第十話
「ハワイ作戦は半分は成功か」
旗艦『高雄』の艦橋で報告を受けた近藤はそう呟く。時は1941年(昭和16年)12月10日、第二艦隊はカムラン湾にて南方作戦を支援していた。
第二艦隊
司令長官 近藤中将
参謀長 白石少将
旗艦『高雄』
第二戦隊第二小隊
『伊勢』『日向』
第四戦隊
『高雄』『愛宕』
第四駆逐隊
『嵐』『野分』『萩風』『舞風』
第六駆逐隊
『響』『暁』
第八駆逐隊
『大潮』『朝潮』『満潮』『荒潮』
第四航空戦隊第二小隊
『春日丸』
【九六式艦戦×12機 九六式艦爆×12機】
近藤がハワイ作戦が半分成功と言ったのは第二派攻撃を真珠湾に敢行して目についた燃料タンク群を破壊しまくったからだ。但し、肝心の第一目標だった空母は史実と同じく不在であり山本も悔やまれるところだったのである。
(ま、此方も思わぬ副産物があったがな……)
近藤は提督席に座り込む。開戦前、近藤は聯合艦隊から貰った三空母(『隼鷹』『飛鷹』『瑞鳳』)と高速戦艦である『金剛』『榛名』の計5隻を小沢中将の南遣艦隊に臨時配備させ小沢中将にある場所ーーシンガポールの奇襲攻撃を告げた。
「真珠湾と呼応してシンガポールも開戦劈頭、奇襲攻撃を行う。やれるかね?」
「無論です近藤さん。是非ともやらせて下さい!!」
美保関事件以来、近藤を信頼している小沢中将は近藤から空母と戦艦を配備させてもらった事に感謝しつつ小沢中将は5隻と駆逐艦4隻だけの機動部隊を編成、真珠湾攻撃から一時間後にシンガポールも奇襲攻撃を敢行したのである。
この攻撃で停泊していた英東洋艦隊の戦艦『POW』『レパルス』が軍港内で大破横転してしまい英東洋艦隊は瞬く間に壊滅してしまうのである。これによりマレー沖海戦も無くなった事に近藤も思わず苦笑してしまうのであった。
「陸さんも何とかシンガポールを目指している。此処が踏ん張りどころだな」
12月12日午後7時、カムラン湾から輸送船『智利丸』『錦隆丸』が出撃しシンゴラへ先行したのに始まり、英領ボルネオ攻略部隊、マレー上陸部隊などが続き、13日午後12時20分、最後に小沢中将が『鳥海』『鬼怒』を率いて出撃した。マレー上陸のために分離した輸送船は途中敵襲を受けることなく、16日午前4時45分コタバル、午前10時シンゴラ、午前11時パタニ、午後11時ナコン、17日午前6時バンドンの各泊地で揚陸を開始したのであった。
「南方作戦は思っていた以上の戦果だな」
1942年(昭和17年)3月10日、聯合艦隊司令長官の山本大将は旗艦『大和』にて南方作戦の戦果報告を聞いていた。
「はい、南遣艦隊の航空攻撃で南方に展開していた敵艦艇を叩いたのが効いていたようです」
山本の呟きに宇垣参謀長が答える。開戦後、南遣艦隊は近藤からとある命令を受けた。
「南方に展開する敵艦艇を発見次第攻撃せよ。洋上を航行していた場合はやむを得ないが、軍港に停泊していたら着底させるようにせよ」
「と言いますと?」
「鹵獲して此方で運用するのだよ。幸いにも此方には工作艦『三原』と『朝日』がいるからな」
「成る程、それは良いです。となると輸送船も鹵獲しやすい様にしませんとな」
近藤と話した小沢中将は納得し直ちに機動部隊は索敵機を四方に展開して敵艦艇を捜索、発見次第攻撃して停泊していた場合は大破着底等させたのである。
この攻撃でアメリカ海軍の甲巡『ヒューストン』はインドネシアのチラチャップで、豪海軍乙巡『パース』はインドネシアのタンジョン・プリオクで、『ホバート』はバタビア港にて、他駆逐艦数隻が大破着底しその後に鹵獲されるのである。他にも輸送船11隻、タンカー6隻も鹵獲されその後は内地~外地を行き来する輸送船団に組み込まれるのであった。
「それにスラバヤ沖のも良い戦訓になるでしょう」
2月27日、史実と同じくスラバヤ沖海戦が発生した。この戦いで第三艦隊は連合軍艦隊の甲巡『エクセター』乙巡『デ・ロイテル』『ジャワ』駆逐艦『コルテノール』以下4隻を撃沈した。
史実では終始遠距離での砲雷撃戦を行っていた事で砲撃、雷撃の命中率は極端に低かった。だが、この時参戦した『妙高』型4隻には対空電探用の21号対空電探の他にも対水上電探として22号対水上電探が配備されていた。射撃用電探ではなかったが使えるモノは何でも使えと高橋中将から言われていた高木少将は射撃用として活用した。なお、22号は12斉射目で破損した事で以後は観測機等の報告で砲撃したがそれでも『デ・ロイテル』に5発、『ジャワ』に6発も命中弾を出しており電探射撃の有効性は少なくとも実証されたのである。
まぁそれでもその後の砲撃は史実と同じく遠距離砲撃だったので苦い戦訓を残した結果となった。ちなみに近藤は報告を聞いて「雷撃は1万を切って行う事。また、魚雷の感度調節は弄くらないように」と第二艦隊の艦艇に厳命するのである。
「良い戦訓になってもらわんとな……」
報告書を読みながらそう呟く山本であった。3月20日、近藤はというとインドネシアのバタヴィア(後にジャカルタに改名)にて南遣艦隊司令長官の小沢中将、第16軍司令官の今村中将と会談をしていた。
「航空作戦、ご苦労だったな小沢中将」
「いやいや何の何の。思いっきり暴れて良かったです」
「いやいや、小沢中将の南遣艦隊には大変助かりました」
小沢中将の南遣艦隊の機動部隊は2月からは『龍驤』も加わり戦力が増しており何でも屋とされ南方の各戦域に出向いていたのだ。
「先頃も蘭印作戦が終了した。取り敢えずは艦艇は内地に戻せそうですな」
「あぁ。今村司令官、実は本日、自分が此方に出向いたのもそれが理由でありましてな」
「ほぅ、何でしょうか? 私が手伝えるならやれる限りの事は致しましょう」
「実は石油の事です。我が艦隊が内地に帰還する前にせめて石油を持って帰りたいのですよ」
「成る程。確かに内地は油が不足していますからな」
「許可を頂ければ内地に帰還予定の陸軍の徴用船を我々で護衛致します」
「ほぅ。海上護衛隊の護衛無しでも宜しいので?」
「護衛隊はまだ此方に進出していませんし、表向きは次いでという形に……」
「ハハハ、成る程。それに小沢中将の南遣艦隊の航空攻撃のおかげで石油の生産施設は破壊を免れていますので我々陸軍は貸しがあるというわけですな」
「左様です。此処で貸しを返して頂ければ貸し借りは無かったものになります」
「アッハハハハ。それ良い事を聞きました。分かりました、私の判断で石油の積み出しを許可しましょう。その代わり、我々陸軍の石油の船も護衛して帰還して下さい」
「ありがとうございます、今村司令官」
斯くして第二艦隊と南遣艦隊は内地へ帰還する徴用船13隻、タンカー10隻を護衛して内地へ向かうのである。しかし、それは台湾沖で任務解除となった。話を聞いた海上護衛総隊司令長官の及川大将は驚愕し台湾で待機していた1個護衛艦隊を出動させて護衛任務を交代するのである。更に聯合艦隊司令部から入電があり、両艦隊は台湾で待機し近藤自身が内地に向かうようにとの事だった。
(何だ……? まぁ考えられそうなのは一つ、二つしかないか……)
一式陸攻で向かう途中、近藤はそう思いながら内地に向かうのである。
「セイロン島ーーインド洋への機動作戦を君に任せる事になる」
柱島泊地にてGF旗艦『大和』に乗艦した近藤は山本と面会直後の開口一番にそう告げられた。
「インド洋には君の第二艦隊、小沢君の南遣艦隊、南雲の一航艦を投入する予定だ」
「成る程……それでセイロン島を占領するので? 陸軍はセイロン島攻略にどれくらい出すので?」
『……………………』
近藤の言葉に山本や宇垣達は口を噤んだ。その様子を見て近藤は察したのである。
「……出さない考えですか」
「陸軍はセイロン島攻略に自信が無い。軍令部は米豪遮断に躍起になっている」
「なら同盟国は見殺しですな。だから始めから三国同盟なんぞ結ぶ必要は無いと言ってるんです」
山本の言葉に近藤は溜め息を吐いて肩を竦める。
「だから君を呼んだのだ」
「と言いますと?」
「僕の権限で今回のインド洋機動作戦、采配は君に任せるのだ」
近藤の問いに山本はそう答えるのであった。
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