から魔導院長に紹介状を書きましょう。あなたのような方を、彼らは喜んで迎えるでしょう」
「本当ですか?ありがとうございます」
「それだけではありません」
王女は真剣な表情になった。
「私はあなたに恩返しがしたい。王宮で働いてみませんか?」
「王宮で?」
「ええ、私の側近として。あなたの能力は、王国にとって貴重なものになるでしょう」
突然の申し出に、言葉を失った。異世界に来て三日目で、王宮で働くことになるとは…
「考える時間が欲しいですか?」
「いえ…喜んでお受けします」
迷いなく答えた。この世界で生きていくには、こういう機会を逃すべきではない。
「素晴らしい!」
王女は嬉しそうに微笑んだ。
「では、傷が癒えたら正式に任命式を行います。それまでは、ここでゆっくり休んでください」
「ありがとうございます、王女様」
「リーシャと呼んでください。これからは共に働く仲間ですから」
そう言って、リーシャは部屋を出て行った。
窓の外を見ると、王都の美しい景色が広がっていた。遠くには魔導院らしき塔も見える。
「王宮で働くことになるとは…」
予想外の展開に、頭がクラクラする。でも、これも運命なのかもしれない。
予知の能力。時空系のスキル。そして王女との出会い。
全てが何かの糸で繋がっているような気がした。
「これが俺の新しい人生の始まりなのか…」
窓から差し込む陽の光を浴びながら、俺は静かに微笑んだ。
しかし、心の奥底では、まだ解けない謎が渦巻いていた。
なぜ俺にこんな能力があるのか。
なぜこの世界に転生したのか。
そして、あの少女クロノアの言葉の意味は…
「時間に関するスキルには、特別な意味がある」
その答えを見つけるため、俺はこの世界で生きていくことを決意した。




