【016】味方殺しの帰還
ミノンドロスの襲撃に怯え、部屋の隅で布団にくるまって眠る俺を叩き起こしたのは、他ならぬ彼女の大声だった。
「何ごとだ!」
目覚めてすぐに窓の外を確認すると、空が仄かに明るくなっている。どうやら明け方前らしい。
叩き起こされて即戦闘、なんてのは勇者との旅じゃ当たり前。そのおかげで寝起き後すぐでも意識が覚醒する。
俺の返事を聞いたミノンドロスは、すぐさま部屋の外で要件を叫んだ。
「難民たちの天幕が炎上しております!!」
「……はあ?」
どうやら俺はまだ寝ぼけているらしい。
◆
夜の静寂がひっくり返されたかのように、要塞の外から叫び声が聞こえてくる。まだ暗い朝空を見上げれば、ミルドの難民たちが集まっていた南の空が赤く染まっていた。
あれは朝焼けなんかじゃない。炎だ。大きく燃え上がる炎が夜の裾を焦がしているのだ。
――グオオオオオオオオ――ッ!!
鎧に兜まで着込んだミノンドロスと共に、急いで城門をくぐる。その時、澄んだ朝の空気に紛れて身の毛もよだつような咆哮が轟いた。
俺の眠気を一気に拭い去ったその咆哮の出所は、やはりミルドの天幕からだった。
「どけェカス共! 邪魔だ!!」
「ギャハハハハハハ! そうら逃げろ逃げろ!!」
丘を駆けおりる途中、騒ぎを起こしている魔族たちの姿が次第にはっきりと見えてきた。
武器や防具を身にまとった兵士たちが、ミルドの天幕を次々に引き倒し、焼き払い、ミルドの難民を襲っている。
「ダメだ、崩れるぞ!」
「やめて……! おやめください、どうか!」
昨日、難民たちが必死に立てた天幕が。暖を取るために薪をくべた焚火が。寝藁を運んだ暖かな寝床が。粗暴な兵士たちによって次々と踏みにじられてゆく。
彼らは懇願するミルドの難民たちを笑いながら足蹴にし、追い立てて、何もかもを破壊しつくしていく。その姿はまさに蛮族。とてもじゃないが、知性ある生命の行いとは到底思えないほどの暴虐だ。
「テメェら誰の許可でたむろしてやがる!! ここが一体誰の要塞かわかっているのか!?」
「カイゼル閣下に許可を頂いております! ですからこのようなご無体はおやめください!」
離れたところで言い争う、セルジドールと兵士たち。しかし兵士たちはカイゼルの名前を聞くなり、すぐに「アアッ!?」と声を荒げた。
「わかってねえようだな! 良いか、この要塞の主はなァ――!」
「――カイゼルだと? 奴がテメェらを入れたってエのか!?」
その時、ドスの効いた声が空に響き渡った。恐らくは先ほどの咆哮の主だ。その怒声が轟いた途端、兵士たちの騒ぎが一斉に止み、彼らは一様に同じ場所を注視した。
彼らの視線の先、惨劇の中心地。崩れ落ちる天幕と燃え上がる炎の中から、ひと際大きな――それこそ、ミノンドロスでさえ見上げるほどに大きな体格の異形が、ゆっくりとその姿を現した。
「カイゼル、カイゼル、カイゼェェェェェェェェェル! 俺の要塞で、随分と好き勝手してくれたようだなァ!?」
獣のように正面に突き出た両顎と、その顎の端から外へ突き出る二本の大牙。大きな瞳の間に刻まれた深いシワに、眉間から突き出る二本の長い角。
まるでイノシシを思わせる、凶悪で醜悪な顔をした魔族が、灰色の毛並みを震わせてそこに在った。まるでその異形こそが、この地の王であると告げるかのように。
「お前らクズ共に教えてやる。このベルゼこそが、ウルディア要塞の真の主だ! カイゼルなんて雑魚、すぐにくびり殺してくれる!!」
血走った瞳で辺りをぎらりと睨み付け、ミルドの難民たちを視線だけで怯えさせる。その威圧感といったら、離れた場所に居る俺ですら足が竦むほどだった。
味方殺しのベルゼ。思っていた以上にまずいやつだ。
「あっ……! カイゼル閣下!」
その時、無慈悲にもミルドの難民が声を上げた。
「閣下!」
「閣下が助けに来て下さった……!」
「カイゼル閣下……!」
一人が俺に気付き、次々彼らが俺の名を呼んでこちらに向く。そんなことをすれば当然のようにベルゼにもその騒ぎが伝わり、暴虐の王はぐるんとこちらに首を向けた。
「ほォう……? テメェがカイゼルか……? 勇者とやり合ったって噂だが……」
崩れた天幕を踏み越え、かがり火を踏み壊し、大木のような腕で目の前の物を次々なぎ倒しながら、ベルゼは真っすぐこちらへ進んでくる。
「俺が居ない間、好き勝手やってくれたみてェだな?」
近づけば近づくほどにわかるベルゼの巨体。その巨体には、一片の脆弱さも残されていない。全ての要素が戦いのために研ぎ済まれた武器のようだ。
奴が俺たちの目の前にまで歩み寄ってくると、力と暴虐に満ち満ちた巨躯が瞬く間に俺の視界いっぱいを埋め尽くした。
「噂じゃア、テメェも随分と好き勝手暴れてたようだが……今までと同じで済むと思うなよ」
ベルゼはその上半身を傾けて、こちらにぬっと頭を近づける。まるで俺たちの品定めでもするかのように。
……しかし、ベルゼは気づかない。彼がそう言葉を紡ぐ間、俺やミノンドロス、そしてそれを眺めるミルドたちの間に気まずい空気が流れていることに。
「魔王の命だか何だか知らねぇが……この砦じゃア俺が規律だ。俺の許可なく勝手をすることは許さねェ。例えテメェが魔将軍でもな」
そうしてしばし、沈黙が横たわる。しかしそれは、ベルゼに臆したからではない。相変わらず微妙な空気が辺りに漂い、俺とミノンドロスは視線を交わす。さて、どう切り出したものか。
やがて黙りこくったままの俺たちを不審に思ったのか、ベルゼの眉間により一層深いシワが寄った頃。ミノンドロスがおもむろに兜を外した。
「……わたくしはミノンドロスです。陛下の命により、カイゼル閣下の副官としてこの要塞に参りました。勇者と戦ったのはこちらの、カイゼル閣下になります」
「……私が、カイゼルだ」
その瞬間、ミノンドロスをカイゼルだと勘違いしていたベルゼの表情が硬直する。
俺とミノンドロスを何度も見比べ、改めてミノンドロスに視線を送る。まるで「本当にこっちが?」とでも言うように。
その問いかけに無言で頷くミノンドロス。再びの沈黙。そして。
「ブッ……グッ……ググググッ……! グバハハハハハハハハ! テメェがあの、伝説の勇者とやり合っただァ!? グバッ、グバッ、グバッハッハッハッハッハッハッハ!! 冗談は休み休み言え! グバッハッハッハッハッハッハ!」
長い牙が邪魔なのか、それはもう変な笑い方だった。その上、それはそれはうるさい大笑いだった。
もしここが俺の田舎だったなら、こいつの笑い声だけで男たちが武器を取り出して、何ごとだと騒ぎ立てていた頃だろう。
「グバッ、グバッハッ、グバッハッハッハッハッハッハッハッハ! お前のような、小さくて弱そうなカスが、勇者と!? グバッハッハッハッハッハッハ!!」
……ちょっと笑いすぎじゃない? さすがの俺も多少は傷つくぞ。
そんなことを思いながらベルゼが笑い止むのを待っていると、ミノンドロスが珍しく低い声音で告げた。
「ベルゼ殿、無礼が過ぎますわ。閣下は魔王陛下の名代として、このウルディア要塞を指揮する立場にございます。あなたの横暴が許されていたのは、その席が今まで空いていただけのこと。お控えなさい」
その淡々とした、それでいて堂々とした振る舞いが癇に障ったのか、ベルゼはすぐさま笑い声をひっこめた。
「あァ……!? ミノンドロスと言ったか、テメェもここに押し込められたクチだろうが。ガタガタぬかすんじゃねえ!」
「わたくしのことを何と言おうと構いませんが、閣下への侮辱は取り消しなさい」
彼女が凛としてそう言い放つと、不愉快そうに歪められたベルゼの瞳が俺に向けられた。
「このカイゼルってのに、それほどの力があると本気で思ってるのか? とてもそうは見えねえがな」
俺の強張った表情を読み取ったのか、ベルゼの口元がニヤリと歪む。生え揃った短い牙が、その拍子にギラリと覗いた。
「言われてみりゃあ噂通り、銀仮面をつけていやがる……余りに弱そうなんで気づかなかったぜ。いやあ悪い悪い! グバッハッハッハッハッハ!!」
続けてベルゼの手下たちも一斉に笑い出す。
「お前があの”銀閃”カイゼル!? 何かの間違いだろ! ギャハハハハハ!」
「あんなのが二つ名持ちになれるなら、俺たちみんな二つ名持ちだよなァ!!」
「カイゼルの偽物だって言ってくれた方がよっぽど信じられるぜ!」
あちこちから手下たちの笑い声が響き、口々に俺を馬鹿にする。ミノンドロスが「あなたたち、いい加減になさい!」と激昂するが、笑い声はおさまらなかった。
「ミノンドロス、構わん。放っておけ」
「しかし閣下――!」
「構わないと、そう言っている」
強く言い含めると、彼女は悔しそうに引き下がった。しかしその一方で、俺は冷や汗をかいていた。まさかあいつらの言う通り人違いです、偽物なんです、などと言えるわけもない。
ミノンドロスには悪いが、ここで下手に詮索されて正体がバレるより、例え笑い物になってでもこの場を早くおさめたほうがいい。
それにベルゼが俺を気に入らないと言うのなら、要塞の指揮権もさっさと渡しちまおう。ミルド族と一緒になら、ウェグニード山脈の麓くらいまでは行けるだろう、多分。
だが、そんな俺の穏健な態度がまたしても癇に障ったのか、ベルゼのシワはますます深くなる。
「何だ、カイゼルサマは言い返しもしねえのか。中央の奴らはこんなのに手こずってやがったのかよ! 俺がいれば鼻息ひとつで消し飛ばしてやったってのに!」
余計に盛り上がり、手下共々大笑いするベルゼ。このままでは埒があきそうにない。とりあえず奴らは放っておいて、難民たちを避難させるか……
そんなことを漠然と考えていた時だった。ベルゼ目掛けて小石が飛んできたのは。
「アァ!? 誰だ!!」
小石自体はベルゼの分厚い毛皮に阻まれ、何の危害も与えるに至らない。しかし、石を投げられたという行為そのものが不快だったようで、ベルゼはすぐに大声を上げた。
「誰がやりやがった!! 良い度胸じゃねえか、出てきやがれ!!」
すると俺たちの目に留まったのは、なんとミルド族の子供だった。それもよく見れば、昨日俺に花をくれた少女だ。
「カイゼルさまをバカにするな……! カイゼルさまは、みんなを助けてくれたんだ……!」
そうしてまた一つ、子供はその手に持った小石をベルゼに向かって放り投げた。石はベルゼの眉間に当たり、眉間のシワがたちまち深くなる。
「ガキがァ……! だったらお望み通り、テメェから引き裂いてくれるわ……!!」
すぐさま子供の元に母親が飛び出て庇おうとしたが、もう遅い。ベルゼの巨腕が振り上げられ、朝日に照らされた鋭い爪が輝く。
惨劇が起こる。まさにその時だった。




