兵器設定その3
戦艦『駿河』(元『プリンスオブウェールズ』)
基準排水量 42,000トン
全長 237m
最大幅 33m
主缶 ロ号艦本式重油専焼水管缶×8基
主機 艦本式タービン×4基
出力 120,000馬力
最大速度 29.8ノット
武装 45口径41サンチ三連装砲2基
同連装砲1基
45口径12.7サンチ連装両用砲10基
25ミリ三連装機銃8基
同単装機銃50基
12サンチ30連装噴進砲改二6基
【概要】
日本海軍が開戦初期に鹵獲した英戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』を改装し日本海軍に編入した戦艦。開戦初期のシンガポール攻撃でセレター軍港に停泊していた『プリンス・オブ・ウェールズ』(以後『POW』)は同じく停泊していた『レパルス』と共に被弾、大破横転した。その後のシンガポール攻略時に接収され浮揚、工作艦『朝日』『明石』『三原』の大規模修理が行われたのである。この修理では日本までの回航が最優先だった事もあり取り敢えずの回航は『レパルス』と共に成功しそれぞれ、呉と大神にて改装が施されたのである。なお、大破横転時に『POW』が搭載していた主砲は全てシンガポール防衛に配備される。
武装は35.6サンチ砲では力不足と判断され『長門』型が搭載する45口径41サンチ砲であるが四連装砲だった箇所は三連装砲にし二番砲は連装砲にするという混在にしていた。混在にしたのは改装に時間を掛けたくない艦本側の理由もあった。
航空兵装は全て外され埋め込み式カタパルトも撤去された。そこに両用砲2基を増やし機銃と噴進砲を設置したりする。
また艦首も凌波性が劣っていたので『長門』型の艦首を元に作成、それに合わせて艦首方向も延長された。
機関は全て海水に浸かっていた事、機関室も魚雷攻撃で破壊された事もあり日本式に全て交換されたのであるがこの時に艦尾方向の幅は増加され両舷にバルジを装着したので復元性は何とかマシになったのである。
なお、主力部隊に配備予定だったが高速もあった事、近藤の方針により機動部隊配備となるのである。
戦艦『常陸』(元『レパルス』)
基準排水量 34,000トン
満載排水量 39,000トン
全長 242m
主缶 ロ号艦本式重油専焼水管缶×8基
主機 艦本式タービン×4基
出力 120,000馬力
最大速力 32.2ノット
航続距離 7,800キロ
兵装
45口径35.6サンチ連装砲×3基
45口径12.7サンチ連装両用砲×8基
25ミリ三連装機銃×6基
25ミリ単装機銃×40基
12サンチ30連装噴進砲改二4基
【概要】
元はイギリス海軍が開発建造配備した巡洋戦艦『レナウン』級二番艦『レパルス』である。開戦劈頭のシンガポール奇襲攻撃によりセレター軍港に停泊していた『POW』と共に攻撃され大破横転した。そしてシンガポールを占領された時に『POW』と共接収され工作艦『明石』『三原』『朝日』で緊急修理され内地に回航された。
主砲は38.1サンチ砲であるが、主砲と砲弾は残念ながら日本海軍は開発していないので『扶桑』型や『伊勢』型の改装で余って武器倉庫に保管されていた35.6サンチ砲を搭載する事になる。
烈風11型
全幅 12m
全長 11m
全高 4.23m
翼面積 23.60㎡
自重 3,600kg
全備自重 5,100kg
発動機 三菱『ハ42-21』
離昇 2400馬力
速度 678km
航続距離 1,300km(正規)2,200km(増槽有り)
武装 99式20ミリ機銃4挺(各250発)
一番二八号噴進弾×10発
【概要】
三菱の堀越技師が後に威信と集大成とまで評価される艦上戦闘機『烈風』である。初陣はマリアナ沖海戦でありベテランパイロットが操縦する『烈風』は正に零戦以上の性能を発揮し相対したF6Fを完膚なきまで叩き落とす事に成功する。その後も台湾沖航空戦やレイテ沖海戦、沖縄沖海戦にも参戦し多くの米軍機を撃墜し米軍パイロットを零戦以上の恐怖に陥れるのである。
また、『雷電』と同じく局戦化した32型()も配備されたのが300機程度量産され本土防空を『雷電』『震電』と共に担うのである。
四式戦闘機『疾風』二型(通称『疾風改』)
全長 10.2m
全幅 11.24m
全高 3.38m
翼面積 22.5m2
全備自重 4,200kg
発動機 『ハ-43-11』(2,200hp)
最大速度 648km/h
航続距離 2,400km(最大)
武装 胴体 12.7ミリ機関砲2門(各350発)
主翼 20ミリ機関砲2門(各180発)
爆装 30kg〜250kg2発
三式一番二十八号噴進弾一型×8
中島飛行機が開発した陸軍最新鋭戦闘機。当初は発動機を『誉』にし一型となる機体も飛行実験部戦闘隊で岩橋少佐の下で着々と戦力化の錬成をしていたが1943年9月に飛行中、発動機の故障で岩橋機が不時着し一時意識不明の重体を負う負傷をしてしまいキ84の飛行は停止してしまう。その話を聞きつけた海軍航空本部に勤務していた小福田少佐が「海軍も誉だと故障が相次いだので発動機を早々と切り替えた。陸さんも一応の検討をしてみてはどうか?」と知り合いの陸軍航空パイロットに具申し、そのパイロットから通じて飛行実験部にも話が来たのだ。飛行実験部も『誉』を推していたが万が一も考えて三菱の『ハ42-11』を搭載した試作18号機が実験部に配備されたが『ハ42-11』のが故障は遥かに少なく、実験部も『誉』から『ハ42-11』を推す事になるのであり、急遽二型として採用される事になる。
初陣はマリアナ沖海戦であるがサイパン島等には配備されずヤップ島での待機となった。台湾沖航空戦の防空戦から本格的に参戦しフィリピン戦にも第四航空軍に所属、噴進弾(海軍と共同生産)を搭載しレイテ島のタクロバン飛行場を攻撃したりする。
なお、『ハ42-21』を搭載した三型も沖縄戦から参戦する。
四式中戦車『チト』
※性能等はほぼ同じ。
『S情報』等による欧州戦線の戦車性能を鑑み、陸軍は42年から75ミリ戦車砲での新型中戦車を統一した。輸送も海軍の二等輸送艦がある事から史実と同じ重量となり、懸念された半自動装填装置も最初から取り外され戦車砲開発も史実より早まる事になる。
フィリピン戦には三式中戦車『チヌ』改(前面装甲を75ミリに強化したが機動力は低下)120両と共に32両の『チト』も戦車第二師団に組み込まれフィリピン戦で機甲戦が勃発するのであるがM4中戦車には『チヌ』改と共に圧倒的勝利を収めるのであった。(海軍に協力してもらい破甲榴弾から完全な徹甲弾になった二式徹甲弾を使用)
沖縄戦にも1個連隊規模が参戦する。(なお、『チヌ』改は2個戦車連隊)
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