【029】そして開戦へ
勇者の帰還から二日後。ついにウェグニード山脈を越えて魔界へ踏み入ろうとした南方聖戦軍前軍に、偵察からある知らせがもたらされた。
正体不明の軍勢が山脈のふもとに布陣している。
当然それを、ルードは魔王軍だと踏んだ。こんな場所に布陣する人間は誰もいないのだから。
すぐさま軍に先駆けて山脈ふもとの小高い丘に登り、その先の湿地帯を見渡した。ルードの視界に入る、広い湿地帯。そして――
「情報通りか……敵さんは随分前から待ち構えてたらしいな。布陣もとっくに終えてやがる」
――遠目に見えた、異形たちの軍勢。
湿地に伸びる細い道の先に、魔王軍と思わしき異形たちが布陣している。初めて見る魔族はこの距離からでもわかるほどに姿が多種多様で、不気味なことこの上ない。
きっと夜間行軍の際にかがり火を炊いたのがまずかった。魔法で辺りを照らし、土砂で崩れた道を補修したのも原因かもしれない。全ては後の祭りだが。
今頃、軍の後ろで馬に揺られながら呑気にあくびでもしているだろう女の顔が脳裏にちらつき、舌打ちする。司祭様が無茶を言うものだから、敵に動きが筒抜けだ。
それにあの勇者が手こずったというほどの相手。これは厳しい戦いになりそうだ。
だが、その一方で腑に落ちない点もあった。
「……数も情報通り、随分と小勢だな。てっきりもっと準備万端で構えているものかと思っていたが……」
偵察の情報では、敵の総数は約二〇〇〇から三〇〇〇ほどだという。その言葉通り、見える範囲にはあまり多くの敵は居ない。
正面の隘路に一〇〇〇から一五〇〇ほど。そこから東西に離れた場所に、それぞれ五〇〇前後の部隊が一つずつ。
こちらが二万の兵を率いていることはとっくにわかっていただろうに、その相手をするには随分と心もとない布陣だ。援軍到着が間に合わなかったにしろ、野戦を選んだ理由がわからない。普通なら城にでもこもって時間稼ぎをする場面だろうに。
――まさか、泥の中に潜ってたりしないだろうな?
あり得る。何せ相手は魔族だ。魔物にすらそういう種がいるのだから、魔族に居ないとは言い切れない。或いは他に、何か手を用意してあるのか。
「……それとも、本当にあれだけの兵で俺たちと戦うつもりか?」
敵の指揮官が一体何を考えているのか全くわからない。魔族たちの異様なまでに落ち着き払ったその陣容が、今はただただ不気味に思えた。
◆
「魔族って奴らは、てっきり魔物とそう変わらない蛮族の類だと思っていたんだがなぁ……」
先ほどの丘に手早く陣幕を張り、空の木箱を並べて簡易的な本陣としたルードは、この辺りの地形を簡単に模した地図に視線を落として呟いた。
「違うので?」
当然のように向かいに立つのはユリシース。地図の上に並べられた、敵と味方を模した駒を眺めながら首を傾げている。恐らくこれらの意味など到底理解出来ていないことだろう。
やれやれと思いながらも自身の考えを整理する意味を込めて、彼女に丁寧に説明してやることにした。
「見ろ、あの陣容を。こちらとの数差を理解し、この湿地帯を戦場に選んだ。この場所ならこちらも広く展開できず、多少は見れる戦いになる。どうやら魔族側にも戦い方を知っている奴が居るらしい」
辺りを要害で固め、隘路に布陣するのは古からの基本戦術の一つ。沼地でこちらの進軍を妨害し、中央に伸びる道を封鎖することで、こちらの足止めを狙っているのだろう。
その考えは確かに正しい。こちらが無理に中央を進めば、隊列が細長く伸びて左右からの攻撃に弱くなる。かと言って迂回すれば、こちらが晒した横腹を食い破るために敵は前進してくることだろう。
そして痛手を受けることを嫌って時間をかければ、山脈越えで補給路が伸びきっているこちらにどこまでも不利になる。
どう動いてもこちらの弱点を突ける、合理的な布陣だ。合理的すぎてむしろ安堵を覚えたほどには。
何をするのかわからない謎の敵より、強くとも考えが読める相手の方が安心感がある。それに……
「この陣容、まさかガラエゴの奇跡か? にしては少々お粗末だが……」
「どういうことです?」
相変わらず全く何もわかっていなさそうな聖女様に少々呆れつつも、ルードは簡単に現状を要約する。
「敵が罠張って待ち構えてるかもしれねえって話ですよ」
もしガラエゴの奇跡のように、中央の隘路にこちらを誘い込んで叩くのが敵の算段だとすれば、少々厄介なことになる。だがその場合、敵の布陣は不可思議だ。
ガラエゴのように兵を伏せられる茂みは一切なく、この辺りはだだっ広い湿地帯。霧も多少の視界が遮られる程度で、大軍を隠せるほど濃くもない。
ガラエゴの奇跡の立役者たる伏兵部隊が、全く機能しそうにないのだ。
それに湿地帯の東西に布陣する敵の両翼は、本陣から随分と離れた位置にいる。
恐らくはこちらが脇道を通れないように布陣しているのだろうが、離れすぎているせいで本陣との連携が取れていないように見える。
あれほど離れていては連絡もままならず、連携して動こうにも距離がありすぎる。
合理的な考えと不合理な布陣。ルードは敵の指揮官がどんな人物なのか少々測りかねていた。
「この数差なら、罠ごと踏み潰してしまえばよろしいでしょう? ただでさえ予定より随分遅れているのです。ここで足踏みするわけには参りませんよ」
そこへ能天気なユリシースの声が割り込んだ。
「……」
そう簡単な話じゃない、と突っぱねてやりたいところだったが、生憎とその簡単な話に帰結してしまうのが腹立たしい。
大軍に兵法不要。圧倒的なまでの数差がある場合、小手先の兵法は何の意味もなしはしない。下手な戦略を立てるより、真正面から押しつぶすのが一番だ。
懸念すべきは敵が魔族という未知の存在であることと、夜通し歩き続けた兵士たちの体力と士気がこの正攻法について来られるか、というところだが……
――どの道、時間はかけられねえか。
補給路の不安。敵の援軍の懸念。兵の士気。ついでに教会の司祭様と本国の意向。どれもが全て、この場での決戦を謳っている。ここで手堅く勝利を挙げて、これから始まる聖戦への足掛かりにすべきだと。
まるでそうせざるを得ない状況に追い込まれたようで気に入らないが、これ以上の時間の浪費もまた看過できない状況だった。
ルードは「ふう」と息を一つ付いて、決意した。
「各部隊長に通達、これより聖戦を開始する。第二部隊は敵右翼の撃破を、第三部隊は敵左翼の抑え込みを狙え。敵両翼を抑えている間に第四部隊で中央の突破を狙う。第一部隊はいつも通り俺の直下で後詰だ。以上、各々の奮戦に期待する。送れ!」
彼の言葉を聞き届けた伝令兵たちが、敬礼を残して次々本陣を後にする。ついに賽は投げられた。七〇年ぶりとなる人間と魔族の戦いが始まるのだ。
「あなたは運が良いですよ、ボルグヴァーチカ団長。この聖戦は、あなたの率いる南方軍の勝利によって全てが始まるのですから。きっと、あなたの名前は後世にまで伝わることになりましょう」
にんまりと、ヘビのような笑みを見せるユリシース。彼女の不気味な笑顔に嫌悪感を抱きながらも、今はただ、ルードは静かに地図に視線を落とすのだった。




