第3章 帝国の影と七王国同盟 第2話「皇太子の来訪」
**<前回までのあらすじ>**
帝国からの使者ヴァルター・クラインとザイン・ブラッドエッジがフローレンス王国を訪れ、七王国同盟に対抗するための軍事同盟と、リーシャ王女と皇太子ルシウスの婚姻同盟を提案した。一方、闇の使徒の首領アトラスが再び現れ、西門付近で何かを召喚しようとする儀式を行うも、時道たちによって阻止された。帝国が時の力について研究していることが判明し、ザインは時道に「時の力を安易に使うな」と忠告。国王レイモンドは帝国との同盟に同意し、皇太子ルシウスが来月フローレンス王国を訪問することになった。
「皇太子ルシウス様の到着は明日の正午頃になるとのことです」
アトラスが逃亡してから一ヶ月が経ち、王宮は皇太子の来訪準備で慌ただしくなっていた。執事長代理のマルコスが国王に報告している。
「準備は整っているな?」
「はい、陛下。宿泊施設、歓迎の宴、そして護衛の配置まで全て整っております」
「よし。リーシャはどうしている?」
「王女様は現在、魔導院でオルガ院長と共に過ごされています」
国王は少し眉をひそめた。
「そうか。あいつも緊張しているのだろう」
「お呼びしましょうか?」
「いや、今はリーシャの時間を尊重しよう。夕方までには戻るよう伝えてくれ」
「かしこまりました」
---
魔導院の訓練室で、俺とリーシャはオルガの指導の下、特別な訓練を行っていた。
「集中するんだ。二人の力を同調させるんだ」
オルガの声に従い、俺とリーシャは向かい合って座り、手を取り合った。二人の時の印が淡く光り始める。
「クロノ・シンク(時間共鳴)」
二人が同時に唱えると、周囲の空間に波紋が広がった。時の力が共鳴し、増幅されていく感覚だ。
「良い調子だ」
オルガが満足そうに頷いた。
「この『クロノ・シンク(時間共鳴)』という魔法の真髄は、二人の時の力を組み合わせることで、単独では不可能な効果を生み出せることだ。特に、リーシャ様の予知能力と時道君の時間操作を組み合わせれば、より正確な未来視が可能になる」
「未来視…」
リーシャが小声で繰り返した。
「皇太子について何か見えないかしら」
「試してみるか?」
オルガが提案した。
「ただし、未来は常に流動的だ。見えるのはあくまで可能性の一つに過ぎないことを忘れるな」
「わかりました」
二人は再び手を取り合い、集中した。
「クロノ・シンク・トレース(時間共鳴・未来視」
二人の周りに光の渦が現れ、その中に映像が浮かび上がる。豪華な衣装を身にまとった金髪の若い男性。それが皇太子ルシウスだろう。彼はリーシャと対面し、礼儀正しく挨拶している。その後、二人は王宮の庭園を歩きながら会話している様子。
しかし、突然、映像が乱れ、暗い影が広がる。何かが起きるようだが、詳細は見えない。
「何かが…起きる」
リーシャが緊張した声で言った。
「危険が迫っている…でも、何なのかはっきりとは…」
映像が消え、二人は元の世界に戻った。
「何が見えた?」
オルガが尋ねた。
「皇太子との対面は平和に始まるようですが、その後…何か危険が迫るようです」
「具体的には?」
「わかりません。ただ、暗い影が広がるのが見えました」
オルガは考え込んだ。
「闇の使徒の仕業かもしれないな。彼らは前回の失敗から、次の一手を考えているはずだ」
「警戒すべきですね」
「ああ。だが、あまり神経質になりすぎるのも良くない。未来は変えられるものだ。警戒しつつも、皇太子の訪問を成功させることに集中しよう」
訓練を終え、リーシャは王宮に戻る準備を始めた。
「緊張してるの?」
俺が尋ねると、彼女は少し微笑んだ。
「ええ、少し。皇太子がどんな人なのか、想像するだけで…」
「きっと大丈夫だよ。リーシャなら上手くやれる」
「ありがとう、時道さん」
彼女は真剣な表情になった。
「あなたも明日は私の側にいてくれる?」
「もちろん。俺はリーシャの側近だから」
「それだけじゃなくて…」
彼女は言葉を選ぶように少し間を置いた。
「あなたがいると、安心するの」
その言葉に、少し胸が温かくなった。
「必ず側にいるよ」
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翌日、王都は皇太子の来訪で賑わっていた。街道には人々が集まり、帝国の旗と王国の旗が並んで掲げられている。
正午近く、遠くから馬車の列が見えてきた。先頭には帝国の紋章が描かれた豪華な馬車。その周りを多数の騎士が護衛している。
「来たぞ」
ガルドが言った。彼は今日、王宮の警備の総指揮を執っていた。
「警戒を怠るな」
騎士たちに指示を出し、迎えの準備を整える。
王宮の前庭には、国王レイモンドとリーシャ、そして重臣たちが整列して待っていた。俺もリーシャの側近として彼女の後ろに立っていた。
馬車が王宮前に到着し、扉が開かれる。最初に降りてきたのは、以前訪れた使者ヴァルター・クライン。そして彼の後ろから、金髪の若い男性が現れた。
皇太子ルシウス・フェルディナンド・アウグストゥス。
彼は未来視で見た通りの姿だった。金色の髪と青い瞳、整った顔立ち。豪華な衣装を身にまとい、威厳と優雅さを兼ね備えている。
「フローレンス王国陛下、お迎えいただき光栄です」
ルシウスは流暢な言葉で挨拶した。
「ようこそ、ルシウス皇太子。我が国へのご訪問を心より歓迎します」
国王が応じた。
「こちらが私の娘、リーシャです」
リーシャが一歩前に出て、丁寧に礼をした。
「お会いできて光栄です、皇太子ルシウス様」
「光栄は私の方です、リーシャ王女」
ルシウスは優雅に頭を下げた。
「あなたの美しさは噂に違わぬものですね」
リーシャは少し頬をゆるめた。
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
初対面の挨拶は和やかな雰囲気で進んだ。皇太子の後ろには、ザイン・ブラッドエッジの姿もあった。彼は護衛として同行しているようだ。
「さあ、まずは休息を取られてください。夕方には歓迎の宴を用意しております」
国王が言った。
「ありがとうございます。楽しみにしております」
皇太子一行は王宮内の客室へと案内された。
---
午後、リーシャは自室で宴会の準備をしていた。俺も側近として彼女に付き添っていた。
「皇太子の第一印象はどうだった?」
俺が尋ねると、リーシャは少し考えてから答えた。
「礼儀正しく、紳士的な方ね。思っていたよりも…親しみやすい感じがしたわ」
「それは良かった」
「でも…」
彼女は言葉を選ぶように間を置いた。
「何か違和感もあるの。表面的には完璧すぎるくらい完璧なのに、どこか…心を閉ざしているような」
「そうか…」
「私の気のせいかもしれないけど」
リーシャはドレスを手に取りながら言った。
「今夜の宴会で、もう少し話す機会があるはずだから、その時にもっと知ることができるわ」
「うん。焦る必要はないよ」
その時、ノックの音がした。
「どうぞ」
ドアが開き、ガルドが入ってきた。
「失礼します。皇太子が王女様との対話の時間を希望されています」
「今から?」
「はい。宴会の前に、二人だけで話したいとのことです」
リーシャは少し驚いた様子だったが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「わかりました。どこで会うのですか?」
「王宮の庭園です。15分後に」
「了解しました。準備します」
ガルドが退室すると、リーシャは急いで準備を始めた。
「時道さん、あなたも来てくれる?」
「二人だけで話したいと言っていたんじゃ…」
「側近として近くにいてくれれば安心するわ。もちろん、会話に加わる必要はないけど」
「わかった。少し離れたところで待機しているよ」
15分後、リーシャと俺は王宮の庭園へと向かった。そこには既に皇太子ルシウスが待っていた。彼の後ろには、ザインが控えている。
「リーシャ王女、来てくださり嬉しいです」
ルシウスが微笑みながら言った。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「少し歩きながら話しましょうか」
「はい」
二人は庭園の小道を歩き始めた。俺とザインは少し離れて後ろから付いていく。
「美しい庭園ですね」
ルシウスが言った。
「ありがとうございます。私もこの庭園が大好きなんです」
「帝国の庭園は幾何学的で整然としていますが、こちらはより自然に近い造りで、心が落ち着きます」
「そうですか。いつか帝国の庭園も見てみたいです」
二人の会話は和やかに続いていた。俺はザインと共に後ろから見守っていたが、彼は無表情で周囲を警戒している様子だった。
「ザイン、皇太子はどんな人なんだ?」
小声で尋ねると、彼は少し考えてから答えた。
「聡明で、政治的手腕に長けている。帝国内でも評価が高い」
「そうか」
「だが…」
ザインは言葉を選ぶように間を置いた。
「彼の内面は誰も知らない。常に完璧な皇太子を演じているからな」
「演じている?」
「そう感じることがある。それだけだ」
彼の言葉は謎めいていたが、これ以上は聞けないだろう。
前方では、リーシャとルシウスが噴水の前で立ち止まっていた。
「リーシャ王女、率直に申し上げます」
ルシウスの声が聞こえてきた。
「この婚姻同盟の話、あなたはどう思われていますか?」
リーシャは少し驚いた様子だったが、冷静に答えた。
「正直に申し上げると、まだ心の準備ができていません。ですが、国のためなら…」
「そうですか」
ルシウスは微笑んだ。
「実は私も同じ気持ちです」
「え?」
「政治的な結婚は避けられないとわかっていても、やはり心の準備は必要ですよね」
彼は噴水の水面を見つめながら続けた。
「私たちは互いをほとんど知りません。まずは友人として知り合い、それから将来のことを考えるのが良いのではないでしょうか」
リーシャは安堵の表情を浮かべた。
「そう言っていただけると、とても安心します」
「では、この訪問中は、婚約者候補としてではなく、友人として過ごしましょう。お互いをよく知るための時間として」
「はい、そうしましょう」
二人の間に緊張が解けていくのが見て取れた。
その時、突然、異変が起きた。
空が急に暗くなり、庭園の温度が下がる。
「何だ?」
ザインが剣に手をかけた。俺も警戒を強める。
「時道さん!」
リーシャが俺を呼んだ。彼女とルシウスの周りに黒い霧が立ち込め始めていた。
「危険です!こちらへ!」
俺は二人に向かって走り出した。同時にザインも動いた。
黒い霧の中から、闇の使徒の姿が現れた。数人が庭園を取り囲むように現れ、中央にはアトラスの姿があった。
「皇太子を守れ!」
ザインが叫び、ルシウスの前に立ちはだかった。
「時の力を持つ者たち…」
アトラスが冷たい声で言った。
「今度は逃がさん」
「アトラス!」
俺はリーシャを守るように前に立った。
「何が目的だ?」
「時の力を持つ王女と、帝国の皇太子。二人を捕らえれば、我らの計画は大きく前進する」
アトラスは手を上げ、魔法陣を展開した。
「時空転移の魔法だ!」
ザインが叫んだ。
「彼らを連れ去る気だ!」
「させるか!」
俺は時の力を集中させた。
「クロノ・スロウ(時間減速)!」
アトラスと闇の使徒たちの周囲の時間を遅くする魔法を放った。彼らの動きが緩慢になる。
「無駄だ」
アトラスは魔法を打ち消した。
「時空系の魔法は私には効かない」
「だが、これは効くはずだ」
ザインが剣を振るい、炎の壁を作り出した。炎がアトラスたちを取り囲む。
「皇太子、王女、こちらです!」
ザインが二人を守りながら退路を確保しようとした。
「時道、援護を頼む!」
「わかった!」
俺は新たに習得した魔法を使う。
「クロノ・パルス(時空干渉・波動)!」
時空の波動がアトラスに向かって広がる。彼は一部を防いだが、完全には防げず、一瞬バランスを崩した。
「くっ…」
その隙に、ザインはルシウスとリーシャを連れて逃げ始めた。俺も後に続く。
「逃がさん!」
アトラスが強力な魔法を放った。空間そのものが歪み、四人の周りに黒い渦が現れる。
「時空転移の魔法だ!」
ザインが叫んだ。
「抵抗しろ!」
だが、渦の力は強く、四人は徐々に引き込まれていく。
「クロノ・フリーズ(時間停止)!」
俺は全力を込めて魔法を唱えた。意識したもの以外の世界が静止し、渦の動きも止まる。しかし、維持できるのはわずか一秒ほど。
その一瞬の隙に、ザインが行動した。彼は剣を地面に突き立て、強力な魔法陣を展開した。
「元素魔法・炎の障壁!」
時間が再開すると同時に、四人の周りに炎の壁が立ち上がった。渦と炎が衝突し、激しいエネルギーの爆発が起きる。
「うっ!」
衝撃で四人は吹き飛ばされた。俺はとっさにリーシャを抱きかかえ、衝撃を和らげる。
煙が晴れると、周囲の景色が変わっていた。もはや王宮の庭園ではない。荒れ果てた平原のような場所だ。
「ここは…どこだ?」
ザインが周囲を見回した。
「時空転移の魔法で別の場所に飛ばされたようだな」
「王都からどれくらい離れているんでしょうか?」
リーシャが不安そうに尋ねた。
「わからない」
ルシウスが立ち上がり、冷静に状況を分析していた。
「しかし、アトラスたちの姿はないようだ。一時的に逃れることはできたようだな」
「周囲を警戒しろ」
ザインが剣を構えながら言った。
「彼らはまだ近くにいるかもしれない」
四人は背中合わせで立ち、周囲を警戒した。しかし、辺りには闇の使徒の気配はない。
「どうやら、彼らの計画通りには行かなかったようだ」
ルシウスが言った。
「彼らは私たちを特定の場所に転移させようとしていたが、ザインの魔法によって軌道がずれたのだろう」
「そうかもしれませんね」
リーシャが頷いた。
「でも、どうやって王都に戻ればいいの?」
「まずは現在地を確認する必要がある」
ザインが言った。
「高台に登れば、周囲の地形がわかるかもしれない」
遠くに小さな丘が見える。
四人はそこに向かって歩き始めた。
「皇太子、無事で何よりです」
ザインがルシウスに言った。
「ああ、君のおかげだ」
ルシウスは冷静さを保っていた。彼は思ったよりも状況に動じていないようだ。
「リーシャ、大丈夫?」
俺が尋ねると、彼女は小さく頷いた。
「ええ、ただ少し驚いただけ」
「闇の使徒たちが何故、皇太子を狙ったのだろう」
「私にも心当たりがないわけではない」
ルシウスが言った。彼の表情が少し暗くなる。
「帝国の魔導研究所が彼らの標的になっている。おそらく、私を人質にして何かを要求するつもりだったのだろう」
「魔導研究所…」
リーシャが小声で繰り返した。
「そこで何を研究しているのですか?」
ルシウスは一瞬躊躇ったが、答えた。
「様々なことだ。だが、最近は特に時空系の魔法に対する研究が進んでいる」
「時空系の魔法?」
「そう。時間を操る力は非常に強力だが、同時に危険でもある。それを制御し、また対抗する手段を研究しているのだ」
彼の言葉に、俺とリーシャは顔を見合わせた。
「それは…闇の使徒に対抗するためですか?」
リーシャが慎重に尋ねた。
「その通りだ。彼らは時の力を悪用して世界を混沌に陥れようとしている。我々はそれを阻止するために研究を進めているのだ」
ルシウスの説明は筋が通っているように聞こえるが、何か隠しているようにも感じる。
丘の頂上に到達すると、周囲の景色が一望できた。遠くに小さな村が見え、その向こうには森が広がっている。
「あれはウェストヒルの村だ」
ザインが言った。
「王都からは南西に約20キロほど離れている」
「そうか、思ったほど遠くには飛ばされていないようだな」
ルシウスが安堵の表情を見せた。
「村まで行けば、王都への連絡手段があるだろう」
「そうですね」
リーシャも頷いた。
「でも、闇の使徒たちが追ってくる可能性もあります」
「警戒しながら進もう」
四人は村に向かって歩き始めた。道中、ザインとルシウスが前を歩き、俺とリーシャが後ろについた。
「時道さん」
リーシャが小声で言った。
「皇太子の話、全て信じていいのかしら」
「わからない。でも、今は協力するしかないよ」
「そうね…」
彼女は少し考え込んだ様子だった。
「でも、帝国が時空系の魔法を研究しているというのは本当みたいね」
「ああ。それが何のためなのかが問題だ」
前を歩くルシウスとザインも何か話し合っているようだった。彼らの会話は聞こえないが、真剣な表情をしている。
しばらく歩いた後、森の入り口に差し掛かった。
「この森を抜ければ村だ」
ザインが言った。
「気をつけろ。森の中は見通しが悪い」
四人は警戒しながら森に入った。木々が生い茂り、薄暗い。
「皇太子」
リーシャが声をかけた。
「闇の使徒について、何かご存知ですか?」
「私の知る限りでは、彼らは古代から続く秘密結社だ。『闇の王』と呼ばれる存在の復活を目指している」
「闇の王…」
「千年前、時の賢者クロノスによって封印された存在だ。彼は時間を歪め、世界を混沌に陥れようとしたという」
ルシウスの説明は、オルガから聞いた話と一致していた。
「帝国でも闇の使徒の活動が活発化しているのですか?」
「ああ。特に最近は目立つようになった。彼らは時の力を持つ者を探しているようだ」
彼はリーシャを見た。
「君もその一人だと聞いている」
リーシャは少し驚いた様子だった。
「私のことをご存知だったのですか?」
「ああ。時の賢者の血を引く者として、君の噂は帝国にも届いている」
彼は俺の方も見た。
「そして佐倉時道も同様だ。時の力を持つ者として」
「…」
俺は何と答えるべきか迷った。彼がどこまで知っているのか、そして何を目的としているのかわからない。
「二人とも貴重な存在だ。闇の使徒から狙われるのも当然だろう」
ルシウスの言葉には警戒心を感じさせるものはなかったが、それでも完全に信用することはできなかった。
森の中を進んでいくと、突然、前方から物音がした。
「誰かいるぞ」
ザインが剣を抜いた。
茂みが揺れ、そこから現れたのは…一匹の大きな獣だった。狼のような姿だが、体は通常の2倍ほどの大きさで、目が赤く光っている。
「魔獣だ!」
ザインが警告した。
「気をつけろ!」
魔獣は唸り声を上げ、四人に飛びかかってきた。
「元素魔法・炎の矢!」
ザインが魔法を放ち、炎の矢が魔獣に命中した。しかし、魔獣はそれを振り払い、さらに接近してくる。
「クロノ・トレース(時間予知)!」
俺は魔法を使い、魔獣の次の動きを予測した。それは右側からルシウスに襲いかかろうとしている。
「皇太子、右から来ます!」
警告と同時に、魔獣が予測通りの方向から襲いかかった。しかし、ルシウスは驚くべき速さで身をかわし、手から青白い光を放った。
「氷結の魔法!」
光が魔獣に当たると、その体が凍り始めた。
「皇太子も魔法が使えるのか」
俺は驚いた。彼の魔法は強力で、魔獣の動きを完全に止めていた。
「帝国の皇族は皆、基本的な魔法の訓練を受けている」
ルシウスは冷静に説明した。
「特に私は氷系の魔法を得意としている」
完全に凍りついた魔獣は、もはや脅威ではなくなった。
「見事な魔法ですね」
リーシャが感心した様子で言った。
「ありがとう。だが、これは基本的な魔法に過ぎない」
ルシウスは謙遜した。
「それにしても、この森に魔獣がいるとは…」
ザインが周囲を警戒しながら言った。
「最近、各地で魔獣の出現が増えているという報告がある。闇の使徒の活動と関係があるのかもしれない」
「関係があるのですか?」
リーシャが尋ねた。
「彼らが時空を歪めることで、異なる時代や空間から魔獣が漏れ出してくるという説がある」
ルシウスが説明した。
「時の狭間と呼ばれる領域には様々な存在が眠っているとされている。闇の使徒の儀式によって、その一部が現実世界に漏れ出しているのかもしれない」
「それは危険ですね…」
「ああ。だからこそ、彼らを止める必要がある」
四人は再び歩き始めた。しかし、森はさらに深くなり、道も不明瞭になっていく。
「おかしいな」
ザインが眉をひそめた。
「この方向に進めば村に出るはずなのだが…」
「迷ったのですか?」
リーシャが不安そうに尋ねた。
「いや、方角は合っている。だが、森が…変わっているように感じる」
確かに、周囲の雰囲気が少しずつ変わっていた。木々はより古く、苔むしているように見え、空気も重く感じる。
「これは…」
ルシウスが周囲を見回した。
「時空の歪みだ」
「歪み?」
「ああ。私たちは知らないうちに、時空の狭間に近い領域に入り込んでしまったようだ」
「どういうことですか?」
リーシャが混乱した様子で尋ねた。
「現実世界と時の狭間の境界が薄くなっている場所がある。そこでは時間や空間の法則が通常とは異なる」
ルシウスは説明を続けた。
「おそらく、アトラスの時空転移の魔法の影響で、私たちはそのような場所に飛ばされたのだろう」
「では、どうすれば元の世界に戻れるのですか?」
「時空の歪みの中心を見つけ、そこから抜け出す必要がある」
彼は俺を見た。
「佐倉時道、君の時の力が役立つかもしれない。時空の歪みを感知できるだろうか?」
「試してみます」
俺は目を閉じ、時の力を集中させた。周囲の時間の流れを感じ取ろうとする。
「クロノ・アクセル(時間認識拡大)」
魔法を唱えると、周囲の時間の流れが見えるようになった。確かに、通常とは異なっている。時間が渦を巻くように歪んでいる場所がある。
「あちらです」
俺は北東の方向を指さした。
「時空が最も歪んでいる場所があります。おそらく、そこが境界点です」
「よし、そこに向かおう」
四人は俺の指示した方向に進んだ。歩くにつれて、森はますます奇妙な様相を呈してきた。木々が不自然な角度で曲がり、時には空中に浮かんでいるように見える。光の加減も常に変化し、時間の感覚が狂いそうになる。
「ここは危険だな」
ザインが警告した。
「ここまで時空の歪みが強い場所に長く留まると、現実世界に戻れなくなる可能性もある」
「よくご存じですね」
「帝国の研究の成果さ」
気になって尋ねたところ、ルシウスが気軽に答えてくれた。
「急ぎましょう」
リーシャが言った。彼女は不安そうだったが、冷静さを保っていた。
さらに進むと、森の中の小さな空き地に出た。そこには巨大な古木があり、その周りに奇妙な光の渦が見える。
「ここだ」
ルシウスが言った。
「時空の境界点だ」
「どうすれば戻れるのですか?」
「時空の歪みを正常化する必要がある」
ルシウスは古木に近づいた。
「私の氷結魔法と、佐倉時道の時の力を組み合わせれば、一時的に安定させることができるかもしれない」
「やってみましょう」
俺はルシウスの隣に立った。
「何をすればいいですか?」
「私が氷結魔法で時空の歪みを固定する。その間に、君は時間安定化の魔法を使ってくれ」
「わかりました」
ルシウスは手を古木に向け、魔法を唱え始めた。
「氷結の檻」
青白い光が古木を包み込み、光の渦が徐々に凍りついていく。
「今だ!」
「クロノ・エターナル(時空安定化)!」
俺は全力を込めて魔法を唱えた。時の力が古木に向かって流れていく。凍りついた光の渦が安定し始め、周囲の時空の歪みが徐々に正常化していく。
「うまくいっている!」
リーシャが喜びの声を上げた。
しかし、その時、突然、古木から強い光が放たれた。
「なっ…!」
光が四人を包み込み、世界が一瞬にして白く染まる。
「みんな、手を離すな!」
ザインが叫んだ。四人は互いの手を取り合い、光の中で踏ん張った。
そして、光が消えた時、四人は見知らぬ場所に立っていた。
「ここは…」
周囲を見回すと、それは王都の外れにある丘の上だった。遠くに王都の城壁が見える。
「戻ってきた…」
リーシャが安堵の表情を浮かべた。
「無事に現実世界に戻れたようだな」
ルシウスも安心した様子だった。
「佐倉時道、君の力のおかげだ」
「いえ、皇太子の魔法があってこそです」
ザインは周囲を警戒しながら言った。
「急いで王宮に戻るべきだ。皆が心配しているだろう」
「そうですね」
四人は王都に向かって歩き始めた。
「不思議な体験でした」
リーシャが言った。
「時空の歪みの中に入るなんて…」
「闇の使徒の力が強まっているということだ」
ルシウスは真剣な表情で言った。
「彼らは時空の境界を操作する力を持ち始めている。これは非常に危険な状況だ」
「王宮に戻ったら、すぐに父上に報告しなければ」
リーシャが言った。
「ああ。そして帝国にも連絡を取る必要がある」
ルシウスは歩きながら続けた。
「闇の使徒の活動は帝国でも問題になっている。今回の事件で、彼らが私を標的にしていることが明らかになった以上、対策を強化しなければならない」
王都に近づくにつれ、騎士たちの姿が見えてきた。彼らは四人を見つけると、急いで駆け寄ってきた。
「王女様!皇太子様!無事だったのですか!」
騎士団長のガルドも駆けつけてきた。
「リーシャ様!皇太子様!心配していました」
「ガルド、無事で良かった」
リーシャが安堵の表情で言った。
「何があったのです?突然、庭園から姿を消して…」
「闇の使徒に襲われたんだ」
俺が説明した。
「アトラスが現れ、時空転移の魔法で私たちを連れ去ろうとした」
「アトラスだと?」
ガルドの表情が引き締まった。
「奴らの目的は?」
「リーシャと皇太子を捕らえることだったようだ」
ザインが答えた。
「しかし、転移の過程で軌道がずれ、王都から離れた場所に飛ばされた」
「そして時空の歪みに巻き込まれたのよ」
リーシャが付け加えた。
「皇太子様と時道さんの力で何とか戻ってこられたわ」
「そうだったのか…」
ガルドは驚きの表情を見せた。
「すぐに国王陛下に報告しましょう。皆さんを探して、騎士団総出で捜索していたのです」
一行は騎士たちに護衛されながら王宮へと向かった。王宮に到着すると、国王レイモンドが心配そうな表情で出迎えた。
「リーシャ!無事だったのか!」
「父上!」
リーシャは父親に駆け寄った。
「心配をおかけして申し訳ありません」
「ルシウス皇太子、あなたも無事で何よりです」
国王はルシウスにも安堵の言葉をかけた。
「何があったのか、詳しく聞かせてくれ」
謁見の間に集まった一行は、起きた出来事を詳細に報告した。闇の使徒の襲撃、時空転移、そして時空の歪みについて。
「これは重大な事態だ」
国王は深刻な表情で言った。
「闇の使徒たちが皇太子とリーシャを狙っているとなると、警備を大幅に強化しなければならない」
「私も同感です」
ルシウスが頷いた。
「彼らの目的は明らかに時の力を持つ者たちを捕らえることです。リーシャ王女と佐倉時道は特に危険な状況にあります」
国王はオルガを呼び出すよう命じた。
「魔導院の力も借りて、王宮の防衛を固めよう」
「陛下、もう一つ提案があります」
ルシウスが前に出た。
「帝国の魔導研究所には、時空系の魔法に対する防御技術があります。それを共有することで、王宮の防衛力を高めることができるでしょう」
「それは助かる」
国王は感謝の意を示した。
「同盟国として協力し合うべき時だな」
「はい。私の護衛ザインを通じて、必要な技術と人員を手配させます」
会議が終わり、各自が任務に戻っていく中、俺はリーシャと共に廊下を歩いていた。
「大変な一日だったね」
「ええ…でも、皇太子について少し理解できたわ」
リーシャは小声で言った。
「彼は思っていたよりも…頼りになる人ね」
「そうだね。危機的状況でも冷静さを失わなかった」
「それに、私の気持ちも尊重してくれたわ。婚姻同盟について、焦らなくていいって言ってくれたし」
リーシャの表情には安堵の色が見えた。
「でも、帝国の魔導研究所のことが気になるわ。彼らが本当に時空系の魔法を研究しているなら…」
「俺たちも標的になる可能性があるってことだね」
「そうよ。闇の使徒だけじゃなく、帝国も…」
彼女の言葉は途中で途切れた。ザインが近づいてきたのだ。
「佐倉時道、少し話がある」
彼は冷静な表情で言った。
「構いませんよ」
リーシャに一礼し、俺はザインについていった。彼は人気のない中庭へと俺を導いた。
「今日の件について、話しておきたいことがある」
ザインは周囲を確認してから、小声で続けた。
「皇太子は表向き、闇の使徒に対抗するために時空系の魔法を研究していると言っている。それは半分は真実だ」
「半分は?」
「帝国の魔導研究所の真の目的は、時の力を制御し、利用することだ」
彼の言葉に、俺は緊張した。
「どういう意味だ?」
「彼らは時の力を持つ者を探している。研究のためだけではなく、その力を帝国のために使うためだ」
「それで、俺とリーシャが…」
「そうだ。お前たちは貴重な研究対象であり、潜在的な協力者でもある」
ザインは真剣な表情で続けた。
「だが、闇の使徒も同じことを考えている。彼らは時の力を持つ者を利用して、闇の王を復活させようとしているのだ」
「なぜこれを俺に話す?」
「私は帝国の騎士だが、同時に『時の守護者』の末裔でもある」
その言葉に、俺は驚いた。
「時の守護者?オルガ先生と同じ…」
「そうだ。我々は時の封印を守るために代々続いてきた秘密結社だ。表向きは帝国に仕えているが、真の使命は時の力の均衡を守ることだ」
「皇太子は知っているのか?」
「いいや。彼には話していない」
ザインは少し考え込んだ後、続けた。
「皇太子は善良な人物だが、帝国の利益を第一に考える。彼が時の力について知れば知るほど、それを帝国のために利用しようとするだろう」
「では、どうすればいい?」
「今は警戒を続けることだ。そして、お前の力を制御する訓練を続けろ。闇の使徒も帝国も、お前の力を狙っている。自分自身を守れるようになる必要がある」
ザインは立ち去ろうとしたが、最後にもう一言付け加えた。
「そして、リーシャ王女を守れ。彼女の中に眠る力は、お前以上に貴重かもしれない」
彼が去った後、俺は中庭に一人残され、考え込んだ。状況はますます複雑になっていく。帝国と闇の使徒、そして時の守護者。それぞれが異なる目的を持ち、時の力を巡って動いている。
「リーシャをこれからも守っていこう…」
俺は決意を新たにした。どんな状況になろうとも、リーシャだけは守り抜く。それが俺の使命だ。
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夕方、予定通り歓迎の宴が開かれた。事件があったにもかかわらず、国王は予定を変更しなかった。むしろ、同盟の重要性を示すためにも、予定通り進めることにしたのだ。
宴会場は豪華に飾られ、王国の貴族たちが集まっていた。皇太子ルシウスは主賓として、国王の隣に座っている。リーシャも正装して出席し、俺も側近として彼女の近くに控えていた。
「佐倉時道」
オルガが近づいてきた。彼女も宴会に招かれていたようだ。
「今日の出来事は聞いた。無事で何よりだ」
「ありがとうございます」
「時空の歪みに巻き込まれたというのは本当か?」
「はい。森の中で時空が歪んでいる場所に入り込んでしまったんです」
「それは危険だったな」
オルガは眉をひそめた。
「時空の歪みが強まっているということは、闇の使徒たちの力も強まっているということだ。彼らの儀式が部分的に成功しているのかもしれない」
「どういうことですか?」
「彼らは時の狭間から何かを呼び出そうとしている。完全には成功していないが、その過程で時空の境界が薄くなっているのだろう」
オルガは周囲を見回し、小声で続けた。
「そして、帝国の皇太子が時の力に関心を持っているというのも気になる。彼の真の目的は何なのか…」
「ザインによれば、帝国の魔導研究所は時の力を制御し、利用しようとしているそうです」
「ザイン・ブラッドエッジが?彼がそんなことを話したのか?」
「はい。彼は自分が『時の守護者』の末裔だと言っていました」
オルガは驚いた表情を見せた。
「時の守護者…そうか、彼もか」
「信用できますか?」
「わからない。だが、彼が時の守護者を名乗ったということは、お前を味方と見なしているということだろう」
オルガは考え込んだ後、続けた。
「いずれにせよ、警戒を怠るな。そして、リーシャ様を守れ。彼女の中に眠る力は特別なものだ」
「ザインも同じことを言っていました」
「そうか…」
オルガはそれ以上は話さず、他の客と会話するために移動していった。
宴会は和やかに進み、国王とルシウスが同盟の重要性について演説した。リーシャも皇太子と共に乾杯の音頭を取り、表面上は何事もなかったかのように振る舞っていた。
しかし、俺にはわかる。彼女の笑顔の裏に隠された緊張感を。そして、皇太子の礼儀正しい態度の裏に隠された何かを。
宴会の後半、リーシャが一瞬席を外したので、俺も彼女に付き添って宴会場を出た。
「少し息抜きしたかったの」
彼女はバルコニーに出て、夜空を見上げた。
「疲れたでしょう?今日は大変な一日だった」
「ええ…でも、不思議と冷静でいられるわ」
彼女は微笑んだ。
「時道さんがいてくれるから」
「俺がいるから?」
「ええ。あなたがいると、何があっても大丈夫だって思えるの」
彼女の言葉に、胸が温かくなった。
「俺はいつでもリーシャの側にいるよ」
「本当に?」
「もちろん」
リーシャは少し俺に近づいた。
「時道さん、私…」
彼女が何か言いかけたとき、バルコニーのドアが開き、ルシウスが現れた。
「ああ、ここにいたのか」
彼は二人に微笑みかけた。
「少し息抜きですか?」
「はい」
リーシャは少し離れ、皇太子に向き直った。
「宴会は素晴らしいですね」
「ああ、フローレンス王国の歓迎に感謝している」
ルシウスはバルコニーに出て、夜空を見上げた。
「美しい夜だ」
「はい、とても」
少しの沈黙の後、ルシウスが口を開いた。
「今日の出来事で、私は決意を新たにした」
「決意?」
「ああ。闇の使徒との戦いは避けられない。彼らが時の力を悪用しようとしている以上、我々は協力して立ち向かわなければならない」
彼はリーシャを見つめた。
「リーシャ王女、あなたの力は貴重だ。そして佐倉時道の力も同様だ」
「私たちに何ができるのでしょうか?」
「まずは力を制御し、強化することだ。そして、互いに協力して闇の使徒に立ち向かうことだ」
ルシウスは真剣な表情で続けた。
「私は帝国に戻ったら、魔導研究所に時空系の魔法に対する防御技術の共有を進言する。フローレンス王国を守るためにも」
「ありがとうございます」
リーシャは礼を言った。
「そして、婚姻同盟の件だが…」
ルシウスは少し言葉を選ぶように間を置いた。
「私は焦るつもりはない。まずは互いを知り、信頼関係を築くことが大切だと思う」
「私もそう思います」
リーシャは安堵の表情を見せた。
「では、友人として、同盟国として、これからも協力していきましょう」
ルシウスは手を差し出し、リーシャはそれを握った。
「はい、そうしましょう」
彼らの間に一定の理解が生まれたようだった。しかし、俺の心の中には依然として疑念が残っていた。ルシウスの真意、帝国の目的、そして闇の使徒の計画。全てが複雑に絡み合い、未来は不透明だった。
宴会が終わり、客たちが帰り始めた頃、俺は自室に戻る途中、廊下でザインと出会った。
「明日、皇太子は王国内の視察に出かける予定だ」
彼が言った。
「リーシャ王女も同行するだろう。お前も当然、護衛として付き添うな?」
「ああ」
「警戒を怠るな。闇の使徒はまだ諦めていない」
「わかっている」
ザインは少し躊躇った後、続けた。
「もう一つ忠告がある。皇太子を完全に信用するな」
「どういう意味だ?」
「彼は善良な人物だが、帝国の皇太子としての使命を持っている。時の力を帝国のために利用しようとする可能性もある」
「リーシャを危険にさらすようなことはしないだろう」
「直接的には危険にさらさないだろう。だが、彼女の力を利用しようとするかもしれない」
ザインは真剣な表情で言った。
「時の力は両刃の剣だ。使い方によっては世界を救うことも、滅ぼすこともできる。だからこそ、我々時の守護者は代々、その力の均衡を守ってきたのだ」
彼は立ち去る前に、最後の言葉を残した。
「自分自身の判断を信じろ。そして、リーシャ王女を守れ」
その夜、俺は窓辺に立ち、星空を見上げながら考え込んだ。複雑に絡み合う状況の中で、何が正しい選択なのか。帝国を信じるべきか、警戒すべきか。そして、時の力とは何のためにあるのか。
「時道さん、まだ起きてるの?」
廊下からリーシャの声がした。ドアを開けると、彼女は夜会用のドレスから普段着に着替えていた。
「ええ、少し考え事をしていて」
「私も眠れなくて…」
彼女が部屋に入ってきた。
「今日は本当に長い一日だったわね」
「そうだね」
「皇太子のことをどう思う?」
彼女の質問に、俺は慎重に言葉を選んだ。
「礼儀正しく、知的で、危機的状況でも冷静さを失わない人だと思う。でも…」
「でも?」
「何か隠しているような気がする」
リーシャは頷いた。
「私も同じことを感じたわ。表面上は完璧すぎるくらい完璧なのに、本当の考えがわからない」
「ザインは皇太子を完全に信用するなと言っていた」
「ザインが?」
「ああ。彼によれば、皇太子は帝国の利益のために時の力を利用しようとするかもしれないとのことだ」
リーシャは窓辺に立ち、夜空を見上げた。
「明日、皇太子と王国内を視察することになっているわ。その時に、もう少し彼のことを知ろうと思う」
「俺も同行するよ」
「ありがとう」
彼女は俺を見つめた。
「時道さん、私たちの力は何のためにあるのだと思う?」
「それは…」
俺は考え込んだ。
「人を守るためじゃないかな。少なくとも、俺はそう思って力を使いたい」
リーシャは微笑んだ。
「私もそう思うわ。だから、どんな誘惑があっても、その道を外れないでいたい」
「ああ、一緒に進もう」
彼女は安心したように頷き、部屋を出る前に振り返った。
「おやすみなさい、時道さん」
「おやすみ、リーシャ」
彼女が去った後も、俺は窓辺に立ち続けた。明日からまた新たな展開が待っているだろう。だが、どんな状況になろうとも、リーシャを守り、正しい道を進む決意は揺るがない。
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翌朝、視察の準備が整えられた。皇太子ルシウス、リーシャ、そして護衛としてザインと俺、さらに数人の騎士たちが同行することになった。
「今日は王国北部の農村地域を視察します」
リーシャが説明した。
「最近、その地域で奇妙な現象が報告されているのです」
「奇妙な現象?」
ルシウスが興味を示した。
「はい。作物が一晩で成長したり、逆に枯れたりする現象です。時間の流れが不安定になっているようなのです」
「それは気になるな」
ルシウスは考え込んだ。
「時空の歪みが関係しているのかもしれない」
一行は馬車に乗り、王都を出発した。道中、ルシウスとリーシャは王国と帝国の状況について会話を交わしていた。俺とザインは馬車の外で警護についていた。
「ザイン、昨日言っていた時の守護者について、もう少し教えてくれないか」
俺が小声で尋ねると、彼は周囲を確認してから答えた。
「時の守護者は千年前、クロノスによって創設された。時の封印を守り、時の力の均衡を保つことが使命だ」
「オルガ先生も時の守護者なんだよね」
「ああ。彼女は現在の守護者の中でも重要な位置にいる」
「なぜ俺に教えてくれたんだ?」
ザインは少し考えてから答えた。
「お前の中に眠る力を感じたからだ。そして、お前がその力を正しく使おうとしていることも」
「俺の中に眠る力…」
「時の賢者の血を引く者は稀だ。だが、お前の場合はそれ以上のものを感じる」
彼の言葉に、俺は何か大きな意味があるように感じた。しかし、それ以上は聞けなかった。馬車が目的地に近づいていたからだ。
北部の農村地域は、通常なら豊かな田園風景が広がるはずだった。しかし、現実は異なっていた。一部の畑は異常に成長した作物で溢れ、別の畑は完全に枯れていた。まるで時間が歪んでいるかのようだ。
「これは…」
リーシャが馬車から降り、周囲を見回した。
「報告よりも深刻な状況です」
村の長老が一行を出迎えた。
「王女様、皇太子様、ようこそいらっしゃいました。ご覧の通り、私たちの村は奇妙な現象に悩まされております」
「いつ頃からこのような状況になったのですか?」
ルシウスが尋ねた。
「約一週間前からです。最初は一部の畑だけでしたが、徐々に広がっています」
「他に何か変わったことはありませんか?」
リーシャが質問した。
「はい…夜になると、森の奥から奇妙な光が見えるようになりました。そして、時々、見たこともない生き物が現れるのです」
「見たこともない生き物?」
「はい。獣のようでもあり、鳥のようでもある奇妙な姿をしています」
ザインと俺は顔を見合わせた。
「魔獣だな」
「そうみたいだ」
ルシウスは村の状況を詳しく調査するよう指示し、一行は村を歩いて回った。確かに、時間の流れが歪んでいる証拠が至る所に見られた。若い木が一晩で巨木になっていたり、逆に古い建物が突然朽ちていたりする現象が報告されていた。
「これは間違いなく時空の歪みだ」
ルシウスが言った。
「昨日、私たちが体験したのと同じ現象が、この村全体で起きている」
「原因は何なのでしょう?」
リーシャが尋ねた。
「おそらく、近くに時空の境界点があるのだろう。昨日の森の中にあった古木のような」
「村長が言っていた、夜に森から見える光ですね」
「そうだ。調査する必要がある」
ルシウスはザインに向き直った。
「夕方までに準備を整え、夜に森を調査しよう」
「はい、皇太子」
ザインは頷いた。
一行は村の宿に落ち着き、夜の調査に向けて準備を始めた。俺はリーシャと共に村の状況をさらに調べることにした。
「時道さん、この状況は危険よ」
リーシャが小声で言った。
「時空の歪みが広がっているということは、闇の使徒の活動が活発化しているということかもしれない」
「そうだね。警戒が必要だ」
二人が村の外れを調査していると、一人の少年が駆け寄ってきた。
「お姉さん、お兄さん、大変なんだ!」
「どうしたの?」
リーシャが優しく尋ねた。
「森の中で友達が迷子になっちゃったんだ!」
「森の中?」
「うん、さっき遊んでいたら、光る蝶を見つけて追いかけていったんだ。でも、友達が戻ってこないんだ」
俺とリーシャは顔を見合わせた。
「皇太子たちに知らせるべきかな」
「でも、時間がないかもしれない」
リーシャは決断した。
「私たちで探しに行きましょう。ガルドさんには伝言を残しておきます」
急いで伝言を残し、二人は少年に案内されて森の入り口まで来た。
「ここから先は危険だから、君は村に戻っていて」
「でも、友達が…」
「大丈夫、必ず見つけてくるから」
少年を村に戻し、二人は森に入った。
「時空の歪みがあるなら、注意が必要だ」
俺は警戒しながら言った。
「クロノ・アクセル(時間認識拡大)」
魔法を唱えると、周囲の時間の流れが見えるようになった。確かに、森の奥に向かって時間が歪んでいるのがわかる。
「あちらです」
リーシャが指さした方向に、かすかな光が見える。
二人は慎重に進んでいった。森は徐々に奇妙な様相を呈してきた。木々が不自然な形で曲がり、時には空中に浮かんでいるように見える。昨日体験した時空の歪みと同じだ。
「子供がこんな場所に入ってしまったのね…」
リーシャが心配そうに言った。
「早く見つけなければ」
さらに進むと、小さな空き地に出た。そこには巨大な古木があり、その周りに奇妙な光の渦が見える。そして、その近くに一人の少年が立っていた。
「あそこだ!」
リーシャが叫んだ。
二人が駆け寄ろうとした時、突然、少年の姿が変わり始めた。彼の体が黒い霧に包まれ、形が歪んでいく。
「罠だ!」
俺はリーシャを引き寄せ、後退した。
黒い霧が晴れると、そこに立っていたのはアトラスだった。
「やはり来たな、時の力を持つ者たち」
彼は冷笑を浮かべた。
「子供を利用するなんて…」
リーシャが怒りを込めて言った。
「そんな子供は最初から存在しない。幻影だ」
アトラスは手を上げ、周囲に魔法陣を展開した。
「今度こそ、お前たちを捕らえる」
「させるか!」
俺はリーシャを守るように前に立った。
「クロノ・スロウ(時間減速)!」
アトラスの周囲の時間を遅くする魔法を放ったが、彼はそれを簡単に打ち消した。
「無駄だと言っただろう」
彼は強力な魔法を放った。空間そのものが歪み、俺たちの周りに黒い渦が現れる。
「リーシャ、逃げるぞ!」
「でも、どこへ?」
周囲は既に時空の歪みに包まれ、逃げ道はなかった。
「クロノ・パルス(時空干渉・波動)!」
俺は新しく習得した魔法を使った。時空の波動がアトラスに向かって広がる。彼は一部を防いだが、完全には防げず、一瞬バランスを崩した。
「その隙に!」
二人は森の奥へと逃げ込んだ。しかし、時空の歪みはますます強くなり、道が見えなくなっていく。
「どこに行けばいいの?」
リーシャが不安そうに尋ねた。
「わからない…でも、立ち止まるわけにはいかない」
二人は必死に走り続けた。しかし、森はますます奇妙になり、時には同じ場所をぐるぐる回っているようにも感じられた。
「時道さん、これは…」
リーシャが突然立ち止まった。前方に、昨日見たのと同じような古木があった。その周りには光の渦が見える。
「時空の境界点だ」
「でも、さっきとは違う木よ」
「複数あるのかもしれない」
その時、後ろからアトラスの声が聞こえた。
「逃げられると思ったか?」
振り返ると、彼が徐々に近づいてきていた。
「選択肢はない。あの境界点に向かうしかない」
リーシャが頷き、二人は古木に向かって走った。
「止まれ!」
アトラスが強力な魔法を放った。黒い霧が二人を追いかけてくる。
「クロノ・フリーズ(時間停止)!」
俺は全力を込めて魔法を唱えた。世界が一瞬静止し、黒い霧も止まる。その隙に、二人は古木に到達した。
「どうすれば?」
「昨日と同じように、時空安定化の魔法を使おう」
時間が再開し、黒い霧が迫ってくる。
「クロノ・エターナル(時空安定化)!」
俺は全力を込めて魔法を唱えた。時の力が古木に向かって流れていく。光の渦が安定し始め、周囲の時空の歪みが徐々に正常化していく。
「うまくいっている!」
しかし、その時、アトラスが追いついた。
「させるか!」
彼は強力な魔法を放ち、時空安定化の魔法を妨害しようとした。
「リーシャ、力を貸して!」
「うん!」
リーシャが俺の隣に立ち、手を取った。
「クロノ・シンク(時間共鳴)!」
二人の力が共鳴し、増幅される。時の印が強く輝き、アトラスの魔法を押し返した。
「くっ…」
アトラスは後退を余儀なくされた。
古木から強い光が放たれ、世界が白く染まる。
「手を離すな!」
二人は強く手を握り合い、光の中で踏ん張った。
そして、光が消えた時、二人は見知らぬ場所に立っていた。
「ここは…」
周囲を見回すと、それは広大な円形の空間だった。床には複雑な魔法陣が描かれ、中央には大きな水晶球が浮かんでいる。
「時の間…」
リーシャが小声で言った。
「クロノアに連れてこられた場所と同じよ」
「そうか…」
二人が状況を把握しようとしていると、水晶球から光が放たれ、一人の少女の姿が現れた。
「クロノア!」
リーシャが驚いて叫んだ。
「久しぶりね、リーシャ、時道」
クロノアは微笑んだ。
「よく来たわ、時の間へ」
**次回予告:**
第3章第3話「時の間の啓示」―クロノアとの再会で、時道とリーシャは時の力の真実に一歩近づく。一方、皇太子ルシウスと帝国の真の目的が明らかになり始める。闇の使徒の計画と、時の守護者の使命。交錯する思惑の中で、二人は重大な決断を迫られる。




