表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/43

【036】最強格の者たち

「ぐうッ……!」


 ミノンドロスは武器を数合ぶつけ合わせただけで、目の前の人間が只者では無いことを確信した。そして直感する。この者こそが伝説に謳われる勇者なのだ、と。


「……」


 たった一人でふらりと戦場に現れたその人間は、ミノンドロスの姿を見つけるなりすぐさま白い稲妻の魔法を放って攻撃してきた。


 それを辛うじて避けたものの、続けて降り注いだ斬撃を数発さばいただけでこの疲労感だ。華奢な見た目にそぐわず、明らかに異常な強さだった。


 今まで薙ぎ払ってきた人間たちとは全く違う、まるで草刈り鎌で雑草を薙いでいたところに現れた一本の巨木。


 刃を止められ、押しても引いてもびくともしない、そんな感覚。


 敵の本陣近くまで攻めあがったミノンドロスは、金の髪と碧色の瞳をした強敵を前に完全に足踏みしていた。


「よォ……そいつが勇者ってヤツか」


 勇者との間に奇妙な沈黙が生まれたところで、ベルゼが遅れて合流した。勇者の視線がベルゼを捉え、そして僅かに険しくなる。


「えぇ。それより怪我は?」


「するわけもねェ。全部返り血だ」


 言葉通り、ベルゼの爪にも牙にも人間のものと思わしきどす黒い血がべったりと張り付き、灰色の毛皮を染め上げていた。


 これらが全て返り血だと言うのなら、相当の戦果を挙げてきたらしい。


 それなら構いません、とミノンドロスがすぐさま勇者に視線を向け直すと、ベルゼも口元を歪め、笑った。


「奴を討てば大手柄ってわけか……そいつァ良い」


 ミノンドロスは彼の軽率な発言を咎めようとはしなかった。ベルゼの目には相応の緊張が走り、目の前の相手が只者では無いことを理解していたからだ。


 この戦士も気付いたのだろう。あの勇者がまとう、ただならぬ覇気と殺気に。


「手勢は退げることをお勧めいたしますわ。無用な犠牲は少ない方がよろしいかと」


「どうやらそのようだ」


 ベルゼは全身の毛を逆立てながら、部下に視線を送る。その意味を正しく理解したらしい彼の部下たちは、すぐさまこの場を後にした。


 残されたのはミノンドロスとベルゼ、そして勇者の三者だけ。混乱の渦中にある人間たちは勇者をしんがりにして退却の態勢に入っており、魔族たちはその残党狩りに終始している。


 しんがりのはずの勇者がこの場に留まり続けているのは、きっとミノンドロスとベルゼの危険性を理解したからなのだろう。


 そしてその見立てはどこまでも正しかった。


 とにかく、そのような事情でお互いの考えが噛み合った結果、今この場にはこの三者のみが残される形となっていた。


「相手になってもらうゼ、勇者さんよォ……!」


 部下を見送ったベルゼが腰を低く据えて、戦闘の構えに入る。


 対する勇者は何も答えず、ただ静かに剣を構えた。ミノンドロスとベルゼ、双方を相手取るようにして。


「二対一でも構わないってか? 安心しな――俺が相手だァ!!」


 直後、ベルゼが大きく足を鳴らす。地面が軋んだかと錯覚するほどの力強い踏み込みで、一足に勇者との距離を踏み抜くと、血に染まる巨大な右腕を振り上げた。


「何ッ!?」


 しかし、己の直上から振り下ろされるその一撃を、勇者は身体をひねることで軽やかにかわす。そして次の瞬間には、ベルゼの右腕に絡みついた。


 その柔らかながらも鋭い剣さばきで、一筋の輝きが走る。その切先は、躊躇なくベルゼの右目に伸びた。


「ぬゥオッッ!!」


 それを人ならざる反射と動体反応だけで無理やり首を捻ってかわしたベルゼは、続け様に勇者を払いのけるようにして右腕を横薙ぎに振るう。しかし、勇者の体を捉えるには至らない。


 それどころか、振るわれたベルゼの右腕にぴったりと背中を這わせて、滑るように飛び越えた勇者は、懐に飛び込むなり更に剣を振るった。


「ぐァッ!?」


 体格差故に懐に潜り込まれるとベルゼは反撃が難しくなる。今回の一撃もその弱点を突いた攻撃で、勇者の剣先は見事ベルゼの左肩を切り裂いた。


 己の切り裂かれた毛と血が舞う中、ベルゼの脳裏に嫌な顔が思い浮かぶ。


 つい最近戦ったばかりの、あのいけ好かない仮面の男だ。


 胡散臭い、どこまでも底知れない、そして今やベルゼが主と仰ぐあの男。勇者の戦い方は、あの男の戦い方によく似ている。


「ンのれェ!!」


 チラつく仮面の影と、共に根付いた敗北の予感をまとめて振り払うように、ベルゼは左拳で勇者の胴体を横殴りにする。しかし。


「――!」


 その一撃は勇者が地面に這うようにしゃがみ込んだことで空振り、さらにはベルゼの態勢が崩れたところへ追い討つように斬撃が襲いかかる。


「ぐゥオッ……!」


 ベルゼの左腕が切り裂かれるが、分厚い毛皮が辛うじてその刃を防ぎ切った。


 勇者も力を込めきれなかったのだろう。鮮血の代わりに切られた獣毛が舞い上がる。


「くたばれェ!!」


 咆哮と共に、すかさずベルゼの右腕が勇者を捉えた。振りかぶられた一撃は確実に勇者に直撃し、彼の体を易々と吹き飛ばす。


 しかし、その一撃をまともに受けたはずの勇者は難なく空中で態勢を立て直すなり、舞うように体を捻って地面に着地。


 更にそこから大きく踏み込むと、更なる追撃の構えを見せた。


「な――ッ!」


 勇者の剣先が鈍く輝く。その煌めきが映し出すのはベルゼの口元。咆哮を放った隙を突くように、ガラ空きの口へ勇者の刃が滑り込む――


「ベルゼ殿!」


 ――まさにその瞬間。横から飛び出てきたミノンドロスの槌矛メイスが、二人の間に割って入った。勇者の剣をその穂先で弾くと、その勢いのままミノンドロスの追撃が始まる。


「セアアアアッッ!!」


 勇ましい掛け声と共に、ミノンドロスが槌矛メイスを横薙ぎに振るう。勇者にとっては完全なる不意打ちのはず。それもかなりの速度で放たれた一撃だったが、しかし勇者を捉えるには至らない。


「ッ」


「なんッ――!?」


 勇者の瞳が輝く。白雷が煌めき、次の瞬間にはその槌矛メイスごと、ミノンドロスは大きく後ろに吹き飛ばされていた。いや、反射的に後ろに飛び退いたのだ。


 そうしていなければきっと今頃は、あの白雷に呑まれて地面の石ころ同様焼け焦げた姿になっていたかもしれない。


 何が起きたのか理解するのに一瞬の思考を要したのは、その威力も規模も桁外れだったからだ。まるで視界が白一色に埋め尽くされたような衝撃だった。


「ケッ、ふざけた野郎だ……魔王に匹敵する力を持つってのも、あながち嘘じゃアなさそうだ」


 ベルゼとミノンドロス、両者が大きく飛び退いたことで、勇者との間に大きな空間が開く。間合いが戦いの仕切り直しを告げていた。


「まだ戦えますか?」


 ベルゼの悪態に心の中で同意しながら、それでもミノンドロスは必要事項だけを簡潔に問う。悠長にお話できる相手では無いからだ。


「あァ……だが、長くは持たねえかもな」


 勇者に切り裂かれた傷口を一瞥し、ベルゼは忌々しそうに毒付いた。あれほどの自信家であるベルゼですら、弱気になるほどの相手だと言うことだろう。


 このままではジリ貧になることは誰の目にも明らか。二人がかりでようやく五分に持ち込んでいる現状、どちらかが倒れればそれは敗北を意味する。


 もしこのまま戦いが続けば。否、勇者側に一人でも増援が着けば。その時点でこちらの敗北が確定する。


 ここから一体どうやって勝ちを拾いに行くのか。こんな時だと言うのに、ミノンドロスの脳裏に思い浮かぶのは、あの胡散臭い銀仮面の顔だった。


 "銀閃ぎんせん"のカイゼル。あの男は勇者と戦い、そして撤退させたと言う。あの華奢な体の一体どこに、それほどまでの力が宿っていると言うのか。


 しかし事実として、彼は勇者と戦って生きながらえた。ベルゼと一騎打ちをしていたあの時でさえ、彼はその実力のカケラほどすらも発揮していなかったのだ。


 もしこの場にカイゼルが居たなら、或いは。


 しかし運命は、どこまでも勇者に味方する。


「ッ!?」


 ミノンドロスらを目掛けて、勇者の後ろから突然幾つもの炎弾が飛来した。


 ミノンドロスはすぐさま身を翻してその炎弾を回避する。重鎧とは思えぬ軽やかな動きをみれば、きっとカイゼルは驚愕したことだろう。


「クソッ!」


 一方で反応の遅れたベルゼは回避を諦めて防御に徹した。自身をめがけて飛来する炎弾を、両腕で防いだ次の瞬間、彼の上半身を巻き込むようにして炎が破裂した。


「ベルゼ殿!」


 黒煙の中、獣が焦げたような嫌な匂いが辺りに漂い、ベルゼの姿があらわになる。


「騒ぐな。大した威力じゃねえ」


 言葉通り、毛皮の表面が焼け焦げた程度でひどい負傷には至っていないようだった。しかしそれは、無傷と言う意味では無い。


 炎弾が直撃した彼の右腕の甲は、既に毛皮の下の肉が覗いて痛々しい。


 今の攻撃を何度も喰らえば、強靭な身体を持つ魔族といえども生命活動に支障が出るのは明白。


 一体どこから飛んできた攻撃なのか。ミノンドロスが勇者の背後へ視線を走らせると、現れたのは二人の人間だった。


 一人はその身を鎧で固めた男だった。兜で表情を隠した、両手で抱えるほどの巨大な剣を構えた男。勇者より体格は一回り大きく、明らかに剛の者だ。


 そしてもう一人は長い杖を手にした軽装の女。深い赤色をした長い髪を揺らしながらこちらに杖を向けている。恐らく先ほどの魔法はこの女の放ったものだろう。


 二人の人間はすぐさま勇者と言葉を交わす。どうやらあの三人は仲間同士らしかった。


「まずいですわね」


 ミノンドロスの呟きに、ベルゼは喉を鳴らすことで肯定した。


 ただでさえ五分とは言い難いジリ貧の戦いだったと言うのに、そこへ更に増援ときた。その上、まともにやり合えばこちらも無傷では済まない。形勢は完全に向こうへ傾いた。


 敵は既に臨戦態勢に入り、次の魔法の準備をしている。彼ら三人をまとめて相手取るのは、ミノンドロスとベルゼだけでは少々手に余る。


 二人の脳裏に撤退の文字が浮かぶ。


 飛竜の場違いな甲高い鳴き声が、彼らの頭上に響き渡ったのは、まさにその時のことだった。


「――飛竜?」


 あまりの間抜けな鳴き声に、ミノンドロスは無防備にも空を見上げてしまった。


 彼らの頭上を舞っていたのは、要塞に一頭だけ残されていたあの飛竜だ。それが今、ここに居る。


 その時ミノンドロスの脳裏によぎったのは、セルジドールの言葉だった。


『閣下の……真の目的?』


『はい。閣下は恐らく……勇者と決着をつける腹づもりなのでしょう。今回の戦いも、そのための布石かと』


 地面の近くまで舞い降りて来た飛竜の背中から、見慣れた背格好の男が舞い降りた。ひどく華奢な体躯。胡散臭い銀の仮面。無駄に荘厳な大きな外套。


 そして、全ての危機を見通していたかのような、常に余裕に溢れた堂々たる態度。


『私はその時のために、飛竜の準備をしておきます。例え戦場のどこに勇者が現れようと、すぐに閣下をお連れするために』


「閣下……!」


 どうやら天運は魔族に味方した。否、天運すらもきっと、彼の手中にあるのだろう。


「すまない、待たせたな」


 随分と華奢で、随分と胡散臭く、随分と荘厳で。それでいて、何より頼もしい背中が今、ミノンドロスたちの前に現れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ