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【038】裏切りの真実

 ……もはや、ここまでくると呆れを通り越して笑いすら出て来るものだ。そうまでして保身に入るのか、コイツは。


「くっくっくっくっ……誰が死んだって? 俺が気絶してるのを死んだと見間違えて見捨てたってか? ご丁寧に荷物全部拾い上げてか!? ンなわきゃねえよなァ!?」


「違う……違う! あの時君は、確かに死んでいた!」


 本当にそんな言葉を信じると思っているのか? だとしたら俺は生き返ったってことになる。ふざけるな。ルヴィアの力をもってしても成し遂げられない奇跡が、そう簡単に起きてたまるものか!


「ほざけェ!! 俺はこうして生きているだろうが!! 毎日死と隣り合わせで、カイゼルに化けて、魔王の下について! 全部生き残るためにやったことだ!! テメェらに見捨てられたせいでな!!」


 斬撃、斬撃、斬撃。怒りと憎しみのこもった剣撃を、しかし勇者はひたすらに受け続ける。


「違う! そうじゃない!!」


「何が違うか言ってみろ!!」


「本当に覚えていないのか!? あの日、魔族に襲われたあの日に! 君の身に何が起きたのかを……!」


「忘れるはずが――ねエだろうがアアアアアアッッ!!」


 型も駆け引きも何もない、ただひたすら怒りと憎悪を剣に乗せて打ち付けるだけの連撃を、勇者は一方的に受け続けていた。


 深い悲しみを湛えたその瞳がただただ腹立たしく、俺は更に剣を振り下ろす。


「俺をバカにするのも大概にしておけよ……! 俺が死んだってことにすれば、見捨てても許されると思ったってか? ふざけるな……! だったら俺は、何でこうして生きている! お前らに置き去りにされた俺は、偽物だとでも言うつもりか!!」


「本当に僕たちが、何の迷いもなく君を置き去りにできたと思っているのか!!」


 しかしその時、俺の一瞬の隙を突いた勇者が聖剣を振り抜いた。所詮俺もただの人間。勇者が本気になれば対処なんか出来やしない。


 その一撃を防ぎきれず、俺の剣は宙を舞った。背後の地面に突き立った剣を見送って、勇者が告げる。


「本当に君は、何も覚えていないのか……! あの日、何があったのかを……!」


 そして涙に潤む碧色の瞳を見たとき、俺の脳裏に何かがよぎった気がした。


『いやァァァァァッッ!!』


 誰かの悲鳴が聞こえる。違う、これは……俺の記憶か――?


 ああそうだ、俺はあの瞳を知っている。あの日にも同じ目を見た気がする。


 そう。あれはあの日の光景。俺たちがカイゼルに襲われて、戦いの渦中にあったあの日の残滓――





 あの日。あの時。カイゼルとその手下たちに襲われ、死に物狂いで戦い続けた俺たちは、何体もの魔族を切り倒して満身創痍だった。


『はぁッ……! はぁッ……!』


 肩で息をして、膝を付いた戦士――リジームが、傷だらけの体でそれでも立ち上がった。


『無茶するな、死ぬぞ!』


『だが……! このままでは……!』


 そこへ襲い掛かって来た小型の魔族。その魔族を止めたのは魔法使いの女――ダリアの火炎だった。


『援護するわ! すぐに治療してあげて!』


『リジーム! 腕を出せ!』


『すまん……!』


『人を守護せし慈悲の女神ルヴィアよ……! その加護の一端、癒なる施しを我らに……!』


 直後、俺の右手の甲に白い紋章が浮かび上がる。女神の権能はすぐさまリジームの傷を癒やし、先ほどまで力無くぶら下がっていた左腕に活力を与えた。


『助かった……!』


 傷の癒えたリジームはすぐさま戦線に復帰したが、癒した傷の深さの分だけ俺の体に疲労が蓄積する。


 頭は霧がかかったようにぼうっとし、判断も鈍る。身体中の怠さが俺の限界も近いことを訴えていた。


 だが、ここで手を止めるわけにはいかない。俺が崩れれば、拮抗する戦況も傾く。例え無理してでも癒し続けなければ……!


『クソッ……! 何なんだあの化け物は……!』


 額の汗を拭い、苦し紛れに毒づいた先には、銀の仮面を身に着けた化け物の姿。魔族たちの中で最も危険であろう奴を足止めしているのは、同じく俺たちの中で最強の存在。勇者――ナインだった。


 しかしナインの形勢も徐々に追いつめられていく。当然だ、アイツは他の魔族も切り倒しながら、銀仮面の足止めまでしているのだから。


『ダリア! あのバカの……ナインの援護を頼む!』


『わかってる!!』


 少しでもナインの負担を和らげようと、ダリアが魔法で氷の刃を放つ。放たれた刃はナインと撃ち合う銀仮面の首元を的確に狙っていた。


『グオアッ!?』


『――ッ!!』


 しかしその弾道に気付いた銀仮面は、左腕に持った剣で氷の刃を叩き折る。その一瞬をナインが見逃すはずもない。魔族の左腕が切り落とされ、赤い血が空に舞う。


『ゴオオオオオオオアアアアアアアアアッッッ!!』


 その瞬間、怒りに満ちた叫びが上がる。直後にナインを蹴り飛ばした魔族は、ダリア目掛けてその長い尻尾を差し向けた。


『危ない! 後ろ!!』


『――ッ!』


 ……その時の光景は、まるで時間の流れがゆっくりになったかのようだった。


 次の魔法を構えるダリアに、銀仮面の――カイゼルの一撃が襲いかかる。


 気づけば俺はその瞬間、咄嗟に駆けてダリアを突き飛ばしていた。何故、なんて問われてもわからない。ただ、咄嗟だった。


 そしてその一瞬後に、カイゼルの尾が振り抜かれた。剣のような鋭い先端が空を切り裂き、風を薙ぎ、気づけば俺の視界がぐるりと回る。何故か俺は、空を見上げていた。


 空から降り注ぐ、真っ赤な雨。口の中に溢れる鉄の味は、それが俺の首筋から噴き出た鮮血だと言うことを教えてくれた。


『がふっ……!』


 呼吸しようとするも、赤い波が口元から溢れて声にならない声だけが溢れ出る。おかしい。俺の前に、俺の体が転がっている。


 いや違う。おかしいのは俺の視界だ。ああ、そうか。俺は、首が――


 俺の体はそのまま、赤く染まる水たまりの中に崩れ落ちた。


『いやァァァァァッッ!!』


 ダリアの叫びが耳に響く。どうやらあいつは助かったらしいが、もはや顔を向けることすら叶わない。


 せめて療術を、と思ったが、思うだけで体は動いていなかった。無理もない。もう俺の頭は体とつながっていないのだから。


 俺の視界に最期に映ったのは、俺たちを攻撃したことで隙を晒したカイゼルを、ナインが背後から切りつける姿だった。


 今まで見たことないほど悲壮な色を浮かべたナインの瞳に、俺はどこか胸が軽くなった気がした。





 ナインが泣いている。どんな時も人類の希望として気丈に振る舞い、涙だけは流さなかったあのお人好しナインが。


「本当に……僕らが何も迷いなく、君を見捨てられたと思うのか……! 散々文句を垂れておきながら、結局最後は僕たちを見捨てられず、いつも自分が倒れるギリギリまで無理する君のことを……!」


『彼はここに置いていく……』


『いや! いやよナイン! あいつを置いていくなんてできるわけが……!! 私のせいで……私を庇ってあいつは……!!』


『……傷ついた君たち二人を庇って、魔族と戦いながら、彼まで連れて行くのは無理だ……悔しいが、置いていくしかない』


 どこからかダリアの声がする。ここにダリアは居ないのに、記憶と現実が混濁する。


「すぐにでも辞めてやるって、毎日毎日憎まれ口を叩くくせに……結局こんなところまで、一緒に旅してくれた……お人よしな君のことを……!」


 あの日の会話が、俺の脳裏に蘇る。


『だったら私も置いて行って! 魔界に一人置き去りなんて……そんなの、寂しすぎる……!』


『ダリア! ふざけたことを言うな! アイツは……アイツはお前を庇ったんだ! なぜだかわかるか!?』


『でもっ……!』


 あの日の俺は、あいつらの姿を暗闇の向こうから覗いていたんだ。自分が今、どうなっているのかも気付かずに。これからどうなるのかもわからずに。


『生きて欲しかったからじゃないのか……! だったら俺たちは……どんなに残酷でも、生きて帰る義務がある……! アイツの死を無駄にするなら、俺は本気で、お前を許さんぞ……!!』


『――ッ! うわあぁぁぁぁぁぁん……!』


『……せめてこれは、もらっていくよ。この旅は最後まで……四人一緒に終えるんだ』


 ナインが泣いている。怒り、悲しみ、喜び……どれにも当てはまらない、或いはその全てを内包した色をその目に浮かべて、ナインが情けなく泣きじゃくっていた。


「本当に僕たちが……何の迷いもなく……! 見捨てることができたと思っているのか……!!」


 そうか、俺はあの日――


「死んだ、のか」

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