第三十六話 洞窟
キャスリンとアスハは、死んだ、と思った。
崩落する洞窟の土砂が自分達を殺しに来ている。目の前に落ちてきた巨大な岩に行く手を阻まれて、さらに真上からは土とも岩とも区別がつかない物が大量に降ってくる。
アスハはキャスリンを庇うように彼女に覆い重なり、それが意味のない行為と悟りながら、降り注ぐ土砂からキャスリンを守ろうとしていた。
そしてしばらくすると崩落も落ち着いた。
「キャ、キャス……?」
「アスハ……?」
「あたし達生きてるの……?」
だがキャスリンとアスハはその姿勢のまま生きていた。辺りは全くの暗闇で、お互いの顔すら見ることができない。
まさか奇跡的に雪崩落ちる土砂が当たらなかったの? とアスハは思った。
そしてアスハは回りの状況を確認しようと体を起こしたが、すぐ後ろに何か生暖かいものがあることに気が付いた。
「ひっ……!?」
一瞬『黒羊』が追ってきたのかと思ったが、どうやらそうではないらしく、すぐに聞き慣れた声が彼女の耳に届いてくる。
「動くな。今PASの力で土砂を支えている」
「シ、シロー……?」
アスハとキャスリンが埋もれなかったのは他でもないシローの力だった。彼はすんでの所で洞窟に駆け込み、そして崩れ行く洞窟から彼女達を救ったのだ。
『残存エネルギー0.1%。行動不能』
「くそっ。もうダメか。トゥーマイ、最後にここから脱出するぞ」
『……任務受……認』
言うが早いか、シローは右手をつき出すようにするとガラガラと積み上がった土砂が崩れ、土煙が吹き込んできた。
キャスリンとアスハは何も言わずにそのスペースへと移動し、埋没していた場所から這い出していく。続いてPASを着用したシローも這い出してくるが途中でその動きが不自然に止まった。
『エネルギー不足。強制的に当機は補給状態に移行します』
「……くそっ」
『駆動者射出』
這いつくばった姿勢のまま、シローはトゥーマイから吐き出された。彼はキャスリンとアスハに助けられながらも、その穴から懸命に這い出す。
「だ、大丈夫ですか?」
「あぁ……」
「あたし達助かったの?」
「……」
アスハの問いかけに対して誰も何も答えなかった。
辺りは完全な暗闇で、さらに入口は土砂で塞がっていて戻れそうにもない。頼みの綱のトゥーマイはうずくまったまま完全に停止しているし、ピノ達の安否は不明と来ている。どう客観的に見ても、助かった、とは表現することは出来なかった。
「と、取り合えず明かりをつけますね?」
「明かり?」
といった瞬間、キャスリンの籠手からは小さな炎が上がり、それは暗闇と化していた洞窟を照らす。それは3m四方程度の広さをもつ空洞だった。来た道は完全に土砂で塞がっているのだが、その奥は道がずっと続いているようで、その証拠に風の音がその洞窟全体を伝っていた。
シローの目には泥にまみれたキャスリンとアスハの姿がぼんやりと飛び込んできた。二人とも元々は美しい女の子とは思えないほど泥で汚れてしまっているが、特に気にかけた様子もない。そのいつもと変わらない姿を見ると彼は少し安心したようにため息をついた。
「無事だったか」
「……おかげさまで」
アスハとキャスリンは小さな笑顔を浮かべ、束の間の安息を喜んでいる。
が、そんな彼らの耳には小さな声が届いていた。
「……れか……、聞こ……だし?」
「……?」
その声は紛れもなくピノのもので、洞窟を伝って届いて来ているように聞こえた。そしてアスハがすかさず大きな声でそれに返事をする。
「ピノ!? ピノなの!? どこにいるの!?」
「アス……!? 大丈夫なん……し?」
「キャスリン! キャスは大丈……なの?」
アスハの声が彼女に届いたのか、さらに大きな声が土砂の向こう側から響いてくる。心配したサンゴの声も同じように届く。どうやら土砂を挟んで向こう側の壁にいるようだった。
この洞窟は入口で二股に別れていたらしく、ピノ達ときれいにはぐれてしまったのだ。
シロー達は壁に耳をつけるとよりクリアにピノの声が聞こえてくる。
「アスハ!? 聞こえてるんだし!?」
「アスハ! 大丈夫か!」
「おにい! ピノ! あたし達は大丈夫だよ!」
「……!? 無事たったのか。よ、よかった……」
ピノ達もアスハの声が届いたのか、安心したようにため息をついた。だがピノはすぐさま気を取り直して大きな声を上げる。
「アスハ! よく聞くんだし! その道を真っ直ぐに進んでいくと、分かれ道があるから、それを左に進んで欲しいんだし! すると大きな道に出るはずだから、それを道なりに進んでいくと大きな水が溜まってる所があるはずだし」
「えぇ。それで?」
「そこで暫く待っていて欲しいんだし! 遠回りでピノ達もそこに向かうからそこで合流するし!」
「……わかったわ」
「たぶん丸々一日近くはかかると思うし、そっちの道はかなり歩きにくいと思うけど、頑張って欲しいんだし!!」
「……りょーかい、いや、任務受任、ってね!」
アスハはシローの真似でもしているのか、明るい声でそう言った。そして気を取り直してシローとキャスリンの方へと顔を向けると、ペロリと舌を出して笑顔を見せた。
「なんちゃって。さ、キャス、シロー。行きましょうか」
「……あぁ」
「ま、待ってください! トゥーマイはどうするんですか?」
キャスリンはうずくまったまま動かないトゥーマイを指差してそう言った。トゥーマイは完全に停止していて、明かりがないとその暗い洞窟ではまず存在すら検知することができないほど、完全な無機質な物体と化していた。
「トゥーマイはここに置いていく。こいつは自己補給と自己修復が可能だ。暫くすると動き出すが、それを待っていることはできない」
「な、なんでですか?」
「いつ動けるようになるかは、ここら周辺にあるトゥーマイの燃料物質の密度次第だからだ。それを俺達が知る術はないし、そもそも一日、二日で再稼働が可能な訳ではない。俺たちには食料も水もない以上、体力を消耗する前に大至急移動するべきだろう」
「そうですか……」
キャスリンは少しだけ残念そうにしながら数回頷いた。彼女にとって『トゥーマイ』は機械ではなく魔法生物で、幾度となく自分を救ってくれた恩人なのだ。こんなところに置き去りにするのは申し訳無いと感じていた。
「わかりました。トゥーマイ。今まで本当にありがとう。あなたのお陰で私は何度も救われました。早く元気になってくださいね?」
『……………』
と、キャスリンは話しかけるが当然トゥーマイからは何の反応もない。
彼女は少し名残惜しそうにトゥーマイの頭を撫でると、ゆっくりと洞窟の奥深くへ向かって歩き始めたのだった。
ーーーーーーーーーー
一行が洞窟に逃げ込んでしばらくたった、雨も上がり雲の切れ間から月明りが差し込み始めた頃。
「めええええええ」
洞窟の外では黒羊が行きどころのない怒りを山の斜面へとぶつけていた。
本来ならば抵抗することすら許さない、小さな下等生物に攻撃されただけではなく逃げられたのだ。そんな経験は過去に黒羊が生きてきた中で一度足りともなく、我を忘れて怒り狂っている。
山肌は黒羊の攻撃により抉りとられ、付近にいた生物を巻き込んで無意味な破壊活動が続けられていた。
その八つ当たりは、ある意味強者故の驕りとも言えよう。
が、黒羊は忘れていた。
自分が食物連鎖の頂点に位置しているというわけではないと言う事実を。
「うるさいですネェ……」
それは漆黒の翼を広げながら、月明かりを背にゆっくりと浮かんでいる。それはまるで闇夜に浮かぶ悪魔のような黄金色の瞳を暴れる黒羊へと向け、小さな苛立ちと共に拳を開いた。
「ワタシの住みかに何をしてるんですカ?」
次の瞬間巻き起こる爆炎。
その空を舞う悪魔の右手から火炎が迸り、黒羊を意図も容易く焼き付くす。
「め、めええええええ!!」
黒羊は今更になって自分が狙われているということに気付き、慌てて踵を返して逃げ出した。だがもう、それは遅すぎた。
「死ネ」
炎の滝。
そう表現するしかないような火炎の奔流が黒羊を包み込む。先程までの雨を蒸発させながら、黒羊は焼かれていく。
炎に包まれたそれは、今更ながらその熱から逃れようと駆け出し始める。が、もう既に遅い。
そして時間にして数秒だろうか。
黒羊は纏っていた枯れ木を全て燃やし尽くされ、そしてその覆われていた本体も地獄の業火に焼き尽くされてしまった。
そして絶命した黒羊を一瞥すると、その悪魔は踵を返して去っていった。
この世は弱肉強食。
食物連鎖の頂点に立つ『吸血鬼』には敵う生物などこの世に存在しないのだ。
読んでくれてありがとうございます。ついに吸血鬼がでてきました。