【019】対立の行方
ベルゼの不意打ちを受けたカイゼルの体が、観衆たちの輪の上を飛び越えて二度三度と地面を跳ねる。そして勢いよく城壁へと叩きつけられて、巻きあがる砂塵と共にどさりと地面に転がった。
「閣下……!」
「そんな、カイゼル様……!」
「ベルゼ、あなたなんて卑怯な……!」
悲鳴のような声を上げる観衆たちと共に、その光景を目の当たりにしたミノンドロスが咎めるような声を上げる。すると、ベルゼは口元を歪めてゆったりと笑った。
「卑怯? 居もしない敵を使って俺たちを懐柔しようとしてる奴が言えたことか? ええ? ミノンドロスさんよ」
ベルゼの言い分に、ミノンドロスは言葉に詰まる。彼女も薄々察していたのだ、カイゼルの言葉がハッタリでしかないことを。
カイゼルがこのウルディア要塞に送られてきた理由は彼の反乱を防ぐためだとミノンドロスは聞かされていた。
カイゼルが根拠地とするアズバラッド要塞は、魔王軍の北方戦線にとって非常に厄介な位置にあった。
堅牢と名高いアズバラッドを陥すには被害が大きくなりすぎるし、かと言って無視すれば側背を襲われる可能性もある。
その上、アズバラッドを守るのは剛勇無双のカイゼルだ。面倒なことこの上ないと言うのが魔王軍としての本音だった。
だからこそ宰相のゲルバルトはカイゼルの提示した法外な要求を呑んでまでこの地を接収し、直轄地とすることにした。カイゼルと真正面から戦うより、取り込む方が安いと踏んだのだ。
そんな事情を知っているからこそ、ミノンドロスにはわかっていたのだ。カイゼルのウルディア派遣はただの左遷であり、人間軍が迫っているという話は一切存在しないと。
「どの道、この程度でくたばるような奴なら俺に勝つなんざ無理に決まってるだろ。やるだけ時間の無駄だ、残念だったな雑魚共ォ!」
ベルゼの咆哮と共に騒ぎ立てるのはベルゼの傘下、武派の者たち。ベルゼの勝利に湧き上がり、誰もが愉快そうに大笑いする。
「ギャハハハハハハ! どうしたカイゼルさんよ! もう死んじまったか!?」
「残念だったなお前ら! 頼みのカイゼル閣下、死んじゃったよー!」
「次はお前らの番だな、かわいそうに……ヒャハハハハハハハ!」
彼らの笑い声に反論する者はもう居ない。ミルドの民も、文派の者たちも、ミノンドロスさえも。その目に圧倒的なまでの格差を見せつけられてしまったから。
特に文派の者たちは知っていた。ベルゼのあの一撃をもろに喰らって、生き延びた魔族はいないことを。故にカイゼルの生存が絶望的であることも。
絶望の中、ベルゼが一人、流暢に語る。
「俺はな、魔将軍って奴らが一番気に入らねエ……結局はアイツらも魔王にビビッて傘下に加わっただけのくせに、偉そうに方面軍なんて率いてデカイ顔してやがる。そして何よりそんな奴らが――俺より上に立っていることが腹立たしい!!」
直後、周りに怒りをぶちまけるように、ベルゼは激しく咆哮した。その残響は聞く者全てに彼の怒りの凄まじさを知らしめる。憎悪や殺意と言っていいほどの激情が彼の中に渦巻いていることを。
「良い予行演習になったぜカイゼルさんよォ……! 同じ魔将軍のテメェがこの程度なら、他の魔将軍もこの手で始末してやれる……! 特に奴は――"蒼翼"のバンデックだけは、必ずこの手で殺してやらなきゃならねエからな……!」
ベルゼが憎悪と共に吐き捨てた名、"蒼翼"のバンデック。それはダルフェリア魔王軍において三魔将――カイゼルを含めると四――と呼ばれる魔将軍の一人だった。
ダルフェリア魔王軍を率いる魔王は、その圧倒的な魔力で次々と魔族を従え、魔界に覇を唱える一大勢力となった。その長たる魔王に次ぎ、魔王軍第二席の座を与えられているのが魔将軍という役職だ。
魔将軍に仇なすということは、魔王軍そのものを敵に回すという意味に等しい。ベルゼのこの言葉は、事実上の宣戦布告とも取れた。
怯え、すくみ、驚き、恐怖する者たちを後目に、ベルゼはさらに叫ぶ。
「どんなに卑怯だろうが、どんなに姑息だろうが、最後に物を言うのは力だ! 弱い奴は蹂躙され、強い奴だけが生き残る! 弱い奴らが偉そうに、ガタガタと吐かすんじゃねエ!!」
まるでやり場のない憎悪と怒りをぶちまけるような叫びだった。そして勢いあまってかその拳を地面に振り下ろすと、叩き割られた石畳が捲り上がり、地揺れのような衝撃が迸った。
そして観衆たちの視線の中心で、ゆっくりと地面から拳を引き抜いたベルゼは辺りをギロリと睨み付ける。
「さて……残念だが、俺がバンデックを殺そうとしていること、知られたからにはお前らを生きてこの要塞から出すわけには……いかねエな?」
それは文字通りの処刑宣告だった。ベルゼの体毛が一斉に逆立ち、彼の牙が妖しく輝く。
今更この要塞内に、魔王への忠義を持っていてベルゼのことを密告しようなどと言う殊勝な者は誰もいない。しかし、ベルゼへの反感から密告が行われる可能性は十全にあった。
だからこそベルゼは、これから作業を始めようとしていた。己の王国を揺るがしかねない、造反者たちを始末するための作業を。
「……もはや、言葉は無用ですわね」
ベルゼの狂気を感じ取り、ミノンドロスはすぐに武器を構えた。先端に重心が寄った、大きな槌矛だ。
魔族の毛皮や鱗すらも叩き割る、ミノンドロスの重量武器。恐らく唯一、この中でベルゼと対等に戦える存在は彼女だけなのだろう。
「あァ……初めからそう言ってるはずだ。まずはお前が相手か、ミノンドロス? さっきのカスより、まともな戦いにしてくれるんだろうな?」
「わたくしにもまだ、死ねない理由がありますのよ。お相手致しますわ、ベルゼ殿」
見るからに重々しい槌矛を軽々と頭上で振り回すと、ミノンドロスはその穂先をベルゼに向ける。両者の間に緊張が走る。お互いがお互いを強敵だと認識していた。
その時だった。
「やれやれ……まだ私との決着はついていないはずだぞ、ベルゼ。無論、お前が棄権すると言うのであれば……その限りでは無いのだがね」
それは既に息絶えたはずの者の声。誰もがその存在を思い出し、彼が倒れた場所へ一斉に視線を向けた。
そこに佇むのは一人の影だった。舞い上がった粉塵が収まり、瓦礫の山と化したその場所から、当然のように歩いてくる見慣れた銀仮面姿。
「カイゼル……!? テメェ……!」
「閣下!」
"銀閃"のカイゼルが不遜な笑みと共に、傷の一つも見当たらない姿でその場に佇んでいたのだ。
「まだ生きてやがったか……!」
「勝手に私を殺すな。それよりどうする? 棄権するかベルゼ? 私は一向に構わんが。何せ私は、手荒な真似が苦手でね」
わざとらしく、服についた埃を払いながらそう告げるカイゼル。その姿はまるで、ベルゼの攻撃を全く意に介して居ないようにも見える。
「減らず口を……! テメェ、一体どうやって防ぎやがった……! あの時確かに、手ごたえはあった……!」
ベルゼの表情に緊張からくる強張りが生まれる。目の前の光景が信じられないというように、彼はカイゼルを捉えたはずの右腕に視線だけを向ける。
その様子を遠目で伺いながら、観衆たちの開けた道を歩くカイゼルは短く答えた。
「何も」
そう、何もしていない、と。
「どうやったか、と問われると困ってしまうな。何せ、何もやっていない。突然の不意打ちに少々驚いてしまったが……それだけだ。質問の答えにはなっているかな?」
その答えはベルゼではなく、その光景を目撃した要塞の魔族たちを震え上がらせた。
彼らはベルゼの力を間近で見ている。その力がどれだけ稀有で、魔界において上澄の存在なのかも知っている。だからこそ恐ろしい。
その力を持ってしても、傷一つ無く歩いているカイゼルの姿が。
武派も、文派も、ミルドの民も。そしてミノンドロスまでもが己の勘違いにようやく気づいた。
どんなに穏やかな口調であろうと。どんなに体付きが華奢であろうと。そしてどんなに手荒な真似を嫌っていようと。
目の前にいるのは紛れもなく、ダルフェリア三魔将に匹敵しうる力を有した四人目の魔将軍。"銀閃"の二つ名を冠する巨星なのだと。
敵のみならず味方までもを威圧しながら、その穏やかさを無くさない彼の姿は、魔族の中では異様とも言えた。そしてその異様さこそが、今は何より恐ろしい。
「テメェ……舐めやがって……! 今度こそ仕留めてやる……!」
ベルゼの体毛が逆立ち、その瞳に再び怒りが宿る。唯一、未だカイゼルへの敵意を失っていないベルゼにとっては、たった一度の攻撃を防がれただけ。戦意を失うにはあまりに早い。
しかし、攻撃が効いていないという事実は確かに、ベルゼの根幹にある自信とも言うべき幹を蝕んでいた。
「それでは改めて……続きと行こうか」
銀仮面が、ニヒルな笑みを口元に浮かべていた。




