【020】決着
結論から言ってしまえば、ベルゼの攻撃はめちゃくちゃ効いた。何なら死にかけた。意識が飛ぶ寸前だった。
だが、どうやら俺は賭けに勝ったらしい。
『人を守護せし慈悲の女神ルヴィアよ……! その加護の一端、癒なる施しを我らに……!』
ベルゼに吹き飛ばされて地面に転がった直後、朦朧とする意識の中。俺はお決まりの拝詞を唱えて全身の傷を癒し切ったのだ。
致命傷を癒す程度、勇者との旅では日常茶飯事。即死さえしなけりゃいくらでも癒せる。それ自体は何の問題もない行為だった。
しかし、加護の力を使う際に浮かび上がる左手の甲の白い紋章。加護を受けている証たるその慈悲の紋章の存在と、一瞬で消え去る傷跡を魔族に見られれば、俺が人間であることがバレてしまう。だからこそ賭けだった。
どの道死ぬならと人生を賭けた大博打をうったわけだが、幸いにしてベルゼが巻き上げてくれた瓦礫と砂埃が上手いこと目隠しになり、観衆たちは俺が療術を使ったことに気付いていないらしかった。
それに俺が即死したとでも思ったのか、誰も駆け寄ってこなかったことも幸運だった。
ベルゼの一撃を受けて骨が粉々に砕けた左腕や、あちこち叩きつけられて変な方向に曲がった右足なんかが、療術で一瞬のうちに元に戻る様を見られていれば、きっと言い逃れは出来なかったことだろう。
それでも復帰に時間がかかった辺りがベルゼという魔族の恐ろしさを物語っている。
恐らく二度目はない。但し、二つの意味で。
「今度こそ引き裂いてくれる!!」
焦れたベルゼが両足に力を込めて、こちらに目掛けて突進してきた。相変わらずその巨体には似つかわしくないほどの瞬発力だ。力も速度も人間の俺を遥かに上回る。
だが、来るとわかっていれば対処のしようはある。
目の前で振り上げられるベルゼの右腕。今度こそ俺を一撃で仕留めようという魂胆なのだろうが、その向こうに怒りと虚栄心が透けて見えた。
そしてその分、動きは大きくわかりやすい。
「――ッ!」
そこまで素直な一撃を受けてやれるほど、俺は生半可な鍛え方をしちゃいない。こちとら本場の勇者仕込みだ。そこらの人間ほど楽にやれると思うなよ。
「かわした――ッ」
ミノンドロスの声が耳に届く頃には、戦いは既に次の場面へ移行する。攻撃を回避した俺による反撃だ。
まずは振り下ろしによって伸び切ったベルゼの右腕を狩る。回避した際の反動をそのまま攻撃に転用し、流れに逆らわずに剣を振るう。
「ぐッ!」
振り抜いた剣は確実にベルゼの右腕を捉えた――が、事はそう上手く運ばない。
驚くべきか、やはりと言うべきか。刃は灰色の毛皮とその下の筋肉によって阻まれた。剣先は毛皮の上をなでるように滑って、わずか数本の毛を切り落とすに留まってしまう。
まるで分厚い苔の生えた岩を切ったような感触だ。
「ヌウウオオオオオオオッッッッ!!」
咆哮と共にベルゼはすぐさま剣が撫でた右腕を振るい、俺の体目掛けて次なる一撃を放つ。
しかしその一撃は崩れた体勢のままで、足の踏ん張りも勢いもない。俺を捉えるにはあいにくと何もかもが足りていなかった。
迫り来るベルゼの右腕を受け止めるようにしながら体を浮かせ、反動で後ろに大きく飛び退る。
仕切り直しだ、このままやっても埒があかない。あの毛皮の貫き方を考えなくては。
「逃がすかァ!!」
しかしベルゼもそう簡単にはやらせてくれない。俺が下がるに合わせて、一気に距離を詰めてきた。巨体故の長射程が、俺の喉元に一瞬で迫る。
「だったら――!」
その攻撃を今度はしゃがむことで回避。そして巨体ゆえに疎かになっている足元へ滑り込み、ベルゼの追撃をかわしながら背後に回る。
立ち上がりぎわにはベルゼの背中へ更に一撃を加えるも、やはり手ごたえはない。
「無駄だァ!!」
ベルゼが振り返りざまに蹴りを放つ。俺の鼻先を掠めたその蹴りは、当たれば一撃で頭部を粉砕していたことを伺わせるが、当たればの話だ。
「ちょこまかと……!」
さらに追撃。俺を頭上から叩き潰すようにベルゼの左腕が迫る。それを体勢を整えながら後ろに跳ぶことでかわした直後、さらに迫るベルゼの右腕を今度は体を捻って回避する。
やはりだ。一連の戦いを見て、俺はある種の確信を得ていた。
ベルゼの攻撃は――或いは、魔族の攻撃は単調すぎる。あの勇者と手合わせしていた俺からすると、あまりに避けやすい。
思えばカイゼルもそうだった。
確かに奴らの攻撃は一撃一撃が強力で、喰らえば即死級の威力なのだが、その反面良くも悪くも素直過ぎるのだ。
ベルゼの呼吸、毛皮の下から覗く筋肉の動き、視線、足捌き、重心の移動。それら全てがご丁寧に「次はここを攻撃するぞ」と訴えている。
勇者のような底意地の悪い、常人じゃとても真似できない重心の移動や引っかけ、騙し打ち、膂力頼みの無理やりな剣筋の変化が無いせいで、文字通り見てさえいれば避けられてしまう。
その圧倒的な力ゆえに、強い魔族ほど戦い方を工夫する必要が無いのかもしれない。だからこそ、こうした読み合いや騙し合いに弱くなる。
それでも普通はその上からねじ伏せることが出来るのだろう。実際、療術が使えないことも相まってベルゼの攻撃を一度かわすたび、俺の心臓は緊張と興奮に跳ね上がる。
だが生憎と、そんなもので動きの精度が落ちるほど俺もやわじゃない。勇者との旅で視線は山ほど越えている。格上との戦いなんか日常茶飯事だ。
それに、今の俺はすこぶる調子が良い。
「クソッ! なぜ当たらん……!!」
ベルゼの漏らした悔しげな声と共に、攻撃が途切れたところで俺も息を整える。
人間、極限まで集中すると時折常識はずれの力を発揮すると言うが、まさに今がそうなのだろう。
ベルゼの動きがよく見える。考えると同時に体が動く。次にどうすれば良いのか、その答えが直感的にわかってしまう。まるで見た情報がそのまま体に伝わって攻撃を回避しているかのようだ。
今ならあの勇者とだってやりあえるかもしれない。
少なくとも、一対一ならまだ戦える。それに――
「ハッ……! ハッ……!」
――どうやら勝ち筋も見えてきたようだった。
「どうした? もう終わりか?」
息を整え終わった俺とは対極的に、ベルゼは肩で呼吸する。あえて挑発してみると、咆哮したベルゼが再び俺に襲いかかってきたが、初めのような瞬発力はもはや見られなかった。
繊細さのカケラも無い動きで大振りを続けていたベルゼはどうやら体力が尽きたらしい。怒りからか、それとも元からなのか。
そういえば、高名な学者たちが唱える一説にこんなものがある。
優れた身体能力を持つ動物や、凶暴な魔物がはびこるこの世界で、なぜ人間がここまで繁栄することが出来たのか。
その答えの一つに人間の持つ持久力が関わっている、という説だ。
動物や魔物の中には驚異的な瞬発力を見せるものが多いが、その力は長くは続かない。
ましてや人間のように、何時間も走り続けることができる生物はほとんど居ない。
だからこそ人はその持久力で敵からどこまでも逃れ、敵をどこまでも追い詰めることが出来るのだ。
そしてベルゼら魔族もまた、人間より動物や魔物に近い生態をしているのだとしたら。
今、人間の持つ持久力こそが、魔族であるベルゼを追い詰めている。
「テメェ……! いつまで逃げ回るつもりだ……!」
強がっちゃいるが明らかに限界が近い。呼吸は荒く、動きのキレも無い。それにあの毛皮。今頃体内の熱も逃げ場を失って、ベルゼを蝕んでいることだろう。
戦いが長引くほどに、人間である俺に有利に働く。
「君こそ諦めたらどうだ。そろそろ限界なのだろう?」
「舐めるなァ――!?」
俺の挑発に易々と乗って、ベルゼの攻撃がさらに続く。しかし、勢いに任せて足を踏み出したベルゼは、膝から力が抜けたのかそのまま地面に倒れ伏した。
「ベルゼ様!?」
武派の悲鳴のような声が上がる。
一撃で決めようとしたのが仇になったな。後先考えない攻撃を続けた結果だ。
「ベ、ベルゼ様が手玉に取られてる……!」
「そんな……」
「カイゼル様すげえ……!」
翻弄されるベルゼの様子に沸き立つ観衆たち。武派の者たちは、その光景に愕然としていた。
「グオオアアアアアアアアッッッ!!」
獣のような雄叫びを上げ、四つん這いになりながらもベルゼは戦う姿勢を崩さなかったが、この期に及んではどちらが優位かなど一目瞭然。或いはベルゼ本人ですら気が付いていたことだろう。
「殺す……! 殺してやる……!」
しかしベルゼは動かない。その目に闘志を浮かべたまま、しかしそれ以上体は動かさない。
肩を上下させ、大口を開けて呼吸を乱し、それでも目線だけは俺を捉え続けていた。
さて、こうなると困ってしまうのは俺の方だった。何せ、有効打が無いのは俺も同じなのだから。
生憎と俺の剣ではベルゼの体に傷一つ付けられない。何度も攻撃を避けながら、何度もベルゼの体を切りつけたが、その一切が弾かれてしまっていた。
正直、ベルゼが降参してくれるのが一番なのだが、この様子ではそれも望めない。完全に手詰まりだ。
「……どうして閣下はトドメを刺さないんだ……?」
「閣下! 勝利は目前です!」
「カイゼル様! 早くトドメを!」
やがて観衆たちも騒ぎ立て始めた。そりゃそうだ。こうしている間にもベルゼの息は整いつつある。体力さえ戻れば再びベルゼが牙を向くことは明白。勝利を決めるのは今しかない。
そんなことは俺にもわかっているのだが……
いっそベルゼが二度と動けなくなるまで持久戦に付き合ってやろうか。あまりに手詰まりすぎてそんなゴリ押しの選択肢が浮かび上がり始めた時だった。
「き、緊急のご報告にございます!」
空からそんな声が降ってきた。
見上げるとそこには、両腕の翼を広げて空を羽ばたくドルベアの姿があった。
お前どこ行ってたんだよ! ていうかお前飛べるのかよ! 飾りだと思ってたわその翼!
「今は決闘中ですわ! お控えなさい!」
俺とベルゼの間に着地したドルベアに、ミノンドロスが制止する。しかし彼は慌てた様子で首を横に張ると、俺に向き直り大声で叫んだ。
「大陸の背骨に正体不明の軍勢を確認! 数は二万を越えています!!」
その瞬間、この場にいた全ての者たちがどよめいた。
ドルベアを偵察に送る際に知ったのだが、大陸の背骨とは魔界でのウェグニード山脈の呼び名だ。つまり人間風に訳すなら、ウェグニード山脈を越えて謎の軍勢が現れた、ということ。
だが、それが何者かなんて答えは決まりきっている。思わず口元には笑みがこぼれた。
「二万……!? 一体どこの軍勢ですの!?」
「わかりません! ただ……大陸の反対側から――西側から攻めてきたとしか……!」
「西側だと……!? まさか……!」
魔族たちの視線が一斉に俺へと向けられる。彼らもわかっているのだ。その軍勢が何者か、なんて。
「来たか、人間」
――どうやらようやく、俺にもツキが巡って来たらしい。
◆'25/04/01記載
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次回の投稿は'25/04/21(月)になります。
以降は第一部完結まで月水金の週3更新を予定しています。
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