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【002】どうしてこうなったのかといえば

 俺たちが住むゼクレシア大陸は、周りを囲う広大な海と、大地に横たわる巨大な山々、ウェグニード山脈によって東西に分かたれた大陸である。


 大陸の西側に広がるのは、俺たち人間が住まう人間界。


 豊かな土と穏やかな気候に恵まれた豊穣の大地では、人々はその恩恵にあずかっていくつもの国を築き、長い歴史を歩んできた。


 近頃では国家間の争いも随分と減って、悩みの種と言えば気候不順による作物の不作と近年活動が活発化し始めた魔物への対処くらいのもの。


 小さな問題はいくつもあったが、それでも十分に平和と言える日々が流れていた。


 一方、そんな大陸の反対側、東に広がるのが魔族が住まうとされる不毛の大地、魔界だ。


 魔素と瘴気に覆われた魔界には魔族と呼ばれる異形の者たちや狂暴な魔物が無数にはびこり、人間が生きるには厳しすぎる環境が広がると伝わっている。


 伝わっている、なんて迂遠な表現になってしまうのは、魔界を直接目にした人間があまりに少なく、歴史書にもその詳細が記されていないからだ。


 何せ、魔界に行くためには人間界と魔界を分断する険しいウェグニード山脈を越えるしか手はなく、山脈には王国軍ですら苦戦するような魔物がうじゃうじゃ巣食っている。


 おかげで俺たち人間にはそもそも山脈を越えること自体が困難で、山脈の向こう側がどうなっているかなんて知る由もなかったんだ。


 そして魔族も魔族で大昔に奴らの王――魔王――が大軍勢を率いて人間界に攻め込んで、当時の勇者に撃退されたっきり、人間界に現れたことは一度としてなかったと伝えられている。


 おかげさまで本物の魔族を直接見た奴なんてついこの間までは殆どおらず、魔族ってのは歴史書の中にだけ出てくる恐ろしい化け物のはずだった。


 ――そう、ついこの間までは。


『あれは……まさか魔王軍……!?』


 グネルヴィア王が立案した魔界侵攻計画。その先駆けとして険しいウェグニード山脈越えに臨んだ俺たちは、命からがら辿り着いた魔界で奴ら(・・)と出会ってしまった。


『じゃあ、あれが全て魔族だって言うの……!?』


 土砂降りの中、湿地の向こうから現れた異形たちの軍勢。お互いに不運としか言いようのない邂逅。それこそが俺たちと魔族の初めての遭遇だった。


 恐らく魔族側もこの遭遇は意図していなかったのだろう。奴らは俺たちを発見するなり遠目からわかるほどに動揺を見せたが、やがて戦闘になるまでにそう時間はかからなかった。


 勇者の雷撃が曇天に轟き、襲い来る魔族を次々に焼き焦がす。


 瀕死の魔族を剣士が討ち取り、それでも勢いの止まらない魔族を魔法使いが数多の魔法で押し留める。そうして誰かが負傷すれば、すぐに俺が傷を癒す。


 そんなぎりぎりの戦いの中、明らかに異質な強さの魔族が現れた。


 銀の仮面と長い尻尾、そして大きな体躯が特徴的な魔族だった。


 奴は羽織っていた外套を脱ぎ捨てるなり、俺たちに襲いかかってきたのだ。


 その強さたるや超人的な力を持つ勇者ですら苦戦するほどで、残りの俺たちは戦いについていくことすらできなかった。


『このままではじり貧だ、俺たちが足手纏いになっている……! 一度退いて態勢を立て直すべきだ……!』


『ンな事言ったって、逃げられる相手じゃねえだろ!!』


 俺たちはなんとかして勇者を援護しようと戦ったが、とても相手になりはしない。


 負傷ばかりが増える中、俺はひたすら治療に集中していた――その時だった。


『危ない! 後ろ!!』


 勇者の叫びと共に、魔法使いの女目掛けて魔族の尻尾が襲いかかった。剣のような先端が銀の閃光となって一筋に伸びる。それは鞭のようにしなやかで、しかし矢のように鋭い。


『――ッ!』


 魔法の詠唱に入っていた、魔法使いの隙を突く一撃だった。反応が遅れた結果、回避は出来そうもない。


 その上、軌道は最悪。モグリの療術士である俺ですらわかる、致命傷になり得る一撃。いくら療術でも死者の傷は癒せない。


 そのことに気づいたとき、俺は咄嗟に走り出していた。


 俺が魔法使いを突き飛ばした次の瞬間、全身に衝撃が駆け抜ける。魔族の攻撃が俺に直撃した。そう直感した直後には俺の意識は途絶え、気付けば今に至ったというわけだ。


 あの時の一撃がどうなったのかはわからない。ただ、体中を見回してみても傷らしい傷は見当たらない。当たり所が良かったのか、それとも見た目ほどの威力はなかったのか。


 しかし俺が気絶した後も激しい戦いが続いていたらしく、この辺りだけは不自然に泥が干上がっていた。湿地のど真ん中とは思えないほどの激戦の跡だ。


 そして傍には打ち捨てられた魔族たちの死体。あの時俺たちを襲った仮面の魔族も、今では変わり果てた姿になって地面に横たわっている。


 どうやら、あの魔族を討ち取ることは出来たらしい。巨大な体にはそれ一つで致命傷になりそうな深い傷が幾つも刻みこまれ、赤黒く染まっていた。


 そんな光景に、俺の頭も多少は冷静さを取り戻したのか。


「……魔族も血の色は赤なんだな……」


 魔族への関心が場違いな言葉になってこぼれ出た。


 とは言え相手は伝承の中だけの存在だ。人間である以上、興味が惹かれるのは仕方ないだろう。


 改めて魔族の死体を観察してみると、大袈裟だと思っていた言い伝えの数々が信ぴょう性を帯びてくるようだった。


 曰く、魔族一体を倒すのに人間三人の犠牲を要しただとか。曰く、魔族によって人間は絶滅の危機に追い込まれただとか。


 てっきり、魔族の脅威から人間を救ったとされる女神ルヴィアの権威付けのために作られたおとぎ話の類とばかり思っていたが……


 こんな奴らが本当に大軍で押し寄せて来たってんなら、人間が絶滅しかけたって話もあながち嘘じゃなさそうだ。ご先祖様はこんな化け物と戦ってたんだな……


 そりゃあ女神の加護なんてもんに頼らないと勝てないのも納得だ。


 もしこんな化け物がまた動き出したら俺だって――そう考えた瞬間、寒気のする考えに思い至った。


「こんな奴がまた出てきたら、今度こそ終わりだぞ……見つかる前に人間界に帰らねえと」


 俺は勇者の仲間だったとは言え、主に治療を担当する後衛だ。


 そりゃあ人間相手の護身術くらいは身に着けちゃいるが、勇者が手こずるような化け物相手に勝てるわけがない。


 もしこのままぼけっとしていて、他の魔族に見つかれば一巻の終わりだ。


 俺はすぐさま辺りを見渡してあるものを探す。もちろんウェグニード山脈である。


 人間界と魔界とを隔てる険峻なる山々。あれが唯一、この世界で絶対の方角を知るための手段になる。


 案の定、魔界からでもその山脈は容易に見つけ出すことが出来た。


「えっと……人間界から見ると東がウェグニード山脈だから……魔界から見ると西側か。じゃあこっちが北か」


 すぐに方向を割り出して、自分の位置を大まかに確認する。


「となると……陽の高さからして昼過ぎってところだな。俺たちが戦ってたのが真夜中だから、随分寝てたみてえだ……」


 ここまで他の魔族に見つからなかったのは幸いだった。だが、あまり悠長にしていると死んだ魔族たちを探しにきた、魔族の仲間に見つかる可能性がある。


 一刻も早くこの場を離れなくては。


 最低限の荷物を抱えて、この泥沼を後にしようとした――まさにその時だった。


 俺の耳に、遠くから何かが駆けて来る音が聞こえたのは。


「……? ――ッ! あれは……!」


 ウェグニード山脈の反対側、沼地が広がる地平の向こう。その先からやってくる、いくつもの影。


 一瞬、王国軍かとも思ったがそれはあり得ない。何故なら向こうは、人間界とは正反対の方角だからだ。つまり、あれは……!


「まさか……あれ全部、魔族なのか……!?」


 一瞬で凍えるような寒さが襲う。違う、寒いんじゃない。汗が噴き出して俺の体温を奪っているんだ。


 この光景を、絶望的と言う単語だけ表すのは余りに淡泊だった。


 沼地の果てから押し寄せるいくつもの影。人ならざる者の形をした異形たち。魔族の軍勢が、確実にこちらへと迫りくる。


 ここから逃げ出そうにも、辺りには膝下ほどの丈しかない草と泥ばかりで、逃げる場所も隠れる場所も見当たらない。


 いっそ死んだふりでもしてみるか? いや、おそらく向こうからもこちらの姿は見えている。何もかもが手遅れだ。


 ――終わりだ。


 脳裏に絶望が覆い被さる。死の気配が目前にまで迫り来ていた。

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