【042】魔王軍の新任幹部
――あの戦いの後、俺は結局魔界に留まることを選択した。今の俺が本当に人間なのか、その自信が無くなったからだ。
一度死んで、そして蘇った。それが事実なら、今ここにいる俺は一体何者なのか。人間か、魔族か。それとも別の何かなのか。
ナインたちなら或いは、そんな状態の俺でも受け入れてくれたかもしれない。そういう奴らだ。
けれど――いや、だからこそ。俺はその道を選ぶことは出来なかった。
「……本当に良かったんですの? 人間界に戻らなくて」
ミノンドロスの呟きに、俺は「ああ」と短く答える。
「色々と事情ってのがあるんだよ、俺にも」
「……そういうものですか」
「そういうもんだ。それより、そっちこそ良かったのかよ。俺のこと、まだ誰にも話してないんだろ?」
そう。あの戦いの後、俺の正体が人間だと知ったミノンドロスは、しかしその事実を誰に語ることもなく、今もこうして俺の隣に居た。
ミノンドロスからすれば俺は敵。だからこそ、すぐにでも俺を討ち取らなきゃならない立場のはずなんだが……
俺の問いかけに、彼女は歯切れ悪く「ええ、まぁ」と呟いた。
「本来は陛下にお知らせするべきなんでしょうけれど……こちらにも事情というものがございますから。色々と」
「事情ねぇ……そういうもんか」
「そういうものですわ」
どうやら彼女にも、何かしらの事情があるらしい。
「それに、人間とはいえ命を救ってくださった相手をむざむざ売るほど、情けを捨てたつもりもございません」
……まぁ、俺からすれば有難い話だが。とは言え俺のことを黙認するってことは、ミノンドロスが魔王を裏切るって意味にも等しい。そのことをわかっているのだろうか?
「いずれ俺や勇者たちが魔王を討つことになるかもしれない。そうなったら困るのはそっちじゃないのか?」
するとミノンドロスは俺から視線を外して、空の彼方に目を向けた。その目はどこか、ここではない場所を思い出すかのように、ひどく遠い眼差しだった。
「その時はその時ですわよ。それに――」
その時ざあっと、ひときわ大きな風が吹いて、ミノンドロスの長い赤毛をさらっていく。太陽の光をキラキラ反射する髪を押さえながら、彼女は俺を見て静かに笑った。
「――その方が、わたくしにとっても都合が良いんですもの」
風の向こうに見えた彼女の顔は、それはとても柔らかで。そしてひどく、愉快げな笑みを浮かべていた。
「……都合?」
なんとなく、その笑顔の奥に不気味な何かを感じた。まるでまだ、俺が知らない深い何かを瞳の奥に隠しているような。
俺の勘が告げていた。これ以上、彼女の事情に立ち入らない方が良いのだと。
それでも俺は、彼女の言葉に耳を貸すことしか出来なかった。
「弟がいる、と申しましたでしょう? わたくしにとって、たった一人の家族が居るのだと」
「ああ……」
「あれ、嘘ですのよ」
「……え?」
驚く俺に、ミノンドロスは相変わらず微笑みかけていた。
「本当は……弟がいたんですの。四年前まで」
再び俺から視線を外したミノンドロスは、浮かべた笑みをふっと消すと、戦死者たちの石碑をじっと見つめて更に続ける。
「閣下を助けたのは、閣下の小柄な体がどこか、弟に似ていたからですわ。閣下のことを黙っている理由の半分はそれです。そして――」
その時また、風が舞う。ミノンドロスはもう、髪を抑えることも、笑うこともしなかった。
「――もう半分は、わたくしの故郷を焼き、弟を死なせた奴らに復讐するため。閣下のお力があれば、それが果たせると確信いたしました。ですから――あなたの力を、わたくしに貸していただきたいのです」
どこまでも暗く、どこまでも強い決心を秘めた瞳が、俺の目を捉えて離さない。彼女もまた、復讐という名の狂気に取りつかれていたのだ。
「あの日、村を……弟を焼いた黒い炎の軍勢、ダルフェリア魔王軍。かの魔王をこの手で討つために、わたくしは今ここに居ます」
どうしようも無いほどの憎悪が彼女の拳に、唇に、ぎゅっと力を込めさせる。彼女の瞳には、その時の光景が未だ色濃く刻まれているのだろう。
過去に捕らわれた、どうしようもないほどに深く昏い憎しみの色だ。
「まさか君は……魔王を討つつもりなのか」
「わたくしがカイゼルの副官に志願したのも、カイゼルの力を利用して反乱を起こさせるため。四〇〇〇騎狩りとあだ名される男ならば、或いはと思ったのですが……もっと良い相手を見つけることが出来たのは幸運でしたわ」
再びその顔に柔らかな笑みを浮かべたミノンドロス。だがその笑顔が、今はずっと不気味に見えた。
「閣下は……あるいは人間は、我々魔族より遥かに多くの戦い方をご存知の様子。その知識があれば、きっとあの魔王すら討てるやもしれません。ですから、その力をお貸しいただきたいのです」
そしてミノンドロスは俺に右手を差し出した。握手……ということか?
差し出された右手と彼女の顔を交互に見やり、逡巡する。
「……良いのか? お前たちの王なんだろう?」
「魔王とは、最も強き力を持ち、この魔界を統べる者の称号。ならばあの者が討たれれば、それは魔王の器ではなかったということですわ。それに、あの者を王と仰ぐくらいならば、人間と組む方が幾らもマシでしょう。それがあなたのような、心優しい人間なら尚更」
「買い被りすぎだ」
首を横に振ると、ミノンドロスは小さく笑った。
「ふふ。どの道、あなたにも必要でしょう? 魔界の事情を知っていて、あなたの事情も理解していて、その上で絶対に裏切らない、魔王を討つための強力な手駒が。わたくしなら、その全てをあなたにもたらすことが出来ますわ。いかがでして?」
……確かにその通りだった。魔王を討つにしろ、俺が蘇った理由を探すにしろ、魔界のことや魔王のことを知る味方は必要だ。
今までは幸運にもカイゼルの偽物であることを誰にも気付かれずにやってこられたが、これがこの先もずっと続けられるとは到底思えない。
一人でも味方が欲しい。それも、なるべく俺と目的を同じくする味方が。
そう考えると、とても悪い取引ではないように思えた。
……というかどの道、ミノンドロスには俺の正体が知られている。もしここでミノンドロスと手を切ったとしても、俺が人間であることを告げ口されるだけだ。
俺に初めから、選択肢など残されていない。それならば。
「……わかった。お前の提案を呑もうミノンドロス。これから俺たちは……共犯者だ」
彼女の提案を承諾し、彼女の右手を握り返す。するとミノンドロスは楽しそうにその口元を歪めて笑った。
「共犯者。素敵な響きですわね。でしたらそんな固い呼び方は辞めて、わたくしのことはどうぞミノンとお呼びくださいまし」
それはまるで、契約の証かのように。
「ならばミノン、ここから始めるぞ。人間を騙し、魔族を騙し、魔王を討つための戦いを。生半可な道にはなりやしない。恐らく地獄の幕開けだ」
ぎゅっと握り返した右手をミノンもまた握り返す
「ええ、覚悟しておりますわ閣下。わたくしが閣下の刃として、そして鎧として、立ち塞がる全ての敵を蹂躙してご覧に入れましょう」
「ならばこのカイゼルは、必ずお前を魔王の元に連れて行こう。あの強大な力を有する魔王を、確実に討てる盤面を描いてやる」
この瞬間、俺たちは種を越えて手を携えたのだ。
それから握手を解いた俺は外套を翻し、石碑に背を向けて歩き出す。その先には、俺たち二人を遠巻きに見守っていた魔族たちの姿。俺が振り返った途端、彼らは一斉に魔族式の敬礼を見せた。
「行くぞミノン。せっかくだ、これから派手にやろう」
「はい。カイゼル閣下」
どうやらしばらく、人間界には帰れそうにないな。そんな、どこか確信めいた落胆と……その奥に転がる、どこか期待に満ちた軽やかさと共に、俺はその場を後にしたのだった。
――その道中、何かを思い出したかのように「そういえば」と呟いたミノンドロスは、相変わらず重々しい鎧をガッシャガッシャと鳴らしながら俺の隣に並んだ。
「閣下のお名前、まだ伺っておりませんでしたわね」
「名前?」
カイゼルだろ? と続けようとしたところで、彼女は首を横に振る。
「そちらではなく、あなたの本当のお名前です。これから運命を共にするのですから、共犯者の名前くらい教えてくださいまし」
ああ、そう言えばそうだったか……
記憶を思い返してみても、確かにカイゼルと名乗るばかりで本当の名前を名乗った記憶がない。
「そういやまだ名乗ってなかったか。別に大した名前でもねえから良いけど……」
改めて名前を名乗るとなると、どうもむず痒い。どこか居た堪れない気持ちになりながら、俺は自分の名前を告げた。
「俺の本当の名前は――」
――思えばこの日が始まりだったんだ。俺たち二人を待ち受ける、数々の受難と戦いに満ちた道のりの。
見上げた魔界の空は相変わらず嫌みなほどに透き通っていて、春の終わりを予感させる澄んだ風が、俺たちの間を吹き抜けていった。
魔将軍カイゼルの受難
第一部 魔王軍の新任幹部 了
◆'25/05/30記載
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