第三十話 移動
次の日。
エルフの民により出立の準備は整えられ、森の出口付近で大きな荷物を背負った、鞍がつけられた一頭の地竜とそれを使役する一人の女の子がシロー達一行を待っていた。
彼女は神樹ハクから依頼されたシロー達の案内人で、『リリーナ』までの道のりを案内してくれる手筈になっている。すなわち彼女はそんなシロー達にとって欠かすことのできない人物なのだが、当のシローは彼女を見て戦おののいていた。
「な、なんだお前は……? こ、こども?」
「初対面で失礼だしこの人間は!!」
シローの目の前にいる『案内人』は彼の常識からはかけ離れた姿をしていた。
まずその子は身長はサンゴよりもはるかに低く、肩まで届くクリクリとした茶髪を持っていて、丸い大きな瞳は年相応の童顔を作り出している。ここまでならただの『こども』で片がつくのだが、彼女はその頭にまるで犬のような大きな垂れ下がった耳とふわふわした尻尾を持ち、シローの驚きに対してピクピクとそれを震わせている。またさらに背中には小さな羽が生えているようで、彼女の感情に合わせてそれはパタパタと動いていた。
「……は? いや……。は?」
「このくっそムカつく人間は置いといて自己紹介するし。ピノはハクに依頼された『案内人』だし。アンタらを『リリーナ』まで連れてくから、ピノの言うことをよーく聞くように」
状況を整理できていないシローを無視したようにアスハは胸を張った。
「久しぶりねピノ。まぁ最強のあたしがいるから大船に乗ったつもりでいなさいな」
「は? 外に出たこともない小娘が何言ってんの? アンタは大人しくしてればいいんだし。グラナダに外での生き方を教えてもらってれば?」
やけに自信満々なアスハに対してピノはそう冷たく言い放った。アスハとピノは互いに面識があるようだが、キャスリンは戸惑ったようにしており、どうやらこの二人は初対面のようだった。
「えっと、私は供人、キャスリン・アーデです。よろしくお願いします。この子は私の召し使いのサンゴです」
「……よろしくなの」
「ほー? アンタがそうなんだし?」
ピノはサンゴには目もくれず、まるでキャスリンを品定めするかのようにじっくりと見た。キャスリンはその目には慣れているようであまり気にした様子もなく上品な笑顔を浮かべている。
「おい。別に自己紹介は歩きながらでもできるだろう。もう出発するぞ」
「はいはい。グラナダってば相変わらずお堅いんだしー。ほら、いくよー」
痺れを切らしたグラナダが少しイライラしたように言った。
そしてその言葉を聞いたピノはまるでトカゲが大きくなったような動物に身軽に飛び乗ると、その横腹をかかとで軽く叩いた。
その生物は3m程の体躯を持っていて、明かに『使役された魔物』に免疫のないシローとサンゴは警戒の色を隠せないようだった。
「じゃあドン太。行くしだしー!」
ドン太と呼ばれたその生物は、体に荷物をくくりつけられたまま、のそのそと移動を始めたのだった。
一方、唖然としていたシローは歩き始めた一行に対して慌てたように着いていく。戸惑いを隠せない彼は不審気な表情で少し彼らから距離を置いて後に続いたのだった。
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「おい。トゥーマイ、あいつをどう思う?」
『当機のデータベースにはない種族である。いくら小型とはいえあの大きさの羽では飛行は極めて困難と推測される。加えて、あの頭部に備わっている獣型の耳も極めて不自然である。あの生物に対しては研究が必要である』
「あ、あぁ」
いくらなんでも獣耳と羽と尻尾を持つ『人間』のような生物がいるとは、それは流石に彼の想像力の遥か先に位置している事態のようで、シローはまるで借りてきた猫のように後ろからずっとピノを睨み付けていた。
結局、キャスリンの護衛部隊としてアスハ、グラナダ、ピノ、が選ばれた。グラナダは過去に森の外に出ていた経験があるらしく、アスハが着いていくという事実もあり、彼がハクから依頼されるという形でこの任についた。
シローとしては見知ったエルフが護衛に選ばれたのは喜ばしいことではあったが、シローはまだグラナダからの『傭兵依頼』についての返事はしていない。その事もあって彼は一行から距離を置いていたのだった。
「で? あの金髪の人間と得たいの知れない黒い魔法生物はなんだし?」
「……あぁ。そうですねぇ。シロー! こっちに来てください!」
のっしのっしと歩く生物の上から、ピノは不思議そうな目でシローを見つめている。シローはキャスリンに呼ばれ、警戒した表情を崩すことはなかったが、彼はゆっくりとピノの近くへと近付いていく。
まずシローはその地竜に目を奪われていた。その茶色の鱗の下にある逞しい筋肉。それがほとんど音をたてずに移動している様子はまた彼の興味を引いた。
「この子はドン太だし」
「……ドン太」
「アンタはなんだし?」
ピノは好奇心の塊と化しているシローに声をかけた。彼は名残惜しそうに地竜から目を離すと、ピノと目線を合わせる。
「俺は帝国軍所属の軍用クローン、A-4685だ。こちらはPASのトゥーマイ」
「……は?」
「シローとトゥーマイですよ。ピノさん」
自己紹介をすると頭に疑問符を浮かべられることにそろそろ慣れてきたシローではあったが、当然トゥーマイはキャスリンのその紹介に不服そうな声を出した。
『否定する。彼はA-4685である』
「俺の呼び方はどうでもいい。それよりお前こそなんだ?」
が、シロー自身も『シロー』呼びに慣れつつあり、なおかつそちらの方が『アリス』の人間にとって分かりやすいことは明らかだったので、彼は『シロー』呼びを気にした様子はない。
むしろシローにとっては『こども』が目の前で旅路に参加しているという事実の方が問題であった。
「なんだってなんだし。ピノはピノ。ここではあなた達の案内人だし」
ピノと名乗る少女はトンと自分の胸を叩き、自信ありげな表情をする。だがシローにーは対照的に不安げな表情を崩さない。
「……帝国では『こども』は最優先保護対象だ。従って、お前のような年端もいかないこどもをこの旅に同行させるのは反対だ。早急に然るべき教育機関に搬送し、未来を担う者としての自覚を……」
「はぁ!? ピノはこどもじゃないし!! 立派な大人だし!!」
『同意する。使用する言語においても幼児特有の語尾の反復現象が散見される。当機の外観的観測を以てしても、卿は明らかに幼児である。早急に保護されるべきだ』
「な、なんて失礼なんだしこいつら! に、人間のくせに生意気!!」
「あはははははは!」
帝国では少子化現象が著しい。従って幼児の保護は必須事項なのだが、そんな彼らの事情を知るよしもないアスハは彼らのやり取りを見て笑いを堪えれずにいた。
「あはははははは! し、シロー。やめて……。あはははははは!」
「な、何がおかしい……。この星ではこどもは保護されるべき存在じゃないのか……?」
「あはははは、いや、違うの。ピノはこどもじゃなくて、ピノはそういう種族だから、もうとっくに成人してるのよ」
「何!? この背丈で?」
「くくくくく。だからもうやめてってば……。ピノは確かに『空人属』の中でも小柄だけどそこまでこども扱いしなくても……」
アスハは目に涙を浮かべながら笑っており、キャスリンもクスクスと笑みを溢している。グラナダですらうっすらと口元に笑みを浮かべている。
シローは自分の常識がまた間違っていたのかと困ったように頭を掻いたが、それでも目の前の不思議な種族がこどもでないという事実には違和感を覚えているようだった。
「ピノは今年で25才の立派なレディーだし! あんまりふざけてると置いてっちゃうから!」
「25才だと……? バカな」
「バカはそっちだし。この耳と羽を見て人間と同じ姿形をしてると思う方が間違ってるもん」
「……確かに」
論破されたシローは何かを考えるかのように顎に手を置き、好奇心のままピノの姿をジロジロと眺めた。
ピノは革の服に革の短パン、そして膝上付近まで伸びるブーツを履いており、確かに出立ちだけを見るならば大人のそれと言えなくはないが、それ以上に肉体的にはどう見てもこどもと言っても差し支えはない。
「……まぁいいだろう。ところでその背中の羽は飾りか?」
「はぁ!? そんなわけないし!」
ピノは怒ったように耳を逆立てながら、羽を大きく開いた。といってもそんなに存在感があるわけではないがーーーともかく彼女は羽を広げ、それを羽ばたいて空中にふわりと浮いた。
「な、なんだと……!? あんな羽で揚力を確保できるのか!? トゥーマイ! やつの回りの気流を観測しろ!」
『既に行っている。が、どう計測しても揚力は足りていない。彼女の飛行方法は不明である』
驚きを隠せないシローに向かってピノはふふん、としたり顔を向ける。彼女の飛行方法は魔法による補助が大きく関与しているのだが、トゥーマイやシローはそれに気付くことができない。が、何かを考えていたサンゴはゆっくりとピノへと手をかざした。
「……なんか変な感じなの」
「なっ! ちょ、嘘でしょ!?」
すると次の瞬間、サンゴの元へと急激に魔力が集まり始める。まるでサンゴは突如として白い霧にまとわれたかのように、迸る魔力の奔流が彼女を取り囲む。無論それはピノが飛行の為に使っていた魔力をも根こそぎ奪い取り、ピノはゆっくりと地面に落下する。
「な、え? 嘘でしょ……? か、返すだし!」
「……やっぱり魔力の流れが変だと思ったの。貴女が操っていたの」
「……だ、だめだって! ほんとに返して! はやく!」
サンゴは満足そうに体に魔力を纏っているが、その反面ピノは焦ったようにサンゴに怒鳴り付ける。そのピノの表情は緊迫を要するそれで、サンゴから魔力を取り返そうと躍起になっている。
「おい。早く魔力を返してやれ! 下らないことをするんじゃねぇ!」
「……うー。わかったの」
意外にもグラナダが焦ったようにサンゴへと忠告をする。サンゴはその勢いに押され困ったように魔力を解放するが、なぜそれほど怒られるのかが理解できていないようで頬を膨らませて不服の感情を表している。
が、その理由は次の瞬間明らかになった。
「もう! 敵が来るし! エルフ達何とかするんだし!!」
ピノがそう言った瞬間、丘の向こう側から巨大な狼のような魔物が現れた。その敵は顔に幾つもの赤い複眼を持ち、大きな口からはシローの腕ほどある鋭い牙が顔を覗かせていて、シロー達一行を見て嬉しそうに舌舐めずりをしている。
「ちっ、よりにもよって足が速いやつだし! 逃げる準備をするから足止めしといて!」
「理解。行くぞアスハ」
「おっけー」
言うが速いかアスハとグラナダは一瞬で白いオーラを身に纏い、現れた敵へと突撃していく。それは洗練された一連の動きで、グラナダが大振りの拳を振り下ろし、逃げた敵へとアスハが槍を突き立てる。
しかし体が大きすぎるせいでアスハの槍はほとんどダメージを与えられていないのか、敵は大きな声で怒ったように吠えながら、アスハの槍を振り払った。
「ウガアアアア!!」
「おにい! 毛が固くて槍が通らない!」
「時間を稼げばいい! 無理に攻撃しようとするな!」
敵は怒ったようにアスハの着地を狙い、一気に駆け抜けていく。が、それを見越したグラナダが横から拳を見舞い、軌道をそらす。
「オラァァァァ!!」
空気を震わせながら、その狼は横へと倒れこんだ。だがグラナダの攻撃は致命傷には至らないようで、敵はすぐさま体勢を立て直して臨戦態勢に入る。
「よしっ! こっちに来るんだし! 匂い玉を投げるし!」
荷物から何かを取り出したピノは羽を広げ、敵に向かって飛び立った。そして驚くべきスピードでその狼へと近づいたと思うと、おもむろに手に持った玉を投げ付ける。
その玉は敵の頭付近にぶつかると同時に弾けとび、紫色の気体がその回りに漂った。いかにも毒を含んでいそうな霧だったが、案の定それを嗅いだ狼はその表情を驚愕のそれへと変貌させた。
「ギャアアアア!」
そして次の瞬間、その魔物は耳をつんざくような悲痛な叫び声を上げる。そしてひとしきりその場で暴れ、何度も頭を地面に擦りつけて匂いを地面に擦り付けはじめた。
「よし! 逃げるし! 人間どもは早くドン太に乗る!」
ピノにそう言われ、キャスリンは慌てたようにサンゴの手を引いてドンのと呼ばれた地竜に飛び乗った。シローはトゥーマイを着るか一瞬悩んだが、それよりも早くアスハが彼の元へと取り付いた。
「……? なんだ?」
「しっかり捕まっててねシロー?」
「……は?」
ニヤリと怪しい笑みを浮かべたあと、突然アスハはシローを抱え上げた。急な抱え上げにシローは驚いたような声を上げたが、それを全く気にした様子もなくアスハは彼を持ったまま駆け始める。
「なっ……! ちょ、やめろっ!! 俺は一人でも大丈夫だ!」
「なははー。いいから担がれときなさいっての。お礼よお礼」
「ト、トゥーマイーー!!!」
「あははははは!」
そしてピノを筆頭に一行は風を切るように駆け出した。人間の出せる速度を遥かに超えたスピードで移動することになれたシローではあったが、PASを着用せずに移動したことはもちろんない。さながら命がかかったジェットコースターに揺られているようで、彼は死ぬ気でアスハにしがみついている。
「あははははは! シローそんなにあたしのこと好きなの?」
「いや、待て! は、早い! 俺は自分で走る!」
「やーだよー! それー!!」
アスハは怖がるシローを見ていい気になったようで、無意味に地面を大きく蹴り、丘から空中へと飛び出した。シローはトゥーマイが後ろから着いてきていることを目の端に捉えながら、死物狂いでアスハにしがみついているのだった。
読んでくれてありがとうございます。
まだ平和回が少し続きます