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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

連続■■たい事件

作者: 林檎飴

ホラー初挑戦です。正統派怪談は書けないので、普段の作風をちょっと捻じ曲げた感じで制作いたしました。楽しんでいただければ幸いです。


注意)本作は自殺を肯定した内容ではありません。むしろ否定しています。


死のうと思います。私はもう、精神的にも身体的にガタがきており、とても生きる気力なんて無いのでございます。電車が来るまで後数分。せっかくですから私のこれまでを、走馬燈を先取りして回想いたしましょうかね。


私・空風葦香(からかぜ あしか)は実父にレイプされました。父は元は優しい性格だったらしいのですが、愛していた妻───私のお母さんが不慮の事故で亡くなってから人が変わったように狂われてしまったのです。父の抑えの効かない性欲は私の初めてを理不尽にも奪い、また共働きだった夫婦の片方の消失は経済面でも私の体を汚させ、やがて自分は秘密のアルバイトがクラス内で露見するようになってからは…何処にも私の居場所なんて…。度重なる不幸が私を苦しめ、生きる活力は削がれ続きました。


どうしてこうも「死にたいという想いを抱えながら私は生きていかないといけない」のでしょうか。生きるということはそれだけで尊いことなのでしょうか。

生きたいと願うのは先に希望がある人だけで、私のように、物心ついた頃には絶望しかなかった人間は、はたして人生を最期まで生き抜くという、真っ直ぐな意志を持てるのでしょうか。


否。だって、私、今、こうやって、前向きに死のうと思っているから。「みんなが生きたいと望んでいるのが当たり前」、なんて希望的観測は万人には当てはまらない、机上の空論だ。自分の幸せは他人───死のうとしている人に押しつけるものじゃない。幸せな人が死ぬ人の心を理解できないように、私にとって、そんな偽善者の大事にする生存欲なんて、未知のものでしかないのですから。




───ガタン、ゴトン。ガタンッ、ゴトン…。




と、電車がそろそろ来るらしい。聞き慣れない電車の音が不器用に私の耳に響く。この鳴り響く金属音は私を終わらせる幸せの音で、始まりにして最後に私が幸福になれるもの。朝はよく会社員が死んだような目をして乗っているのだろうけど、その人たちとは違って、私はこれより本気で死にます。朝は夢から覚めて現実に帰った直後の時間帯。そんな今、死を想い、電車の音を聞きます。その音は人生で初めて耳にする福音のように思えました。


「さよなら」


私は駅のホームから軽やかに身を投げる。人の一生とは、儚いモノなのだなと思いました。

かくも簡単に死ねるなんて、人間がこれまで種を存続させてこれたのは奇跡なのですね。私は何かを祈るように空を見上げます。


こうして今、「次の瞬間に死ぬ」という未来が確定して、私はなんだか気分が明るくなった気がしました。ただちょっとの段差を飛び降りただけだというのに、なんだか空を舞っているような気分です。

まるで空に溶け込んでゆくような、淡い感覚。現在の空は晴天であり、いままでの、暗雲が纏っていた人生から切り離されているようです。

不思議なこと。生きてゆくことに希望を見出すのが人間なのに、私は死を迎えることで報われているのです。


──────血。


何か自分の体が変形しているような感覚。これまでの私が何か素晴らしいものへと進化している気がします。嗚呼、私は私を捨て去ることで、(しあわせ)の世界へ行くことができるのです。

みんなに汚された、汚い私でも、死後の世界はきっと全てを受け入れてくれることでしょう。だって、人間、行きつく先はみな同じなのですから。


死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死。


死ねる。やっと死ねる。ああなんだ死ぬってこんなにも気持ちのよいことだったのですね。何一つ報われることなどなかったこれまでは、この今の瞬間を最高に彩ってくれる糧となってくれました。

死が直前。死が体に染みこんでゆく。死が全神経に溶け込んでいく。───死がこれまでの無様な私を全て肯定してくれる。


死死死死死死死死。


あはは、っはははははははは。自分の笑いはきっと脳内で響くだけの歌声。周りの人間になぞ聞こえていまい。否、聞かせてたまるもんですか。芸術は分かる人にしか分からないのだし、死に最も近い、死を体現したかのようなこの声は常人には恐ろしいとしか思えないのでしょう。けれども私はこの自分の声を尊いと思う。それでいて自分で言うのもなんだけど、艶めかしいと思う。

金にしかならない、愛の無い喘ぎ声なんかよりも価値がある。

これまでを貶すことで今を肯定し、今を肯定することでこれまでを肯定する。

まさに救済ではなかろうか。どこかの救世主は死んで人類を救ったらしいし、案外、万国共通で死とは素晴らしいものだったりするのではなかろうか。


死。


ああ、人間でなくなっていく感覚がありとあらゆる快楽よりも気持ちいい。

曰く、人間は性行為をする時よりも死ぬ瞬間の方が快楽成分を多く放出するらしい。ああもう、ほんと最高。人生で一番の自由になった気がします。ああ、ほんと人生に悔いなんてないわ。ほんとうに、今この瞬間が最高に”生きている”って感じがする!!


───■■たい。


***


「─────」


八月の真夏の早朝のこと。一人の少女が駅の一番線ホームから飛び降り自殺した。土曜日だったからか駅には多数の人がおり、当然、その事件に目撃者は多かった。

当時その場に居合わせた青年の話によると、少女の体は天高く跳ね上がり、大げさなくらいに歪曲した体がたいそう恐ろしかったらしい。

───それでいて、まるで人には見えなかったそうだ。鳥を()たらしい。

けれどもそれよりも不可解なのは、インタビューに答えた青年以外はその事件発生から一週間以内に自殺したり未遂に終わったり失踪した人もいたそうだ。そして常識的にありえない自殺の連鎖が発生したらしい。少女を轢いた運転手も、というか少女の死にざまを目撃した人が全員このような行動を次々と起こしたのだ。

また、自殺未遂に終わった人たちはみな精神疾患及びありとあらゆる精神病にかかり、社会復帰をする者は誰一人としていなかった。

どう考えてもその少女の自殺が、連鎖自殺の引き金になっているのだが、なんの科学的根拠は無いゆえ連鎖自殺関係の事件は少女の自殺とは別件として扱われた。


「なぜ、僕はあの時少女を不気味に思ったのだろうか」


──なお生き証人である例の青年は若かりし日の僕だったりする。身元不明である少女は数多の不可思議な事象を引き起こした。それは自分という一例を除外しての話な訳だが。

あれから僕の元には、カルト雑誌の取材やら心霊番組のオファーだとかが多く寄せられた。けれど一人の少女の命を悪質に利用するような気がしたのでそれらは全て断った。

というのは建前で、実際は当時の状況を思い出したくなかったというのが一番の理由だったり。


だって、あの場は、どこか薄暗い劇場みたいだった…。

彼女の死を見て、多くの人は、虚ろな目をし始め、停車した電車へとゆらりゆらりと向かっていた。さながらゾンビ映画みたいだったよ。

田舎駅であるのを忘れるくらい多くの人が線路へ密集していた。

そうして少女の遺体まで辿り着いた人たちはそろって呻き声をあげて、唐突に両手を合わせて祈りを始めていた。

怖かったなんてもんじゃない。サラリーマンとか、禿頭のご老人だとか、老若男女が少女の遺体を崇め奉っていた様子は、怪談でよくみる辺境の地にある村の狂信仰を想起させられた。


あの事故を目撃して以来、僕はたまに死にたいと思うようになっていた。なにか嫌なことがあるわけではないのだけど、日に日にそんな欲求が強くなってきている。

そしてきまって、そんな衝動が現れる度にあの少女の死体が頭に思い浮かぶのだ。


白い肌にすらっとしたモデル体型。風でかすかに揺れた髪はみすぼらしくなく、かえって儚く美しかった。白鳥のような麗人の彼女は屍らしからぬ神聖な風貌で、今思い返すと美しかった。綺麗だった。

───月のように美麗で、手を伸ばしたくなるほどだった。


「!」


と、危ない。万年筆が僕の喉を貫こうとしていた。

─────そうなのだ。僕は彼女の屍を思い出す度に彼女を綺麗だと思い、気づいたら自殺しようとしている。

そしてその回想の時間は、時を重ねるほどに長くなっている。


若い頃の自分は、一切このような症状が無かったのだが、職業作家になるという夢を叶えて以来、こんなことが多々起こるようになった。


あの日、電車に乗ろうとした日。実は僕は、自分の書いた小説が受賞し、これから作品を世に送り出そうと出版社へ行こうとしていたのだ。

希望に満ち溢れていた。これから精いっぱいに生きてやろうと心に決めていた。

そんな矢先に、あの事件。当時の僕にとって不快極まりなかった。


骸は下品で、たかるハエみたいな人たちは不快であった。僕の人生がスタートするというタイミングでそんな光景見せられたら、未来が不安になるではないか。

けれどそれも今となっては昔日のこと。僕は作家として大成してからというものの、あの少女の姿を美しく思うようになってしまった。


もう、様々な賞も貰い、人生に飽きたのだろうか。たいして変わり映えしない世界に絶望しているのだろうか。ともあれ生に執着していない今日この頃だ。


───死死死死死死死死死死死生


かすかな人間としての生存本能というか、いじらしさというものが僕をしつこく存命させている。

あの日見ていた夢は、永遠に燃やせる情熱であったのだろうか?ワカラナイ。

こうして生きる意味が年と共に薄れ、段々とあの少女が美しく思えるようになってくる。


───どうせなら最期は幸せに死にたい。


なのに、その願いは何だかイケナイ気がした。死ぬことを願っては人間ではない。その願いはいつか見た屍とゾンビの群れを思い起こさせる。

僕は生きたいと願ったのだ。夢に生きたいと思ったのだ。どうか僕は間違いを犯したくない。

生きるって何か、今じゃ分からないけど生きたい……。


***


全国のテレビに、訃報が流れる。とある有名な作家が自殺したという、お茶の間の空気を冷やす報道であった。

ニュースによると遺書が残っていたそうだ。内容は以下の通りである。


「どうして死にたいという想いを抱えながら生きていかないといけないのでしょう。たとえ読者が私に生きてほしいと願っても、その祈りは意味がない。私の苦悩は私以外の誰にも理解できないのだから。

作家としての人生には正直飽き飽きです。もう生きる意味なんてないのです。

人はいつかは死ぬ生き物。であるのならいつ死んだっていいじゃないですか?

死の象徴である美少女を崇め奉りましょう。■■■はいつだって■■■レベルでヒトに染みこんでいるのですから。

だから私は死にたい。死をいつまでも繰り返したい。





ねえ、この■■続ける快楽って最高よ?」


───なおこの文書は既に焼却処分されている。遺書はこの作家らしからぬ、華奢で女の子がいかにも書きそうな文字が綴られていたらしい……。

(質問)あなたは(a)■■たいですか?私は(b)■■たいです。(ただしaとbの回答は互いに異なるものとする)

まあそんなブラックジョークはさておき、いかがでしたでしょうか「連続■■たい事件」。

本作は「生きるのに夢を見ることは大切ですが、はたしてあなたはその情熱を人生の最期まで燃やし続けることはできるでしょうか?」という問いかけが核として機能しています。

本編では美しき亡骸を前にした青年が、自身の在り方に疑問を持つことで、自殺してしまいます。

ですが、普通の人はその程度の葛藤では死にたいと思いません。

では何故本編では連続自殺事件が起きたのか──。



まぁ多くは語りませんが、少女は、初めて、世界というのを認識できたのでしょうね。けど、それは全て遅すぎた。生存欲求が、生と死の境界でおかしなことになっちゃった。

けっかS〇Pみたいな存在になった。的な?


とまあ、結構無茶な設定ですが、まあまあ形になったので良かったんじゃないっすかね?


ではでは、またの機会があればその時まで。ではでは~

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