【006】新たな可能性
粛清。不穏分子、反乱分子の排除。
古より、体制派に反対する者たちを体制内から取り除く場合に行われる弾圧の総称。
つまるところ、暗殺。
俺の身には今、魔王から向けられたその毒牙が突き立てられようとしている。
こういう時、やり方はだいたい決まっている。一つは何らかの理由で呼び出して騙し討ちするか、もう一つは刺客を送り込むかだ。
特に、役職柄相手の傍に長くいられる奴を刺客として送り込むのが都合良い。
例えばそう――副官のような。
目の前で跪くミノンドロスの姿に、彼女と初めて会った時の言葉が蘇る。
『わたくしはミノンドロスと申します。我らダルフェリアの魔王陛下より、本日付けで閣下の副官を務めるよう言いつかっております。どうぞ、よろしくお願いいたしますわ』
――だからミノンドロスなのか……!
彼女の真意に気付いた時、嫌な汗が額を伝わった。
おかしいとは思っていた。ウルディアでは戦いがないという割に、副官には武官気質のミノンドロスを寄越したことが。
カイゼルは典型的な武官なのだから、その補佐に付けるなら文官のはずだ。ましてや頭もそうよろしくない大馬鹿野郎となればなおさらのこと。
だが、俺の仮説が正しければ全て辻褄が合ってしまう。
初めからミノンドロスは魔王の手先で、それもカイゼルを始末するために送り込まれた刺客なんだ……!
初めからミノンドロスの敵は人間でも魔族でもない。カイゼルだ。
だが、それならなぜ未だに動かない? それこそ湿地で出会った時にでも、奇襲を仕掛けて始末していれば良かったものを。
いや、違う。動かないんじゃなくて動けないのか。カイゼルの実力を警戒しているんだ。
カイゼルはこんな僻地にすら名の通る化け物だ。実際、あの勇者相手に互角以上の立ち回りを見せていた。
となればそんな化け物相手にミノンドロスだけでは不安が残るのだろう。だからこの要塞で、ベルゼとの二体がかりでカイゼルを討とうとしていたに違いない。
このウルディアを、カイゼルの処刑場とするために……
だが、ミノンドロスの計算は狂った。ベルゼが独断専行して離脱したからだ。恐らくベルゼはまだ、カイゼルの処刑について聞かされていない。
ミノンドロスはきっと、ベルゼの帰還を待っているのだ。ベルゼが戻ってきたその時こそ――
「……閣下?」
全ての思考が結び付いた時、俺の唇は完全に乾ききり、代わりとばかりに背中に大量の汗が伝っていた。そんな俺の様子に、ミノンドロスは俺を見上げながら首を捻る。
だが、目の前で膝を付いている女が、いつその剛腕で槌矛を振るって俺の体を粉々にするかわかったものじゃないともなれば仕方がないだろう。
とにかく、ベルゼが戻って来るその前に彼女を何とかしないと本当にまずい……!
「……ミノンドロス。どうやら我々の間には、悲しい行き違いがあったようだ」
「行き違い、ですの?」
震えそうになる声を必死に抑えて、俺の口から言葉が零れ落ちた。思考よりも先に言葉が出ていた、と言っても良い。挽回の機会は今しかない、そう思ったからだ。
今からやろうとしている大博打の危うさに、俺は思わず喉を鳴らす。
「そうだ……私は決して……そう、決して。噂のような残虐非道な魔族でなければ、陛下に楯突く反乱分子でもない。全ては……そう、あの者。湿地帯で勇者に討たれた、我が腹心が原因なのだ」
俺がそう呟くと、ミノンドロスは相変わらず膝を付いたままの態勢で首を傾げていた。
「腹心……ですの?」
「そうだ。腹心だ。あの者は確かに私の腹心ではあったが、同時に陛下への反感も抱いていた。私が陛下に降ることをよく思っていなかったようなのだ」
「そう、なのですわね……?」
「恐らく噂の数々もあの者が流したのだろう。私が陛下に対して敵対心を持っていると思わせ、陛下と対立せざるを得ない状況にしたかったようだな。だが結局、その張本人は勇者に討たれてしまった。良くも悪くも、な」
ここまで全て即興の思いつき。全部腹心のアイツ――本物のカイゼルのせいにして俺は潔白ですという主張で行くことにした。後は矛盾しないように嘘を嘘で塗り固めていくだけ……!
「ですが、どうしてそのような方を腹心に?」
ミノンドロスから放たれた手痛い一撃。俺も自分で言っていてそう思った。だが今更訂正など出来ようはずもない。
「私が誰かの下に付くことが許せなかったのだろうよ。あの者なりの忠誠の形だ。最期まで私のために働いてくれた。しかし生憎と、私は噂と違って手荒な真似が嫌いでな」
「……確かに、噂とは随分と印象が異なっておりますわね。同じ方とは思えませんわ」
同じ方とは思えない、という言葉に肩が跳ねる。そりゃそうだ、本当に別人なんだから。まさか本物のカイゼルを自分たちで手厚く葬ったとは思ってもいないだろう。
「とにかくそういうわけで、何もかもが勘違いだ。皆にもそう伝えておいて欲しい。私は決して、そう決して。陛下に反乱など企てていない。企てたことすらない。企ててなるものか! くれぐれも勘違いしないでくれたまえ」
あんまり深掘りされるとボロが出る。頼む、これ以上は深堀りしないでくれ。そんな願いを込めながら咳払いすると、ミノンドロスは「そういうことでしたのね」とほほ笑んだ。どうやら何とかなった……のか?
「私も……その、失礼ながら閣下のお噂を信じてしまっておりました。申し訳ございません」
相変わらず膝を付いたままのドルベアが小さく呟く。いや、気にしないでくれ。多分噂の方が正しいから。
「要塞の者たちも、恐らく閣下のお噂の方を信じておりますわ。誤解を解けるよう尽力させて頂きますが……すぐに、という訳にはやはり参らないかと」
「構わないさ。それより君たち、そろそろ立ち上がってはくれないか。こんなところを見られてしまっては、私が噂通りの乱暴な魔族だと思われてしまう。それこそ私の良しとするところではないのでな」
ミノンドロスとドルベアはお互いに顔を見合わせると、頷き合ってゆっくり立ち上がった。どうやらひとまずは安心らしい。
あとはミノンドロスが俺の話を信じて、粛清を先延ばしにしてくれていることを祈るだけ。
正体がバレたら処刑、という末路に加えて、バレなくても処刑というとんでもない詰みの状況が見えてきて、頭を抱えたくなってしまう。
このままでは八方塞がりだ。一刻も早く人間界に帰る方法を探さなきゃならない。
だが、ミノンドロスは恐らく俺の動向を見張るために今後もべったりとついて回ってくることだろう。そうなればこの要塞を抜け出すことすらままならなくなる。
せめて、協力者の一人くらいでも居てくれれば……
そんなことを思いながら、胸中で女神ルヴィアに祈りを捧げていた時だった。
「ドルベア副官、こちらにおられましたか!」
守兵の一人だと思わしき魔族が、慌てた様子で俺たちの元へと駆け寄ってきたのだ。
「どうした?」
珍しくドルベアが敬語を崩してその兵に問うと、守兵はすぐさま続けた。
「ご報告いたします! 要塞の傍を不審な者たちが通行していたため、見張りがその者たちの責任者を拘束したとのことです……! つきましては、ご指示を仰ぎたく……」
始め、俺はその知らせを聞いて渋い顔になった。露骨に面倒ごとの予感がしたからだ。明らかにこちらに非がある拘束だ、一体何を勝手にしてくれているんだ。
そんな俺の様子を見て判断に困っているとでも思ったのか、守兵はさらに付け足した。
「拘束した者たちは、どうやらミルドの難民のようです」
そんなこと言われたって俺には何のことかさっぱりわからない。
「ミルド……というと」
そこで、なるべく自然にミノンドロスへ水を向ける。すると彼女は「ええ」と同調するように頷いた。
「七〇年前の"大侵攻"で魔族を裏切り、人間に味方した裏切者たちですわ」
……どうやら、女神ルヴィアは俺の願いを聞き入れたらしい。その時、人間界に帰るための光明が見えた気がした。