【022】ベルゲート方面軍
「カイゼル……! テメェを、俺はァ……ッ!!」
先ほどまで崩れ落ちていたベルゼが、歯を食いしばって立ち上がった。しつこい限りだ。
「まだやるつもりか?」
さきほどの一撃は全く反応できなかったが、今回は初めからミノンドロスが居る。もう怖いものは何もないぞ。
「俺は……! 負ける訳には……!」
拳を握りしめるベルゼ。そんな姿を見ていると、もうお前の勝ちでいいよという気さえしてくる。
俺にとっては既に目的の殆どが果たされた。今更どっちが上だとか下だとか、そういう些細なことに構う意味もない。
強いて言うならミノンドロスに命を狙われる可能性を考えると、ベルゼをなんとか懐柔しておきたいところではあるのだが……
そんなことを考えていると、ふとベルゼが言っていた言葉が脳裏を過ぎった。
『特に奴は――"蒼翼"のバンデックだけは、必ずこの手で殺してやらなきゃならねエからな……!」』
――ああ、そうか。簡単じゃないか。
「よろしい。ならばベルゼ、取引をしよう」
「あァ……!? 誰がテメェなんかと……!」
「お前の目的……"蒼翼"のバンデックの討伐。私が手を貸してやる。だから今は、私に協力しろ」
「なッ……!?」
「閣下!?」
俺の言葉にベルゼは当然、ミノンドロスまでもが驚きの声を上げた。
まぁ、そりゃあそうか。同じ魔将軍を売るっつってんだから。だが、俺からすれば仲間でもなければそもそも顔すら知らない相手だ。知ったことじゃない。
「人間との戦いに備え、今は少しでも戦力が欲しい。特にお前のような精強な戦士はなおさらな。魔将軍である私になら、お前の目的を果たすために手を貸すことくらいできると思うが?」
「テメェ……どういうつもりだ……!?」
「どうもこうも無い。お前の力は確かにこのカイゼルに届き得た。後は振るい方さえ間違えなければ良い。その振るい方を私が教えてやると言っているのだ」
「ふざけやがって……」
「お前の望むものを、私が与えてやる」
俺の言い分に、ベルゼがついに口を噤む。従うべきか、抗うべきか。きっと悩んでいるのだろう。そしてそんなベルゼの姿が意外だったのか、武派の兵士たちもわずかにざわついた。
だが意外だったのは、この言葉にミノンドロスが驚き以上の反応を見せなかったことだった。
ミノンドロスからすれば俺とベルゼが手を組むのは都合が悪いだろうに。それとも彼女に命を狙われているというのは俺の杞憂だったのだろうか。
まぁ、どちらだとしても構わない。ここでベルゼを引き込めれば使える戦力が増えるし、従わないなら俺の邪魔をさせないようにすればいいのだから。
「ベルゼ、悩む暇などないぞ。今選択しろ。お前が望む戦場は、いつまでも悠長に答えを待ちはしない。一時の屈辱に耐えて本懐を果たすのか。それとも己が意地のために本懐を捨てるか。さあ、どうする」
「グ……ウウウウウ……! ウオオオオオオオッッッ……!!」
その時、ベルゼがついに答えを出した。突如として振り上げられた右腕。その爪は俺を目掛けて振り下ろされ――
「閣下!!」
「ひええっ!」
――ミノンドロスが、そしてドルベアが悲鳴のような声を上げる中、しかしその爪が俺に届くことはなく、真っ直ぐ地面に叩きつけられたのだった。
石畳に突き立てられたベルゼの右腕。彼の唸り声がなおも低く轟く。その眼光には先ほどまでの迷いの色はなく、代わりに鋭い殺意がほとばしっていた。
「グラーツ、ケルビス、ログトル、ルウェーン……! お前らの命を奪い、その罪を俺になすり付けたバンデックを討つためならば……! 俺はお前らに軽蔑されようと、構いやしない……!」
石畳の破片ごと握りしめられたベルゼの拳。その拳には確かに、強い決意を感じさせた。
そして右腕を引き抜くなり、ベルゼは抜き身の剣のような輝きを放つ視線を俺に向けて吼える。
「誓えカイゼル! 必ずや俺を、あのバンデックの元に連れて行くと! あの日の雪辱、あの日の恨みを晴らす機会を作り出すと! もし俺を騙したなら……その喉笛、次こそ食いちぎるぞ……!」
俺は口元が歪むのを抑えられなかった。なるほど、良い目だ。
「良いだろう、約束する。意地を捨て、誇りを捨て、友との誓いを捨てたその覚悟、確かに見届けた。歓迎しよう、"灰塵"のベルゼ。我が元でその力、存分に振るうといい」
「……ハンッ!」
心底不満そうに鼻を鳴らしたベルゼだったが、すぐに驚くべき行動に出た。
なんと居住まいを正すなり、膝をついて胸に手を当てたのだ。兵士たちが、そしてミノンドロスさえもが驚きの声を上げる。ベルゼは確かに、俺に向けて最敬礼をして見せた。
どうやらベルゼは本気らしい。
ベルゼのそんな姿を目撃して、俺たちを遠巻きに眺めていた武派の者たちもたちまち膝を折った。彼らに続き、既に俺に従う意思を見せていた者たちも次々膝を折る。
それはついに、俺に対して反感を抱く者たちがこの砦から消え去ったことを意味していた。
存外、悪い気はしないものだな。
「さて……紆余曲折はあったものの、この要塞の全ての者たちがこれで私の元に集ったことになる。なるほど、これはなかなかに壮観だ」
数百を越える魔族たちが俺に従うその光景は、圧巻というより他にない。それを上から眺めるこちらのほうが圧倒されそうなほどだ。
「となると我々にも名前が必要になるか。我ら魔王軍、ウルディア要塞部隊……防衛部隊……カイゼル軍?」
幾つか名前を考えてみたが、いまいちしっくりとこない。もう少しこう、ビシっと決まる名前が欲しい。
あーでもないこーでもないと首を捻っていると、ミノンドロスが「恐れながら」と口を開く。
「魔将軍の方々は、それぞれに方面軍と呼ばれる軍閥を率いてございます。閣下はこのウルディア要塞を任されておりますので、この地――ベルゲートに因み、ベルゲート方面軍と呼称するのが適切かと」
なるほど、ベルゲート方面軍か。響きは悪くない。ならばせっかく名前が決まったのだから、少しばかりこいつらの士気を上げてやるとしよう。
「よろしい、ならば聞け、我が元に集った戦士たちよ。この魔界の外れに追いやられた全ての者たちよ」
俺は居並ぶ面々にぐるっと視線を向ける。
「我々は弱き軍である。裏切られ、見捨てられ、蔑まれ、踏みにじられ、この極西の地に追いやられた弱き魔族の集まりである。我らには国も、誇りも、力すらもない。残されたのはこの命一つだけだ」
誰もがシンと静まり返り、俺の言葉に耳を傾けていた。身じろぎの音一つしない静寂の中、俺は淡々と言葉を続ける。
「だが……いや、だからこそ。私はこの一戦を持って、この魔界に知らしめるつもりだ。我らが一体誰なのか。我らが一体何なのかを」
魔族たちが一斉に顔を上げ、その瞳に闘士を宿らせる。彼らの顔を見て、俺は頷きをもって答えとした。
「ミノンドロス」
「はい」
「ベルゼ」
「あァ」
「ドルベア」
「はっ!」
「セルジドール」
「ははっ!」
「そして我がもとに集いし全ての戦士たちよ。この西の果てより、我らの戦いを始めるぞ。我らがもはや奪われるばかりの弱者ではないことを、この一戦にて証明する。我らを虐げ、嗤った者たちの記憶に、徹底的に刻みつけてやろう」
景気づけるなら派手な方が良い。ジジイならきっとそう言ったはずだ。
「ベルゲート方面軍の初陣だ。諸君――派手にやるぞ」
この日、ウルディア要塞はこれまでで最も大きな歓声と熱気に包まれたのだった。