第4章 時の迷宮と記憶の回廊 第3話「帝国の天才と過去の因縁」
迷宮の空気は、場所によってその性質を変えるようだった。
リーシャが「灰色の鳥籠」と向き合い、ガルドが「腐敗した戦場」を幻視した頃、ザイン・ブラッドエッジは、鼻をつく薬品の臭いと、不快な機械音の中に立っていた。
「……趣味の悪い場所だ」
ザインは冷ややかな目で周囲を見回した。
そこは、無機質な金属の壁に囲まれた実験室のようだった。ガラスのシリンダーが並び、その中には得体の知れない液体と――名状しがたい「何か」が浮遊している。
それは、彼がよく知る光景であり、同時に最も忌み嫌う場所の記憶だった。
『ようこそ、私の最高傑作』
粘り気のある声が響き、部屋の奥から白衣を纏った男の影が浮かび上がった。
痩せこけた頬、狂気を宿した瞳。その男は、かつてザインに魔法の基礎を叩き込み、そして彼が「時の守護者」としての道を選ぶきっかけとなった人物の幻影だった。
「……マリウス教授か」
ザインは表情を崩さずに、腰の剣に手をかけた。
「死んだはずのあなたが、ここに出てくるとはな。ゼロという男は、よほど人の神経を逆撫でするのが好きらしい」
『冷たいな、ザイン。帝国魔導院が生んだ天才、次期将軍候補の君が、なぜこのような場所で油を売っている?』
マリウスの幻影は、嘲笑うように腕を広げた。
『力こそが全てだ。我々帝国が求めているのは、世界を統べる絶対的な力。そのために多少の犠牲が必要なのは、君も理解していただろう?』
幻影が指を鳴らすと、周囲のシリンダーが一斉に明滅した。中には、苦悶の表情を浮かべた人々の姿が映し出された。それは、かつて帝国が極秘裏に行っていた「人工的な魔力強化実験」の犠牲者たちだった。
『彼らは礎だ。偉大なる帝国のためのな。君もその恩恵を受けているはずだ』
「黙れ」
ザインの声が低く響く。
「俺は、その『力』の在り方を否定するためにここにいる」
『否定? 君の使う炎魔法、その圧倒的な剣技。それらは全て、私が授けた理論の上に成り立っているのだぞ!』
マリウスの幻影が叫ぶと、実験室の機械が暴走し、魔力の光弾となってザインに襲いかかった。四方八方からの飽和攻撃。逃げ場はないように見えた。
だが、ザインは動じない。
「確かに、技術は教わった。だが――」
ザインが剣を一閃させる。
赤熱した刃が空中に軌跡を描き、迫りくる魔力の光弾をすべて爆散させた。
「その使い方は、自分で決めた」
『なっ……!?』
「俺は帝国の騎士であり、同時に『時の守護者』だ。力は弱きを虐げるためではなく、世界の均衡を守るためにある」
ザインの全身から、紅蓮の炎が噴き上がる。それは彼の「元素系」最強と呼ばれる魔力が具現化したものだった。
『馬鹿な……帝国の合理性を捨てるというのか!』
「合理性の名の下に行われる狂気を、俺は認めない!」
ザインが踏み込む。その速さは、幻影の動体視力を遥かに凌駕していた。
「エレメンタル・バースト(元素爆破)!」
炎を纏った剣が、マリウスの幻影を、そして忌まわしい実験室の風景ごと両断した。
『ギャァァァァッ!』
断末魔と共に幻影が燃え尽き、金属の壁が溶け落ちていく。
炎が消えた後には、元の静かな石造りの回廊が残っていた。
ザインは剣を鞘に納め、一つ息を吐いた。
「過去の清算は終わりだ」
その時、遠くから巨大な魔力の波動を感じた。続いて、別の方向からも空間を震わせる衝撃が伝わってくる。
「……時道、それにリーシャ王女か。どうやら向こうも片付いたようだな」
ザインは微かに口元を緩め、波動の中心へと足を向けた。
---
迷宮の中心部へと続く大広間。
そこには、巨大な時計の文字盤を模した床が広がっていた。
「ザイン!」
「時道、無事だったか」
三つの通路から、それぞれ時道とガルド、リーシャ、そしてザインが合流した。
「リーシャ様!」
ガルドが駆け寄る。リーシャのドレスは煤で汚れ、あちこち破れていたが、その瞳には以前にはなかった強い光が宿っていた。
「ガルド、時道さん。心配かけてごめんなさい。でも、もう大丈夫」
リーシャは力強く頷いた。その身に纏う魔力の質が変化していることに、時道はすぐに気づいた。
「強くなったな、リーシャ」
「ええ。自分の弱さと向き合ってきましたから」
時道もまた、自身の迷宮での体験を経て、顔つきが変わっていた。かつての自信なさげな態度は消え、今は「時の賢者」の力を背負う覚悟が見て取れた。
「全員揃ったようだな」
ザインが前方を見据える。
広間の最奥、一段高い場所に「玉座」があった。そこには、仮面をつけた男――ゼロが、優雅に脚を組んで座っていた。その傍らには、アトラスが控えている。
「見事だ。それぞれのトラウマを乗り越え、ここまで辿り着くとはね」
ゼロが立ち上がり、ゆっくりと拍手をした。
「だが、ここからが本当の絶望だ」
「ゼロ……お前の目的は何だ!」
時道が一歩前に出て叫んだ。
「世界を混乱させ、闇の王を復活させることか? それとも帝国を利用して戦争を起こすことか?」
ゼロはクツクツと笑った。その笑い声は、時道の神経を逆撫でするような、奇妙な既視感を伴っていた。
「目的? そんな陳腐な言葉で語れるものではないよ。私はただ、『修正』したいだけだ」
「修正?」
「そう。失敗した歴史を。選ばれなかった選択肢を。お前が――『佐倉時道』が切り捨ててきたもの全てを!」
ゼロが仮面に手をかける。
「お前はずっと疑問に思っていただろう? なぜ私が、お前の思考を読めるのか。なぜお前の弱点を知り尽くしているのか」
カチリ、と仮面の留め具が外れる音が、静寂の大広間に響いた。
「そして、なぜ『時の賢者』の力に対抗できるのか」
仮面が床に落ち、乾いた音を立てた。
露わになったその素顔を見て、時道は息を呑み、リーシャは悲鳴に近い声を上げた。
「嘘……」
そこにいたのは、佐倉時道だった。
ただし、その顔は憎悪に歪み、右半分は黒い痣のような紋様で侵食されていた。そして、その瞳は時道と同じ黒色ではなく、ドス黒い闇の色をしていた。
「初めまして、そして久しぶりだな。『本体』」
ゼロ――もう一人の時道が、醜悪な笑みを浮かべた。
「俺は、お前だ。お前が前世で、世界を救うために『切り捨てた』時間軸の成れの果てだ」
時道の脳裏に、激しい頭痛と共に封印されていた記憶が奔流となって流れ込んでくる。
『――すまない。この方法しか、世界を救う道はないんだ』
かつてのクロノスが、苦渋の決断と共に何かを切り離す映像。
「俺は、お前が『失敗』と呼んで捨てた無数の絶望の集合体だ! 佐倉時道、お前が正義面をして生きていること自体が、俺にとっては許しがたい罪なのだよ!」
ゼロの叫びと共に、彼の背後から黒い泥のような魔力が溢れ出し、巨大な影となって広間を覆い尽くしていった。
「来るぞ! 総員、構えろ!」
ガルドの怒号が響く。
時道は震える手を抑え、剣を――そして己の心を構え直した。
目の前にいるのは、自分自身の「影」。
これを乗り越えなければ、未来はない。
「……決着をつけるぞ、ゼロ。過去の俺自身!」
時道の全身が、黄金の光に包まれた。
それは「時間認識強化」を超えた、新たな覚醒の輝きだった。
(第4章 第3話 完)
**第4章 第4話「影との対決、そして覚醒」**
正体を現したゼロは、圧倒的な「時間の影」の力で時道たちを追い詰める。




