【015】不穏な噂
そうだよ、こいつらに食わせれば良いんじゃないか。
「ああ、非常に美味しい。だが、少々量が多すぎるな。君たちも一緒に食べないか?」
体よくこいつらに食事を押し付けようと思い立ち、ドルベアを食事に誘う。しかし彼は一瞬驚いた顔をしたが「いえ」と小さく拒絶の意を表明した。
「我々は非戦闘員ですから、食事は余った物をいただいております」
「余った物? 食い残しを食べるのか?」
「本隊から定期的な供給があるとは言え、食料を無駄にはできません。それに……ベルゼ様に言わせれば、我々の代わりはいくらでも居ると……食べられるだけ、ありがたいことですから」
どうやら面倒な事情があるらしい。ベルゼって奴が文官を虐げているという噂は本当のようだな。思うところがあるのか、ドルベアの視線がわずかに険しさを増す。
食えるだけマシねぇ……とても本心でそう思っているようには見えないがな。
どうやら魔族の軍は戦う力の有無が身分の格差に直結しているらしい。人間の場合は家格だとか後ろ盾だとかの影響を受けがちだから、それに比べれば随分とわかりやすいところではあるが。
とはいえ「はいそうですか」と納得してこの料理の山を口にする気には到底なれない。
それに、そういう訳なら簡単な話だ。俺の食べ残ししか口にできないって言うのであれば、全部食べ残してやればいい。
「そうか、わかった。それなら私は口出しすまい。ところで、話は変わるのだが……この食事を下げてはくれないか」
「え?」
突然の俺の申し出に、ドルベアは間抜けな声を上げる。
「悪いのだがあまり口に合わなくてな。そう……好みの味付けじゃない」
すると俺が怒っているとでも思ったのか、ドルベアは慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません閣下! すぐに代えのお料理をお持ちいたします!」
違う、そうじゃない。
「必要ない。兵たちの食料をミルドの民に分け与えた手前、私が贅沢をするわけにはいかないからな。この……なんと言ったかな。このスープだけは美味しかった。これ以外の料理は全て下げてくれ」
「し、しかし……」
尚も食い下がるドルベア。察しの悪い奴だな。
「それから。下げた料理は一切無駄にするなよ。一切だ。君の言う通り、ここは前線で食料は貴重だからな。いいか、ひとかけらたりとも無駄にするな」
くどいくらいに念押しして、ドルベアに俺の意図を察知させる。するとようやく俺の考えを理解したらしいドルベアは、ただでさえ大きなギョロ目をさらに大きく見開いた。
「……よろしいのですか?」
「よろしいも何も、当然のことだ。ここは前線だぞ、食料を無駄にできるほどの余裕があるものか。いいから早くしろ」
「し、承知いたしました、すぐにお下げします。ただ……量が量ですから、その……他の者たちにも、声をかけてきてもよろしいでしょうか……?」
こちらの表情を伺うように、頭を下げながらも上目に視線を向けるドルベア。彼に頷き返して答える。
「それが良いだろうな。急げよドルベア、料理が冷めてしまうぞ」
「はっ、はい!」
一連のやり取りの後、一礼だけを残してドルベアはすぐさま食堂を後にした。そのやり取りを聞いていたらしい給仕たちも、平静を装いながらもしきりにこちらを気にしている。
どうやら意図は誤解なく伝わったらしい。
「お優しいのですわね」
ドルベアの背中を見送ったミノンドロスが、そんなことを呟いた。
「この程度で味方が増えるなら安いものだろう」
「照れ隠しですの? お可愛いところもございますのね」
彼女はふふっと笑ったが、俺からすれば心からの事実だった。
まずい料理から解放され、ドルベアの心象を悪化させず、さらには文派の人気取りまでできる妙手だ。英断だとさえ言って良い。
これでドルベアや文派を味方につけられるならこれ以上ない成果だろう。
実のところ、現状の脅威は俺の首を狙うミノンドロスだけではない。
もちろん、ミノンドロスが最大の脅威であることには変わりないのだが、次点で脅威となるのが何を隠そう彼ら文派なのである。
なにせ彼らは非戦闘員。それはつまるところ、この要塞内のあらゆるところに彼らの目があるということ。
そんな状況で下手に彼らの不況を買ってみろ。文派の連中が俺の動きを密告して、隙あらばミノンドロスの襲撃に遭う、そんな未来が訪れかねないのだ。
これは気の抜けた見張りをしている武派の奴らよりよほど脅威となり得る。だからこそ文派は味方に引き入れる必要があるというわけだった。
それからしばらくして、息を切らして戻ってきたドルベアの指示のもと、俺の前から次々に料理がはけていった。
どうやら本当に要塞中を駆け回っていたらしく、心なしか食堂の外が騒がしくなってきた気もする。
そうして料理のほとんどが運び出された頃、文派と思わしき魔族を連れたドルベアが、改めて俺の前に並んだ。
「閣下」
「どうした、あらたまって」
ドルベアの気迫に少し気圧されていると、何と彼らは一斉に膝をつき、俺に頭を下げてみせたのだった。
「私どものような者に格別のご配慮をいただきましたのは、閣下が初めてにございます。改めて、お礼申し上げます」
『お礼申し上げます!』
あまりの勢いに思わずのけ反ってしまったが、ここでボロを出す訳にはいかない。
わざとらしく咳払いした俺は「気にするな、好きでやっていることだ」と厳かに告げる。
「それに、清潔な風呂に洗い立ての服。そして暖かな食事。どれも君たちの働きあってのものだろう。ならばそれに報いるのが私の仕事だ。他にも私に出来ることなら最大限配慮しよう。遠慮なく言うと良い」
「閣下……!」
「さ、行け。ベルゼが帰ってきたら何を言われるかわからんぞ」
そう言ってみせると、冗談だと伝わったのか給仕の何名かが口元に笑みを浮かべた。そうしてドルベアはもう一度頭を下げ、料理と共に食堂を後にしたのだった。
その姿に思うところがあり、ちらりとミノンドロスに視線を向ける。すると彼女も同じように、こちらへ視線を向けていた。
「どう思う?」
ある種の確信と共にそう問えば。
「随分と大袈裟に思えますわね……それこそ、異様と言っても良いほどに」
やはり俺と同じことを考えていたらしく、彼女は神妙な面持ちでそう答えた。
「ああ。上官から施しを受けただけにしては随分とな。普段からそれほどの扱いを受けているのだろう。魔王軍ではこれが普通なのか?」
「いいえ。確かに非戦闘員の立場は恵まれているとは言えませんが……それでもあそこまでとは思えませんわ」
原因は大方、察しがついている。
「ベルゼか……そういえば、奴はまだ戻らないのか」
すっかり忘れていたが、ベルゼは勇者が現れたという知らせを受けて、俺たちと入れ違いになるようにしてこの要塞を出撃したのだった。
あれから勇者の捜索が長引くとも、要塞に戻ったとも知らせはない。ミノンドロスと二人がかりで襲ってくる懸念を考えれば、帰ってこないのが一番ではあるのだが。
ミノンドロスは頷く。
「はい。きっと夜目が効くのでしょう」
……明かりを持っているだとか備えがあるだとかではなく夜目と来たか。さすがは魔族、身体能力頼みだ。
とはいえ、それがまかり通ってしまうのだから厄介だな。逃げるにしろ、戦うにしろ。
「何が何でも手柄を上げたいらしいな。殊勝なことだ」
「或いは既に、勇者に討たれてしまったか……」
それだけはないな。確信と共に胸中で呟く。
勇者は恐らく、とっくに魔界を出ている。ベルゼって奴がウェグニード山脈に入ったならまだしも、そうじゃなければ勇者を見つけることは不可能だろう。
きっとそのうち諦めて戻ってくるに違いない。
「そういえば、閣下はお聞きになられましたか? ベルゼ殿の噂」
また噂か。カイゼルに続き、魔界に来てから噂ばかりな気がするな。
「いいや。あまり良い噂ではなさそうだが」
「ええ。わたくしも閣下同様、数年前に軍に加わったばかりの外様ですから、詳しくは無いのですが……どうやらベルゼ殿には、"味方殺し"なんて物騒な二つ名があるのだとか」
そう言って彼女は目の前の肉を切り分け、その一切れを口に運ぶ。肉を咀嚼し「元は"灰塵"のベルゼと呼ばれていたそうですが」と続けて。
味方殺しにしろ灰塵にしろ、物騒な名前であることには変わりない。そしてそんな二つ名の付く奴は、相応に物騒な奴だということにも。
「裏切りでもしたのか?」
ミノンドロスは肩をすくめる。
「それが、その話になると、この要塞の者たちはみな口を噤んでしまうのですわ。まるで、何かに怯えるように」
何か、ね……まぁ、十中八九ベルゼの仕業だろうな。きっと口止めしているのだろう。噂を否定するのではなく、口止めしている辺りが特に怪しい。自分で事実だと認めているようなものだ。
「穏やかじゃなさそうだな」
「ええ。何をしでかすかわかりません、重々お気をつけくださいませ」
気を付けろ……たってなぁ。
なんとなく不穏な空気に息が詰まりそうだ。
たまらず新鮮な空気を求めて窓の外に視線を向けると、人間界と同じ青白い月が空に昇っている。
こっちでも夜空には同じような黒が広がっていた。
「味方殺しのベルゼか……面倒ごとにならなきゃ良いが」
俺の呟きを、天上の女神ルヴィアが聞き届けることは無かった。もちろんこの後、しっかりと面倒ごとになる。
「閣下! 火急の知らせがございます!」
次の騒動が起きたのは、翌日になってからのことだった。