第三話
「成る程の。加藤どんが言っていたのはおはんの事でごわすな」
「は、はぁ……(何で帰国したら東郷に絡まれるんだよッ!?)」
内地に帰国した近藤を待っていたのは生きる軍神と呼ばれていた東郷平八郎との料亭での会談であった。
「おはんが海大で提出した論文、佐藤どんからも貰い読ませてもらはん。おはん、海軍をどうする気でごわす?」
「…………………」
御猪口で日本酒を飲んでいた東郷は近藤を睨む。対して近藤は最初緊張していたが机にあった日本酒が入った徳利を見てそれを掴んでそのまま飲み干す。
「ングッ……ングッ……ングッ……ングッ……ングッ……」
「ほぅ……」
それを見て東郷はニヤリと笑みを浮かべる。そして飲み干した近藤は酒臭い息を吐きつつ東郷に視線を向ける。
「……日本を亡国にさせないためですッ」
「……日本は亡国になると?」
「ドイツをお忘れですか? 清をお忘れですか? 清については滅ぼす切っ掛けの一つを作ったのは我が国です。そして黄海で北洋艦隊を伊東長官と叩いていたのは『浪速』艦長の東郷長官、貴方もだった筈ではありませんか?」
「成る程の。それを言われると納得するでごわすな。では戦争は変わると?」
「変わらざるを得ません。先の大戦で航空機、潜水艦が活躍したのは東郷長官の耳にも届いていますでしょう」
「ウム。しかし、戦艦も活躍したのは忘れておらんな?」
「無論です。ですが何れは圧倒されるでしょう。少なくとも50年の間で大きな変化があるのは間違いありません」
「……それがおはんの言う軍備拡張かの?」
「否定はしません。どれもこれも必要なのは間違いないのは確かです」
「日本が亡国になるというのは航空機、潜水艦に攻められるか?」
「我が国は島国です。イギリスも島国でありましたがイギリスは我が国は元よりアメリカ等の支援があって生き残る事は出来ました」
「……通商破壊作戦……か……」
「『常陸丸事件』を日本の近海で繰り返しますか?」
「耳が痛い話でごわすな」
近藤の言葉に東郷は苦笑する。
「あの時は上村どんも随分苦労したでごわんな」
「あの時は『ロシア』『グロモボーイ』『リューリク』『ボガトィーリ』のウラジオ巡洋艦隊が日本海を荒らし回りました。ウラジオ巡洋艦隊を壊滅させるまでに約16隻のフネが沈められ数隻が拿捕されています。潜水艦の被害はそれ以上になるでしょう」
「ムムムッ」
「(何がムムムだッ!!)だからこそ、第二特務艦隊の活躍を忘れてはなりません」
「……地中海のか」
「はい」
現時点で船団護衛を一番新しく経験していたのは第二特務艦隊の面々だった。だからこそ近藤は第二特務艦隊を推したのである。
「……確かに海上護衛については有効であろう。それについては村上大臣にも内々に伝えておくでごわす」
「……ありがとうございます(うっそだろ!? マジで通ったの!?)」
東郷の言葉に近藤は頭を下げるが内心は驚愕していたりする。
「話を変えよう……おはんは……戦艦と航空機、どちらが活躍すると思うでごわす?」
「ッ」
東郷の言葉に近藤は身を構える。艦隊派か航空派かと問われたのだと思ったのだ。そして近藤は自身の答えを出した。
「どちらも……でしょうな」
「フム。どちらもとな? まさか玉虫色ではありもはんな?」
「いえ、違います。明確な事であります」
「というと?」
「私の論文を見られておられるなら書かれている通りです。戦艦は全て高速化を図り艦隊決戦でも高速を利して敵の頭を抑えられる可能性は大きいでしょう」
「ウム。バルチック艦隊も2ノットの優位差はあったもはんな」
近藤の言葉に東郷は頷く。18ノットでも16ノットでもその差は有り、その差で勝てる戦いはあると東郷らは実証しているのだ。
「では航空機が活躍するのは?」
「航空機はそのうち爆弾と魚雷を搭載出来るでしょう。100機以上の航空機で『長門』や『陸奥』は爆弾と魚雷を回避出来るでしょうか? 1機ずつの襲来ならまだ対処は可能でしょう。しかし、それが20機、50機、100機等で一気に襲来されて回避は出来ますか?」
「ムッ………」
近藤の言葉に東郷も出来るとは言えなかった。そうなれば戦艦の優位は崩れるのではないかと思案する。
「では……八八艦隊は間違っていたと?」
「……日本帝国の財政を破綻させるのでしたら宜しいのでは? 国民を飢えさせるのが海軍の目的ですか? 我々、軍は国民を、日本を守るための軍隊です」
「………成る程の。ではおはんに問う、おはんならどうするでごわすか?」
「……それは今既存の戦艦をどうするか……という事ですか?」
「如何にも。あぁ、これは酒の席での妄言と捉えるでごわす」
「……されば……」
東郷の言葉に近藤はもう1本の徳利を飲み干してから口を開いた。
「技術改良及び研究、これに尽きます」
「フム、技術改良及び研究とな」
「日露戦争を例に言えば伊集院信管、下瀬火薬、三六式無線電信機等になります」
「フム」
「技術改良と研究は色々とありますが……砲の改良です。今は『長門』型の45口径41サンチですが、50口径41サンチ砲や45口径46サンチ砲、50口径46サンチ砲の研究です」
「成る程。八八艦隊では48サンチ砲の開発をしていたと聞く。それを元に研究か」
「はい」
「フム……分かりもうした。近藤中佐、今日は良い酒の席でごわした」
「……ありがとうございます東郷閣下。それでは失礼致します」
東郷の言葉に近藤は頭を下げ退出するのであった。そして一人になった東郷の部屋に隣の襖がスッと開かれた。
「如何でしたか閣下?」
「あやつは面白か。場合によっては化けるでごわすな」
入ってきたのは予備役に編入された佐藤鉄太郎であった。
「あのような者がいるのであれば海軍は安泰でごわす。良か良か……」
東郷はにこやかに笑みを浮かべながら日本酒を啜るが直ぐに表情を変える。
「じゃっどん……奴の心には何か大きなのがある」
「心に……ですか?」
「ウム。話をしている限りでは対峙するようなのでは無か。それは心配せんでもよか」
「はぁ……」
「……あやつの事、GFの加藤に話してみるつもりじゃ」
「……成る程。確かに近藤中佐はGFの先任参謀になりますからな。私からも話をしてみましょう」
「……そう言えば近藤中佐、ドイツからおなごを持って帰ってきたと聞くの。佐藤、伝を利用して帰化出来るようにしなしゃって。おいどんの話をしてくれた礼でごわす」
「分かりました。やってみましょう」
東郷の言葉に佐藤は頷き、東郷は再び日本酒を啜る。
「……近藤中佐、おはんは何を目指す……?」
東郷はそう呟くのであった。なお、その近藤はというと、借りたばかりの借家に直行して出迎えたハンナを抱き締めるという荒業を敢行するのであった。
近藤がGF先任参謀に就任してから翌年の昭和2年8月24日、GFは島根県美保関町沖合で1F(GF長官直率)と2F(2F長官:吉川安平中将)の夜間演習を実施する事になり第一水雷戦隊所属の第27駆逐隊(駆逐艦 菱、菫、蕨、葦)を第二水雷戦隊に臨時編入し、第五戦隊(重巡 古鷹・加古、軽巡 神通・那珂)と共に運用することになった。それに疑念を持ったのが第一水雷戦隊先任参謀だった小沢治三郎中佐であった。
「近藤先任参謀、急な訪問に申し訳ありません」
「いえいえ構いませんよ小沢先任参謀。して御用件とは?」
「はい、この度の訓練についての危険性についてです」
そう言って小沢は指揮系統の違う部隊を、事前訓練なしに実戦方式の夜間訓練に投入する危険性を訴えたのだ。
(やっぱそうだよな……)
近藤もこれが史実の『美保関事件』と認識しており小沢の危険性には納得した。
「分かりました。小沢先任参謀、自分と共に高橋参謀長の下に参りましょう。私もそれを危惧して何度か訴えたのですが、却下されていたので……」
「そうだったのですか。分かりました、自分も行きましょう」
小沢も近藤が危惧していた事に感心し二人で高橋参謀長の下に向かったのであった。
「君達が危惧しているのは分かる。しかし、これは長官の御意向でもあるのだよ」
高橋参謀長は二人の具申を一通り聞いてから肩を竦めてそう告げる。
「加藤長官の御意向も分かります。ですが、事故を起こしてからでは遅いのです。我々が訓練を行うのは当然です。ですが死傷者まで出して行うのは些か違うのでありませんか?」
近藤がそう言うと高橋参謀長は机を叩いた。
「黙れ先任参謀!! 夜間訓練を行うのは決定事項だ!! 多少の事故はやむを得ないと理解しろ!!」
高橋参謀長の怒号に二人は更に反論したが、具申は通らなかったのである。
「……申し訳ありません小沢先任参謀、私の力不足です」
「いやとんでもないですよ先任参謀(この先任参謀……意外と分かっているな……)」
頭を下げて謝る近藤に小沢は近藤をそう評価するのである。そして行われた夜間訓練であるが、史実と同じく事件は発生したのである。
午後11時過ぎ、第五戦隊第2小隊(『神通』『那珂』)は戦艦部隊を仮想敵(甲軍)にみたてて接近中、戦艦2隻(『伊勢』『日向』)や軽巡複数隻(『由良』『龍田』)等から照射を受けた。特に『龍田』の探照燈に捉えられた『神通』は攻撃の機会を失ったと判定され、『那珂』とともに右へ旋回する。すると第五戦隊第2小隊(『神通』『那珂』)は後続していた第五戦隊第1小隊(『加古』『古鷹』)および第26駆逐隊(『柿』『楡』『栗』『栂』)、第27駆逐隊(『菱』『蕨』『葦』『菫』)の一群に突っ込んだのだ。
「か、回避せよ!!」
回避は間に合わなかった。これにより『神通』と第27駆逐隊2番艦『蕨』が衝突、ボイラーを粉砕された『蕨』は爆発を起こし、真っ二つに分断されて沈没した(『蕨』殉職者、五十嵐艦長ほか91名)。遺体は後の捜索が行われたが殆ど回収できなかった。衝突した『神通』は艦首から1番砲塔直下まで船体下部を失ったのである。
一方、2隻(『神通』『蕨』)の衝突を見て避けようとして転舵した後続の『那珂』は、第27駆逐隊3番艦『葦』(『葦』駆逐艦長須賀彦次郎少佐)と衝突。 『那珂』は艦首を、『葦』は艦尾を大破する(『葦』殉職者27名)。 『那珂』の損傷は『神通』程ではなかったが、それでも船体艦首下部を失う大きな損傷を受けたのである。
「被害報告、急げ!!」
『長門』艦橋で近藤は報告を急がせていた。それでも報告が入るのは遅く情報が中々入って来なかった。その為高橋参謀長はある事を具申した。
「長官、此処は一旦『長門』を退避させてみては如何ですか?」
『ッ!?』
高橋参謀長の一言は司令部内を驚愕させたのである。そして加藤長官もそれに賛同した時、怒号を放ったのは近藤であった。
「ふざけるな!! 死傷者が多数出ているのに長官が先に帰るのはどういう了見だ!!」
『ッ!?』
近藤のキレ具合に司令部の参謀達は驚き、更には同じ砲術参謀だった大川内中佐も援護射撃として口を開く。
「その通りです!! 此処で長官だけ帰ったら我々は笑い者ですぞ!!」
近藤と大川内の抗議に加藤は絶句して言葉を言い淀むが代わりに高橋参謀長が口を開いた。
「……済まなかった参謀。今の発言は撤回する、このまま陣頭指揮を取ろう」
高橋参謀長は二人に謝罪をし事故の収束に当たるのであった。
「大変だったなノブ……」
「参謀という役職故かもな……」
自宅に戻った近藤はハンナに膝枕をしてもらいつつ頭を撫でられた。
(……イカン、そのうちオギャられそうだ……)
撫でられるという感触に近藤はそう思うが何とか気合いで耐えた模様である。
「そ、それでなノブ……」
「ん……?」
「……するか?」
顔を真っ赤にしツインテールをイジイジするハンナに近藤は答えとしてハンナを押し倒すのであるーーーが、そこへ玄関の戸が叩かれたのである。近藤は邪魔が入ったとばかりに溜め息を吐きながら玄関に向かい、戸を開く。
「待たせたなコンドー!! イギリスから余が来てやったぞ!!」
そこには満面の笑みを浮かべ、あの別れた日から成長した身体を見せるグレイス・ネルソンがそこにいたのであった。
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