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【014】武派と文派

 それから少しして、先にミノンドロスが湯から上がり、彼女が脱衣所を出たのを確認して俺も風呂からあがった。


 いつの間に用意したのか、脱衣所には俺の体に合わせた服が新しく用意されていた。


 広げてみればキチッとした輪郭の軍服だ。意匠は簡素だが布の質が良いのか、黒字に白の縁取りがあしらわれた高級感ある軍衣だった。


 軍衣の上からカイゼルの外套を羽織ると、いかにも将軍職と言った風体だ。これで俺の体がもう一回り大きければ、もっと様にもなったのだろうが……


 最後に元々着ていた服を外套の中に隠すようにして抱え、風呂場を後にする。すると聞き慣れた声の主が見慣れない格好で俺を出迎えた。


「お待ちしておりました閣下」


 ミノンドロスだ。


「すまない、待たせてしまったか」


 先に上がったはずの彼女は、律儀にも俺を廊下で待っていたらしい。俺が謝ると「いえ、涼んでいただけですので」と返事した。


 そう言う彼女は胸元と腰回りだけを申し訳程度に隠したような、残りほとんどの肌を露出した服装で、髪を後ろで一つにまとめていた。


 確かに涼んでいただけ、と言われれば納得せざるを得ない。


 日中の露出が一切ない重武装とは正反対に、今の彼女には腰に刺した剣以外武器も防具も見当たらない。俺に心を許したと取るべきか。それとも俺を油断させて不意打ちを狙っているとみるべきか。


「参りましょう」


「……ああ」


 念の為、彼女の間合いに入らないように――或いは、剣を抜かれても外套で防御できる位置に立ちながら、彼女の少し後ろを歩く。


 俺の警戒を知ってか知らずか、ミノンドロスは気にした風もなくそのまま俺の前を進み、まもなくウルディア要塞の一室へと辿りついた。


「こちらが閣下の寝室ですわ」


 ミノンドロスが部屋の扉を開く。誰が通ることを想定しているのか、やけに大きな木製の扉を潜り抜けると、その先には随分小ぎれいにまとめられた一室があった。


 要塞の中の部屋というだけあってそこまでの広さはないものの、寝具や衣類棚、机や椅子といった最低限の家具は揃っている。野営が当たり前の生活をしていた俺にとっては充分豪華な部屋だ。


「まもなく食事の用意が出来るそうですから、荷物を置かれましたらそのまま食堂へ参りましょう」


 荷物、というのは俺の元の服や外套を指しているのだろう。剣は要塞に戻った際に兵士に預られ、それっきりになっている。今の俺には荷物らしい荷物が服と外套しか残されていない。


 守りを薄くするのは不安だが、このまま食事するのも不自然だ。何より、警戒していることを気取られるような真似はしたくない。


 今はまだ、俺は何も知らないカイゼルなのだから。


 ミノンドロスに返事して、荷物を部屋の片隅に置く。


 そうして部屋を後にすると、食堂は自室のすぐ隣にあった。どうやらここは将官が食事する場所のようで、据え置かれた長机といくつかの椅子が小綺麗に並んでいた。


「閣下、ミノンドロス様、お待ちしておりました。すぐにお食事のご用意をいたします」


 俺たちを出迎えたのはドルベアだ。落ちくぼんだギョロ目を最大限に細めて、相変わらずひょろ長い腕を器用に胸に当てている。


 彼はすぐに椅子を引いて、俺に腰かけるよう促した。ミノンドロスの方は給仕と思わしき女の魔族が、やはり同じように椅子をひく。


「ありがとうドルベア」


「いいえ」

 

 そう言えば、魔界に来てから初めての食事だな。期待半分、不安半分に席に着くと、ドルベアが給仕たちに視線を送ってから口を開いた。


「本日のお食事はわたくしが担当させていただきました。閣下のお口に合うよう、精一杯のおもてなしをさせていただきますので、どうぞお楽しみくださいませ」


「し、失礼致します……!」


 そこへ早速、緊張した面持ちの給仕たちが俺たちの前に食器を並べ始めた。


 しかし、緊張のあまり手元が狂ったのか、俺の前に食器を並べていた女の魔族が、食器を床の上にぶちまけてしまった。


「おっと……大丈夫か?」


「も、も、申し訳ございません! す、すぐに代えをお持ちいたします……!」


 俺が足元の食器を拾おうとした途端、顔面を蒼白させた給仕が奪い去るようにして全ての食器を拾い上げる。


 そして、まるで怯えるように逃げ去っていった。さすがにそこまでやられると俺も多少は傷つくぞ。


「……これも噂のせいか?」


 うんざりしながらミノンに視線を向けると、彼女は「それもあるとは思いますが」と前置きした。


「おそらくあの者たちは文派なのでしょう」


 聞き慣れない言葉に首を捻ると、ミノンドロスは続ける。


「どうやらこの要塞では、主将のベルゼ殿を始めとした精兵やそれを支持する武派と、それ以外の者たち、つまり文派の二派閥があるようなのです」


 派閥争い、というわけか。


 ――軍隊はその組織を構成する全ての人員が、最前線で戦う兵士というわけではない。


 軍と言えども所詮は人の集まり。人が集まればそこには当然人の営みが生まれる。簡単に言えば、食うものは食うし出すものは出すってことだ。


 そうなれば当然、それらに対処するための人員が必要になる。


 何ならそれ以外にも他の部隊と連絡を行う人員、補給線の管理をする人員、はたまた武器防具の整備を行う人員なんかが必要になる。


 俺たち療術士なんかが特に顕著だ。療術は戦いに必須の存在だが、それを使える療術士は常に人手不足。


 だから従軍させることはあっても前線に出すなんてもっての外。


 そんなわけで俺たちが一般に軍隊と呼ぶ組織は、彼らのような非戦闘員までまるまる含めて軍隊と呼ぶのだが、どうやらそれは魔族の世界でも同じ話らしい。


 文派と呼ばれている者たちはこの最前線基地ウルディアにおいて、戦う以外の部分を担う者たちを指しているのだろう。


「と言っても、実際のところはベルゼ殿を筆頭とした武派が文派を一方的に虐げているようですから、派閥争いというよりは武力支配といった方が正しいとは思いますが」


「それは随分と物騒な話だな……」


「そんな支配を行っているベルゼ殿より閣下はお強いとの噂ですから、あの者たちが恐れるのは当然かと」


 涼しい顔でミノンドロスはそう言ったが、俺からすれば迷惑この上ない話だった。


 そうこうしているうちに改めて食器が出され、料理も並びだした。


 鮮やかな紫色をした肉の塊に、食欲が減退する水色のスープ。サラダらしき野菜の盛り合わせは赤や白など目がチカチカする彩りだ。


「こちら、ヨネンとギマールのロージス和えです。ゾルキーをご一緒にお召し上がりください、閣下」


 何と何の何だって?


 一通り揃ったところでドルベアが謎の暗号文を並べて満足そうに居住まいを正すが、俺にはそれらが意味する情報の一片たりとも理解できなかった。


 俺に理解できたのはただ一つ。この冗談のような極彩色をたたえる芸術品たちが、魔界では料理と呼ばれているらしいということだ。


 もしかして俺、騙されてる?


 ミノンドロスの様子を伺うと、彼女は「こんな西の外れでヨネンを口にできるなんて」と声を軽やかに弾ませて口元を綻ばせている。どう見ても毒々しい極彩色の美術品たちにしか見えないのだが……


「先日、近くにヨネンが現れまして、それを狩猟し二日ほど寝かせたものになります」


 はあ、そうですか。


 期待に満ちた視線が、ミノンドロスとドルベアの双方から向けられる。いつまでもこうして芸術品たちを目で楽しんでいるわけにもいかないらしい。


 俺とて勇者との旅の間、ゲテモノを食べて生きてきたんだ。いまさら魔界料理の一つや二つ……!


「では早速、いただくとしよう……」


 まずはとても食べ物とは思えない色をしている肉を、一口大に切り分ける。確かに、切った感触は肉のそれだ。やたら筋張ってはいるが。


 そして意を決して、その肉片を口に運ぶ。


「……」


 ……まぁ、食えなくはない、か。


 思ったよりは赤身独特の、あっさりとしたうまみを感じる。しかし少々……いやかなり獣臭いし、筋張っていて食べにくい。


 あとやはり見た目も悪いし、舌触りもパサパサしていて……つまるところあまり好んで食べたい物ではない、というのが正直な感想だった。


 本当にこういう料理なのか……?


 俺に続いて料理に口を付けたミノンドロス。彼女よ様子をさりげなく伺うと「とても美味しいですわね、閣下」なんて嬉しそうに食べ進めている。


 本当にこういう料理らしい。


「閣下のお好みがわかりませんでしたので、本日は少し多めにお料理をご用意させていただきました。どうぞ、ごゆっくりとお楽しみくださいませ」


 さらに追い打ちをかけるようにドルベアが手を鳴らすと、三段組みになった台車がいくつもの料理を並べて次々食堂に入って来る。


 そのどれもが人間界ではお目にかかれないような、斬新な色合いや見た目をしていた。とてもじゃないが口にしたくないものばかりだ。


 それら料理を横目に、口元を引きつらせながら啜った水色のスープは、野菜のうまみを感じて辛うじて食える食事だった。


 ……というか、俺はもしかして明日からずっとこれを食うのか?


 この、砂を固めたような食感の肉と、やけにどろどろした謎のスープと、色合いの割に甘ったるい味わいのサラダを食べ続けるのか……?


 無理だ。早くこの要塞から逃げよう。


「閣下……? お口に合いませんでしたか……?」


 明日からの食事に絶望した俺の手が止まったことに、ドルベアが目ざとく気付く。今日の料理はドルベアが作ったと言っていた。


 まさかここで本人を前にまずいとも言えない。かと言ってこの料理をパクパク食えるかというと……


 その時、俺の脳裏に妙案が閃く。そうだ、良いことを思いついた。

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