兵器設定その1
零戦22型
全幅 11.0m
全長 9.121m
全高 3.57m
翼面積 21.30m2
自重 2,700kg
正規全備重量 3,400kg
発動機 栄32型(離昇 1,380hp)水メタノール噴射装置付
最高速度 586km/h
航続距離 1,220km(正規)2,350km(400L増槽付)
武装
主翼 99式20ミリ機銃2挺(各200発)
99式13.2ミリ機銃2挺(各350発)
30kg又は60kg爆弾2発
【概要】
堀越二郎が「これこそが本命の零戦」とも言える開発した零戦22型である。元は史実の零戦五三型がモデルである。
堀越は11型と違い近藤等の要望により防弾にも力を入れており、一式戦『隼』を開発した小山技師に協力を仰ぎ、防弾装備はほぼ『隼』を真似ている。そのため史実五三型より多少の重量が増加している。(例 操縦席後部に13mm厚・合計三枚・合計48kgの防弾鋼板(12.7ミリ弾対応))
発動機は中島が社の威信をかけて開発した栄シリーズの最新作である三二型でありしかも水メタノール噴射装置付である。発動機は開戦前から開発に成功していた事もあり稼働率は常に90%以上を確保していた。
武装は96式艦戦三号から引き継がれる97式13.2ミリ機銃を二丁、20ミリ機銃は更に見直しにより弾数を増やした20ミリ二号機銃四型が零戦に搭載されていた。
航続距離については胴体下に400Lの陸海統一型一型増槽を搭載する事で2,350kmの航続距離を何とか保有する事が出来てはいる。
開戦時には一航艦の全空母全てに搭載しており発艦は小型ロケットによる発艦だった。更に基地航空隊の第十一航空艦隊にも配備されており比島を航空攻撃している。
また通信装置は史実の三式空一号無線電話機が99式空一号無線電話機として開発・採用され搭載している。
開戦時から戦争中期まで第一線で使用され後期からはビルマ方面や大陸方面に行動を移したがベテランパイロットが操る22型は連合軍の新型機(スピットファイア、F6F、P-38等)を寄せ付けぬ程であった。特に空戦性能については自動空戦フラップを採用した事で機体の重量増加をものともせずに軽快な空戦が可能となり連合軍パイロットからは「気付けば後ろを取られていた」と証言しているのが多々ある。
また、新型無線機のおかげでサッチ・ウィーブへの対策も容易となり現に考案者のサッチ少佐はミッドウェー海戦でサッチ・ウィーブを試すも途中から参戦してきた1機の零戦22型に隊形を崩されそのまま撃墜されている。
なお、サッチ少佐を撃墜したのは宮部というパイロットらしいが乱戦で入り乱れているので確たる証拠は無かったがサッチ少佐が撃墜されたのはハッキリとしている。
なお、中期には金星発動機と更に防弾装備を見直した三三型が投入されるのである。
九九式艦爆11型
全長 10.08m
全幅 14m
翼面積 34.970㎡
発動機 金星1,300馬力
速力 435キロ
航続距離 1,300キロ
武装 機首 7.7ミリ機銃二挺
後部13.2ミリ旋回機銃一挺
250キロ爆弾×1
60キロ爆弾×2
【概要】
ほぼ史実九九式艦爆22型がモチーフではある。更には旋回機銃には13.2ミリ機銃にする事で敵戦闘機の妨害をしやすくする事になった。
九九式艦爆は開戦時から参戦し改良型は無かったものの(後継の彗星が直ぐに出たため)基地航空に移ってからも終戦まで活動を続けた。なお、防弾装備を施していた事もあり敵戦闘機の銃撃からも生還するケースは幾度もあった。(珊瑚海海戦での投弾後に艦爆隊高橋少佐が敵戦闘機に襲われたが防弾装備をしていた事で生還に成功)
『夕雲』型駆逐艦
基準排水量 2,300t
満載排水量 3,000t
全長 125m
全幅 11m
ボイラー ロ号艦本式重油専焼水管缶×3
主機 艦本式タービン×2
出力 58,000馬力
航続距離 5,600海里
速力 36ノット
兵装 45口径12.7サンチ連装両用砲×3
61サンチ四連装魚雷発射管×2(16本)
25ミリ単装機銃×20
97式爆雷(史実三式爆雷)×50
97式爆雷投射機×2(史実三式爆雷投射機)
爆雷投下軌条一式
電探 13号対空電探改1組
22号対水上電探改四1組
ソナー 1式水中聴音機1組(史実四式ソナー)
99式水中探信儀1組(史実三式ソナー)
同型
『夕雲』『巻雲』『風雲』『長波』『巻波』『高波』『大波』『清波』『玉波』『涼波』『藤波』『早波』『浜波』『沖波』『岸波』『朝霜』『早霜』『秋霜』『清霜』以下ーー
【概要】
日本海軍が開発建造配備した駆逐艦であり『陽炎』型駆逐艦の改良型及び量産性を意識した艦である。また『陽炎』型と合わせて甲型駆逐艦とも呼ばれる。
当初、④計画にて計画されていたが③計画成立後から大神工廠がフル回転してきたのが影響し昭和14年度計画で8隻(その後昭和15年度計画で更に5隻)が追加建造が認められた。(本来、④計画で建造予定だった『陽炎』型の『嵐』~『秋雲』も容認された)残りは④計画で建造となった。
艦型は『陽炎』型のを踏襲しつつ艦尾を延長している。というのも対潜作戦を視野に入れていたので爆雷の搭載が増加されたからである。
また、量産性を意識したので『朝霜』以降の船体は日本海軍特徴だった曲線構造を止めて平面構成を多用している。他にも『夕雲』型では直線艦首とし艦首舷側のフレアーを少なくし外板や構造材の曲げ加工を極力少なくしたりして史実『松』型のを取り入れているので量産出来る数が多かった。(なお、その設計を踏襲した丁型こと『松』型駆逐艦は72隻まで建造就役させた)
主砲については99式45口径12.7サンチ両用砲を連装で三基搭載、残念ながら40ミリ機関砲は搭載していないが単装で25ミリを増やしている。
また、対潜兵器を大幅に増加しており対潜戦闘も十分に行えるのである。
建造当初から電探を採用搭載しているので就役当初からソロモン戦線に投入される艦も少なくはなかった。また長く二水戦旗艦を務めた『長波』は逆探を搭載していたりする。
開戦時には8隻が就役、後に二個駆逐隊を編成したりしている。
重巡『石狩』(元『ヒューストン』)
排水量 11,000トン
全長 182m
最大幅 20.14m
機関 ロ号艦本式重油専焼水管缶×8
主機 パーソンズ式還元蒸気タービン×4基
出力 107,000馬力
速力 30.6ノット
航続距離 8,400海里
武装 55口径20.3サンチ三連装砲×3基
45口径12.7サンチ連装両用砲×4基
25ミリ連装機銃×10基
25ミリ単装機銃×32基
【概要】
元は米海軍の『ノーザンプトン』級重巡の5番艦。開戦初期にキャビテ軍港で停泊していたが小沢機動部隊の奇襲攻撃でアジア艦隊は壊滅しインドネシアのチラチャップに退避していたがそこも航空攻撃に晒され『ヒューストン』も大破着底となった。その後、チラチャップ港が占領されるまで放棄され、その後に日本海軍に拿捕された。『明石』型工作艦2番艦『三原』と工作艦『朝日』護衛艦隊がチラチャップ港に入港し回航出来るまで修理され1942年3月下旬に内地へ回航され佐世保にて修理と改装が施された。なお、同じアジア艦隊であった『ボイシ』も佐世保で修理と改装を行っていた。
改装は使えるモノはそのまま使用する事になった。機関は海水に浸かっていた事もあり残念ながら缶ごと交換された。タービンは使用可能であったので問題はなかった。
航空装備は取られ、代わりに装甲と両用砲が搭載された。主砲も重かったので三号砲の試作三連装砲がそのまま搭載されたのである。
40ミリ機関砲は研究の為に撤去され撤去された箇所には25ミリ三連装機銃が増設されたのである。修理と改装は1942年7月7日に終わり、そのまま新設された第八艦隊に配備されたのである。
軽巡『天神』及び『穂高』(元『パース』と『ホバート』)
排水量 9,300トン
全長 171m
最大幅 17.27m
機関 アドミラリティ式重油専焼三胴型水管缶4基
主機 パーソンズ式ギヤード・タービン4基4軸推進
出力 72,000馬力
速力 30.6ノット
航続距離 7,400海里
武装 60口径15.5サンチ連装砲×4基
45口径12.7サンチ連装両用砲×4基
25ミリ三連装機銃×8基
25ミリ単装機銃×24基
97式爆雷(史実三式爆雷)×70
97式爆雷投射機×6(史実三式爆雷投射機)
爆雷投下軌条一式
電探 13号対空電探改1組
22号対水上電探改四1組
ソナー 1式水中聴音機2組(史実四式ソナー)
99式水中探信儀2組(史実三式ソナー)
【概要】
元はオーストラリア海軍に供与された『アンフィオン』でありオーストラリア海軍では『パース』と活動していた。開戦初期には活動していた2月24日にインドネシアのタンジョン・プリオクに到着した時に小沢機動部隊の航空攻撃で中破し行動不能となり後に拿捕され工作艦『三原』で簡易修理後に内地に回航され修理と改装された。
特に武装はもがみん砲こと15.5サンチの連装砲を搭載し攻撃力は増加し対潜兵器も増強された。改装が完了すると『天神』となり『天神』は第八水雷戦隊を編成し第二機動部隊へ配属。『穂高』は『天塩』と第十四戦隊を編成、訓練もそこそこに第八艦隊所属となりラバウルへ向かう。
軽巡『天塩』(元『ボイシ』)
排水量 12,000トン
全長 185m
最大幅 18.9m
機関 バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼水管缶×8基
主機 パーソンズ式ギヤード・タービン×4基
出力 100,000馬力
速力 32ノット
航続距離 10,000海里
武装 60口径15.5サンチ三連装砲×5基
45口径12.7サンチ連装両用砲×4基
25ミリ三連装機銃×8基
25ミリ単装機銃×28基
97式爆雷(史実三式爆雷)×70
97式爆雷投射機×6(史実三式爆雷投射機)
爆雷投下軌条一式
電探 13号対空電探改1組
22号対水上電探改四1組
ソナー 1式水中聴音機2組(史実四式ソナー)
99式水中探信儀2組(史実三式ソナー)
【概要】
元は米海軍の『ブルックリン』級軽巡である。開戦初期にキャビテ軍港で停泊していたが小沢機動部隊の奇襲攻撃でアジア艦隊は壊滅し『ボイシ』も同港で大破着底となった。その後、キャビテ軍港が占領されるまで放棄され、後に日本海軍に拿捕された。『明石』型工作艦3番艦『桃取』と護衛艦隊がキャビテ軍港に入港し回航出来るまで修理され1942年2月下旬に内地へ回航され佐世保にて修理と改装が施された。改装後は『穂高』(『ホバート』)と共に第十四戦隊を編成し第八艦隊へ。ソロモン作戦に投入されその装甲の厚さは重宝された。
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