【018】銀閃と灰塵
正直なところを言ってしまうと、俺は人間の中では強い方だ。これは断言していい。
何せ幼い頃から田舎の野山で鍛えられた足腰に、生まれつき持っていた療術の加護。
そして旅の中で魔物に襲われても戦えるようにと、人類最強《勇者》と手合わせまでさせられて剣技を仕込まれたんだ。
これで自分は弱いです、なんて言うのは謙遜を越えて嫌味ですらある。
だからそこらの一般人や盗賊程度なら簡単に蹴散らせるし、小型の魔物や王国軍の正規兵相手でも一対一ならまず負けない。
相手がよっぽどの強者じゃない限り、俺が負けることはまずありえない。そう――
「ベルゼ様! 生意気なカス共に見せつけてやってください!」
「ギャハハハハ! テメェらの命も今日が最期だ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
――あくまで相手が人間なら、だが。
「逃げずに来たか、さすがはカイゼル閣下だな。ブバッハッハッハッハ!」
観衆たちの視線の中心で俺を待ち構える暴虐の巨躯。灰色の毛並みをなびかせて、実に愉快そうに俺を見据えるその化け物に俺は心の中で毒づいた。
――逃げられるなら逃げたかったに決まってんだろ馬鹿。
「カイゼル様ー!」
「勝ってください! 貴方こそがこの要塞の主だ!!」
「閣下! 閣下! 閣下!」
俺の本音など露とも知らず、観衆たちは一斉に沸き立った。誰も彼もが俺をカイゼルだと心から信じ切り、勝利を確信して声を上げていた。
「閣下、ご武運を」
そして傍に控えていたミノンドロスが俺に剣を差し出した。この砦に来てから預けたままになっていた俺の鉄剣だ。
三本で一九八ベリアのそれを受け取った俺は、彼女に見送られて広場に向かう。
決闘の舞台は要塞内の広場。本来は兵を整列させたり有事の際には陣を張ったりするための場所なのだろうが、今は本来の用途とは程遠い、決闘なんてモンの舞台に成り下がっている。
この決闘への注目度は高く、ベルゼを支持する武派と俺を支持するその他の勢力で陣容が真っ二つに分断され、魔族たちがごった返していた。
――勘弁してくれ。
その光景を目の当たりにして、思わずため息が漏れる。
今回の相手は人間でも魔物でもなく、人類の天敵たる魔族。そして、その魔族の中でも上澄み、屈指の強さを持つらしいベルゼが相手だ。大問題だった。
ベルゼの大木のような巨腕や脚から生み出される爆発的な破壊力は、俺のような人間を一撃で砕いてしまうことだろう。それに生え揃った鋭利な牙や爪は、例え盾があったとしても防ぎ切れるか定かでない。
攻撃力だけでも見るからに脅威的だと言うのに、さらに最悪なのは防御力も桁外れらしいということだ。
ベルゼの体表を覆う灰色の毛並みが魔物と同じような毛皮ならば、恐らく剣はまともに通用しない。魔物の毛皮は強靭すぎて、普通の剣じゃ刃が通らないからだ。
だから魔物と戦う際は斧のような質量武器で無理やり叩き割るか、高火力の魔法で消し飛ばすか、どうしても剣で戦う場合は喉元や関節のような毛の薄い場所を狙って攻撃するしかないというのに……
「まさか、魔族との戦い方を実践で検証する羽目になるとは……」
剣が通用するかもわからないのに、当然療術も使用不可能で、俺は一体どうやってあの化け物に勝てばいい?
だからさっさと逃げたかったのに、決闘が始まるまで引っ切り無しに俺を応援する魔族たちが訪ねてきたせいで、一人の時間も碌に作れなかった。完全な無策というわけだ。完全に詰んだ。
「閣下……我らミルドの命、閣下と共に」
絶望する俺の傍にセルジドールが駆け寄り、そんな言葉をかけてきた。殊勝なことだ。だったら俺の代わりに戦ってくれよ。
なんてことを思いつつ、せっかくなのでセルジドールに頼みごとをすることにした。
「セルジドール、要らん妨害が入る可能性もある。その時はお前たちミルドが足止めしてくれ」
主にミノンドロスとか。決闘にかこつけてベルゼと二人がかりで襲われてもたまらない。
するとセルジドールは表情を輝かせて「我らを信用いただけるのですか……!」なんて大袈裟な反応を見せた。
「君たちだからこそ頼んでいるのだ。頼まれてくれるか?」
「命に代えても――!」
どこまでも大袈裟な奴だ。セルジドールの礼を見届けた俺は、そのまま広場の中心へと足を進める。
辺りは数百を越える魔物たちの人だかりだ。そして正面にはこの要塞の王、ベルゼ。今から逃げ出す……のは無理だろうな。こうなればやぶれかぶれだ……!
「戦う前に一つ! 話しておきたいことがある!」
俺が剣を空に掲げて観衆の注目を集めると、辺りに静かさが帰ってきた。彼らの沈黙を見届けて、改めてベルゼに向き直る。
「なんだ、命乞いでも聞かせてくれるのか?」
ベルゼの言葉に、ゲラゲラと笑う武派の者たち。そうだよ、命乞いだよ、なんて言える訳も無く。
「……実は君たちに伝えなければならないことがある」
なるべく神妙に、俺はそう切り出した。
「ほォウ……? 一体何を伝えるんだ? 実は自分はそんなに強くありません、だから加減してくださいってことか?」
ベルゼの言葉で武派の観衆たちが再び笑いだす。いや、それ伝えてどうかなるなら俺もそうしたいんだけどさ……
「それよりも重要なことだ……この要塞にはもう間もなく敵が押し寄せる! それも数万の兵を率いた大軍団だ! 私がこの要塞に派遣されたのも、その敵と戦うために他ならない!」
俺が叫ぶと、観衆たちは口々に「本当か?」「嘘に決まってる!」などと騒ぎ始める。疑われるのは無理もない。ここにはまだ、何の証拠もないのだから。
「私の言葉を疑うならばそれでも構わん! だが、じきに答えもわかるだろう! 既にドルベアにはこのことを伝え、今朝方に偵察を放ってもらった! 決闘の開始はその結果を確かめてからでも遅くはない!」
俺の言葉を証明するため観衆の中にいるはずのドルベアを探すが、どこにも姿が見当たらない。
あいつ肝心な時にどこ行った……?
少々焦りを覚えながら辺りを見渡していると、観衆たちの動揺を押さえつけるかのようにベルゼが大声を上げた。
「だったら聞かせてもらおうじゃねエか! テメェの言うことが真実だってんなら、一体、どこの誰がこの要塞に攻めて来るってンだ!?」
魔族たちの視線が一斉に俺に向けられる。動揺していた者たちが口をつぐみ、俺の次の言葉を待っていた。
……ここから先は証拠も根拠も何もない、本当に起こるかもわからない予測を、魔族たちに信じさせるためのハッタリ勝負になる。
だからこそ、周りに不安を気取られるわけにはいかない。虚勢を張って虚言をこねまわし、その上で余裕綽々と笑ってみせなければならないのだ。
顔を上げ、胸を張り、外套を翻し、深呼吸してその言葉を口にする。
「決まっている。ここは元々、何のために作られた要塞なのか……忘れたわけではないだろう?」
「……あァ? まさか……」
「ああそうだ。人間が来るぞ」
その瞬間、魔族たちは今日一番のどよめきをみせたのだった。
――俺が予言した人間軍の襲来。それは、俺が直接目にしてきた事実に基づく予測だった。
ことの発端は今から約一年ほど前。人間界の東側に広大な領地を抱え、対魔族を国是に掲げていたグネルヴィア王国が、突如として"聖戦"の開始を世界に宣誓した。
人類存続のために魔界へ攻め入り、魔王の討伐を最終目標に掲げる"聖戦"の開始は、実に七〇年ぶりのこと。魔界において"大侵攻"と呼ばれた戦い以来のことだった。
突然の宣誓に人々は困惑したが、魔族と戦うことを固く禁じていた聖ルヴィア教会がこの宣誓を承認したことで世論は瞬く間に"聖戦"へ傾き、俺たち勇者一行はその先駆けとして魔界に入ることになった。
俺たちが本物のカイゼルと戦ったのは、この聖戦軍の先駆けとしてのことだったのだ。だから、人間が攻めてくるというのもあながち出任せというわけではない。
ただ、唯一の懸念が勇者たちだ。
もし勇者たちが俺を見捨てた後に聖戦軍と合流し、魔族の脅威を訴えていたら。
そしてもし、その訴えが聞き入れられて聖戦軍が撤退を選んでいたら。
俺の目論見は全て崩れ去ることになる。
「人間たちが攻めてくる! 七〇年前の"大侵攻"の再来だ! 勇者が現れたのもその証! 我々は既に、岐路に立たされている!」
しかし、聖戦軍は万を越える軍勢だ。勇者の報告を聞いてすぐに撤退、というわけにはいかないはずだ。
撤退するか悩んでいる姿をドルベアの放った偵察が見つければ、それだけで目的は達せられる。
そうすれば後は人間との戦いを謳って魔族たちを焚き付けて、聖戦軍を追撃する中で人間界に逃げ帰ることすら望めるだろう。
……それに俺は、人間の愚かさを信じている。ここまで足掛け一年使って、あらゆる犠牲を払ってたどり着いたのがこの魔界だ。
魔族が怖いので撤退します、成果は何もありませんでしたなんて言えるやつはそう居ない。
勝ちなり負けなり撤退するための理由がほしいはずだ。
例えそれがたった一度の敗北で滅亡の引き金を引くきっかけになろうとも、人間はそこまで利口にはなれない。これまでの歴史が、何度もそれを証明している。
奴らは必ず魔界まで攻めてくる。なぜならそれこそが、人が人たる理由だからだ。
「……勇者が証拠ったって……なあ?」
「半日かけて探しても見つからなかったんだぞ! テメェのでっち上げじゃねえのか!」
しかしベルゼの向こう、武派の観衆からはそんなヤジが飛んでくる。
だか俺は、その上からさらに嘘を塗り重ねる。
「私は魔王陛下から勅命を受けてこの要塞へやってきた! 人間の襲来は陛下も知るところだ! 私を疑うのは構わんが、陛下のご判断を揶揄することは許さん!」
魔王の名前を出すと、武派の連中にも動揺が走った。やはり魔王軍、魔王の権威は凄まじいらしい。
あわよくばこれで俺の言うことを信じてくれれば……そんな淡い考えを抱いた時だった。
「オイ、その言葉……陛下の勅命だという話は本当か?」
他でもないベルゼが、魔王の勅命という言葉に反応したのだ。
かかった……!
「ああそうだ。陛下は私と君たちが力を合わせ、ウルディア要塞を守り切ることを期待している。だからこそ今は、我々が争うべきではないのだ」
ベルゼの表情は今までになく真剣そのもの。その迫力に、ベルゼの配下たちですら困惑しているほどだ。
「……そうか、陛下が」
拳を握り締め、噛み締めるように呟くベルゼ。奴の過去に一体何があったのかはわからないが、もしかすると魔王軍としての忠心だけは生きていたのかもしれない。
こんな西の外れの要塞に押し込められてなお、魔王への忠義は嘘ではなかったということだろうか。
「ベルゼ。君が望むなら指揮権を譲っても良い。だが、次の戦いだけは負けるわけにはいかない。だから力を貸してはくれないか」
ダメ押しとばかりにもう一言添えると、ベルゼは俯いて、それから顔を上げるとゆっくりと歩み出す。その目にはしっかりとした光を宿して。
「いや……その必要はねえよカイゼル閣下。そういうことなら――」
そして俺たちの距離がある程度まで縮まった時。
「――なおさらテメェを生かしておくわけにはいかねエからな!」
「なッ!?」
毛皮の下からでもわかるほどに筋肉が浮かび上がり、ベルゼの足元の石畳がめくれ上がって、その巨体が跳ねるように突っ込んできた。
容赦なく振るわれるベルゼの右腕。俺は咄嗟に頭を庇うも、その重たい一撃が全身を襲う。
「ぐッ……がっ……!!」
衝撃と共にベキベキと言う嫌な感覚が体内を駆け巡り、体が宙を舞う。
気を失いそうになった次の瞬間にはどちらが上かもわからなくなり、全身が地面とこすれる感触に襲われ、再び浮遊感に包まれた。
やられた――! そう理解したときには既に二度、三度と地面に打ち付けられて、最後に一際大きな衝撃を受けてようやく、俺の体は地面に転げ落ちた。
「閣下!」
「ブバッ、ブバッ、ブバッハッハッハッハ!」
遠のく意識の中、俺の耳にはミノンドロスの悲鳴のような叫びと、ベルゼの下手くそな笑い声が残響していた。