第四話 キャスリン
ユニコーンの角が哀れな標的を切り裂くほんの一瞬前、黒いPASがその間に立ち、角を両手で止めた。
その瞬間行き場の失ったエネルギーが辺りに暴風を発生させ、土煙を巻き上げる。
青いローブを着た人間は思わず目を背け、風が過ぎ去るのを待つ。そしてしばらくして目を開けると、何やら人影が見えるような気がした。
暴風の先に立っていたのは黒い『人間』らしきものだった。いや、姿形こそは人間だが、やっていることはその規格を遥かに越えている。
何と一角獣の角を片手で抑え込んでいるのだ。馬はそこから抜け出そうと四苦八苦もがいるが、地面を蹄が空しく削る音が響くだけでなんの成果も残せていない。
その人間は驚いていた。いや、驚くしか出来なかった。
ユニコーンはこの地方ではかなり強力な魔物だ。厄介な魔法は使ってこないが、その強靭な肉体に何物をも貫く角。人間が相手にして生き残ることはほぼないと聞かされている。
「俺は帝国軍月面防衛第21部隊、アンドレア・クローンのA-4685だ。こちらに戦闘の意思ない。ただちに撤退されたし」
と、角を握りながらA-4685は言った。無論その言葉の意味は一角獣に届くことはない。が、威嚇としては十分だったようで、その証拠に彼がその手を離すと馬は一目散に逃げていった。
『現地生命体の撤退を確認。任務完了』
「……ふぅ。戦闘にならなくてよかった」
中性的なトゥーマイの声と、少し安心したようなA-4685の声が後ろで尻餅をついている人間に届く。そしてA-4685はゆっくりと振り向いて、彼が助けた『人間』へと向き直る。
その人間はその瞬間少し怯えたように後ずさった。その様子を困ったようにA-4685は見つめていた。
「……だ、大丈夫か?」
彼はトゥーマイの外部音声に接続し、そう発音した。そしてその言葉に答えるように、青いローブを被った人間はコクコクと頷く。
「どうやら言葉は通じているようだな」
『肯定する。この人間はこれまでの現地生命体とは異なる』
その『人間』はやっと自分が尻餅をついたままなのに気付いたのか、慌てて立とうとしたが、腰が抜けてしまっていて立つことができない。
そこでその人間は慌てて自らのフードを取り、自らの非礼を詫びるためにA-4685を見た。
そのフードの下から表れたのは美しい金髪の女性だった。長いまつ毛に整った鼻筋。そして吸い込ませるような美しい紫色の瞳は太陽の光を受けて怪しげに輝いている。その不思議な色をした瞳は少し潤んだ涙で濡れていた。そして、その流れるような金髪は頭の後ろで結われていて、一目ではその長さを推し量ることはできない。
「えっと、その、助けていただき、ありがとうございました……」
「……あ、あぁ」
A-4685は生まれて初めてマジマジと見る『人間』に驚きを隠せないまま、歯切れが悪い返事をした。
しかし、その女は明らかにトゥーマイとA-4685を怖がっているようだった。その証拠に言葉の端々が震えているし、目線は怯えたように下を向いている。
「あ、あの……あなた様は名のある魔族とお見受けしますが、その、お名前を伺っても……?」
「……まぞく? 俺は『まぞく』とやらではない。俺は帝国軍所属の戦闘クローン、A-4685だ。そして『コイツ』はPASのトゥーマイ」
「魔族でない? エー4685? トゥーマイ?」
質問の意味をあまり理解できた様子では無かったが、彼はそう自己紹介をした。が、自分を指差しながらトゥーマイと名乗ったので、その少女は混乱していた。
『クローンの概念や、PASの存在を知らないと想定される。円滑なコミュニケーションの為に、PASの脱衣を推奨』
その様子にA-4685はしばし考えるように虚空を見上げると、トゥーマイに命令を下す。
「……トゥーマイ、PASを脱ぐ。周囲は安全か?」
『……測定中、周囲300mに敵影なし』
「了解。もし先程の蜘蛛が近付いてきたら教えてくれ」
『任務受任』
ポカンとした顔の女をよそにその『黒い人間』は短い会話を完了した。すると次の瞬間、トゥーマイの前面にあった三本の青い線が、まるで切られたように開かれていく。
そしてまるで虫が脱皮するかのように、その中から短い金髪が印象的な『人間』、いや『クローン』が出てきた。
彼こそが帝国軍のPAS運用に調整されたクローン、A-4685だ。見た目に関しては、月面防衛に当たっていた部隊となんら変わりはない。ぴったりと張り付くような黒いアンダウェアに浮かび上がる、鍛え上げられた肉体。幾多の死線を乗り越えてきた鋭い眼光。明るく輝く金髪に首元に掘られた『4685』という文字。
彼が他のクローンと違うのはただ1つ。背中にPASと神経接続をするためのデバイスを埋め込まれている点だけだ。
そして彼は目の前に座り込み、目の前の光景に目を丸くしている女に手を伸ばしながら、口を開いた。
「俺は帝国軍月面防衛部隊のクローンだ。情報提供を求めたい」
「て、ていこくぐん……?」
「あぁ。ここの惑星の座標を教えてくれ。名前でも構わない」
女は出された手を握りながら、ゆっくりと立ち上がる。まだ震えが治まった訳ではないようだが、しっかりとA-4685とその隣で黙って待機しているトゥーマイを交互に眺めながら声を絞り出す。
「私の名前はキャスリン・アーデです。こ、ここの『ざひょう』というのは解りかねますが、この世界の名前は『アリス』と言います」
「……アリス。トゥーマイ!」
『検索中……該当地名データ一件。木星にある小規模の開拓拠点に『アリス』という名前を確認』
「……木星だと?」
木星はガスで囲まれた、生物が生息するには適さない惑星だ。今彼らが立っている場所はどう考えても木星の環境ではないし、大気圏突入の際に眺めていた外観も木星ではなかった。
『恐らく偶然による一致と推定。他に追加情報が必要』
「あぁ」
そして彼は再びキャスリンに向き直り、その目をまっすぐに見て再び問いただす。
「この惑星の位置を示す情報に心当たりはあるか?」
「し、知りません……」
「そうか……」
キャスリンは困ったように首を振った。そしてその答えに落胆したのはA-4685もまた同じだ。このままでは埒が明かない。彼にとってこの星には食料すらない惑星なのだ。知的生命体と出会ったのになんの情報も得られないという事実は、彼を焦りの渦に巻き込んでいく。
「くそっ……一体どうしたら……」
「あ、あのー」
「……?」
頭を抱えるA-4685にキャスリンはおずおずと声をかけた。
「失礼ですが、貴方の種族を教えていただきませんか? その強さから察するに、イスラ様の眷族様ですか?」
「は? イスラ様? イスラとは誰だ。俺はA-4685。クローンだ」
「イスラ様を知らない……? 吸血鬼のイスラ様ですよ?」
「吸血鬼だと……? お前はさっきから魔族といい吸血鬼といい一体何を言っている……?」
「……?」
キャスリンとA-4685の間で会話が成り立っていない。お互いに常識が違いすぎるのだ。
そして時が止まったようにお互いの顔を見つめる二人だが、キャスリンは何かに気づいたかのように表情を変えた。
「貴方は、いや貴方達は一体どこから来たのですか? 別の大陸ですか?」
「どこからだと? 帝国だ」
「その帝国、とやらは一体どこの地方にあるのですか?」
キャスリンが思い付いた仮定は、この得体の知れない一人と一体の魔法生物は別の大陸から流れ着いたのではないか、というものだった。が、等のA-4685は人差し指を空へと向けた。
「……はい? 一体何を……?」
「何をって……。帝国の存在をしているであろう地方を指差しているだけだ」
「ではなぜ上に向かって……? っ! まさか……」
困惑したようなキャスリンだが、それ以上に困っているのは他でもないクローンの方だ。この彼が降り立った世界はこれまでの彼の常識が全く役に立たないばかりか、知識の坩堝と呼ばれる『トゥーマイ』のデータバンクすらなんの参照にもならないのだから。
「空から降りてきたのですか……?」
「あ、あぁ……」
彼のその返答を聞き、キャスリンは信じられないようなものを見る目でその得体の知れない二人組を見た。空から人が降りてくるなんてお伽噺でしか聞いたことがない。だが普通の人間がユニコーンをああも簡単にあしらうことなんてできるはずがないのも事実。信じられないが、A-4685が嘘をついているようにも見えない。
そして驚愕の表情を浮かべるキャスリンに向かって、それまでA-4685の後で立っていたトゥーマイが声を発する。
『捕捉。この惑星は自転、及び公転運動をしていると考えられる。従ってA-4685が指し示す方向に『帝国』が存在しているかどうかは不明である』
と、トゥーマイがA-4685の後で胸元に走る青い線をチカチカと点滅させながらそう話す。その言葉を聞き、A-4685は確かにと頭をかいた。
「……まぁ、そうだな」
『キャスリン・アーデ。我々は帝国へと帰還するため、この惑星の事を知りたい。他に情報はないか』
「……と、言われましても。何が知りたいのですか?」
『……まずはこの惑星の情報機関と接触したい。そこに関しての情報を求む』
キャスリンの震えは次第に治まってきた。基本的にこの世界は弱肉強食。強いものが弱いものを捕食する世界だ。だからA-4685やトゥーマイのようにその『暴力』を行使せず、対等に話し合う姿勢を見せていることは珍しいのだ。そんな彼らを見て、キャスリンに浮かび上がってきたのは『好奇心』だった。
「ここから十日ほど歩いた所に聖域『ヒーラン』がありますが……」
「聖域?」
「え、えぇ聖域にはここのような魔力がないので、人間はそこに集まって生活しています……」
「魔力?」
「え? はい、、、」
使う単語が所々噛み合わない。お互い普通ならふざけるなと一蹴したいところだが、状況が状況なだけに二人とも困惑したような表情を浮かべるしかない。
ふと思い付いたようにキャスリンは右手をローブの下からA-4685に差し出した。その右手には金色の籠手が装備されており、一瞬A-4685は身構えたが、それが敵意のないものだと悟ると、彼は体の力を抜いた。
「な、なんのつもりだ?」
「魔力とはここら一帯に溢れる力のことです。ここではこの通り『魔法』を使う事ができます」
とキャスリンが言い切った瞬間、彼女の手のひらが突如発火し、小さな火球となってその中で収束していく。
「なっ!? はっ!? うわぁ!」
その様子に驚きおののいたのはA-4685だった。彼は突然の発火現象に後退りトゥーマイは姿勢を落とす。
『警告。何のつもりだ!』
「ち、違います違います! 『魔力』を説明しようとしただけですよ!」
慌てて火を消し去り、敵意がないことをキャスリンは示す。
炎が消え去った手のひらを不思議そうに眺めながら、彼はおずおずと近付いていく。
「き、消えた……? 一体なんだその技術は……」
「ふふっ……技術って……。ただの魔法ですよ?」
そのA-4685の戦々恐々とした様子にキャスリンは軽く吹き出してしまう。確かに『魔法』はキャスリンからすれば生まれてから使っているものだが、A-4685とトゥーマイからすれば既知の物理現象を覆す不可思議なものに他ならないのだ。
『推定。この籠手を火打金の代わりにし、高速で可燃物に発火したと推測』
「い、いや、それだとあんな風に球状に収束する説明にはならない」
A-4685は不思議そうにキャスリンの手を触り、その籠手を調べていく。
「至って普通の籠手……だな」
「これは『ソラテスの籠手』です。魔力を注入することで、周囲の可燃物を集めて圧縮する効果を持ちます」
と、美しい登り龍が描かれた黄金の籠手を見せびらかしながら、彼女はそう答える。
「そして整熱魔法により、籠手で集めた可燃物に火をつけます」
そう言った途端、その籠手の先端から小さな炎が上がる。そしてその際に発生した白いオーラが、燃焼物の回りを取り囲む。
「続いてこの燃えている物を、制動魔法により一ヶ所に集めます」
その白いオーラを纏った燃焼物は、みるみる彼女の手のひらの上で丸まっていく。そしてまるで輝く太陽のように、キャスリンの手の上で赤く輝く火の玉となった。
「な、なんだこれは……」
『原因不明』
その様子を食い入るように見つめる一人と一体。こんな風に幻想的に輝く火の玉を彼らは見たことがない。
そして彼女が軽く右手を振ると、まるで陽炎のようにその炎はゆらゆらと揺れて、霧散していった。
「本当に魔法を知らないのですか? さっきのユニコーンの突撃は制動魔法を使って止めていたのではないのですか?」
「違う。我々が用いているのは『電気反力技術』技術の粋を集めた物だ」
「『くらすとしーるど』?」
「あぁ。原子が持つ電子の電気的反力を調整、利用する技術のことだ。これを利用することで任意の箇所の電気的反力を増大、もしくは減少させる。先程の馬の停止は、角部分と周囲の環境との反力を高めた結果に過ぎない。従って正確にはPASがあの突進を止めたとする表現は正しくない」
「……??」
お互いの文化は相容れない。キャスリンが説明する魔法は帝国から来た宇宙人にとっては意味不明であるのと同様に、帝国での技術も『アリス』の住人には理解不能なのだ。
『その『ヒーラン』と言う、人口密集地域はどこにある?』
と、トゥーマイは気を取り直したように言った。が、キャスリンはその問いには答えず、少し考えるように目を伏せた。
『……どうした?』
「いえ……。1つ提案があるのですが、宜しいでしょうか?」
そしてキャスリンは人差し指を立て、二人に向かってそう答えた。A-4685はその仕草の意味が理解出来ず、一人指差した方向を見上げているが、それを無視して彼女は続ける。
「1つ、取引をしましょう」
「取引? なんだ?」
「私を『エルフの森』まで連れていってください」
読んでくれてありがとうございます!!
ほんとに一話の長さに悩みます。色んな人の作品を読んでますが、マチマチで分かりませんね。
5000文字は長いんですかね。しかしこのあとがきも20000字まで書けるんだよな、、、笑