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【035】白き雷光

 ルードが読み違えたのは魔族の速度と何よりその覚悟だった。


「敵両翼、中央へ到達! 我が方、被害が拡大している模様……!」


「敵部隊、こちらの本陣目掛けて北上してきます!」


 魔族の軍勢が動きを見せたと思った次の瞬間には、離れた敵両翼が一斉に中央へ押し寄せて、隘路あいろを進む第四部隊を挟撃してみせた。


 その戦果は今、凶報として続々と本陣にもたらされている。


「中央部隊壊滅! 各中隊、大隊長戦死の報告が相次いでいます!」


「第四部隊長、ベルディス・イルマード殿が討たれた模様!」


「後退してきた中央部隊と後詰部隊が交錯し、本陣前で混乱が起きています!」


 わずか一瞬ばかりの間に戦況は刻々と悪化の一途を辿る。まさに窮地だ。


「これが……これが魔族の力だとでも言うつもりか……!」


 思わず机を殴りつけたルード。経験豊富な彼ですらそう毒づかずにはいられないほど、今の戦場は混沌としていた。


 起きたことは単純明快。敵両翼の部隊が中央に転進し、中央部隊を挟撃しただけ。しかし、それを実際に行う難しさは誰よりルードがよくわかっている。


 本隊が敵を引き込み切ったところで、遅すぎず、かつ早すぎもしない陣形変更。それも人間ではとても渡り切れない湿地のど真ん中を駆け抜けて、戦場の正反対に居る両翼がほぼ同時に、寸分の狂いもなく挟撃して見せる。


 一糸乱れぬ統率によって、目の前で戦っている聖戦軍を置き去りにして。


 そんなことが出来てたまるか。そして出来てしまっているからこそふざけている。これが魔族の力だとでも言いたげな、敵の指揮官の笑みが思い浮かぶようだ。


 しかし起きてしまった以上は仕方がない。そういうものだと受け入れて、今は敵の隙を突くしかない。


「第三部隊をすぐに本陣前に集結させろ! 敵本隊をここで止める! 続けて第二部隊に連絡! 迅速に部隊を進め、敵本陣の背後を突け! 俺たちと第二部隊で敵中央を挟み撃ちにするぞ! それまで堪えろ!」


 敵の両翼が中央に動いたということは、こちらの両翼は完全に浮いたということ。今という瞬間だけ見れば大量の遊兵を生んだことに他ならないが、逆に言えばそれは自由に動かせる兵が増えたに等しい。


 例えこちらの中央部隊が壊滅したとしても、兵数では未だ圧倒している。打てる手はまだいくらでもある。


「ボルグヴァーチカ団長、これはどういうことですか? なぜ押されているのです?」


 折を見てか、この本陣にあって唯一戦況を理解していないであろうユリシースが呑気なことを言い始めた。これが平時であれば或いは愛らしい間抜けさだったのかもしれないが、生憎とここは敵地で戦場だった。


「……あれは決死隊だ。俺たちは奴らの目的と覚悟をはき違えてた。向こうさんは始めから勝つつもりも、生き残るつもりもねえ。こっちの本陣をズタズタにして、敵の本隊が到着するまで時間を稼ぐつもりだ。奴ら、足止めのために死ぬつもりなんだ」


 決死隊。即ち、死ぬ覚悟を決めた兵士たち。その恐ろしさは誰よりユリシースが一番知っているはずだ。


 何せ彼女たち聖ルヴィア教会は、過去に幾度も同じような死兵を使って他の国々と渡り合ってきたのだから。死後救われることを約束し、敬虔な信徒たちを死兵に変えてきた歴史を持つ教会の司祭であれば、そのことを知らないはずもない。


 案の定、若くして司祭の座に上り詰めたユリシースは、その聡明な頭で事態の恐ろしさを理解したらしかった。その柔らかな頬が珍しく緊張にこわばっている。


 ルードの誤算は何より魔族の覚悟だった。この数差で挑んでくる以上、もちろん死ぬ気で来ることはわかっていた。


 だが死ぬ覚悟で戦うのと、初めから死ぬつもりで戦うのとでは全く意味が違う。少なくとも人間はそこまで潔く割り切れはしない。


 だというのに魔族たちの戦い方は目の前の敵さえ倒せれば良いという、酷く刹那的な戦い方だ。その後のことなんてカケラも考えていないかのように。


 このまま魔族が中央で戦い続けても、聖戦軍によって前後から挟み撃ちにされることは誰の目にも明らかだ。だというのに奴らは一心不乱にこちらの本陣を目指して進撃している。ここまで迷いなく攻めて来るとは誤算も誤算だ。


 ――或いは、これだけ無謀な策でも兵士たちが従うほどに、敵の指揮官は信頼を勝ち得ているということか。


 かつて自分がそうだったように。今は覚えている者の方が少数になってしまったかつての傭兵団で、そうした無謀の数々を何度も押し通してきたものだった。


 それを今、また行おうとしている者が居る。それもよりによって、敵として。


「それならば私も前に出ます。聖ルヴィア教会の威光をもってして、本陣前の混乱を鎮めれば勝機も見えましょう」


 ユリシースの言葉に思わずバカめ、と心中で毒づく。


 この戦場にいるのは、これまで彼女が相手してきたような敬虔な信徒ばかりではない。その殆どは食うに困って今回の聖戦軍に参加した徴兵たちだ。元々の士気が低い彼らを奮い立たせるには、司祭様のありがたいお言葉なんかよりも――


「団長、我々も出陣します」


 ――わかりやすい、目に見える希望が必要だ。


「勇者様! 丁度お呼びしようとしていたところでした!」


 ルードよりも先に、ユリシースが声を上げる。彼女の言葉通り、現れたのは勇者一行の三人だった。


 勇者の言葉は、決して質問でも確認でもなく、既に決めた内容を連絡するだけの報告だった。とうに覚悟は出来ているらしい。


 人類の希望たる勇者が前線に立てば、それだけで兵士たちは勇気づけられる。まだ戦いは終わっていないのだと知らしめることが出来る。それに、度々報告に上がって来る強力な魔族を討ち取れるのは、おそらく勇者くらいのものだ。


 だがそれがわかっていてなお、勇者やユリシースのような年若い者たちに全てを託すことを承服しかねるのはルードのわずかばかりの良心からか。


 例えどんなに馬が合わない相手だとしても、自分より若い者たちに全てを託すことになるのは大人として承服しかねる。


 しかし、そんな甘いことを言っていられるほど余裕のある戦況でもなかった。


「第四部隊第一、第二、第三大隊潰走(かいそう)! 逃げ出した兵が次々本陣へ押し寄せてきます!」


「第三部隊、本陣前の味方に阻まれて合流困難! 混乱が広がっています!」


 こうしている間にもみるみると混乱は広がっていく。ほぼ無傷だった第三部隊までもが中央の崩壊に巻き込まれている。もはや猶予はない。


「本陣前の守りを頼む。中央の敵を止めてくれ」


「わかりました」


「参りましょう勇者様。他でもない、人類全ての栄光のために」


 ユリシースは勇者と共に本陣を後にする。その顔を狂気に染めて。彼女と共に踵を返した勇者たちの背中に、聖戦軍の命運はかかっていた。





 ジジイ曰く、強き兵とは速き兵である。


 速きを失すれば好機を逸し、速きを貴べば好機を得る……とかなんとか言ってたが、俺の目の前で起きているのはまさにその通りの展開だった。


 都合三度の騎兵突撃によって完全に崩壊した敵中央部隊の中を、ミノンドロス隊とベルゼ隊が駆けあがっていく。


 もはや全てを呑み込む濁流と化した魔族を止められる者は誰も居ない。


「閣下!」


「ああ。全隊転進だ、攻撃に移るぞ。かかれ!」


 合図と同時、俺の指揮する中央部隊も一斉に攻撃に移った。元々魔法攻撃によって後衛が崩壊しかけていた敵部隊は、この反撃に為す術なく倒れていく。


 敵が崩壊していく。幾重にも並ぶ重装兵も、その後ろに控えた弓兵も、進軍の時を待っていた軽装兵も、魔族の力の前に薙ぎ払われていく。


 ミノンドロスが、ベルゼが、セルジドールが。彼らが敵陣を切り裂くたびに、敵は更に混乱して三々五々に散っていく。もはや組織だった抵抗すらろくに出来ず、目の前の生を求めて逃げ去るばかり。


 正直、想像以上の戦果だった。人間の中に植え付けられた魔族への恐怖。そして魔族が有する圧倒的力。この二つが効果的に働き、目の前の惨劇をもたらしたのだろう。


 崩壊した軍とはかくも脆いものか。


 数は未だ人間の方が多いと言うのに、目の前で繰り広げられるのは魔族による一方的な蹂躙だった。魔族に狩られる者たちが叫び、嘆き、慟哭するまさに地獄だ。


 左右から襲いくる魔族の軍勢に恐れおののく者、逃げ出そうとして味方の死体に躓き、そのまま蹂躙される者。


 錯乱し、俺たちに向かって突撃を仕掛けてくる者。しかし魔法によってあえなく撃退され、焼き尽くされる者。


 中には逃げ道の邪魔になる味方を切り捨ててまで逃走しようとする者も居たが、それら全ての者たちがことごとく地に崩れ落ちていく。

 

 それは、もはや戦いと言うにはあまりに一方的な光景だった。


 我先にと今来た道を引き返そうとする人間たちは、前線の様子を理解していない後続の味方と入り乱れ、押し合い、ろくに動けないまま更なる追撃によって被害ばかりを増やしていく。


 そしてしばらくすると、ついに前線の状況を理解したのか敵の後方でも騒ぎが起き始めた。恐らくは先陣の惨劇を目の当たりにした後陣の者たちが、混乱して逃げ惑っているのだろう。いわゆる裏崩れだ。


 こうなるともう大勢は決した。中央部隊にはもはや、こちらと戦う力はない。戦いにおいて最も被害が拡大する退却戦の始まりだ。


 戦いの中で最も難しく、最も死傷者が出るのがこの退却戦だ。


 兵士たちだってバカじゃない。味方が退き始めれば、自分たちが負けていることを察知する。そうすれば生き残るためにどうするか。当然、敵に追いつかれることに恐怖して、味方より先に逃げようとする。


 そうなると恐慌に陥った兵は指揮を無視して散り散りに逃げ出したりするわけで、戦いにすらならなくなる。後は敵に追いつかれた奴から順番に討たれて、数を減らす。数が減れば更に抵抗は難しくなり、混乱は拡大して――といった訳だ。


 今、目の前で起きているのはまさにその光景。隊列を組んで戦えばまだ何とかなっただろうに、もはやまともな抵抗も無く俺たちは中央の敵を次々撃破した。


 しんがりの一つもない辺り、本当に統率がとれていないのだろう。或いは最初のミノンドロスの突撃で、指揮官級の将が討たれたか。


 どちらにせよ、これで目的の半分は達した。ここまで混乱すれば、例え俺が紛れこんだとしてもそのことに気付く人間は誰一人いない。


 残るはもう半分、魔族側の混乱だけ――


「全軍前へ!」


 ――セルジドールの威勢の良い指揮が飛ぶ。魔族の歩兵たちが次々前進し、目の前の逃げ遅れた兵士たちを討ち取っていく。


 彼らの進軍に合わせてゆっくりと進む俺の足元には、やがて敵の――人間たちの骸が転がり始めた。苦痛や嘆きに染まった彼らの最期が、克明に描き出されている。


 そしてそれは人間だけではない。


 魔族とて無敵という訳ではない。戦いの中で人間たちの反撃に遭い、不運にも命を落とす者たちが居る。数は圧倒的に少ないとは言え、彼らの亡骸もまた転がっていた。


 死んだ魔族の中には、俺が語った人間の話を興味深そうに聞いていた連中の顔もあった。ずんと重くなる胸の奥から逃げるように、俺は彼らから視線を外して聖戦軍をまっすぐと見据える。


 この惨劇を選んだのは他ならぬ俺自身。自分一人が助かるために、彼らを死なせる決断をしたのだ。


 今更、後悔するべき時は過ぎ去っている。


 頭ではわかっていても、現実から目を背けたくなるのは人のさがなのか。俺がこんな選択をしなければもしかしたら。そんな考えが脳裏を過ぎってしまう。


 ――急げよ聖戦軍。これ以上、お前らだって犠牲を増やしたくはないだろう……!


 恐らくは今頃、迂回路を進む敵の部隊が俺たちの背後を取ろうと進軍しているはずだ。奴らが到着したとき、俺の目的のもう半分、魔族側の混乱が生み落とされる。


 人間と魔族が乱戦となり、敵味方入り乱れる戦場になる。そうすればようやく、俺は周囲の目から逃れることが出来る。


 あと少しだ。そう、あと少しなんだ。あと少しで、俺の目的は果たされる。


 無数の屍と犠牲を足蹴にして、俺が人間界に帰るための道が拓かれるんだ……!


「……」


 痛む胸から目を逸らし、必死に歯を食いしばる。もう少し。もう少しで――


 ――その時だった。


 遥か遠方の空に、一閃の白雷が煌めいた。


 日が昇り、青空広がる中を貫く白い雷光と霹靂へきれきは、それが自然現象なんかではないことを何よりも克明に表していた。


「閣下、あれは……魔法、ですか……!?」


 呆然とした様子でセルジドールが呟く。


 そう、魔法だ。蒼天を貫く一筋の雷撃。そして世に雷撃魔法の使い手は数居れど、白い雷撃の使い手には生憎と一人しか心当たりがない。


「そうか……そこにいたか」


 全ての原因。全ての始まり。全ての因縁の相手。


 俺が今最も会いたく無い、それでいて最もその顔を拝んでやりたい――人類の希望にして人類最強の男。


 懐かしささえ覚える白の稲妻が、三度みたび魔界の空に慟哭どうこくする。

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