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魔将軍カイゼルの受難  作者: 一代 半可
第一部 魔王軍の新任幹部
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【008】ミルドの若き長

 ――あれがこの要塞の主か。


 銀の仮面をつけた男が城壁の上に現れた時、ミルドの若き長セルジドールの胸中には、ひどい落胆の感情が宿った。


 嫌味なほどに小綺麗な身なり。ミルドの民を見下ろす無感動な視線。食事に困ったことすらなさそうな肌のつやに、力以外で成り上がったとしか思えない弱々しく華奢な体つき。


 もしこの要塞の主がミルドの境遇に同情でもしてくれたなら。そんな浅はかな打算は、たった今脆くも崩れ去った。


 明らかに苦労らしい苦労を知らなそうな男だ。恵まれた境遇にいる自覚すらなく、その立場に甘んじている。そんな男がミルドに同情などしやしない。


 きっとあの者もミルドの民を薄汚い反逆者の末裔として嘲笑い、嬉々として同胞を害することだろう。


 失意の底、僅かに見えたような気がした希望に裏切られ、セルジドールはただ力なく項垂れるばかりだった。


 灰色の肌に美しい銀の髪、そして長い耳。魔界でも有数の、神秘的な外見を持つミルドの民は、元は魔界の東に国を持つ、数多の知識と魔法を集積することを誇りとした一族だった。


 しかし過去の咎からその国が焼かれ、王が討たれ、一族が父祖の罪を理由に追い立てられ、魔界中に散り散りになって早六十年余り。


 国の再興すらままならないまま、彼らは今も流浪の民として魔界の各地を彷徨っていた。


 かつての誇り高き姿はもはやどこにもなく、あるのは腐肉を漁り、泥水を啜り、辛うじて命を食いつなぐ惨めな死にぞこないの姿だけ。


 国が滅んだ直後に見られたような過激な迫害こそ減ったとは言え、彼らに対する侮蔑の念は未だ色濃く魔界中に根付いている。


 先日もミルド嫌いで知られる領主によって、隠れ里の仲間たちが焼かれたと聞く。そんな中、命からがら逃げて来た生き残りたちがセルジドールの一派と合流したのは記憶に新しい。


 そして増えすぎた同胞をろくに養う充てもなく、かと言って見捨てるわけにもいかず。彷徨うようにこの地に足を踏み入れたところで、要塞の兵たちがセルジドールらを目ざとく発見したのだった。


『怪しい奴らめ。どこかの偵察か? お前たちを連行する!』


 もはや理不尽とも思える言いがかりだったが、下手に抵抗すれば事態が悪化することは長年の経験からわかりきっていた。


 だからこそセルジドールと共に拘束された数名の者たちは大人しく両手を繋がれることを選び、今はこうして要塞の城壁の外で膝をついて項垂れているのだった。


 ここから先、何が行われるかなど明日の食事の内容よりも想像がつく。


 良くて負傷、最悪この中の同胞数名は二度と仲間の元へ帰り着くことができなくなるのだろう。


 それが当たり前。この魔界における弱者の日常だ。


 無力なセルジドールにはただ、城壁の上の銀仮面を見上げることしか出来やしない。そんなことをしたところで、どの道運命は変わらないというのに。


 望みはただ、生きたいというだけ。豊かな暮らしも、栄えある名誉も求めていない。ただ、生きることを許されたいだけ。


 だと言うのにそれがこんなにも難しい。なぜ生きるためだけにこれほどまでの屈辱が必要なのか。現状を打破できない自分たちの弱さが、それほどまでに罪深いと言うのか。


 弱者は生を望むことすら許されないのか――!


「みな、傾聴なさい! こちらにおわす方こそ、我らダルフェリア魔王軍が将にして、このウルディア要塞を治めるカイゼル閣下ですわ!」


 その時、セルジドールの頭上から女の声が降り注いだ。


 見れば先ほどの銀仮面の後ろに、赤い鎧をまとう女の魔族が立っていた。


 しかしセルジドールが顔を上げたのは女の声に驚いたからではない。彼女が告げたカイゼルと言う名前に聞き覚えがあったからだ。


 ――カイゼルだと……!? まさか、あの"銀閃"のカイゼルか!?


 それはこの魔界において、近年まで独立を保ち続けていた強力な魔族の名だった。彼を力ずくで従えようと兵を挙げた者たちは、その全てが骸になったと伝え聞く。


 そして彼の残忍さと強靭さを伝える噂は、枚挙にいとまが無い。


 酷く女好きで討ち取った相手の妻を無理やり手ごめにしただの、敵の領地を荒らしまわって食料を略奪してまわっただの、それら蛮行に怒った敵が四〇〇〇の兵を差し向けるもたった一人で全滅させただの、とにかく良くない噂ばかりを聞く男だ。


 セルジドールの表情が絶望に染まる。そんな男がなぜこんなところにいると言うのか。


 あの男が本当に"銀閃"カイゼルならば、よりにもよってこんな場所で巡り合う己たちの不運をただただ呪うことしかできなかった。


 もしあの残虐な男が見目だけは美しいと評されるミルドの女を見ればどうなるか。


 今セルジドールが連れる難民たちは、特に女の割合が増えていた。それは先日の焼き討ちの際、女子供を救うために男たちが最後まで里に残って戦い、命を落としたことが原因だ。


 名も顔も知らぬ同胞たちが、その命を捨ててまで守り抜いた彼女たちを、こんなところで失ってなるものか。


 彼女たちの、或いは三〇〇余りの同胞の命が今。カイゼルを前にしたセルジドールの肩に重くのしかかる。


「代表の者は?」


 やがて重々しくカイゼルが口を開いた。堂々とした、他者の前に出ることが板についた喋り方だ。セルジドールの焦りを吹き飛ばすような冷たい喋り方だった。


 改めて実感させられる。あの男は顎先一つで自分たちの行く末をどうにでもできる存在なのだと。


 震える声を悟られないように一度深呼吸を挟んで、セルジドールはゆっくりと口を開いた。


「わたくしです、カイゼル様。ミルドの一族、名をセルジドールと申します」


 セルジドールはまず、そう声を上げた。


 視線は下に、両膝をつき、頭を下げる。両腕が塞がっているため手は後ろに回したままだが、手を胸に当てさえすればミルドにとっては挨拶がわりの最敬礼の完成だ。


 セルジドールが名乗ると、カイゼルは満足そうに「君か」と続けた。


「西に向かっていたらしいな? 目的は何だ」


 冷たい問い。余談を一切許さない、必要最低限の会話。無駄に口を開けばその場で処断する、そう言いたげな淡々とした口調だった。


 一瞬、セルジドールはこの問いにどう答えるべきかを悩んだ。無駄に繕えば怪しまれそうだが、かと言ってありのまま答えても不況を買いそうだ。


 しかし、あの冷たい視線には何を言っても無駄な気がして、すぐに諦めてあるがままを答えることにした。


「……目的は、ございません」


「……何?」


 その時、セルジドールの後頭部を衝撃が貫く。


「ぐっ……!」


「お前、ふざけているのか!」


 見張りとしてそばに控えていた兵士が、槍の石突でセルジドールの後頭部を殴りつけたのだ。


「手荒な真似はよせ」


 すぐさまカイゼルの静止が入り、兵士は「はっ!」と姿勢を正したが、相変わらず冷たい声をしたカイゼルはさらに続けた。


「セルジドール殿、目的がないとは一体どういうことだ? それならばなぜ、君たちはこんな辺鄙へんぴな場所を歩いている?」


 意外だったのは、カイゼルが話を聞く姿勢を見せたことだった。或いは、変に取り繕わなかったおかげで興味が湧いたのか。


 しかし、あくまでもセルジドールらを客人のように扱うカイゼルの態度が酷く嫌味に思えて、セルジドールの表情は険しさを増した。


 ――なぜ西を目指すか、だと? そんなこと、決まっている……!


「……ここより東には、我らミルドの民が静かに暮らせる地はございませんでした。同胞の中には先日の焼き討ちで隠れ里を追われた者もおります。それゆえ今は、誰の邪魔にもならない場所を求めて、ただ西を目指しているのです」


 お前たちが。この世界が。我らミルドを拒んで、西へ西へと追い詰めているからに決まっている。


 何か目的があるわけではない。ただ西に行かなければ、理不尽に命を奪われるというだけだ。そして、それを行っているのは他でもなく、目の前にいるようなミルドを迫害する魔族たちだと言うのに。


 彼らは問うのだ。なぜ西を目指すのか、と。


 同胞たちのすすり泣く声が聞こえる。或いはセルジドールも泣いているのかもしれない。胸中に渦巻く憎悪と怒りが、もはやそれすらもわからなくする。


 なぜ我らがここまでして、世界に拒絶されなければならないのだ。


「そうか、苦労したのだな」


 相変わらず淡々とした、業務的な同情の声が聞こえてきた。


 セルジドールは怒りから叫びそうになる。本当にそう思っているのなら、お前たちが毎日不自由なく口にしている食事を、少しでも分けてよこして見せろと。


 そして、だからこそ。


「ミノンドロス、彼らに食料を分けてやれ。それから仮設拠点の準備だ。要塞内に入れるわけにはいかんが、そのくらいなら陛下もお許しくださるだろう」


 ――怒りに打ち震え、理不尽に嘆き、同胞たちの行く末を憂いていたセルジドールは、相変わらず淡々とした口調でカイゼルが言い放った言葉の意味を、すぐに飲み込むことが出来なかった。

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