第三十九話 英霊
その日、シローの兄、A-4684が英霊となった。
兄、といっても番号上の関係だ。遺伝子的に同一な彼らにとってはその表現はあまり適切とは言えないだろう、が、ともかくシローにとって一番近しかったクローンが今日死んだ。
死因は連合軍ゲリラ部隊との抗争だったらしい。そんなことはよくある話だが、月面基地から離れ偵察に出ていたところを狙われたとかどうとか。
シローは詳しいことは知らなかったし、そもそもあまり興味がなかった。
ただそんな彼に残ったのは、羨ましいな、という感情だけだった。
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『帝国』とは地球を中心とした太陽系を巻き込んだ巨大な経済圏のことを差す。帝国の歴史は古く、人類が宇宙に出た頃からその偉功は今も変わらずこの三千世界の空に輝き続けている。
が、太陽系まで生活圏を広げた人類だが、『帝国』による独裁体制をよく思わない者が現れた。やがてその者達が集り、反旗を翻した結果、彼らは『連合軍』と呼ばれる勢力まで成長した。
だが今日びの人間は『戦争』などという非効率で危険なことはしない。
そこで台頭してきたたのが、クローン達による『代理戦争』だった。
いつの時代も『人間』はコストがかかる。だが戦力という面では人間に比べてクローンは廉価で遥かに性能の良いものなのだ。だからこそ、なかば必然的に帝国と連合のクローンが殺し合う時代が到達した。
「おいA-4685。どう思う? 本当にA-4684は最後まで戦ったのかな?」
「……原種様がそう仰っているのだからそうなのだろう。実際石碑にも彼の名は刻まれている」
「……石碑、ね」
シローと全く同じ背たけ、全く同じ顔つき、全く同じ声音で、シローの弟、A-4686はそう言った。唯一の違いはその耳元に刻まれたバーコードと、首に彫ってある数字だけだ。
シローは近くのタブレット端末を開き、その中身を彼の同僚に見せる。そこには石碑のようなものに『A-4684』の文字が刻まれている画像だった。
これこそが仮想空間に刻まれた虚構の栄誉。帝国の為に散ったクローンは未来永劫この石碑にその名前が刻まれるのだ。
そこに名を刻む。それこそがシローの生きる目的であり、死ぬ目的で、それ以外はどうでもいいとさえ考えていた。
シローはそれをいとおしそうに眺め、決意を含んだ声音を出す。
「俺もいつかここに名前を残す」
「はいはい。頑張ってくれよ」
「……何を言っている? お前もだろう?」
「あー、俺は、まぁ、ぼちぼち、かな」
「どういうことだ? 英霊になりたくはないのか?」
「いや……そういうわけじゃないんだが」
「なら一体……? あ、そろそろ訓練の時間だ。すまないが、それでは」
「……あぁ。頑張ってな」
「……?」
シローは適当に挨拶すると、足早に食堂から抜け出していく。彼は人工的に作られた重力を感じながら無味無臭のレーションを口にした。そしてなんの味もしないそれを咀嚼しながら、A-4686が言ったことを考えていた。
「……どういうことだ? あいつはなぜあんなことを言ったんだ?」
全クローンにとって英霊とは憧れであり象徴だ。全員そう信じているはずだし、そう教えてこられていたのだ。だからこそシローにはA-4686が言っていることが理解できなかった。
だがシローの考えが纏まらないうちに、訓練スペースに着いてしまった。今日の彼の訓練はPASの機動力向上に向けてのカリキュラムだ。
シローはA-4686が言ったことを頭から締め出して、訓練所へと足を運んでいったのだった。
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「おい。A-4685。この発達した大胸筋を見ろ」
「はっ! 悪くはないが、胸板を盛り上げるだけが筋トレではない。実用的な筋肉をつけるということが肝要であり全てだ」
二人は筋トレが趣味だった。
実用的な筋肉をつけたがるシローに対し、盛り上がった胸筋を見せつけるA-4656の癖は数少ないクローンとしての個性だろう。
二人はよくトレーニングルームへ足を運んだと思うと、一緒にトレーニングに精を出していた。
この日も、よくあるトレーニングの一日だった。
いつものように二人で互いに補助をしながらトレーニングを重ねるA-4685とA-4686だったが、今日はいつもと少しだけ雰囲気が違っていた。
シローは変わりなく真剣だが、そのパートナーはどこか落ち着いていない。そしてA-4686は少し警戒したように、シローにしか聞こえないように小さな声を出した。
「なぁ、A-4685。ずっと考えていることがあるんだが」
「なんだ?」
「……なぜA-4684は死んだのかな」
「……? 何故だと? 確か偵察に出ていたところを狙われたと聞いたが」
「あぁ。そう石碑には刻まれていたんだったな。だがそれは少し変だとは思わないか?」
「言っている意味がわからない。変もなにも、石碑にそう書いてあるのだから……」
「あぁ、それはそうだが、わざわざ連合軍は偵察に出ていたクローン兵士を殺すか?」
シローがトレーニングの補助をしている間に、A-4686は呟くように言った。が、その真意をシローが掴みとることはなかった。
「……どういうことだ?」
「いや、兵器ならまだしも、たった一人の偵察用クローンを殺した所で、別のクローンがすぐに穴を埋めるだけだ。つまりその作戦は『帝国』とってダメージはほとんどないってことになる。ならばそんな無意味な作戦を連合軍はとるのか? 使用した兵器の分を無駄にするようなものじゃないか」
「……わからない」
「ふっ。お前は成績は優秀だが頭は固いよ。死んだA-4684はそういう点では賢かったのにな」
理解してくれないシローに呆れたようにA-4686は大きなため息をついた。
「では一体誰が彼を? 連合軍以外がクローンを殺す意味は?」
「……考えられる可能性は二つ、クローン保全団体が活動した、……もしくは……」
「……?」
「いや、何でもない」
「は?」
二つ目を言おうとしたA-4686だったが、まるで回りを気にするかのように話すのをやめた。
ちなみにクローン保全団体とは文字通りクローンを守るべきだと考えている集団で、クローンに人権を与え、憲法を適用するべきだと考えている人達のことだ。もちろん帝国はそれを許可するはずもなく、彼らはデモを起こして体制の変革を起こそうとしているが、中には過激派が実力行使に出ることがある。
A-4686はその団体が何かしたのだろうと言いたいのはシローにもわかったが、二つ目の可能性というのは全く心当たりがなかった。
「二つ目とはなんだ?」
「いや、何でもない。忘れてくれ」
「……?」
会話を無理矢理打ち切るかのように、A-4686はトレーニングに戻った。シローもそれ以上追及する気にはならず、彼も彼自身の訓練に戻った。
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「頼む。A-4685、PASの駆動者であるお前にしかできないことなんだ」
「断る。原種様からの任務に支障をきたすようなことは出来ない」
「支障をきたすわけじゃあないって! 少しだけ時間をかけてくれるだけでいいんだからさ! 通常の業務の範囲内の話さ!」
「意味がわからない。なぜそんなことをする必要がある?」
A-4684の死から早くも一年が経過しようとしていた。
帝国と連合の戦争は長引き、もう数えるのも億劫になる程のクローンが英霊となった。シローも出撃の回数も日に連れて増えるようになり、PASの扱いにもかなりの熟練度が出てきていた。
そんな頃、彼の弟のA-4686がある取引を彼に持ちかけていた。
「シールド工場に敵が攻めいってくる可能性がある」
「……なに?」
「これはまだ出回っていない情報で、なおかつ不確かなものだ」
「……どういうことだ?」
「そのままの意味だ。この情報の信憑性がわからない。だがもしこれが事実なら、月面都市は尋常ではない被害を受けることは間違いない」
彼はシローにPASによるシールド工場の滞在を依頼していた。
シールド工場とはその名も通り月面都市全体を覆うシールドを精製、管理する施設のことだ。無論、月面都市の最重要施設と言っても過言ではなく、そこがやられてしまうと都市全体に致命的なダメージが及んでしまう。
流石にシローもその情報をおいそれと信じることができずに、不審げな表情でA-4686を見つめる。
「ならば余計に原種様に報告し、対策を練って頂く方がいいのではないか……?」
「もう報告はしたさ。だが掛け合って貰えなかった。だからこそ俺はお前に頼んでるんじゃないか」
「……」
「なぁ頼むよ。少しだけ作業を遅らせて、周囲を警戒するだけでいいんだ」
基本的にへらへらしているA-4686の顔だが、シローにそれを依頼する表情は真剣そのものだった。曲がりなりにも趣味が一致する関係もあり、彼らはよく行動を共にしていた。
そんな弟が真面目な顔でシローに懇願するのだ。シローは完全な『帝国の犬』で、だからこそ帝国の危険を摘み取ることは最も大切なことだと考えていた。
さして彼は深く考え込んだあと、小さなため息をついて目の前のクローンを見つめた。
「……具体的にはいつまでだ?」
「……!! やってくれるか! 俺が集めた情報によると、計画の概要は……」
それが後に大事件に繋がるとは、この時のシローは夢にも思わなかった。
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シールド工場でのシローの仕事は、使用済み核燃料の宇宙投棄だ。シールドを精製、管理するには大きなエネルギーを必要として、そのエネルギーには核燃料が使用される。もちろん核燃料は使用後に高いレベルの放射性物質がゴミとして発生し、その廃棄は宇宙空間の広さに一任され、その投棄自体はPASを着用したクローンが行うこととなっていた。
この核廃棄物の投棄もシローの重要な任務で、流石に慣れた手でゴミが詰まったドラム缶を移動させていたシローだったが、その日だけは少しいつもより作業が遅れていた。だが彼を監視するものは当然いない。使用済み核燃料に近づきたいと思う人間などいるはずもなく、彼の進行速度の遅さを気に留める人間もまたいなかった。
『どうした。A-4685。いつもより作業が遅れている。集中せよ』
「あぁ」
が、彼の相棒であるトゥーマイはその変化に敏感に気が付いていた。終了予定時刻を押している、という程の遅れではないがいつものシローに比べると明らかに仕事の進み具合が遅い。
「……実はここが攻撃されるかも知れないという情報を入手した」
『そんな報告はない』
「不確かな情報だそうだ。だからあえて作業を遅らせ、周囲の警戒を行っている。トゥーマイ、お前も警戒しろ」
『情報源を明らかにせよ。A-4685。我々は兵士である。流言に惑わされるなどあってはならないことだ』
「……A-4686が言っていた。流言であるならばそれに越したことはないだろう。問題はそれが流言ではなく事実であった時に被害を最小限に抑えることだ」
と、シローは言った。
彼の目の間には放射性物質を宇宙の果てへと射出する装置があり、慣れた手つきでそれを操作すると、太陽系から逃れる角度でその物体ゴミは射出されていく。
だがシローのその言葉を受けて、トゥーマイは何を感じたということはなく即座に言葉を続ける。
『否定する。それは我々が関知する問題ではない。現に作業が遅れていることの方が問題だ』
「……」
『それにPASの駆動者でもない一兵卒のクローンがそのような軍事機密を入手することは不可能である。従ってそれは虚言である可能性が極めて高い』
「虚言……? 何のためにそんなウソをつく必要がある?」
『不明』
シローには嘘をつくという発想がそもそも存在しない。そんな器用なクローンではないし、彼以外のクローンもそんな芸当はできるはずがないと考えていた。
が、シローのその考えは間違いだった。クローン部隊は完全なる一枚岩ではない。
時にはバグが発生するのだ。
そして次の瞬間、彼の耳を叩くような爆音が月の都市全体へと響き渡った。完全気密が確保されている、シローがいる排気部屋もその音が壁を伝わって届いてくる。
そしてそれに続くようにけたたましいサイレンが鳴り響く。それは敵襲を意味する音で、最近鳴る回数が徐々に増えてきている音だ。
『緊急事態! 緊急事態! フーリエ宇宙港にて爆発事故を確認! 連合軍の攻撃の可能性がある。付近のPASは直ちに事態の収拾へと向かえ!』
彼は作業の手を止め、指示の通りに動き始める。
「宇宙港だと……? まぁいい。トゥーマイ、原種様は?」
『警報の通りだ。A-4685は直ちに作業を収束させ、現場に向かえとの命令だ』
「作業は終了している。直ちにフーリエ港へと向かう」
『任務受任』
このシローが行っていた作業は安全面の都合上、中途半端に終わらせることはできない。が、トゥーマイの助言で作業速度を通常に戻していたシローは即座に移動を開始することができたのだ。
これはA-4686にとっては大きな誤算で、彼の計画を失敗に終わらせる原因となったのだった。
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「A-4685、到着しました。どうぞご命令を」
現場に到着したシローだったが、付近は騒然としていた。
付近は警察官が殺到し、宇宙航行用のシャトルを取り囲んでいた。そのシャトルは天に向かって伸びる大型の質量加速装置マスドライバーに既に装着されていて、いつでも発射可能なように随所随所に電気が通っているのが見てとれた。
その質量加速装置は月の都市を覆うシールドを突き抜ける程の高さまで伸びていて、その先には青く輝く地球が太陽の光を爛々と反射していた。
そしてその一団を取り仕切る太った男はシローの顔を見ると、嬉しそうに顔を輝かせて近寄ってくる。
「来たかPAS! 今、男が銃を持ってシャトルの機長を人質に取っている。さっさと突入してなんとかしてこい」
「……犯人はどう致しましょう?」
「どうせ連合のクローンだろう。殺せ」
「かしこまりました。トゥーマイ、聞いたな」
『任務受任』
言うが早いか、シローは既に発射体勢に入っているスペースシャトルに取りついた。そして既に閉じられているハッチに外部から操作し、そのロックを解除する。
勿論完全にロックされたハッチを外から操作するだけで開くはずはない。彼はPASの怪力を少々発揮し、そのハッチを半ばこじ開ける要領で機体の内部に侵入した。
中は旅客機らしくたくさんの座席があったが、座っている乗客は一人としていない。彼はその事実に安心しながら、先頭の操縦室へと歩を進めていく。
が、一つドアを開け、奥の部屋に進んだ瞬間、彼の目に今回の救助対象とこの犯行に及んだ犯人が目に入ってきた。
その犯人は掌に収まりそうな小さな銃を中年の機長の首元に押し当て、静かな青い瞳でシローの方を見つめていた。
「なっ……」
青い瞳、透き通るような金髪、筋骨隆々な肉体。首元には大きく『A-4686』と大きく番号が記されている。
それは彼が良く知っていたA-4686だった。
シローは目を丸くしたまま声が出ない。が、シローと対峙する彼は、はぁ、と残念そうに大きくため息をついた。
「お前か。どうやら俺の依頼は聞き入れてくれなかったみたいだな」
「……A-4686? そんな……なぜ……?」
原種様にクローンが銃を向けている。
その事実だけでシローは激しく困惑していた。
『銃を捨てろ。お前は包囲されている。それ以上の抵抗は無意味だ』
「……『トゥーマイ』か。そうか、お前のことをもっと考えるべきだった、か」
『繰り返す。銃を捨てろ』
シローの心拍数が上昇し、混乱していることをトゥーマイは観測していた。だからこそ彼がシローの代わりに警告文を発している。
しかし、トゥーマイの言葉などまるで聞こえないかのように、『敵』はシローへと声をかける。
「なぁ、A-4685。見逃してくれないか? 俺は逃げ出したいだけなんだ」
「……逃げ出す?」
『聞く必要はない』
シローとは違い、表情豊かなクローンA-4686は残念そうに首を振った。
「あぁ。『逃げ出す』んだ。なぁA-4685、知ってるか?」
「……?」
「俺達の兄、A-4684は帝国に殺されたんだぜ?」
「は? そんなはずはない。実際英霊となったとの記録が……」
「嘘だよ嘘。そんなのぜーんぶ帝国の嘘だ。A-4684は逃げたがっていた。あいつは戦いたくなかった、死にたくなかった、だから殺されたんだ」
「……は?」
シローは一気に様々な情報を与えられ、更に混乱の渦に叩き込まれていた。そんなシローに追い討ちをかけるように、A-4686は言葉を続ける。
「……俺はある人間の女の子に出会った」
「女の子、だと?」
「あぁ。その人は俺を『人間』と認めてくれた。俺に死んでほしくないと言ってくれた」
「……」
「その子が教えてくれたんだ。A-4684は帝国に殺されたって」
A-4686の顔に嘘の色は見られない。
彼は本心で帝国に対して敵対心を抱いているのだ。それはクローンにとってもっとも重い罪で。だが、その覚悟がA-4686にはあった。
「帝国はクローンを管理している。だからこそアイツのような反社会的なクローンは即座に闇のうちに処分する。俺も時間の問題で殺されていただろう」
『A-4685、耳を貸す必要はない』
「だから俺は逃げるんだ。……そうだ。お前も一緒に逃げよう! このシャトルを発射させるだけでいい。PASの力もあれば百人力だ!」
「……お前は、何を言っている……? 帝国が俺達を殺す……?」
明らかに動揺したシローに活路を見たのか、A-4686は熱が籠った瞳で訴える。
「そうだ。俺達は完全な道具で、『不具合』があれば殺されるだけの存在なんだ。だが俺はそんなのはごめんだ。だからこそここから逃げ出すんだ。頼む、A-4685! 協力してくれ!」
その瞬間だった。
その必死さゆえに、一瞬の隙がA-4686に生まれた。
もちろんシローはそれを見逃さない。彼は即座に加速し、一息に距離を詰めたと思うと銃を一気に取り上げた。
そして右手でA-4686の首を掴み、一気に持ち上げる。
拘束されていた人質はその場に崩れ落ち、這いずるように逃げ出していく。
「なっ……なぜ……」
「……お前の認識は決定的に間違っている」
混乱していたシローだが、右手に込める力を調節しながら冷徹に言った。
「……俺達は『道具』だ」
「な……」
「不要な道具は排除されて当然だ。ならば俺達はそうならないように必死に訓練を積むべきだ。不要な感情は切り捨てるべきだ」
「ぐ……、や、やめろ……」
ギリギリと締め上げる力を強めていく。
シローは冷酷に弟分であるクローンを見つめながら言葉を紡いでいく。その目の先には、A-4686を『人間』と認めてくれた女の子が浮かんでいる。
そして必死で空気を吸いながらシローを睨み付ける。
「そ、そんな誰からも泣いてもらえない『人生』なんて、俺は嫌だね」
だがシローは動じない。弟の決死の言葉は彼の耳には届かない。
「『人生』? はっ、笑わせるな。俺達は人間ではない」
「くそがっ……。お前はやっぱり『優秀』だよ、A-4685」
そしてA-4686は抵抗をやめ、諦めたように空を見上げた。
まるで何かを悟ったようなその表情は不思議なくらい穏やかだった。
だがシローは不服そうな表情で言葉を紡いでいく。
「お前の行動は理解できない。帝国を裏切るということは、すなわち世界全てを敵に回すということ。そんな敵しかいない世界では、生き残ることなどできるはずもないし、俺はそんな世界で生きていたいとも思わない」
連合も帝国も敵対する世界。それはすなわち全てが敵であると言うことで。身寄りのないクローンがたった一人で世界に抗うということで。
そしてシローの弟は失いつつある意識を手放さないよう必死でシローを見つめ、そして片手を彼の頬へと伸ばした。
「……ふっ。そんなことは些細な問題だよ。……俺も、A-4684にもわかったんだ。お前もいつか分かる時がくるさ、A-4685。例え世界全てを敵にしても、守りたいものがあるってことがな」
そして次の瞬間、ゴキリ、といういやな音を立ててシローの弟の首の骨が折れた。その瞬間力が抜けたかのように、A-4686の腕はだらりと垂れ差がった。
シローはその嫌な感触を忘れるかのように呟いた。
「任務受任……。嫌な任務だった」
そして後日、クローンの暴走を隠ぺいするかのように、A-4686の名前は石碑に英霊として刻まれたのだった。
読んでくれてありがとうございます
過去編なので長くなっちゃいました。すいません