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【017】立ち上がる戦士たち

「あァ……?」


「閣下……!」


 気付けば俺は、ミルドの親子とベルゼの間に立ち塞がっていた。咄嗟のことだとは言えやっちまった。後悔が冷や汗となって背中に滲むが、今更もう遅い。


「やめろ、ベルゼ」


 今更のようにベルゼに告げる。


 どうせ魔族の子供だ、そのまま放っておけばよかったんだ。俺の冷静な部分がそう毒づいた。


 とは言えもう一度時間が巻き戻ったとして、今度こそ見過ごせるかと言われると……それが難しいことは俺が一番よくわかっていた。


「カイゼル様……!」


「子供のことはしっかり見ていろ。何を仕出かすかわからないからな。それと――」


 少しだけ顔を後ろに向けて、目線だけを子供に送る。


「――助かった。例を言う」


 それからすぐに、母親は子供を抱きかかえ、頭を下げて逃げだした。


 その様を見ていたベルゼが口元を吊り上げて笑った。


「お優しいことだなカイゼル様は。そんなクズ共にもお情けをかけるとは!」


 だがここで大人しく引き下がれば、ベルゼに怯えたと思われてしまうだろう。俺は精一杯の虚勢と共に皮肉を捻り出す。


「お前こそ子供相手に本気で挑むとはな。そこまでしなければ子供にすら勝てないほど弱いのか」


「あァ!?」


 すると予想以上に効いたのか、ベルゼの表情が一気に険しくなった。どうやら俺はベルゼの怒りに油を注いでしまったらしい。沸点低すぎないか? 余計なこと言わなきゃよかった……


 ベルゼの鋭く大きな目玉が俺を捕らえ、生えそろった牙がざらりと輝く。そして今まさにベルゼの矛先が俺に向こうとしたその時だった。


 カツンと軽い音がして、地面に何かが転がった。


 俺とベルゼが呆然とその何かに視線を向けると、どうやらそれは小石のようだった。お互いに状況が理解できず、二人の間に間抜けな時間が流れる。


 そしてその理由に理解が追い付いた時、ベルゼは牙をむき出しにして激昂した。


「――ッ!!」


 声にならない怒りの声。石が飛んできた方向へ、見た目通り獣のような速度で視線を差し向ける。


 俺も慌ててその視線を追いかければ、その先にはミルドの男が一人。離れた場所から震えながらに石を握って構えていた。


 男は叫んだ。


「カ、カイゼル様は行く宛のない俺たちに、暖かい食事をくれたんだ……! だから……だから今度は、俺たちが恩を返す番なんだ……!」


 威勢のいいことを言っているわりに、足は震えているし表情もガチガチ。だというのにベルゼに殺気を向けられてなお、その手に握った石を離すことはしない。


 驚くべきは彼に続いて、他のミルドの難民たちも一人、また一人と前に進み出てきたことだった。


「そうだ……! どうせカイゼル様が居なけりゃ、明日にもくたばってた命だ! だったらこの命、カイゼル様のために使ってやる……! カイゼル様をやるってんなら、まずは俺たちからやれ!」


「わたしたちだって、カイゼル様のために戦うわ!」


 気付けばミルドの難民たちが男も女も入り乱れて俺たちを取り囲んでいた。


 誰の目にも明らかに勝ち目のない戦いだというのに、各々の瞳には強い意志が宿っている。いつでも戦う覚悟は出来ている、そういう目だ。


「国すら守れなかったカス共がほざくなァ!! 大人しく使い潰されてりゃ良いものを!!」


 ベルゼが咆哮するなり、ベルゼの手下たちは一斉に隊列を組む。難民たちをいつでも抑えかかれるように、その手に武器を構えての布陣だ。


 ベルゼの手下は十数人ほどしかいないが、体つきは筋骨隆々。それに怯えも無く、明らかに戦い慣れしている。


 両者がぶつかればミルド側も大きな被害を受けるに違いない。だというのに、彼らは更に進み出る。


「私たちは確かに国を失った……! でも誇りは、魂までは失ってないわ!! 全部カイゼル様が守ってくれたのよ!! それなら最後まで、ミルドの民として誇りある戦いをするわ!!」


 あれは昨夜、セルジドールと共に挨拶に来た女だ。名前は確か、ニニトゥーラ。まだ年若く見える彼女さえも、凛と背筋を伸ばしている。


「閣下。我々ミルドは、閣下の意思と共に在ります。倒しましょう、かの暴虐者を」


 そして最後に俺の元へ進み出て来たセルジドールが、威勢よくそんなことを言ってのけた。


 倒す? ベルゼを? 何言っちゃってんのこいつ。無理に決まってるだろ。


「お前らカスが俺を倒す? ブバッハッハッハッハッハ! そいつァ良い! 出来るものならやってみろ!!」


 ほら、ベルゼにも笑われちゃってるじゃん。


 ベルゼの手下たちもゲラゲラと笑いながら武器を構え、ミルドの難民たちとの距離を詰めていく。武器もない彼らがまともに戦える訳もない。今まさに、一方的な蹂躙が始まろうとしていた。


 その時だった。


「ベルゼ様……! いや、ベルゼ!! もうやめなさい!!」


 俺たちの元に、更に新たな顔が現れたのだ。


「テメェ……ドルベア……! いつから俺のことを呼び捨て出来るまで偉くなったんだテメェはよォ……! たかが料理長如きのテメェがァ……!」


 ドルベアだ。痩せぎすで細長い手足をしたドルベアが、数名の兵と共に要塞から駆けおりてきたのだ。


「この要塞の指揮権は、既に閣下に移譲されている! いつまでもお前の思い通りになると思うな!」


 あの兵士たちは文派の支持者か、或いはベルゼに反感を抱く者たちなのか。僅かながらようやく戦力と呼べる人員が増えたが、それでもベルゼの一派と戦うには心もとない。


 そんなことこの場に居る誰もがわかっているはずなのだが、何故かベルゼに立ち向かう者たちには怯えがない。まさか本気で俺がベルゼに勝てると信じているのか? 勘弁してくれ。


「どいつもこいつもナメやがって……!」


 ついに我慢の限界を迎えたのか、ベルゼはひと際大きくその顎を開くと、辺りを叩き割るような咆哮を轟かせた。


「――ッ!?」


 それはまるで、夜闇に響き渡る化け物の叫びのようだった。全身が震えあがり、身の毛がよだつような、生命としての危機を感じさせるほどの。


 勇者との旅の中で凶悪な魔物と何度も戦い、時には魔物たちがはびこる森の中で野宿した俺ですらそうなのだから、他の者たちに耐えられようはずもない。


 ベルゼの咆哮によってすっかりすくみ上った難民たちやドルベアの兵たちは、力が抜け落ちたかのようにその場に次々とへたり込んでしまう。


 彼らの姿を一瞥して、ベルゼが叫ぶ。


「良いかテメェら! この魔界において、力のない奴は全て悪だ! 力だけが全てを凌駕し、力ある者だけが正義足りえる! それがこの魔界における唯一の法だ!」


 全身に覇気を這わせるベルゼの姿を、誰もが怯えた目で見つめていた。


「わかったら力のないカスどもは、黙って強者に蹂躙される時を待っていろ! お望み通り、順番に引き裂いてやるからよ!!」


 それは文字通りの処刑宣告だった。言わんこっちゃない、と言いたくなる。ベルゼのような相手に真っ向から立ち向かうのは、利口な奴のやることじゃない。


 弱者は弱者なりの生き方というものがあるというのに。


 ……だというのに、バカはまだ増える。


「哀れですわね、ベルゼ」


「……あ?」


 ミノンドロスだった。


 他の者たちが恐怖にすくみ上っている中、ミノンドロスだけはしっかりとベルゼを見据えていた。


「チッ……少しは出来る奴が居るみてエじゃねエか。だが、味方の選び方を間違えた時点で、カスはカスだ」


「カスで結構。しかし……あなたにだけは言われたくありませんわね。他でもない、弱者のあなたに」


「……あァ?」


 その時、ベルゼの表情が強張った。明らかに敵意の込められた奴の視線を、それでもミノンドロスは無視するように、涼やかに。朝風に長い赤毛を揺らしながら続ける。


「わたくし、あなたのような方が大嫌いですのよ。生まれ持った力に溺れ、力こそ至上だと謡いながら、自身のためだけにその力を振るう……わたくしは今までにそういう魔族を無数に見てきましたから」


 対するベルゼはミノンドロスの言葉に耳を傾けていた。その拳に力を込めて、口元を忌々し気に歪めながら。


「ですがわたくしに言わせれば、そんな奴らの方がよほど弱者ですわ。だって彼らは結局、自分より弱い相手を踏みにじって安心したいだけなんですもの。自分は強者だと安心し、自分より強い相手に挑む気概も無い……そんな腑抜けた弱者でしかありません」


 彼女がベルゼに向き直る。その目に強い決意の色を宿らせて。


「あなたもそんな弱者の一人だと言っているのですベルゼ。強者相手に挑む覚悟を決めた彼らより、勝てる戦いしかできないあなたの方が余程弱い。こんな片田舎の要塞で、魔王気取りもいい加減になさい!」


「テメェ……!!」


 ベルゼの血走った目が、ミノンドロスを睨み殺さんとばかりに凝視する。


 だがその時。ふと、ベルゼの視線がこちらを向いた。まるで何か良案を思いついたかのように、口元に不気味な笑みを張り付けて。


 なんだか嫌な予感がする。


「……どうやら、俺が居ない間に随分とカスどもを手懐けたらしいな?」


 いや、そんなつもりは無いんですけどね、本当に。


 そんな俺の想いとは裏腹にベルゼは続ける。


「良いぜ、どの道このままじゃ収まりつかねえんだ。ケリ付けようや、カイゼル」


「……ケリ……?」


「決闘だ。俺と一騎打ちしろ。俺に勝てばお前をこのウルディア要塞の主だと認め、この命をくれてやるよ。その代わり……俺が勝てば、テメェの首を貰う」


 それはある意味当然の提案でもあり、そして俺にとっては何の得も無い提案だった。結局のところ勝っても負けても俺が動きにくくなるだけじゃないか。


 大体、決闘で命をかけるなんて古代の騎士じゃないんだぞ。なんて野蛮な奴なんだ、馬鹿馬鹿しい。


「そんな戦いには――」


 応じられない。そう答えようとした時だった。


「ベルゼ。今は勇者がいつ攻めてくるかもわからない状況ですわ。だというのに、身内で争っている場合ではないでしょう」


 俺の言葉を引き継ぐように、ミノンドロスが告げる。


 そうだそうだ、もっと言ってやれミノンドロス!


「それに閣下は朝食すらとらずに今この場にいらっしゃいます。それはあなた方が朝から騒ぎを起こしているからですわ」


「その通りだ。何なら私は寝起きだ」


「ですから、勝負は昼前からと致しましょう」


「ミノンドロスの言うとおり、勝負は昼前に――ん?」


 あれ、今なんて言った? 何か流れでとんでもないことを口走った気が……


 しかしもう手遅れ。それを聞いたベルゼは口をニンマリと歪めて大声で叫ぶ。


「聞いたな野郎ども! 決闘は昼前からだ! この要塞の主が一体誰なのか、はっきりさせてやろうじゃねえか!」


『ウオオオオオオオオオオッッッ!』


「え、嘘。いや、今のは――!」


「ベルゼの横暴を今日こそ閣下が終わらせますわ! 皆の者、閣下の勇姿を刮目なさい!!」


『ワアアアアアアアアアッッッ!!』


 突然湧き上がる熱気。その両者の間に挟まれて、俺は一人取り残される。


「……どうしてこうなるの」


 そんなわけで、あろうことか目の前の化け物と、俺は一騎打ちをする羽目になったのだった。本当、どうしてこうなるんだ……

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