実践稽古と歴女?
「えー、おほん。ではこれから稽古を始めます!」
「はい、よろしくお願いします」
師匠気取りのレオの声にエシュリーの元気な返事が屋敷の庭に快く響く。
レオの本当の仕事、というよりは使用人の仕事全てがレオの仕事なのだが、レオの実力を活用する場が、今ここだ。
アラン直々に仕事内容を詳しく説明されなかったので、後でリサから聞いただけなのだが、レオと同じく学園に入学予定のエシュリーの〈剣術〉の稽古に付き合う、というのもレオの仕事の一つらしい。
〈剣術〉の稽古と言っても実際の剣を使用しての稽古ではなく、木剣を使った稽古で、時々、注意やアドバイスをレオがすればいい、といったところが大まかな内容だ。
「んじゃ、まずは準備運動してからだな」
「そうですね、私も先ほどまで机に向かっていたので、急に動くと危ないかもしれませんし」
学園の試験には実技のほかに筆記試験もあるらしい。今の一言を聞く限り、先ほどまで勉強をしていたのだろう。
「よし!まずは各自で準備運動!開始!」
「はい!」
レオの合図で各自準備運動をする。レオはアキレス腱や首などのけがをしたら致命傷になるような部位を重点的に伸ばす。
チラッと横を見てみるとエシュリーがヨガのような動きで体を伸ばしていく。エシュリーは朝のドレスではなく白のズボンに動きやすそうな花柄の服を着ている。
「お嬢様ってもっと豪華な服ばかり着るものだと思ってたけど、その服って運動用?」
「確かに、貴族として人前では地位にあった服を着ていますが、今は稽古なので、身動きのしやすい服に着替えました。似合っているでしょうか?」
上目遣いに頬を朱に染めてこちらを見るエシュリーはいつもの貴族らしい凛とした姿とは異なり、年相応に可愛らしい。
レオは頬を搔きながら視線を横に移す。女性経験の全くないレオにとってその笑顔は凶器と言える。ガチで惚れるからやめてもらいたい。
兎にも角にも、レオは給料分の仕事を果たす事が今の使命である。
「さてと、そろそろ稽古に入ろうか」
「はい。それで、何をやるのですか?」
「そうだな…」
レオは周囲を見渡す。
スウェルザン家の屋敷の庭は原っぱ並みの広さがある。例え、ここで本気で戦っても庭が荒れるだけで、広さとしては申し分ない。
「と、いうわけで今から実践稽古を行います!」
「実践稽古、ですか?」
「ああ。まずは腕試しをして、そこからエシュリーちゃんの苦手なところを手取り足取り教えてあげるよ」
「ありがとうございます。ですが、その手の動きは正直気持ち悪いのでやめてほしいです」
エシュリーはレオに感謝の言葉を述べるが、レオのうねうねと動く両手を見て笑顔が引きつっている。
さすがにこれ以上好感度を落とすわけにはいかないので言われた通り手の動きを止める。
レオは用意していた木剣を手に取り、軽く振ってみる。
グリムリーパーと違って軽く、短いのであまりうまくやれる自信はないが、そこは今までの経験で何とかするしかない。
「伊達に冒険者を一か月やってたわけじゃねぇしな。それに」
レオの予想では、この〈剣術〉が異世界転生の特典なのだろうと思っている。ベテラン冒険者にも負けない〈剣術〉のレベル。加えて、この屋敷に連れてきてくれたエシュリーの言っていた騎士隊隊長と同等の強さ。そもそも、冒険者になりたての時点でレベル100を超えているという異常さ。
これらの事から、レオはそう認識している。ただ、本当にこれだけなのかという疑問が頭の片隅になくもない。
この世界に転生したことは天の導きだとして、その導き者がレオに何も伝えてこないのも気になる。
「せめて、綺麗な女神様に死んだことを慰めてほしいなっていう願望はあるけど、今はそんなこと考えてる暇ないんだったな」
脱線していた思考を元に戻し、エシュリーに向き直る。エシュリーはすでに木剣を軽く振っていた。そして、レオが見ていると気づくと木剣をレオに向けて構えた。
「やる気満々だな」
「もちろんです。ご教授くださるからには全力でいきます」
「オーケー。んじゃそっちからどうぞ」
レオが左手で手を差し出し、エシュリーがそれに頷く。木剣を構えたまま全力疾走でレオに向かってくる。木剣を振り上げ、真っすぐにレオに向かって振り下ろしてくる。だが、そんな攻撃ではレオに攻撃は届かない。
レオは向かってくるエシュリーの木剣を一歩下がりながら撃ち落とす。バランスを崩したエシュリーは隙だらけだ。その隙を狙って、足で木剣を遠くに向かって蹴飛ばす。
バランスを崩した状態での蹴りはエシュリーにはどうすることもできず、呆気なく手から木剣が離れた。その隙に、レオはエシュリーの喉元に剣先を向ける。
完全なるレオの勝利だ。
エシュリーは目を見開いて、レオを凝視している。圧倒的な実力の差に驚いている様子だ。
だが、仕方がない。レオは1か月の間、冒険者として王都やいくつかの街や都市を転々としていたのだから。これだけは譲れない。
それに、今ここで手を抜けば後々に大変なことになるのは目に見えている。
レオはエシュリーとの立ち合いが始まる前に『腕試し』と言ったのだ。つまり、今ここで手を抜けば、腕試しにはならなくなってしまう。
それに、今後のエシュリーの成長の妨げにもなる可能性がある。
「つまり、指導者って思ったよりも大変ってわけだなぁ。小学校の先生とかもある意味じゃ天才なのかも」
「そうですね。指導をする方はそれなりに訓練や経験があるからこそ貴重な人材とも言えますし、未熟な素人と違って言葉にも重みがありますから」
「あーね。でも、俺の小学校の先生はマジでクソだったからなー」
「くそ?」
「あーダメダメ!エシュリーちゃんはそんな言葉使っちゃダメ!」
聞いたことのない言葉を復唱したエシュリーに、レオは慌てて止める。
美少女に口の悪い言葉を教えるのは、何か心の奥がもやもやする。おそらく、ただのレオのプライドなのだろうが、今は関係ない。
レオのふざけた独り言で、我を取り戻したエシュリーはいつもの調子で話せている──わけでもなく、レオの予想通り己の力の未熟さを実感している様子だった。
レオがエシュリーとの実践稽古で本気を出した理由は二つある。
一つ目は前述の通り、エシュリーの力量を計りたかったからだ。学園の試験の難易度がどの程度かは詳しく知らないが、力がある分には問題ないとレオは思っている。
そして二つ目はレオの力量を見たかったからだ。学園の試験を受けるのはレオも同じこと。学園にはエシュリーのような貴族も来る。その貴族たちが、どの程度の力を持っているかは予想するしかないが、その参考としてエシュリーと実践稽古をした。もし、エシュリーがレオに勝てば、貴族はそれなりの訓練を受けている可能性を危惧していたが、この調子ならば、その可能性は低いだろう。
「それに、ギルドのお姉さんも言ってたもんな」
〈剣術〉はレベルを上げるためにはそれなりの経験と努力と才能が必要らしい。
つまり、簡単にはレベルを上げることができないのだ。
「まぁ、俺としては経験こそものをいうって感じが好きだから文句はないけど」
「私も、経験は大事だと思います。それに、わからないこと、知らなかったことがわかるようになっていくのは、なんというか、世界に色がついていくような感じだと思うんです」
「世界に色がついていく、ねぇ」
エシュリーらしい言い換えにレオの心が温かく沁みる。目を閉じ、右手を自分の心臓のある、左胸に当てる。
一度死んだはずなのに、意識が戻ったらそこは異世界だった。わからないことだらけの世界で、初めて救った命がレオの横で鼓動している。
改めて考えてみると、エシュリーとレオは運命的な出会いだったのだろう。ドラマのような展開で始まったこの繋がりは、何が何でも手放したくない。そう、レオは思った。
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「それで、私の実力は未来の英雄様から見たらどの程度だったのでしょうか?」
「ぶっ!あ、いや、そのぉ」
突然の質問に驚いてレオは噴き出す。慌ててエシュリーの方を見ると口角は上がっているが、目が笑っていない。
よっぽど負けたことが悔しかったのだろう。エシュリーの実力自体はレオには負けるが、その辺の冒険者には負けない程度だろう。
「だけど、そんな火に油を注ぐようなことは言えない・・・」
「ほら、レオ!何か助言はありますか?未来の英雄様からの助言なんて光栄極まりないです!」
「あ、これ違うな。怒ってるわけじゃないな」
頬を赤くし、目は笑わず、口元はにやけるのを必死にこらえるようにひきつっており、少々息が荒い。
結論から言えば、エシュリーは興奮している。
その理由はおそらく彼女の性格のせいだろう。エシュリーは英雄譚などの歴史上の偉人の伝記などを読み漁るのが趣味らしい。
「今時、歴女なんて言われてるけど、そういう人に会ったことなかったからよく知らなかったけど・・・・・」
歴女なんてオタクと大して変わらないな、というのがレオの感想だ。
自分の好きなものに一直線な視線は大変好ましいが、受けられる側に立ってみるととても迷惑だ。本人の目を見て言えないが。
「うーん、そうだな。エシュリーは基礎的な動きはできてると思う。だけど、相手の動きを見て臨機応変に対応しきれていないのが悪い点かな。」
「相手の動きを見て?」
「あぁ。今回の場合、エシュリーは俺の動きを見て攻撃してこなかった。上からの攻撃なら弾くなり、払うなりして攻撃を防ぎながら攻撃をする。」
「攻撃を防ぎながら攻撃をできるのですか?」
「おう!攻撃は最大の防御って言うしな!」
「成程」
エシュリーはレオに言われたことを口の中で反芻し、何度か頷いた後、レオの顔を見た。
その眼にはやる気が満ちており、レオも彼女の気持ちを瞬時に理解する。
「よし!んじゃ、弱点を見つけ出したことだし、復習といきますか!」
「はい!ですが、レオも少し手を抜いてくださいね?先ほどは本気で攻撃しようとしていたのでしょう?」
「いやだって、本気でやった方がエシュリーちゃんもよかっただろ?気分的に」
「・・・ま、まぁ、そうですね」
エシュリーは少し気まずそうにそっぽを向く。
実力がレオに遠く及ばなかったことがよっぽど嫌だったらしい。
だが、これから実力を伸ばしていけばいい。
一歩ずつ、一歩ずつ、歩み足でもいい。レオが、その手をゆっくりと引いていけるのならば、彼女の未来をも応援したいと願うのは、傲慢なのだろうか。
自分の心の中にある感情に答えが出せずにいたレオであった。