【032】魔族の戦場
聖戦軍が攻め寄せてくる。敵の前線を担うのは鎧に大盾を構えた重装兵。そしてその後ろには弓兵が構える。
布陣もそこそこに、こちらを射程に入れた人間たちはすぐさま矢をつがえて空に向けた。
「……魔法障壁はまだか?」
今にも矢を放とうとしている聖戦軍を見てなお、ミルドの兵たちは魔法障壁を構えない。命令が伝わっていないのか? それとも……あれほど言って聞かせたというのに、矢の脅威が伝わらなかったのか?
「セルジドール」
「ご心配なく。ザプマは問題なくやり遂げます」
俺の焦りとは裏腹に、セルジドールはゆったりと答えた。
前線では指揮官の判断が優先される。それは戦場独特の空気や流れを、指揮官が直接見て、肌で感じ、その上で判断を下すためだ。
こんな時、俺のような総大将がしびれを切らして横から指示を挟むと、現場に混乱を生む。だからこそ俺の仕事はどっしりと腰を据えて、味方を信じることになる。
そんなこと、頭ではわかっているのだが……!
募る焦りをあざ笑うかのように、聖戦軍は攻撃を開始する。
一斉に放たれた無数の矢が、空を覆いつくしてザプマ率いる前線部隊に襲い掛かった。
このままでは前線が崩壊する――!
しかしその予想は、直後に裏切られることになる。魔法によって生み出された透明な薄壁が、空を覆い尽くしてその軌道を阻んだからだ。
無数の矢は魔法障壁に阻まれるなり勢いを失って、そのままバラバラと地面に零れ落ちていく。
その瞬間、人間側に動揺が走ったように見えた。そりゃそうだ。こんなろくに準備もしていないただの野戦で、魔法障壁なんて使えるわけがない。でも使えるんだよ、魔族ならな。
敵は慌てたのか続けて二度、三度と矢を放つも、揺らぎの一つも見せない魔法障壁はその全てを遮った。
そんな光景を目の当たりにしたセルジドールは、息を呑んで呟いた。
「鉄の雨だ……」
次々と降り注ぐ矢が全て魔法障壁によって阻まれて、力なく地面へと落ちていく。その光景は確かに、鉄の雨が降り注ぐかのようだった。
「閣下の仰る通りでした。人間はあのような武器を用いるのですね。確か……”ユミヤ”でしたか」
まるで初めて見たとでも言わんばかりに、神妙な面持ちで俺の表情を伺うセルジドール。彼の言葉に、俺はただ静かに頷き返した。
……魔族は弓矢を知らない。いや、弓矢だけでなく、盾すらも知らない。こいつらには、軟弱な人間の使う小手先の武具は必要ないという訳だ。
どこまでもふざけた、馬鹿げた種族だ本当に。
「ユミヤの存在を知らなければ、我々は敵に先手を取られていたことでしょう。さすがです閣下」
嫌味なく、そんなことを言うセルジドールが今はただ憎たらしい。知らないなら知らないで力技でなんとかしただろ、お前ら魔族なら。
苦い顔になりながら引き続き聖戦軍の様子を伺う。矢ではこちらの魔法障壁を貫けないと理解したらしい敵は、いつしか一斉射撃から散発的な射撃に切り替えていた。
「敵も存外やるものだな」
良い指揮官が敵に居るのだろう。こちらの損壊を狙う攻撃から、こちらの消耗を狙う構えに切り替わっている。この切り替えの早さからして、随分と前線に出張ってきているらしい。
ならばこちらにとっては好機だな。
「ええ。しかしこちらもやられるばかりではありません。次はこちらからの攻撃です。我らミルドの魔法、ご照覧くださいませ」
俺の考えを読み取ったかのように、セルジドールが告げるなり前線の者たちが一斉に魔法攻撃を構えた。魔法障壁を構えながらの魔法攻撃など、まともな練度で出来る技術ではない。
長年魔界をさすらってきたミルド族だからこそ、その異次元の練度を可能としたのだろう。それだけで彼らがどれだけ過酷な日々を送って来たのかわかるというものだ。
もちろん中には徴兵も居るが、そんな彼らをかき集めて一日で編成した即席魔法部隊ですら、王国軍の宮廷魔道部隊とそん色ない火力を出せる点が笑いどころだ。人間としては全然笑えないが。
弓矢による散発的な射撃が止んだ一瞬を突いて、魔法障壁が消え失せる。その直後、今度はこちらの火球が戦場の空を覆いつくした。
弧を描いて空を覆ういくつもの火球は、やがて重力に引かれるようにして王国軍の頭上へと襲いかかる。
対するは聖戦軍重装部隊。彼らは手にした大盾を一斉に構え、火球を受けきる構えを見せた。
「魔抗銀か」
限られた地域でのみ採掘できる、魔法に対して非常に強い耐性を持った銀鉱、魔抗銀。それを存分に使って作る銀の盾は非常に高価なのだが……流石は聖戦軍だ。あんな物まで持ち出してきたか。
さすがの魔族でも魔抗銀の盾までは貫けないらしく、着弾した火球は盾に阻まれ派手に爆発すると、火花を散らして霧散していく。
それでも全ての兵士が魔抗銀の盾を支給された訳ではないようで、不運にも火球に焼かれる者たちが現れ始めた。
ここからでもわかるほどに広がっていく被害。人間たちの悲鳴がここまでかすかに聞こえてくる。前衛の盾兵たちはびくともしないが、その更に後ろでは混乱が拡大していった。
どうやら敵は正規兵を前に出して前線を押し上げる作戦だったようだが、それが裏目に出たらしい。
こちらの魔法攻撃を止めるためか、敵は慌てて矢の攻撃を再開した。しかしそんな混乱の中で放った矢がまともに届くはずもなく、こちらの魔法攻撃はなおも続く。
「どうやら人間側には術士がおらぬようです。魔法障壁が見えません」
術士は居るんだよ。お前らほど気軽に魔法障壁を使えないだけで。
セルジドールに心の中でつっこんでいる間に、敵の足並みが目に見えて乱れていく。孤立した敵が各々守りを固め、幾つかの塊に分断されている。敵の勢いは魔族の魔法攻撃を前にして完全に止まっていた。
「閣下、敵の足並みが乱れました。今こそ……!」
セルジドールが、その声に高揚を滾らせて俺に視線を向けた。俺が頷けばすぐにでも駆けだしそうな勢いだが、しかし俺はそこに待ったをかける。
「まだだ。乱れたのは敵の先鋒だけで後ろには無傷の部隊がいる。作戦通り、まずは敵を引きつけるぞ。反撃はそれからだ」
もしここで前に出ても、敵の軍勢全ては貫けない。途中で勢いを殺されてそのまま蹂躙されるだけだ。それよりもっと手痛い一撃を加え、指揮が届かないほどの混乱を喰らわせてやらなければ。
今回の中央部隊は扇のように広がって、隘路の出口を半包囲するような布陣になっている。
こうすることで、隘路を抜けて来た敵の正面と左右から、一斉に魔法攻撃が襲い掛かるというわけだ。
しかし生憎と敵もそれを理解しているようで、弓の最大射程からこちらに射かけてくるばかりで、そこからは一向に前に出ようとしない。
おかげで遠距離から矢と魔法を撃ちあうばかりで、まだ予定より敵のひきつけが足りていないのだ。
今回の作戦は、雷鳴の如き一撃で敵の前線を粉砕しなければならない。これではまだ、敵の被害が小さすぎる。
「……承知いたしました、閣下」
俺の答えに一瞬沈黙して見せたセルジドールは、心底不満ですといった様子で返事する。人間に対する恨みは相当に深いらしい。ここでもし突撃を命じたら、それこそ死ぬまで戦い続けそうだ。それでは困る、色々と。
「案ずるな、必ず機会は訪れる。それまでは敵を引きつけることが我々の務めだ」
慰めがてらにそう声をかけてやると、セルジドールは「はっ!」と魔族式の敬礼を見せて、再び地図へと視線を落としたのだった。
そう、必ず機会は訪れる。だからまだ、今は焦るべき時ではない。
「閣下、ベルゼ隊が敵との交戦に入りました!」
そこへ先ほど送ったばかりの伝令が、息を切らして舞い戻って来た。案の定、ベルゼはこらえきれなかったらしい。
「わかった。ならばベルゼ隊に再連絡。判断は任せる、こちらの合図に合わせられるなら自由にしていいと伝えろ」
先ほど戻って来た伝令と入れ替わるように、控えていた別の有翼種の者が進み出る。その魔族を目で追って、更に続ける。
「ただし本当たりはさせるな。受け止めて沼地に誘い込むだけだ。風に揺られる草木のように、たおやかに当たれ」
「ええと……」
「……ただの比喩だ、後半は伝えんで良い。送れ」
「はっ!」
飛び去った伝令を見送って、俺は北の空を見上げる。そう、まだ焦るべき時じゃない。やがて戦いは緒戦を終えて、各地で本格的な衝突へと発展していくのだから。
「そしてその時こそ……」
来るべきその時に備えて、俺はただ拳を握りしめた。いつの間にか陽は高くまで昇っていたようで、俺の影は随分と短くなっていた。