第4章 時の迷宮と記憶の回廊 第1話「分断と記憶の迷宮」
ゴーン、ゴーン……。
深淵から響くような鐘の音が、鼓膜ではなく脳を直接揺らした。
その音は、ただの合図ではなかった。世界の座標を強制的に書き換えるような、強烈な魔力の波動を伴っていた。
「なっ……地面が!」
ガルドの叫び声が聞こえた。
俺たちが立っていたはずの「光の道」が、まるでガラス細工のように音を立ててひび割れていく。足元に広がっていた満天の星空が歪み、空間そのものが渦を巻き始めた。
「さあ、始めようか」
仮面の男――ゼロが、指揮者がタクトを振るように優雅に手を掲げた。
「時の迷宮へようこそ。ここでは過去、現在、未来が交錯する。お前たちが背負う罪と後悔、それこそが迷宮を形作る壁となるだろう」
「させるか!」
ザインが炎を纏った剣を振り上げ、ゼロに向かって跳躍する。
しかし、その剣が届くよりも早く、俺たちの足元が完全に崩落した。
「きゃあ!」
「リーシャ!」
俺は咄嗟に手を伸ばした。スローモーションのように引き伸ばされた時間の中で、リーシャの指先がわずかに俺の手をかすめる。
だが、掴めなかった。
「時道さん!」
「リーシャ、離れるな! くそっ!」
空間の渦が俺たちを別々の方向へと飲み込んでいく。
「お前たちには試練を受けさせよう」
遠ざかる視界の中で、ゼロの声だけが鮮明に響いた。
「孤独の中で己の過去と向き合え。時の賢者の資格があるか、あるいは絶望に飲まれるか……楽しませてもらおう」
アトラスの嘲笑うような声と、ザインの怒号が入り混じり、やがて全てが闇に溶けていった。
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落下する感覚。
終わりのない闇の中を落ちていくような浮遊感。
だが、それは物理的な落下ではなかった。記憶の断片が走馬灯のように視界を過ぎ去っていく。
『――納期まであと三十二時間です』
『――このバグ、誰が直すと思ってるんだ!』
『――時道、お前は優秀だが……心が無いな』
それは、現代日本での記憶。過労と孤独に塗れた、灰色の日常。
『――逃げろ! 世界が燃えるぞ!』
『――クロノス、なぜだ……なぜ私たちを見捨てた!』
そして、見たこともないはずの記憶。燃え盛る空、崩れ落ちる白い巨塔、絶望に顔を歪める人々。
二つの異なる記憶がミキサーにかけられたように混ざり合い、俺の意識をかき乱す。
「うっ、ぐあぁぁっ……!」
激しい頭痛と共に、俺は固い床に叩きつけられた。
「はぁ、はぁ……」
荒い息を吐きながら、何とか上半身を起こす。
そこは、先ほどまでの星空の広がる空間ではなかった。
冷たい石造りの床。壁には無数の歯車が埋め込まれ、カチコチと規則正しいリズムで回転している。天井は見えず、ただ薄暗い霧が漂っていた。
「ここが……時の迷宮か」
立ち上がり、周囲を確認する。
「リーシャ! ガルド! オルガ先生!」
大声で叫んでみたが、返ってくるのは自分の声の反響と、歯車の回る音だけだ。
ザインもいない。完全に一人だ。
「分断されたか……」
俺は深呼吸をして、心を落ち着かせようと試みた。パニックになれば思考が鈍る。それは「慎重に行動する」俺の流儀に反する。
まずは状況の把握だ。
「現在時刻、不明。体内時計とのズレ……修正不能」
スキル『時間認識強化』を発動するが、この空間では時間の流れそのものが歪んでいるようだ。正確な現在時刻が把握できない。これは初めての経験だった。
「空間そのものが、時間のルールを無視しているのか?」
とにかく移動するしかない。リーシャたちも、きっとこの迷宮のどこかにいるはずだ。
俺は目の前に伸びる長い回廊を歩き始めた。
壁に埋め込まれた歯車が、時折ギチギチと不快な音を立てる。まるで、俺の不安を煽るかのようだ。
数分ほど歩いただろうか。前方に、奇妙な空間が開けているのが見えた。
「なんだ、あれは……?」
石造りの回廊の真ん中に、場違いなものが置かれていた。
スチール製のデスク。安っぽいオフィスチェア。そして、青白く光るパソコンのモニター。
それは、俺が転生前に使っていたオフィスのデスクそのものだった。
「……悪趣味な幻覚だな」
警戒しながら近づく。モニターには、見覚えのあるソースコードが流れている。あの夜、俺が修正していたデスマーチ案件のコードだ。
『エラー:時間の整合性が取れません』
『エラー:過去の修正に失敗しました』
画面に赤い文字が点滅する。
「過去の修正だと?」
俺が画面に手を伸ばそうとした瞬間、椅子がギシと音を立てて回転した。
そこには、誰も座っていなかった。
だが、誰もいない椅子から、声が聞こえた。
『逃げるのか? 佐倉時道』
それは、俺自身の声だった。
『お前はいつも逃げてばかりだ。仕事から、人間関係から、そして……責任から』
「誰だ!」
『俺はお前だ。お前が切り捨てた、弱くて惨めな自分だ』
モニターの光が強くなり、周囲の景色が歪む。石造りの壁が消え、見慣れたオフィスの風景がオーバーラップする。散らかった書類、飲みかけのエナジードリンク、窓の外の暗い東京の空。
『お前はこの世界でも、また同じことを繰り返すのか? 力を手に入れて、いい気になって……結局、大切なものを守れずに失うんだ』
「黙れ」
『リーシャ王女も、お前のせいで死ぬぞ。予知で見ただろう? 彼女が血を流して倒れる未来を』
「黙れッ!」
俺は叫び、『時間認識強化』を全開にした。
「クロノ・アクセル(時間認識拡大)!」
視界の色が変わる。スローモーションになった世界で、俺はオフィスの幻影に魔力の流れを見た。
これは単なる幻覚じゃない。精神干渉系の魔法だ。デスクの下、影の中に何かが潜んでいる。
「そこか!」
俺は腰の剣を抜き――転生後にガルドから護身用に教わった剣術だ――デスクの下の影を一閃した。
「ぎゃあぁぁぁ!」
影が悲鳴を上げ、黒い霧となって霧散した。
同時に、オフィスの幻影がガラスのように砕け散り、元の冷たい石造りの回廊に戻った。
「はぁ、はぁ……」
剣を握る手が震えている。
今の言葉……『リーシャがお前のせいで死ぬ』。
それは、俺が最も恐れていることだった。
「……精神攻撃か。ゼロの言っていた『過去と向き合う』とは、こういうことか」
俺は剣を鞘に納め、額の汗を拭った。
敵は、俺たちのトラウマや不安を具現化して攻撃してくる。だとしたら、他のメンバーも同じような目に遭っているはずだ。
「リーシャ……無事でいてくれ」
彼女は王女としての重圧に苦しんでいた。もし彼女が自身の不安につけ込まれたら……。
「急がないと」
俺は走り出した。
歯車の回る音が、先ほどよりも速くなっている気がした。
まるで、破滅へのカウントダウンを刻むかのように。
しばらく走ると、回廊が二手に分かれていた。
右か、左か。
俺は立ち止まり、目を閉じた。視覚情報に頼らず、微かな魔力の流れを感じ取る。
「……右から、微かに風が流れている」
そして、その風に乗って、聞き覚えのある金属音が聞こえた気がした。
キンッ、ガキンッ!
剣戟の音だ。
「ガルドか、ザインか!」
俺は右の通路へと飛び込んだ。
この迷宮は、ただの幻覚を見せる場所じゃない。物理的な脅威も存在する。
「待ってろ、今行く!」
俺は速度を上げた。自分の中に眠る「時の力」が、熱を帯びて脈打つのを感じながら。
この迷宮の奥底で、俺は自分自身の「前世」という最大の謎と対峙することになる。だが今の俺を動かしているのは、過去への恐怖ではない。
仲間を守りたいという、現在の意志だ。
「クロノ・アクセル!」
俺は時間を加速させ、闇の中を疾走した。
**次回予告:
**第4章 第2話「孤独な王女と銀の騎士」**
リーシャの前に現れたのは、鳥籠に閉じ込められた幼い自分だった。
「あなたは何もできない。ただ守られるだけのお姫様」
自身の無力さと向き合うリーシャ。
一方、ガルドの前には、かつて守れなかった部下たちの亡霊が立ち塞がる。
それぞれの試練が、彼らの覚悟を問う。
そして時道は、戦いの音の先で意外な人物と再会する。




