【021】勝者
ウルディア要塞は一時騒然となった。
要塞指揮官の座を巡るカイゼルとベルゼの一騎打ち。その決着は誰もが予想しえない結果に終わったからだ。
「人間が攻めてくる!」
「二万の敵とどうやって戦うんだ……!」
「援軍は!? 援軍の要請を急げ!!」
「今から要請したって間に合いやしねえ……! もうおしまいだ……!」
ドルベアによってもたらされた人間軍襲来の知らせ。それは七〇年前に痛み分けで終わった人間と魔族の戦争が、今再び始まろうとしていることを告げていた。
この要塞の総戦力は現状一〇〇〇にも至っていない。徴兵を行ったところでそう多くは増えないだろう。たったそれだけの数で二万の敵に挑むことの無謀さは、戦いを知らないこの要塞の者たちですら容易に理解できた。
もはや決闘どころの騒ぎではなかった。
「うるせエ! 鎮まれ! 騒ぐんじゃねエ!!」
要塞の中心でベルゼは咆哮するが、もはや兵士たちの混乱はそんな恫喝で収まるような状況ではなかった。
その混乱の最中、唯一この事態を予測し、人間の襲来に余裕の笑みさえ見せたカイゼルが声を上げた。
「ミノンドロス! ドルベア!」
カイゼルが呼ぶと、呼ばれた二人はすぐさま彼の元へ駆け寄った。その姿に気付いたベルゼが声を上げる。
「オイ、カイゼル! まだ決闘は終わっちゃいねエ!!」
だが、中断になったとは言えどちらが優位にあったかなど問う必要もない。誰もが理解していた。この決闘はカイゼルの勝利であることを。
だからこそ、ベルゼは我慢ならなかった。
「グウウオオオオオオオオオ……!! カイゼェェェェェェル!!」
自分を無視して話を始めようとするカイゼルに、激昂したベルゼが襲い掛かる。しかし。
「ぐ……うオッ……!」
ギィン! と金属同士がぶつかったような甲高い音が鳴り響き、その直後、ベルゼの唸るような声がした。
カイゼルとベルゼ、その両者の間に立ちふさがったのはミノンドロスだ。彼女は自身の槌矛の石突部分でベルゼの顎を打ち抜き、更には腹に一撃を入れたのだ。
「見事」
「いえ、疲弊しておりましたので」
膝から崩れ落ちるベルゼの巨体。カイゼルはその姿を驚きすらせず、一瞥するに留まった。
まるでそうなることがわかっていたかのように、カイゼルはベルゼの襲撃に指一本たりとも動かすことをしなかった。
もはや勝敗は決定的だった。
「決闘は終わりだベルゼ。聞いただろう、敵が来る。時間切れだ」
言い捨てるようにそう言い放つなり、すぐさまドルベアを呼びつけた。
「ドルベア、敵はいつ魔界に到達する?」
その姿はまるで、先ほどまで死闘を繰り広げたベルゼの存在に一縷の興味も無いと言わんばかりだ。
或いは、カイゼルにとってはその程度の戦いでしかなかったということなのか。
一方で、問われたドルベアはすぐさま答える。
「敵は現在、大陸の背骨中腹辺りで軍をいくつかにわけて布陣しております。数は総勢――二万から三万ほど。到達は恐らく、三日から四日後になると思われます」
「早くて三日か。今から徴兵して間に合うか?」
その問いはドルベアはもちろん、ベルゼやそれを聞いていた他の者たちにとっても衝撃的なものだった。
この要塞の取りまとめは本来ベルゼが行なっている。ならばその問いの矛先も、本来はベルゼであるべきだ。だというのに、カイゼルはあろうことかドルベアに聞いたのだ。
これの意味するところは明白。既にカイゼルはベルゼをこの要塞の長としてみなしていない。それどころか、ドルベアの方が上だと言っている。既にベルゼの存在が彼の意識の外にあるということだ。
ベルゼにとって、これ以上の屈辱はないだろう。
「す、すぐに付近の村から徴兵いたします……! ただ、それでも二千ほどが限界かと……」
あまりの出来事に言葉を詰まらせながら答えたドルベアに、カイゼルは一切気にかけた風もなく「十分だ」とだけ頷き返す。そして続けて、ミノンドロスに向きなおった。
「本隊への連絡は?」
「すぐに飛竜を飛ばします。しかし、諸連絡にかかる時間や徴兵と行軍の時間まで加味すると、到着は早くて六日後になると思われますわ」
「六日か……遅いな」
「早めに見積もって、ですからもう数日は見積もるべきかと存じますわ。最低でも三、四日の籠城が必要ですわね」
その時、ミノンドロスの提案に対してカイゼルが放った言葉に、誰もが耳を疑った。
「いや、籠城はしない」
「では野戦を? しかし閣下……」
真っ先にミノンドロスは異を唱えたが、構うことなくカイゼルは続ける。
「支城の一つもないこのオンボロ要塞を、一体どうやって三日も守り抜くつもりだ? それよりこちらから出向く。本隊到着前に一撃を入れて、敵の出足を鈍らせるぞ。何も全ての敵を倒す必要はない。戦意を挫ければそれでいい」
勇ましいカイゼルの発言に誰からともなく「おお……」とどよめきが起こった。さすがは歴戦のカイゼルだ、考え方が根本から違う。
戦いに慣れていない要塞の者たちは、どうやってこの要塞を守り切るかを考えたが、カイゼルだけは敵の攻め方を考えている。
一見すると無謀にさえ思えるこの決断に、カイゼルは一切の迷いも脅えも見せなかった。この果断さこそがカイゼルを優将たらしめているのだろう。
そんなカイゼルの決断ならば。数差は圧倒的だというのに、不思議と兵士たちの間に恐れはなかった。
いつの間にか騒ぎも小さくなり、誰もがカイゼルの言葉に耳を傾けていた。混乱はすっかり収まっていた。
「閣下!」
そこへ続いて、カイゼルの元に転げ出るようにして現れたのはミルドの男だった。
彼はすぐさま膝をついて頭を下げる。その頭を驚いた様子で見下ろしたカイゼルは「セルジドール」と男の名を呼んだ。
「はっ! 閣下にお願いの儀があり参りました! この度の一戦、どうか我らミルドも戦線にお加えください! 二〇〇の兵を連れ、閣下の元に馳せ参じる所存!」
それはなんと、ミルドの民の参陣表明だった。彼らは立場上、無理やり戦わされることはあっても自ら戦いを望むことは殆どない。それは異様ともいえる光景だった。
だというのに、相変わらず落ち着き払った様子のカイゼルは、穏やかにセルジドールへ視線を向ける。
「二〇〇というと……君たち難民のほとんどではないか」
「男はもとより、女でも戦える者はおりますゆえ。閣下より受けた恩義、今こそ返さねば先祖に顔向けできません! これは我らミルドの総意! どうか、我々の運命も閣下にお供をさせてくださいませ!」
セルジドールの言葉に続いて、その様子を伺っていた観衆の中から次々とミルド族が進み出る。彼ら彼女らはその全てがカイゼルに跪き、ミルドの意思を確かに伝えた。
彼らの姿に、カイゼルは静かに頷く。
「……わかった、ならば共に来いセルジドール。ミルドの働き、存分に見せてもらおう」
「ははっ!」
――カイゼルの元に、続々と戦力が集っていく。ミノンドロスが着任と共に連れてきた中央兵。ドルベアが取りまとめを行う文派。そしてセルジドールが長を務めるミルド。この要塞の人員を構成するほとんど全てが今、彼の指示を待っていた。
彼らは既に、人間との戦いに身を置く覚悟を決めていたのだ。
だが、未だウルディア要塞全ての戦力ではない。その戦陣に唯一欠けている者たちがいた。ベルゼを筆頭とする武派の面々である。
彼らはいずれ、カイゼルから声がかかると思っていた。何せ武派はこの要塞で唯一といって良いまともな戦力派閥だ。
だからこそカイゼルの様子をじっと伺っていたが――その時は一向に訪れない。
「ミノンドロス。君は手勢を率いて騎兵隊を編成しろ。敵陣を打ち崩す役目、君に任せる。やってくれるな?」
「お任せくださいませ閣下。このミノンドロス、閣下のご期待に応え、敵陣を引き裂いてご覧に入れましょう」
「よろしい。ドルベア、君はすぐに兵を集めろ。三日で二千、いけるか?」
「閣下のご命令とあれば必ずや。二日でご用意してみせます」
「頼もしい。セルジドール、君はすぐに部隊を編成し調練に入れ。付け焼き刃でも無いよりマシだ。それから、非戦闘員は全て要塞の中に収容しろ。ミルドには戦い以外の仕事もこなしてもらうぞ」
「もちろんです閣下。我らの力、存分にご活用ください」
それはまるで、初めから武派の力など必要ないとでも言っているかのようだった。
カイゼル指揮のもと、一つにまとまる魔王軍。初の戦いに兵士たちの意気が上がっていく中、その熱気から武派だけが完全に取り残されていた。
武派の者たちは身の振り方を迷っていた。
戦いの中で手柄を挙げることこそ、彼ら武派の本懐。ならばカイゼルに力を貸し、共に戦うべき盤面だ。
しかし、彼らの筆頭たるベルゼは未だ動かない。だから彼らも動けない。
初めこそ武派抜きで勝てるはずもないとたかを括っていただけに、こうなってくると底知れぬ不安が募っていく。
まさかカイゼルは、自分たちを戦力として数えていないのか?
もしこのまま武派抜きで開戦し、万が一にもカイゼルが勝利しようものなら。その時はいよいよ証明されてしまう。自分たち武派はこの要塞で必要のない存在なのだと。
今まで自分たちの力を驕っていたにも関わらず、それが無用の長物だとわかったなら……その時、彼らに残るものはもう何もない。力こそが、彼らにとって最後の誇りなのだから。
それがただ、恐ろしい。
だから彼らはベルゼの判断を待っていた。カイゼルに従うべきなのか、それとも争うべきか。
そんな武派の者たちに推されるようにして、じっと沈黙を守り続けていたベルゼがついに動く。




