表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/43

【012】予想外と予定外

 かつて、魔界の東に大国を築いたミルドの一族には王がいた。ミルドの王には一人娘がおり、王は彼女をそれはそれは溺愛していたのだという。


 運命の輪が狂い始めたのは今から七〇年前。負傷した先代の勇者が、どういう訳かその娘と出会ってしまってからだった。


 心優しい娘は敵だというのに負傷した勇者を見捨てられず、人目を盗んで看病し、勇者の命を救ったのだという。


 そして勇者は彼女の優しさに心動かされ、やがて二人は恋仲になったのだとか。二人がやがて、人間と魔族の融和を訴えるようになったのも、ある意味当然のことだったのだろう。


 しかし、人間の王とミルドの王、両者の間についに会談の場が設けられた時、勇者が豹変し娘を人質にとった。


 ミルドの王は娘を見捨てることが出来ず、人間側へ内通。その内通が原因で魔王は勇者と相討ちになり、主を失った魔王軍は人間との戦いで壊滅したのだとか。


 そして残されたミルドの娘は、自分のせいで起きた悲劇に心を病み自害。王を討たれた魔族たちの怒りはミルドの一族へ向けられ、王を失った魔界は混迷を極めた――という訳らしかった。


「人間の卑劣なる奸計によって……! 我らミルドの一族は、未だ魔族の裏切り者として迫害され続けておるのです……! なんと、なんと腹立たしいことか……!」


 真に迫った物言いで語り尽くしたべズェラス。その話を聞いていたセルジドールは、悔しそうに拳を握りしめる。


「そんなことが……」


 それどころか先ほどまで興味なさげだったミノンドロスまでもが、同情するように話に聞き入っていた。


 その一方で俺はと言えば、何とか神妙な表情を作って見せながらも冷や汗が吹き出る感覚を全身に覚えていた。


 ――味方になってくれるどころか人間に対して恨みマシマシじゃねえか!!


 何やってんだ先代勇者! 勇者って奴らはどいつもこいつもこんなのばっかりか!?


 というかよりにもよって人間を一番憎悪してる奴らを引き入れちまった!! どうすんだこれ!!


 焦る俺をよそに、最後まで語り終えたことで満足そうに頷くべズェラス。彼は俺に向き直ると、先ほどまでとは打って変わって穏やかな表情を浮かべた。


「閣下がこうして我らに興味を抱いてくださったおかげで、我々の歴史を一族以外の者に語る機会を得ることができました。心より御礼申し上げます」


 畏まってお礼を言われるも、俺は内心それどころじゃない。全ての計算が狂った直後だから当然だ。


「あ、あぁ……それは良かった……私にとっても、うん、有意義な時間だった。君たちもゆっくり休むと良い……」


 上の空でそう返せば、べズェラスは「ありがたき幸せ……!」と俺に対して拝むように手を合わせて、そのままセルジドールに連れられて去っていった。


「は、はは……」


 その背中を見送って、俺はただ笑うことしかできなかった。やらかした。よりにもよって、人間の敵を引き込んじまった。


 俺の人間界への帰還は、ひどく遠のいた気がした。





 今にして思えば、そういう可能性も考慮に入れておくべきだった。


 人間に与したからって必ずしも好意的とは限らない。脅迫されていた可能性なんて真っ先に思いつけたはずだ。


 しかしその可能性に思い至らなかったのは、きっと俺も浮き足立っていたからだろう。ようやく見つけた、魔界での希望に。


 あの後、ようやく見えた希望が潰えて上の空になった俺は、セルジドールたちと別れて要塞に戻った。


 帰りがけ、ミルド族の子供に「ありがとう!」なんて言われて押し花をもらったものだから、まぁ、目的は達せなかったが悪くはないか、なんて気分になってしまったのが悔しい限りだ。所詮あいつらは魔族だってのに。


 そして要塞に戻ると、俺は居館の方へと案内された。どうやらこの要塞の指揮官は、要塞最奥の居館で生活を営むらしい。


 ひいひい言いながら丘を登り、城門をくぐって要塞内を進んだところでそんなことを言われたものだから、正直うんざりだった。


 そこから更に要塞の敷地を歩いてその先の坂道をのぼり、内門をくぐって、ちょっとした広さのある庭を通り抜け……ようやく居館に辿り着く頃には、もうへとへとに疲れ切っていた。


 ぐったりした俺を見かねたのか、ミノンドロスは「お疲れでしょうし湯浴みされては?」と声をかけてきた。


 かくいう彼女は全く息切れした様子もない。さすがは魔族といったところか。


 風呂場での襲撃を警戒したが、今更かと諦める。ミノンドロスが本気で襲いかかってきたら、どの道俺如きではどうにもならない。


 それに少なくとも、ベルゼが帰ってくるまでは向こうにも襲撃の意思は無さそうだし、何より心身ともに疲れ切ってしまってとにかく汗を流したかった。


 そんなわけで、俺はウルディア要塞の居館の中にある大浴場へとやって来たのだった。


 緊張や慌ただしさの中ですっかり忘れていたが、元々泥の中で寝転がっていたせいもあって、服の下は泥だらけだ。気付いてみればひどく気持ち悪い。


 それに色々と一人で考えたいこともあって、人払いならぬ魔族払いを頼み、俺は風呂の中での一時を過ごすことになった。


「……こっちにも風呂はあるんだな」


 服を脱ぎ、しかし仮面だけは念の為に付けたまま、俺は魔界の大浴場に足を踏み入れる。


 水気を帯びた石床の感触が足の裏から伝わり、湿気が肌を包み込む。几帳面に真四角に囲われた浴槽には既に並々と湯が張られていて、湯気の向こうには城壁に囲われた中庭と夜空が広がっている。


 俺の知る風呂とは多少建築様式が異なってはいるものの、湯で身体を温めるという目的においては人間界のそれと変わらない。


 こちらにも風呂の文化があるのは驚きだったが、火と水さえあれば作れるものだし、人間よりも自由に魔法を扱えるらしい魔族からすれば、風呂を沸かす程度は大した労でもないのだろう。


 体中の泥を洗い流し、お湯に浸かって一息付く。歩き通しで疲れ切った体に、暖かな熱がじんわりと染み渡った。


「なんだか今日は……疲れたな……」


 無理もない。今日一日で色々と事件が起こりすぎた。


 勇者に見捨てられて湿地で目を覚まし、ミノンドロス率いる魔族に囲まれ、このウルディア要塞に連れて来られてミルド族のセルジドールらと交友を持った。


 一日でこなすにはあまりに濃すぎる日程だ。勇者たちとの旅ですらここまで濃い日はなかなか無かった。


 辺りに魔族の気配がないことや、遠くから風呂場を覗き込めないことを確認して、銀の仮面をゆっくり外す。


「まさかこんな銀仮面一つのせいで、魔族の文化に触れる羽目になろうとは」


 俺の体同様、泥がところどころ付いたままになっていた仮面を湯舟に着けて洗ってやると、くすんでいた銀色が輝きを取り戻し始めた。


 元は本物のカイゼルが身に着けていた、顔の上半分を覆い隠す銀の仮面。コイツのおかげで命を救われ、コイツのせいで面倒ごとが次々舞い込んでいるのかと思うと、なんとも複雑な気分になる。


 とはいえその仮面のお蔭で今まで生きながらえているのだから、感謝すべきなのだろう。


 こんな仮面一枚で人間の俺が魔族に化けられているとは到底信じ切れないが、魔族の奴らが俺の正体に気付かない理由は、今日一日彼らと過ごしてよくわかった。


 奴らは恐らく、人間を見たことがないのだ。俺たち人間が、魔族を知らないのと同じように。


 七〇年前に人間との戦いを直に目撃したというベズェラスですら、俺が人間であることを見抜けなかったのだから、他の魔族に至っては言わずもがな。


 さらにそこへ追い打ちをかけるのが、魔族の多様過ぎる外見だ。


 大きな角が生えたミノンドロス、翼が特徴的なドルベア、銀髪と長耳が目立つセルジドール。他にも目が一つの奴、犬顔の奴、尻尾が生えている奴に腕が四本の奴と、魔族って奴らは外見がとにかく多種多様だ。


 人間の固体差なんて、あくまでも人間という範疇に収まった中での差でしかなく、違いと言っても肌や髪、目や体つきが多少異なる程度で、人間という種の枠を大きく逸脱することはまずあり得ない。


 だが魔族は違うのだ。奴らはまるで、全く別の種を一括りに魔族と呼んでいるような、雑すぎる枠組みをしている。


 この多種多様な見た目のおかげで俺のような人間が一人混じった程度では、正体を見破ることができないのだろう。


 その個体差こそ魔族が圧倒的な強さを得て人間の天敵となった理由でもあり、俺がこうして間抜けにも風呂に入ってられる理由でもあるというのは、何とも皮肉な話だな。


「……一旦、状況を整理するか」


 せっかく一人でゆったりとした時間を得られたのだ、考えをまとめるには丁度良い。


 仮面を一度風呂の淵に置いて、両手で湯を掬い上げて顔を洗う。そうして一息ついたところで、俺の立たされている状況から振り返ってみることにした。


 現状、俺はかなり厳しい立場に立たされている。


 何せ俺は人間で、正体がばれたら破滅だと言うのに、よりにもよって成り代わった相手がとんでもない大馬鹿野郎だってことが判明したからだ。


 カイゼルは自分の要求を通すためなら、魔王にすら宣戦布告する馬鹿――或いは、それが出来てしまうほどの実力者だ。危険分子としていつ粛清されてもおかしくない。


 そして恐らくミノンドロスは、カイゼルを粛清するために送り込まれた魔王からの刺客。俺の首を今もなお狙っていると考えて良い。


 この状況を打開するためにミルドの民を味方に引き込みたかったが、彼らはむしろ人間を憎悪しており、味方になってくれるどころか俺の正体を知ったら真っ先に襲い掛かってきそうな勢いだ。


 そのおかげでミルド族に正体を明かし、ウェグニード山脈まで連れて行ってもらおうという俺の目論見は脆くも崩れ去った。


 こうなってくると俺が人間界に帰るためには、俺を暗殺しようと目論むミノンドロスの目を掻い潜り、見張りたちの目を盗んで要塞を出て、魔物がはびこる魔界の大地を抜けて、険しいウェグニード山脈を踏破する必要が出てくる。


 どう考えても不可能だ。


「こりゃあ本格的に、詰みが見えてきたぞ……」


 思わず天を仰ぐ。床とは打って変わって木材の梁が張られた天井は、湯船の熱と相まって暖かな気持ちにさせてくれる。詰み、という割に心持が穏やかなのはそのおかげもあるだろう。


 それに一応、完全に望みを絶たれたわけでもない。俺が人間界に帰る方法はあと一つだけ残されている。


 だが、その方法を使えるかどうかを決めるのは俺ではない。俺には条件が整うのを祈ることしかできず、その鍵を握っているのはよりにもよってあの勇者たちというのが不愉快この上ない話だった。


 本物のカイゼルを知る魔族が現れる前に、これら無理難題を達成しなければ、俺の命は今度こそ魔界で潰えることになるだろう。


 いくらなんでも難題が過ぎる。


 そんなことを考えながら頭を抱えている時だった。


「閣下、湯加減は如何ですか」


 脱衣所の方から突然、ミノンドロスの声が響いた。反射で肩が跳ねた拍子、手元が狂って仮面がどぽんと湯船に沈む。


「あ、ああ! 丁度いい湯加減だ!」


 答えながら落とした仮面を拾おうとして腕を伸ばすも、うまく指が引っかからない。急げ急げ……!


 しかしそこへ、さらなる追い打ちがかけられる。


「失礼致します」


 失礼致します!?


 驚く間もなく風呂場の扉が開き、なんとミノンドロスが入ってきた。せめて返事を待てよ!!


 素顔を見られるわけにもいかず、俺は咄嗟に風呂に潜り、落とした仮面を急いで拾い上げる。


 そしてお湯の中で無理やり身につけた瞬間、呼吸が限界を迎えて「ぶはあっ!」と息継ぎしたところでミノンドロスと目が合ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ