スウェルザン家
スウェルザン家──ルーガサルフ王国の貴族の一つ。公爵という位を授かり、ルーガサルフ王国の繁栄に携わっている。
まず、ルーガサルフ王国とは、大陸図で見て一番東に位置する大国だ。春夏秋冬があり、国王の安定した政治のおかげで、平和な国である。特徴があるとすれば、『獅子王の眠る地』に近いというところだろう。
『獅子王の眠る地』というのはその名の通り獅子王が眠る場所だ。獅子王というのは、世界に災厄が来た時に世界を守る救世主のような存在らしい。そして、ルーガサルフの王家は獅子王との何かしらのつながりがあるという。しかし、それもただの噂に過ぎないという。
「つまり、王家と獅子王は曰くつき、っていうわけか……」
「はい。というより、冒険者をしていたレオがなぜこのような市民にまで行き届いている話を知らなかったのか不思議でならないのですが」
「まぁまぁ、気にするな!」
無理やり話を終えようとするレオにおかしなものを見る目でエシュリーは見る。レオはそれを無視するが、エシュリーの意見も正論だ。
レオはこの世界に来てから一か月しか経っていない。まだまだこの世界について知らないことが多すぎる。それに、前の世界との常識の差も存在するため、この世界の生活に慣れる方を優先した結果、常識を知る機会がなかなか無かったのだ。
それ故に、不審に思われることも多々あった。今までレオはそれらをその場のその場で流してきた。だが、今この場は逃れられるような場所ではない。だから流す。
「はあ、ではこのことは聞かなかったことにしてください。私もこのやり取りを忘れます」
「あぁ、そうしてくれ」
レオはエシュリーの優しさに心の中で感謝する。そのことをわざわざ口にはせず、差し出された紅茶を一口飲む。
今、レオはスウェルザン家の客室でとある人物を待っている。というか待たされている。その待ち時間に世間話のついでに、先ほどのことを聞いていたのだ。
客室は想像以上に豪華で、机は金色の装飾が付いており、椅子の背もたれの長さは頭を越している。室内に窓は一つしかなく、二階の客室からでも王都の街並みが見える。
客室にはレオとエシュリーの二人だけである。リサはとある人物を連れてくるために、今はいない。
そして、レオの待っているそのとある人物とは━━
「お嬢様、お客様、失礼します」
こんこん、という戸の叩く音が室内に響き、その後にリサの声がかけられる。
扉が開けられ、リサが現れる。その背後にはエシュリーと同じ金髪に紺碧の瞳を持った人物がいた。身ぎれいな黒スーツをきっちりと着こなしている。
リサはその人物を部屋の中に誘導し、部屋の奥の椅子に腰かけた。そこは一番身分の高い人物が座る場所。それが示すのは、
「この屋敷の主ってわけだ!」
「ほほう、ご名答。と、言うよりそれはエシュリーに聞けばわかったことだろう?」
「まぁな。でも安心しろ、ちゃぁんと自分の頭で考えて出した結果だ」
レオは頭を右手の人差し指でこんこんと突く。それを見た人物が苦笑し椅子から立ち上がる。右手を胸に当て、優雅に礼をする。
「はじめてお目にかかる。私はそこにいるエシュリーの兄であり、このスウェルザン家の現当主のアラン・スウェルザンだ。以後お見知りおきを、ホシヤ・レオ君」
「おう、よろしく。しがない冒険者だけど、仲良くやっていけたらこっちも嬉しいよ」
「なるほど、君は謙虚なのだね?」
「今の台詞のどこから謙虚って言葉が出てきたのかわからないけど、この話し方で首をはねられてないってことは、心の広いお貴族様と見た」
レオの言葉にアランとエシュリーが驚く。その表情を見てレオは思わず笑いそうになったが根性でこらえる。
「驚きました。あの軽々しい言葉は私たちを試していたのですね?」
「試していたなんて人聞きの悪い!ただ仲良くしたかっただけだよ!」
「初対面の人との距離感がおかしい方なのですね……」
「ひどすぎる評価⁉もうちょっとオブラートに包んだりとかさ?流石にそれは傷つくぞ!」
「……それでは、人の目を窺う性格の人?」
「疑問形で返さないで!それ、俺が返答に困るパターンだよ!」
何故かエシュリーからのレオの印象がダダ下がりの気がするが、そこは咳払いで振り払う。アランはエシュリーとの会話を眺めていたが、ひと段落が付いたとみて、口を開いた。
「まぁ、その話は置いておいて、礼を言おう。ありがとう。君のおかげで私の妹はこうして無事だ。それは事実だ」
「そうですね、何か礼をしたいのですが……」
アランが礼をしようと言い、エシュリーもその考えに頷く。
「お礼ねぇ……。別にお礼されるような事してないけど……」
「それでは私が納得できません!」
レオが遠慮しようとする姿勢を見せるが、エシュリーはそれに怒る。エシュリーにとっては二回も命を救われたのだ。怒るのも無理はない。だが、
「俺も別にお礼されたくないわけじゃないぜ?ただ、礼がしたいと言われても、どんなことをお願いしていいのかわからなくて……」
「おやぁ?思ったより欲がないんだね」
「思ったよりってなんだよ!いやまぁ、そこはどうでもいいか…。別に欲がないわけじゃないぜ?俺だって多分、本当に欲しいものがあるかもしれないし」
「それじゃあ、なぜそれを望まない?」
「分からないからだよ」
「分からない?」
レオの言葉にアランは首をひねる。
レオは自分の欲しいものが分からない。地位か、名誉か、金銀財宝か。ただ、それらはレオの望むものではないことはレオがわかっている。だが、本当に欲しいものがわかっているわけでもない。だから、
「自分の心に嘘をついてまで、お礼をもらいたいとは思わないし。だから、本当にお礼はいらないんだ」
「そう、ですか。では、私たちが無理やりお礼をするのも無粋ですね」
「あぁ、悪いけど、お礼の件はなかったことに━━」
「それじゃあ、君はここで働くのはどうだろうか?」
「は?」
「ちょ、ちょっと兄様!?」
レオの本心を聞いて、お礼の件をなくすことにエシュリーの納得を得たところで、アランの突飛な発言が出た。
エシュリーは困惑して、「え?ぅ、え?」と言葉にならないでいる。
「アランさん、俺、お礼の件はなかったことにしようとしていたんですけど……」
「あぁ、聞いたとも。だが、私も君に礼をしたいのでね」
アランはレオに向かってウィンクをした。レオは苦笑してそれを返すが、呆れていた。 失礼なのはわかっているが、これはしつこすぎる。正直、ウザい。
ただ、ここまでされて、「いらないです」というのも失礼に当たるかもしれない。それに、アランの言っていた提案がレオは少々気になっていた。
「うーんと?んじゃまず、アランさんの言っていた、ここで働くってのはどゆこと?」
「言葉通り、この屋敷で雇われないか、ということだよ。ちなみに、給料については保証すると約束しよう」
「…あと一つ、職業内容についてお伺いしたいのですが?」
嫌な予感がレオを襲う。アランは人懐っこい笑みを浮かべているが、目が笑っていない。アランは懐に手を入れ、あるものを取り出した。それはレオの冒険者手帳だ。冒険者手帳は身分証明書の役割もある。怪しまれて殺される、なんて言う状況を防ぐために、レオはリサに渡しておいたのだ。
「ここに来る前にこれを見させてもらったが、君、相当強いようだね」
「まぁな、〈剣術〉だけだけどな」
「それにしても、だ。ランクも高いし、ね?」
「んで?何が言いたい」
「簡単だよ。君を警備として雇いたい」
「つまり、この屋敷の警備を任せたいってことか?」
「そういうこと。リサに聞いたが、エシュリーを不審人物から守ってくれたそうじゃないか」
アランはにこにこと笑顔を絶やさずに話し続ける。レオは先ほどから感じる予感が消えずにいることで、不安がさらに増していく。
「給料だけで俺が、イエスというとでも?」
「いえす、というのが何かはわからないが、給料で満足できないのなら、君は何を望む?」
「そうだな…」
どうやら、アランからの提案を受け入れるほかないらしい。これではアランの掌の上で転がされる感じがしてレオは気分が悪いが、アランは知らない。レオがそう簡単に素直に動いてくれないことを。
「可能な事ならば、何でも叶えよう。それは今、ここで誓う」
「言ったな?男に二言はないぜ?」
「ふむ、面白い。その通りだ、男に二言はない」
レオの言い回しに、アランが面白そうに笑い、片眼を瞑る。紺碧の瞳に見つめられ、レオの緊張度はマックスだ。
唇をなめ、一度深呼吸し、
「俺の願いは、衣食住付きで冒険者生活を辞めずに外出は自由でこの国の学園に入学できるような勉強環境及び訓練環境を提供してもらいたい」
「━━」
早口でまくしたて、照れを隠す。途中途中ちゃんと話せたか不安だし、緊張で手汗がひどい。それにここまで強欲だと呆れられるのではと不安になる。
アランは相変わらずにこにこと笑みを絶やさず、向かいの席に座っているエシュリーは先ほどまで困惑していたはずなのに、今ではレオのことを白い目で見ている。悲しいきかな。
数秒の、レオにとっては気まずい沈黙が流れ、レオの額から一滴の汗が落ちる。アランとのにらみ合いの末、先に手を挙げたのはアランだった。
「いいだろう。そこまで睨まなくともダーメ、だなんて言わないさ」
「だったらさっさと返事してくんね?断られるかと思ったよ」
アランの返事にレオは溜息を吐く。緊張のせいで、心臓の鼓動が早い。するとエシュリーが先ほどとは打って変わってにこにことほほ笑んでいた。
「大丈夫です。もし兄様が断るのならば、私が直談判するところでしたから」
「やだ、何その嬉しすぎる発言。エシュリーちゃん優しい!」
「ぇ、ちゃん?」
いきなりちゃん付けで呼ばれ、困惑しているエシュリーには悪いが、そこは水に流してもらう。しかし、本当にエシュリーの優しさには感謝しかない。照れ隠しにふざけてしまったが、今礼を言うのもなんともむず痒い。
「そろそろ状況の整理もできたかな?と言っても、君からのお願いだから、困惑されても困るのだが」
「あぁ、エシュリーちゃんの優しさに感動していただけだ」
レオの言葉にエシュリーがぼっと顔を真っ赤にするが、そこは誰も突っ込まない。
「さて、では君の部屋を用意させよう。リサ」
「はい、ご主人様」
アランの呼びかけに部屋の扉の前にいたリサが返事をする。
「彼のために部屋を用意しなさい。一応恩人だ。少々凝った部屋でも構わない」
「はい、かしこまりました。ではお客様、改めホシヤ君、こちらへ」
「あ、はい」
リサの呼びかけにレオは頷き、その背に続いて客室を出る。レオを部屋に出しリサが客間に向かってきれいなカーテシーを見せ、扉が閉まる。
⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑
レオとリサが部屋を出て、客室には二人が取り残される。どちらも口を開かず、重い沈黙が室内を満たす。
そして、策に口を開いたのは、
「さて、話を聞こうか。エシュリー」
「はい。お兄様」
アランの呼びかけにエシュリーが頷く。
アランは机の上に両肘を置き、両手を顔の前で組む。レオの紺碧の瞳がエシュリーの方を向き、エシュリーに緊張が走る。
「彼、レオ君をどう思う?」
「はい。善良な方だと思います。見も知らずの人を助けてくれたのですから。それに━━」「それに?」
「英雄の片鱗が見えた気がしました。」
「──ッ!」
「兄様?」
アランは普段の笑みを消し、目を見開いて宙を睨んでいる。アランの突然の気配の変化にエシュリーは驚く。
「──エシュリー」
「はい」
「彼は、──いや、今はこの話はしないでおこう。また『その時』が来たら話す」
「……兄様がそういうのなら」
アランの言葉にエシュリーは頷く。本当はその話の続きを聞いてみたかったが、アランが言うのならば、まだ『その時』ではないのだろう。
「さて、お前も部屋に戻りなさい。まだやることがあるはずだろう?」
「はい、わかりました」
エシュリーは席を立ち、扉の前で一礼し部屋を出て行った。
「はぁ、まさか、な」
アランのその独り言は、誰にも聞かれずに静寂の中に消えていった。