新しい仕事
「こちらがホシヤ君の部屋になります」
「おおぉぉぉぉぉ!」
リサに案内され、新しくレオの住む部屋の前でレオは驚きの声を上げた。
室内はレオが二人寝転がっても余裕のあるほど大きなベッドが目を引く。ベッドの脇には簡素な作業机と椅子が置いてある。あとは花瓶などの小物が室内を飾っている程度だ。
レオはベッドに飛び込み、これからお世話になる挨拶代わりにベッドを堪能する。
「匂いがまず違うな。俺に家の洗剤なんてスーパーの安物だからな。それに毛布がふかふかのぽかぽかで気持ちいい。それにお日様の匂いがする」
「はい、今朝屋敷の毛布を総出で干したので。干したてですよ?」
「成程な。でもお日様の匂いって死んだダニとかの匂いって聞いたことあるな」
くだらない豆知識を披露し、その知識のせいでガッカリしたレオにリサから禍々しい気配がした。振り返ってみると予想通り、リサが物々しい雰囲気を醸し出していた。
「……文句があるのなら、物置に置いている物と交換しましょうか?」
「すみませんこれでお願いします!」
「分かりました。今後、文句を言うようならば──」
「ならば?」
「自分で全てやってください」
「分かりました今後文句ひとつ言いません!」
リサから放たれる威圧感に白旗を上げるレオ。傍から見れば情けない話だが、今のレオは絶対にリサには敵わない。それは実力の話ではなく、気持ちの問題なのだが。
「それでも、仲良くやってけるなら万々歳だよ」
「ええ、それだけは同感です」
レオの言葉にリサが頷く。
そんな会話をしながら、レオはリサに屋敷の中を案内してもらった。
道中、寄り道をしようとするレオをリサが力ずくで引っ張っていくのはまた別の話だ。
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赤い絨毯を踏みしめ、レオが次に案内されたのは使用人部屋だ。
使用人部屋とはこの屋敷に住み込みで働いている使用人の部屋だ。一人ひとり個室で部屋を与えられ、仕事をしながらここで生活しているらしい。
「この屋敷にはリサ以外にもう一人働いている使用人、というよりも専属の秘書なのですが、その方を紹介しておかなくてはいけませんね」とは、レオを案内してくれたリサの言葉だ。
現在レオは、その人の使用人部屋まで案内され、リサがそのもう一人の同僚を連れてきてくれるのを待っている。
「仕事の同僚って言われても働いたことのない俺からしたらどういえばいいのやら……」
「お待たせしました、ホシヤ君」
釈然としない気持ちを何とか言葉にしようと苦心していたレオに扉から顔を出したリサが声をかける。
「何を考えていたのですか?」
「いんや、このもやもやした気持ちを言葉に表そうと頑張ってたところ」
「そうですか。少々お待ちください。ミザール」
リサがレオを適当にあしらい、扉の向こうに声をかける。
「はいはい。分かっていますよ?そんなに急かさなくてもちゃんと行きますよ?」
扉の向こうから聞こえたのは艶のある女性の声だった。リサが扉から出て、その後ろにその声の人物が続いて出てきた。
黒髪を肩上に切りそろえ、暗紫色の瞳を持った美しい女性だ。豊満な胸を誇張したデザインのメイド服を着こなしている。
「あら、可愛らしい子ね。お名前はなんていうのかしら?」
「お、俺の名前はホシヤ・レオ、です。き、今日からこの屋敷で警備員として雇われた新人です。まだまだ足りない部分があるかもしれませんが、よ、よろしくお願いしますぅ!」
レオは異世界に来てエシュリーをはじめとした美少女と出会ってきたが、目の前の女性──ミザールの様な色っぽい雰囲気を醸しだしている女性は初めてだった。
「美少女とかならラノベとかで見ているから頑張れば暴走しないでいられるんだけど、このタイプはさすがに思春期の男子にはきついな」
「ふふ、どうしましたか?」
「あ、いえ、何でも」
「そういえば、そちらのお名前を先に聞いたのにわたしの名前は名乗っていなかったわね」
ミザールはふぅとため息をつき、レオを見つめる。その瞳に何かを探られている感じがあり、警鐘が鳴りやまない。
「失礼。わたしはこのスウェルザン家の当主、アラン様の専属秘書を担当しております。ミザールという者です。以後お見知りおきを」
「あ、あぁ、こちらこそよろしく」
レオはミザールから差し出された手を握りしめ、握手を交わす。
「それでは、挨拶も済んだようですし、次に仕事の内容についてお話ししましょうか」
それまで黙って見守っていたリサが手を叩いて、その場の空気を変えさせる。
レオはリサに向き直り、目で話の続きを促す。
リサはレオの意図を読み取って、話を続ける。
「ホシヤ君はこの屋敷の警備員ということなので、主な仕事内容は二つ」
リサは右手を顔の前まで持ち上げ、人差し指を立てる。
「一つ目は警備員なのですから、勿論この屋敷の警備です。周期的に屋敷周辺を巡回してください。巡回時刻に関しては明日教えます」
リサは人差し指の次に中指を立てる。
「二つ目は、お嬢様との実践稽古です。何か質問はありますか?」
「あるだろ!一つ目は想像してたけど、二つ目は予想外だよ!」
「そんなに騒がないでほしいわ。徹夜明けだから頭がガンガンするの」
レオはリサに大声で突っ込むが隣にいたミザールに怒られてしまった。
リサが冷めた目でレオを見ていたが、レオはそれを無視する。
「自分の醜態から目をそらすとは、情けないですね」
「すみませんね!情けなくて!それで、二つ目の仕事について質問しても?」
「ええ、理由は単純。エシュリー様の試験に向けての訓練をホシヤ君に手伝ってもらいたいだけです」
「試験?」
「ええ、試験です。ホシヤ君も受けるのですよね?」
「……ごめん、全然わかんない」
レオの返答を受け、リサが「はあー」と長い溜息を吐く。リサが呆れのまなざしでレオを見つめているが、わからないものはわからないのだから仕方がない。
「試験すら知らないで学園に入学したいと威勢のいい発言をしたのですか」
「あ、ああ!入学試験の事か!」
入学試験について調べたこともないレオは試験内容なんて全く知らない。
リサの発言から察するに〈剣術〉の試験があるのだろう。しかもエシュリーも同じ。
つまり、エシュリーもレオと同じく学園に入学する予定だということだ。
「そういうことならいろいろと納得がいく事があるな」
アランのレオを見定めようとする視線。あれは不審人物か否かの判断だけではなく、エシュリーとともに学園に入学して害のある存在かという事も見極めていたのだろう。
この屋敷で働くにあたってレオからお願いした通り、学園の入学試験の手伝いはしてくれるようだ。
「それもエシュリーちゃんと一緒にな!」
「鼻の下が伸びていますよ、レオ君」
「伸ばしてねぇよ!」
「はいはい。それで、話を続けてもいいですか?」
「あ、はい。すいません」
リサの冷たい瞳と声に背筋を正されるレオ。
今まで眺めていたミザールは「大体の内容は理解したからわたしは寝ますぅ」と言って、部屋に戻っていった。
ミザールが部屋に戻り、リサと二人で使用人部屋から厨房に移動しながら話の続きをした。
「お嬢様もホシヤ君と同じく今年入学試験を受けます。先ほどの反応からしてホシヤ君は入学試験の内容を知らないのでしょうから、この際ついでに教えておきます」
「はい、先輩マジ感謝っす」
照れを隠して感謝を述べるレオにリサの手刀打ちが胸に思い切り入れられる。
「ぐへっ!」と悲鳴をこぼすレオを無視してリサが淡々と話し始める。
「入学試験の項目は三つ。一つ目は先ほど話した〈剣術〉の試験。これは受験者同士で試合をするというものです。合格基準は簡単、ただ勝てばいいですからこれは馬鹿なレオでもわかることでしょう」
「待って先輩。なんで馬鹿ってところ主張した──」
「二つ目ですが」
レオの突っ込みを無視し、リサが話す。
「二つ目は筆記試験です。ルーガサルフ王国の地形や歴史、魔法に関する知識などの内容が出ます。そして三つ目。三つ目は〈魔法〉の試験です。〈剣術〉とは異なり、対戦ではなく魔法を発動し技を見せるといった、発表会のようなものです。何か質問はありますか?」
「……俺〈魔法〉の才能がないって言われたんだけど」
「〈魔法〉の才能がなくても全く使えないわけではありません」
「マジ⁉本当⁉」
「ええ、本当です。〈魔法〉は体内にある魔力を消費して行います。魔力は人間の生命力のもとですから、上級魔法は使えなくとも下級魔法の一つや二つは使えると思います」
レオはリサの説明を聞いて顔をほころばせる。そのレオの顔を見たリサが一瞬、少し微笑んでいたことには気づかなかった。
「ということは、俺にも魔法使いの未来があるのか!やりたい!やってみたい!」
「〈魔法〉を初めて行うには高位の魔法使いの人に魔法適正を確認してもらい、体内の蓄積している魔力に干渉してもらわなければなりません」
「魔法適正?」
聞きなれない単語を復唱してレオは首をかしげる。
「魔法適正とは人それぞれに持つ魔法の属性の事です。」
「それってどういうことですかー、先輩」
レオに先輩と言われ、顔には出さないが上機嫌になったリサが答える。
「魔法には火、水、土、風の四つの属性があります。その他に、陰と陽という属性もあるのですが、あまりこの属性の人はいないので説明は省きます」
「んじゃ、その四つの属性の内の一つが俺の属性かもしれないってこと?」
「はい」
「やりたい!今すぐやりたい!魔法使ってみたい!魔方陣出してみたい!」
「無理です。高位の魔法使いの人に適正確認をしてもらわないといけないといけませんから。それに、リサたちはこれから仕事があります。さあ、行きますよ」
「うわぁぁ、ちょ、ちょっと待って!って、力強っ!?」
レオはリサに襟をつかまれ引っ張られながらこれから始まる仕事場に向かうのだった。
ちなみに、暴れるレオを運ぶのが面倒になったリサがレオを気絶させるが、目を覚ました時にレオに怯えられ、悲しくなるのはまた別の話だ。
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お湯が温められる時のぐつぐつという音。
包丁が野菜を切る時のシャキッという音。
それらの音が聞こえる中、人の叫び声が
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「うるさいです」
レオの雄叫びにすかさずリサが冷たい声で注意する。
レオはそのリサの注意を悪いと思いながらも無視し、目の前に集中する。
皮の剥き終わった人参らしき野菜を高速でみじん切りにしていく。その手際のいい作業の様子にリサが目を丸くしている。
その様子が面白く、にやにやと気味の悪い笑みをつい浮かべてしまう。
調子に乗って人に悪いことをしてしまうのはレオの悪い癖だが、本人は気付いている様子はない。
リサがため息をつき、レオの手元を眺める。
素人よりは動きのいい手つきで野菜を切っていく。
「ホシヤ君は料理の経験があるのですか?」
「まぁ、家庭の問題でね。一時期俺が家の料理担当だったんだよ。あと、料理の〈スキル〉持っているし」
「なるほど、確かにそう書いてあったような…」
「まぁ、〈スキル〉抜きでももともと得意だったから」
「はぁそうですか」
リサから聞いてきたことなのになぜかつまらなそうな反応をされた。腑に落ちん。
人参らしき野菜を切り終え、ジャガイモのような野菜に手を付ける。
皮をむき、ひとつずつ並べていく。
「そういえば、なんで俺、料理やってるんだっけ?」
「一応ホシヤ君は警備員という立場ですが、使用人という立場でもあります」
「あれ?俺、いつの間に使用人って立場になってたん?」
「何言っているのですか。最初からです」
「……マジか」
それは確認していなかったレオのミスだ。
だが、料理をできるのならば、万々歳だ。今すぐ万歳をしたいぐらいだ。
手にジャガイモのような野菜を持っているので、それはしないが。
リサはレオから目を離し、湯を沸かしていた鍋の元へ向かう。
そこでお互いの間に沈黙が落ちる。レオは黙々と作業を行う。
お互いに集中して料理をしたおかげで昼食が早くできた。
だが、これから料理をする時は、リサとレオの間には言葉を交わさないというルールがいつの間にかできていたことをここに記しておく。