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【004】魔王軍の前線基地

 二足で疾駆する巨大トカゲの背に揺られ、俺たちは魔界を突き進んだ。


 馬と同じ要領で巨大トカゲに乗ろうとしたところ根本的に乗り方が違ったようで、俺はミノンドロスが乗ってきた竜に相乗りさせてもらうこととなっていた。


 俺の周りには同じように巨大トカゲに跨った異形たちが、まるで俺を取り囲むようにして続いている。


 魔族たちは俺を守っているつもりなのだろうが、俺からすれば連行されている気分だ。いやまぁ実際のところ、連行されているに等しいのだが。


 生きた心地がしないとはまさにこのこと。一体何がどう転がれば、人間の俺が魔族に守られながら魔界を横断する羽目になるのだろう。


「ウルディアまでは少しかかります! 少々ご辛抱くださいませ!」


 彼女の操る巨大トカゲは、泥を蹴飛ばし、水たまりを踏み抜き、馬でも足を止めそうな沼地を気にした風もなく黙々と進んでいく。


 ただでさえミノンドロスの重い武具を乗せ、その上で俺まで乗せているのだからその強靭さたるや言わずもがなだ。


 魔界にはこんな生物がいるらしい。或いはこいつも魔物なのだろうか。


 そんなことを考えている間に泥と濁った水たまりばかりの沼地を抜けて、今度は背の低い枯れ草と岩ばかりの荒野が見えてきた。


 相変わらず人影はおろか人工物の一切が見当たらない。いかにも辺境ですと言わんばかりの景色が俺たちを出迎える。


 そんなどこまでも広がる荒野の中を、一体何を目印にしているのか魔族たちは迷いなく突き進む。そうして突き進む俺たちの行く先に、突然何かの影が横切った。


「あれは……!」


 見ればそれは巨大な魔物の影。ずんぐりむっくりとした巨体に骸骨のような造形の細長い頭、そしてふさふさした尻尾を携えた魔物が、俺たちの進路を遮るように立ち止まっていたのだ。


 魔物は俺たちに気付くと二本足で立ち上がり、両前足を上にあげて威嚇する。一見すると随分間抜けな格好だが、大きさが大きさだけにシャレになっていない。


 駆竜に跨る俺たちの、更に上から多い被さるほどの巨体。その姿を見て、勇者と共に旅した俺の勘がささやく。あれはまずい。ここが人間界ならば、周囲の村に即時退去が命じられるほどの相手だ。


 王国軍到着までは誰もが怯えて村を出て、到着後は一体何人の兵が犠牲になるのかと心を潰しながら知らせを待つ。そういう規模の相手で、まともな人間には当然相手できるはずもない。


「ミノンドロス、あの魔物は――!」


 俺の声に被せるようにミノンドロスが告げた。


「あの程度の魔物ならば閣下のお手を煩わせる必要もございません! お任せくださいませ!」


「――え?」


 直後、駆竜の騎首を魔物に向けて、迷わず突っ込み始めるミノンドロス。彼女の右手には、巨大な槌矛メイスが握られている。


 長い柄の先に、大剣を十字に重ねたような鉄塊が備え付けられたその武器を、彼女は躊躇なく振りかぶる。


 ――おいおいおい待て待て待て待て! 正気かお前!!


 俺が静止する間も無く、魔物の方もこちらに向き直り鳴き声を上げた。


「ゴゴゴオオオオオォォォォ!」


「ハアアアアアアアアッッッ!!」


 直後、両者の叫びが交錯し――!


「ゴアアッ……!」


 ――ゴンッ! と鈍い音が響いた直後、魔物の隣を走り抜けた俺たちの後ろで、巨体が地に伏す音がした。


 ……一撃?


「昏倒させただけですが、今は十分でしょう。さ、参りましょう閣下」


 何事もなかったかのように、そのまま走り去ろうとするミノンドロス。振り向くと先ほどの魔物が仰向けに倒れ、後続の魔族たちが魔物を避けるように俺たちに続いてきていた。


 ――人間が命の危機を感じるような相手を、たった一撃で……


 ミノンドロスの振るう鉄塊を頭に受けて、昏倒するだけで済む魔物の方も大概だが、そんな化け物を一撃で倒してしまうミノンドロスもよほど大概だ。


 これが魔界……これが魔族か……! やはり伝承は本当だった。魔界は俺たち人間が生きられる場所じゃ無い……!


 震える俺を他所に、魔族たちは荒野を進み続ける。やがて目的地と思わしき建造物が見えてきたのは、それから陽が傾き始めてからのことだった。


「あれこそが我らダルフェリア魔王軍が誇る西の守り――閣下の新たなる城、ウルディア要塞ですわ」


 ……誇らしげに語っているところ悪いのだが、ミノンドロスの後ろに乗っているため彼女の体が邪魔で全く前が見えなかった。


 なんとか身を乗り出して目を凝らしたところ、小高い丘の上を囲うように、横へと広がる城壁が姿を現した。


 城壁の上からはいくつかの塔がわずかに覗き、辺りに睨みをきかせている。あの石造りの建造物こそ、どうやらウルディア要塞らしい。


 魔王軍の西の守り、というだけあってやけに重々しい雰囲気をまとった要塞だ。


 向こうには既に俺たちの姿が捉えられているらしく、それからすぐに要塞の様子が騒がしくなり始めた。


「もう門が……」


 ミノンドロスが呟く。視線の先ではウルディア要塞の城門が、鎖の擦れる音をかき鳴らしながらゆっくりとその口を開いているところだった。


 いくら駆竜に乗っているとは言え、城門まではまだ時間がかかる。それなのにもう門を開くなんて随分と不用心なことだ。


 魔族の不用心さを憂いている間に、駆竜は丘へと差し掛かった。緩やかな坂道を相変わらず力強い走りで難なく駆け抜け、開かれた城門目掛けて次々と飛び込んだ。


 薄寒い空気と不気味な薄暗さに覆われた分厚い城壁の中は、まるで俺のこれからを暗示しているかのようでぞっとしない。


 腹の奥が重くなるような気分を味わいながら、やけに長く感じる城壁の中を潜り抜けると、俺の目の前にはついに異形たちの巣窟がその全容を現したのだった。


「――ッ!」


 要塞の中は外から見るよりずっと広く、納屋や厩舎きゅうしゃ、館と思わしき建築物が幾つも並び、更に一段高い場所には城壁に加えて居館らしき大きな建物が鎮座している。


 だが俺の視線はそれ以上に、塔の上、壁の上、砦の窓。ありとあらゆるところから覗く異形たちの姿に釘付けになった。


 異形たちは俺を乗せた駆竜が広場で足を止め、ぐるるんとひと鳴きする様子をじっと、ただただじっと、静かに見つめていた。


「閣下」


 ひと足先に地面へ降り立ったミノンドロスが、駆竜の手綱を引いて落ち着かせる。


「あ、ああ……すまない」


 彼女が差し出した手をとって、俺も駆竜から飛び降りる。


 横に並ぶと、改めて彼女の体の大きさがわかる。鎧を着ている分もあるとは言え、身長は俺が見上げるほどに高く、肩幅も厚みも一回り違う。


 何よりこれだけ全身を覆い尽くした甲冑を着込みながらも、軽々と活動できることこそが彼女の怪力を証明している。


 もし正体がバレようものならこの巨体が襲いかかってくる。そう考えると生きた心地がしなかった。


「無事のご帰還、何よりです」


 起こり得るかもしれない最悪の未来に背筋を震わせていると、この砦の兵と思わしき魔族が俺たちの前に進み出てきた。


 随分と顔色の悪い、痩せぎすな印象の魔族だった。ヒョロ長い腕には皮膜のようなものが張られ、器用に折り畳まれている。


 この要塞の守兵だろうか。まるでコウモリの羽をそのまま腕にしたような魔族だった。


 不用意に口を開くのもはばかられ、少し様子をうかがっていると、まずはミノンドロスが険しい表情で彼――おそらくは――に詰め寄った。


「ドルベア殿、城門を開くのが早すぎます。もし敵の罠だったならどうするおつもりですの?」


 するとドルベアと呼ばれた羽の魔族は、ただでさえ血色がよくない顔色を更に悪くして慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございませんミノンドロス様……ミノンドロス様の赤い鎧が見えましたので、つい……」


 どうやらあまり慣れていないらしく、ドルベアは見ていて哀れになるほど身を小さく縮こまらせていた。


 それなら仕方ないとでも思ったのか、それとも縮こまるドルベアの姿を見て諦めたのか。ミノンドロスは溜息を一つつくと、改めて辺りに視線を巡らせる。


「ところで……ベルゼ殿はどちらに? ご挨拶しようかと思っているのですが」


「そ、それが……」


 その時のドルベアの様子と言えば、これ以上はないだろうと思えるほどに悪くなっていた顔色をさらにもう一段階悪くして、まるで今から処刑宣告を受けようとする受刑者のように視線を右往左往させていた。


「何ですの?」


「べ、ベルゼ様は……」


 そして最後に俺の様子を伺うように、一瞬だけこちらに視線を向ける。何だ? 俺に聞かれるとまずいことでもあるのか?


「早く続けなさい」


 痺れを切らしたミノンドロスが少し苛立ちながら告げると、ドルベアは「は、はい!」と観念したように姿勢を正した。


「じっ……実はつい先ほど、ミノンドロス様からの知らせを受けて……ベルゼ様は精鋭数十名を率い、勇者討伐のために出撃なさいました……」


「……なんですって?」


 その瞬間、空気が凍り付く。


 背中からでもわかる彼女の怒りに充てられてか、ドルベアは「ひいっ!」と小さく悲鳴をあげた。


 彼にとっては処刑人にも等しいだろうミノンドロスの、詰め寄るような言葉が続く。


「なぜ止めなかったのです? 本日付でこの要塞における指揮権は閣下に移譲されておりますわ。ベルゼ殿はもう、この要塞の指揮官ではございませんのよ。知らないはずはありませんでしょう?」


「もちろん、我々もそう申したのですが……!」


「ならば力尽くでもお止めなさいな!」


「こ、この要塞にベルゼ様を止められる者はおりません……! それどころか、殺されてしまいます……!」


 何だか随分と物騒だな。ミノンドロスのこの覇気の前ですらそんなことを言えてしまうのだから、ベルゼって奴は相当に強いらしい。ベルゼとミノンドロスの板挟みになっているドルベアが少々気の毒だ。


 それにどうやらドルベアだけでなく他の者たちも同意見のようで、ドルベアの後ろに控えていた守兵たちも懇願するようにドルベアに同調している。


 彼らの様子に、ミノンドロスが舌を鳴らした。


「……これだから辺境は……」


 吐き捨てるように呟き、俺に向き直るミノンドロス。彼女はすぐさま片膝を付いて頭を下げた。


「申し訳ございません閣下。守りを任せていた者が独断で勇者の捜索に向かったようです。すぐに連れ戻しますので、どうぞご容赦くださいませ」


 ここまですっかり置いてけぼりを喰らっていた俺は、ようやく事態が飲み込めた。どうやらベルゼって奴が手柄欲しさに独断専行したらしい。


 人間の世界でもよくある話だ。それがこの要塞でも起きているようだった。


 しかし……指揮権だの何だのと、まるで軍隊だな。そりゃあ魔王軍、なんて言うほどなんだから軍隊ではあるんだろうが……


 何となく、魔族って奴らはもっと動物的な、野蛮で無秩序な奴らって思い込みがあった。だから少し意外だった。


 一旦その先入観を捨てて人間界での出来事に当てはめてみると、なるほど今の状況も非常にわかりやすくなる。


 独断専行をかましたベルゼは元々この要塞の指揮官だったらしいが、俺――と言うか本物のカイゼルが新たに赴任してきたことで指揮権を剥奪されることになった。


 その上カイゼルの傘下に組み込まれ、ミノンドロスと言う上官まで現れた。そりゃあベルゼからすれば面白くない。


 今回の独断も、恐らくはそのことに対する当てつけだ。そしてあわよくば勇者討伐の手柄を挙げて、再び指揮官に返り咲こうといった魂胆か。


 新たに赴任されてきた新任の上司(カイゼル)と、それに反発する現場監督ベルゼ。わかりやすく言うとそんなところだろう。


 そして、その背景がわかればこいつらが本物のカイゼルを知らない理由にも納得がいく。きっと今日が顔合わせの日だったんだ。


 だからこの要塞には本物のカイゼルを知っている奴が居ない。ミノンドロスの様子からして、銀の仮面だとか武勇に優れた魔族だとか、そういうざっくりとした情報しか渡されていなかったに違いない。


 こりゃあ……運が巡ってきたかもな。


「いや、その必要はない」


 ベルゼを追うため再び駆竜に跨ろうとしていたミノンドロスを、俺はすぐさま制止する。


「閣下……?」


「そのベルゼとやらは私が気に入らないのだろう。ならば好きにさせておけ。今無理やり連れ戻しても厄介ごとが増えるだけだ。それより、今は調べたいことがある」


 困惑した様子のミノンドロスはドルベアと顔を見合わせたが、俺はそんな彼女をよそに颯爽と外套をひるがえす。


 この砦の主が不在で、しかも実権を握っているのが俺ともなれば、今が魔族や魔界について調べる絶好の機会に違いない。


 ベルゼが帰ってくる前にこの辺りのことを調べ上げ、人間界に帰るための手がかりも見つけたい。


 これから俺は、魔物がはびこるウェグニード山脈を越えなければならないのだから。


「ミノンドロス、ドルベア、共に来い。この要塞を案内してくれ」


「は、ははっ! 承知いたしましたわ閣下!」


「ははっ……!」


 見ていろよ勇者。俺は必ずここから這い上がって、人間界に舞い戻ってやる。

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