第五話 移動
「私を『エルフの森』まで連れていってください」
彼女にとってそれは命懸けの提案だった。この世界は敵だらけ、弱肉強食の世界だ。だから圧倒的『力』を持つ存在に対して取引なんて自殺行為でしかないのだ。
だが目の前にいる二人は『アリス』の生物ではないと言う。だからこそ信じる事が出来るのではないだろうか、と彼女は思った。
そしてその言葉を受けてトゥーマイは間髪いれずに答える。
『卿の発言の意図が不明だ』
「私はある事情により聖域へ戻ることはできません。ですが、『エルフの森』へは案内をすることができます」
「『エルフの森』とは何だ?」
「エルフが住まう森のことです。情報が目的なら人間よりエルフの方が長寿な分色々な事を知っています。貴方たちの欲している情報も『エルフの森』の方が手に入る確率は高いでしょう」
キャスリンの提案に対して、A-4685は考え込むように目を伏せた。『エルフ』と言う単語はトゥーマイのデータバンクにはその存在が情報として書き込まれている。
「トゥーマイ、『えるふ』とは何だ」
『解、ファンタジー世界に存在する空想上の亜人。長寿かつ高度な知識を有する種族とされることが多い』
「……何だそれは」
その参考になるかわからない情報を吟味しつつ、トゥーマイは続いて自らに走る青い線を点滅させる。
『それに対する卿の見返りはなんだ?』
相手の要求を聞かずに契約を妥結することは出来ない。トゥーマイは抑揚のない声でそう尋ねた。そしてキャスリンは緊張したように唇を舐め、ゆっくりと口を開く。
「私を護衛してください」
「護衛だと?」
「はい。ご覧の通り、私は力の弱い『人間』です。一人ではこの『聖域』の外を出歩いたら命がいくつあっても足りません。ですので私の事を貴方の庇護の下に置いて欲しいのです」
胸元で手を組み、上目遣いでA-4685にそう嘆願する。が、彼はそのキャスリンのその媚びた様子を全く気にした様子もなく、トゥーマイの方に向き直った。
「トゥーマイ。どうする? 俺はこの提案を受けてもいいと思うが……」
『我々に選択の余地はない。卿の決定に賛同する』
実際今の彼らは藁をも掴みたい状況なのだ。貴重な情報源をみすみす無駄にする手は打ちたくない。
そして彼は再びキャスリンの方に向き直り、彼女の目をまっすぐに見つめた。
「わかった。その提案を任務として受任しよう」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
その言葉を聞くと顔をみるみる明るくして深々と頭を下げるキャスリンだが、その様子に狼狽えたのは他でもないA-4685だった。
「や、やめろ! いいか? お前は仮にも『人間』だ。ならばそうやって軽々しく『クローン』である俺に頭を下げるのはやめてくれ」
「……え? な、何でですか?」
「何でって……。『人間』であるお前と『クローン』である俺とでは生まれながらにして持っている価値が違いすぎる」
「……?? つまり私の方が価値が高いってことですか?? 貴方の方が強いのに?」
「強さは人間の持つ価値の指標にはならない。お前は唯一無二の存在だ。それに対して俺はアンドレアシリーズのクローン。ただの量産品。その価値の差は明白だ」
「くろーん……量産品……」
キャスリンはA-4685の言葉を繰り返し、彼女なりの言葉で理解しようと努めているのか、難しい顔でうんうんと頷いている。そして何かを悟ったかのように顔を上げ、呟くように言った。
「……貴方が何を言っているのかあまりわかりませんが、私には貴方は『人間』以上に『人間』だと思いますよ」
「俺はクローンだが……?」
『供人』であるキャスリンと対等に取引をしている。その事実だけでキャスリンはA-4685に対して温かい『人間味』を感じているが、その心中は決して彼に届くことはない。彼女は意味深にクスリと笑って、一歩を踏み出したのだった。
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「何をしている」
「いえ、あまり関わりがなかったにせよ、この方々は私を守ってくださったのです」
キャスリンは片膝を着き、ユニコーンの犠牲者たちに祈りを捧げていた。その行為はそのクローンにとってとてつもなく奇怪に思えたのか、訝しげな顔で彼はトゥーマイに尋ねる。
「なぜあいつはあのように膝をついている?」
『恐らく宗教的な動作だと考えられる。卿も知っている通り、人間の価値はクローンのそれとは大きく異なる。その為、あのように死を悼む習慣があると推測』
「な、なるほど……」
例え死んでも他の『俺』がいる。そう教えられてきたA-4685にとっては初めて触れる概念を彼はその体で実感していた。
そしてしばらくすると満足したようにキャスリンは彼らの元へと戻ってきた。
「さて、どこに向かう?」
「そうですねー。まずは食料を確保する必要があります」
「食料? そんなものどこにある?」
「少し先に、私が乗ってきた馬車があります。そこに残っていると思うのですが……」
「あぁ……」
キャスリンが言うのは蜘蛛に襲われたときに破損していた馬車の事だろう。ここから大して距離はない。
「では、行きましょうか」
そして彼女は方角を指し示すとゆっくりと歩き始めた。A-4685は慌ててそれに着いていく。トゥーマイはほとんど足音を立てることなく自動で彼らの後に続く。
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A-4685は移動中、様々な匂いを含んだ風を肌で感じ、歩く度に足の裏に絡み付いてくる短い草を引きちぎる感覚を楽しんでいると、その様子に気づいたキャスリンが可笑しそうに笑みをこぼす。
そのその美しい金髪と、長い睫毛を不思議そうに揺らしながらクローンに声をかける。
「ふふっ、貴方何をしているのですか?」
「い、いや、俺が住んできた場所とは大いに違うなと思って」
「貴方……えーっと、エー4565? さん? が住んでいた場所はどんな所だったんですか?」
「A-4685。俺の検体番号だ」
「エー4685、エー4685、エー4656、エー4686……あれ?」
「A-4685だ」
数字で人の名前を呼ぶことに慣れていないのだろう。キャスリンは繰り返しA-4685の名前を呟いたが、やがて諦めたようにため息をついた。そして少し何かを考えたかと思うと、口許に優しい笑顔を浮かべながら言った。
「『シロー』」
「は?」
「貴方の名前です。『シロー』なんてどうでしょうか? 数字よりよっぽどいいと思いますが」
「俺の……名前?」
「えぇ。シロー?」
と、特に臆した様子もなくキャスリンはそう言った。もちろん『名付けられる』何て行為はA-4685は体験したことはない。彼は自らをシロー、と呼ばれることに違和感と同時に何か得たいの知れないむず痒さを感じていた。
「俺の名前はシローなどではない。A-4685だ」
「それは貴方の番号なのでしょう? 他人を番号で呼ぶなんてここでは失礼に当たります。なので貴方の『名前』はシローです、シロー。これからよろしくお願いしますね?」
「……シロー。シロー」
彼は戸惑いつつも今名付けられた物を繰り返し呟いた。が、その一連の流れを聞いていたトゥーマイは突然後ろから口を挟んできた。
『警告! 『クローン』に名前を付ける行為は帝国の法律で禁止されている。従って卿の行動は違法である。直ちに撤回されたし』
「……そうなのか?」
その法律は軍用であるクローンを心情的に懐柔されるのを防ぐために作られたものだ。彼らは死んでこそ、その生まれてきた意味を達成する。それに対する障害は全て排除するのが『帝国』の考えだった。
が、キャスリンは少し考えた後、ゆっくりと口を開く。
「うーん。ここはその『帝国』ではありませんのでその法律に私が縛られる必要はありませんね。よって貴方はこれから『シロー』です」
「……トゥーマイ?」
『……キャスリン・アーデは治外法権について主張していると推定。帝国は『アリス』と地位協定を結んでいないので、その主張は成立しない。だが我々は外交摩擦を避ける義務がある。従って判断は卿に一任する』
「なっ……! お前はいつもそうやって……」
そして全責任を丸投げされたA-4685、もといシローだが、彼は困ったように頭を掻いた。
「あー……。俺はA-4685だ。だが、お前が俺の事をどう呼ぼうがそれは俺にとって関知する所ではない」
「ふふっ、そうですか。ではシロー。これからよろしく頼みますね?」
なんとも言えない言い方で上手く責任をかわそうとするシローを見て、キャスリンは嬉しそうに笑った。そんな彼は何だか照れ臭そうに彼女から目を反らしたが、口許では自らの名前を小さく繰り返していることにキャスリンは気付いたのだった。
読んでくれてありがとうございます
どうでもいい情報ですが、DBDのプレイヤーでキラーランク1です。キラーに関する質問も受け付けますよ!笑(知らない人はごめんなさい!)