第二話 偵察
「……トゥーマイ。俺はいつまで歩けばいい」
『……移動を提案したのは卿だ。従って目的地は当機の中に設定されていない』
歩くこと2時間。一向に変わらない景色にA-4685は軽い焦りを覚え始めていた。
歩き始めのころはそれこそ歩くたびに微かな好奇心と共に地面を踏みしめ、流れるそよ風が草原を撫でる様子に息を飲んだりしたものの、2時間も歩けばすでに新鮮さは消え去っていた。
彼らはあれ以降、一体たりとも新しい生命体に出会ってもなければ、特に地形の変化もない退屈な移動が永遠と続いていた。
「このまま当てもなく歩くのはまずい気がしてきた」
『同意する』
非常に洗練され、鍛え上げられた肉体を持つA-4685ではあるが、彼は所詮生物だ。訓練されているとはいえ食事や睡眠、排泄といった生理現象を避けることは出来ない。従って彼はPASを着ているとはいえ永久的に活動することはできないのだ。
また本来のクローンの食事は帝国軍から支給された無味無臭のレーションだ。その栄養バランスはこの上なく素晴らしいがその味は基本的に食べられたものではない。だがA-4685はそれ以外の食事を口にしたことがないため、そのレーションがあるはずもないその惑星は彼にとっては食料が全くないことと同義なのだ。
少しずつ彼の腹部から空腹信号が送られてくるが、歩みを止めた所でどうしようもない。彼はそれを我慢して、また進み始める。
だが次の瞬間、まるでその腹の音を合図にしたかのように、彼の耳に微かな地響きが届いてくる。無論、その音はトゥーマイのセンサーにも捉えられていた。
「トゥーマイ! この音はなんだ!」
『警告! 小規模な地震動を観測! ここから2km先の地点で何か小規模の衝撃が地面に加えられたと推測』
「了解! 別の知的生命体かもしれない。音の発生源に向かうぞ! 走れるな?」
『了解』
その音にある種の希望を見出した彼らは、PASの最高速度を以て一気に加速し、音源へと文字通り飛んで行ったのだった。
『警告! 複数種類が入れ混じった生命体の足音を確認した。種族間の戦闘であると推察』
「これだけの音が起きるということは何かしらの兵器を使っているのか……?」
超特急で現場に向かう彼らだったが、その短い移動中の間にも何度か先程の衝撃は発生していた。しかも今度は地震動だけではなく、音そのものも聞こえてきていた。
まるで大きな質量を持った何かが激しく地面に激突しているかのような音で、彼らはその手の音は日常的に良く耳にしている。
「砲撃……か?」
『不明。最接近する前に遠方から情報を収集することを提案する』
「そうだな」
PASにとって2kmなんてあっという間だ。瞬く間に音源に辿り着いた彼らは、少し見晴らしの良い場所に移動し、一度遠くからその様子を観察してみることにした。
そこで彼らが辿り着いたのは少し丘になっているような場所だ。ここなら戦場全体を見渡すことができる。そして彼らは姿勢を落とし、なるべく目立たないようにその丘の先から頭だけを出して全体を見渡した。
そんな彼らの目に飛び込んできたのは、またしても彼らが今までに見たことのないような光景だった。
端的にその様子を表すと、魔物と人間の戦いだった。
その戦闘集団の中心には馬車らしき乗り物が車輪が壊れた状態で横たわっていて、そしてそれを守るかのように、大きめの銀色の甲冑に身を包んだ数十人の兵士が隊列を展開している。彼らはその手に剣と盾を握り、攻めてくる魔物に果敢に立ち向かっていた。
そんな彼らを取り囲んでいるのは全身を黒い甲殻で身を包んだ先程の蜘蛛達だった。どうやらA-4685を諦めたあの化け物は、逃げた先に新しい獲物を見つけ、襲いかかっているようだ。
「トゥーマイ! あの銀色の鎧を着ているのは……人間か?」
『おそらく。だが帝国の原種様ではないことは明らかである』
「それはわかっているが……」
原種様、とは帝国に住んでいるオリジナルの人間達の事を指す、A-4685やトゥーマイの奉仕対象のことだ。
「さて。俺たちはどうする? 『人間』を助けるべきなのか……?」
『『人間』は助けるべきだが、軍規マニュアルには、現地紛争に加担する事はなるべく避けるべきである、との記載がある』
とはトゥーマイが言うものの、明らかに人間側は劣勢に立たされているようだった。
蜘蛛モドキ達は定期的に糸を吹き出し、兵士の動きを妨げている。その糸を馬車近くにいる人間が焼き払っていることで何とか均衡を保っているが、糸を焼くスピードよりも魔物が糸を吐くスピードの方が早い。時間の問題で兵士たちが突破されるのは誰の目にも明らかだ。
「あの火を生み出している人間はどうやって発火しているんだ? 手に何の道具も持っていないように見えるが……」
『観測中……』
その馬車近くで守られている人間は一人だけ甲冑に身を包んでおらず、すっぽりと頭まで覆う青いローブを着ていた。そして体に糸が付着した兵士へとその手をかざすと、次の瞬間踊るような火炎がその手から発生し、ゆっくりとその糸を焼きはらっていく。
それなりに科学技術には精通していると自負があったA-4685だが、あのような発火現象は過去目にしたことはなかった。まるで炎に意思が宿ったかのように、糸だけを的確に燃やしている。
『原因不明。我々の知らない技術が用いられていると推測される』
「あんな剣と盾で戦っているような連中がそんな高度な技術を……?」
そして身の丈の三倍はありそうな巨大なスレッジハンマーを抱えた兵士が、糸により後退した兵士の穴を埋めるために前線に飛び出していく。そしておもむろにそれを振りかぶり、まるで小さな棍棒を振り回すかのようにそれを振り下ろした。そこで発生する地面を揺さぶるような衝撃。これが先程から彼らの耳に届いていた地響きの原因だろう。
が、その様子にA-4685は驚きを隠せないようで、うわずった声を出す。
「ば、バカな……! なんて筋力だ……」
『否定。あの重量を何かしらの補助なしにあそこまで振り回すのは人間には不可能だ。何か我々には知らない技術が用いられていると考えられる』
そのハンマーを振り回す兵士は何やら白い湯気のようなオーラ状の物がその身に纏っている。彼がその鈍器を振り上げる度にその白い何かはハンマーの周りに集まり、そして散って行った。
あれが動力源になっているのだろうか、とA-4685は漠然と思いながら口を開いた。
「……トゥーマイ。俺達がこのまま手をこまねいてあれを見ていたら、人間側は全滅するんじゃないか?」
『その可能性は否定できない』
悠長に彼らが成り行きを見守っていると、遂に甲冑に身を包んだ一人の兵士が蜘蛛の糸に絡め取られ、身動きが取れなくなった。そしてあっという間に複数の蜘蛛に締め上げられ、悲鳴を上げながら引きずられていく。
「もしそうなった場合どうする? またあの蜘蛛みたいな生物に情報提供を求めてみるのか?」
『否定する。彼らと意思疎通を図る事は困難と推測される』
今までやっとの思いで均衡状態を保っていた彼らだったが、一人の抜けた穴は大きいらしく、形勢が一気に傾き始めた。そしてその大きなハンマーを持った兵士が壊れた馬車の方を指差しながら、大きな声で叫んだ。
「ちぃ……! これ以上はこの場は持たん! お前ら供人だけでも逃がせ! わしが突破口を開いてやる!!」
その言葉を聞いてざわつく兵士達であったが、この場で一番驚いていたのは他でもないトゥーマイとA-4685だった。
「お、おい! 今の聞いたか!?」
『肯定する。彼らは宇宙標準言語を使用している』
その兵士が使った言葉は紛れもなくA-4685とトゥーマイが普段使っている言語と全く同じものだった。そしてそれはこれまでの彼らの予想を覆すには十分な証拠となった。
その言語を使用しているということは、少なくとも彼らはA-4685にとっては『現地生命体』でない。この星がどこかはわからないが、少なくとも太陽系とは何らかの関係があることは明らかになった。
「さぁ行け! おらぁ! クソ蜘蛛どもがぁ! かかってこいや!」
そしてその兵士は全身から溢れるような白いオーラをその身に纏いながら、果敢に敵に向かって突撃していく。複数の蜘蛛が何度も糸を吹きかけるが、彼は意に介した様子もなく、身の丈に合わない大きな獲物を惜しげもなく振るう。
「な、なんだあの白いものは……」
『……?』
まるでその舞うようなその戦闘儀式に、思わずA-4685は息を飲んだ。
「な、なんて戦い方だ……」
その兵士は跳ねたと思うと、敵に向かってその巨大なハンマーを叩き下ろした。一匹の逃げ遅れた蜘蛛モドキは綺麗に叩き潰されてしまったが、その隙を突かれ複数の蜘蛛がまた糸を吹きかけていく。
華麗に舞うような戦闘だが、化け物の群れに決定打を与えることは出来ない。蜘蛛達は常に一定の距離を保ち、標的に糸を吹きかける事に注力している。
『別働隊が撤退を開始した。我々はどうする?』
「……そちらの後をつけよう。軍規をなるべく犯したくない」
『宇宙標準言語』を使っていると言っても、彼らが救済する対象になったわけではない。彼らの奉仕対象はあくまで帝国に住む『原種様』のみ。戦火を広げる事を帝国は良しとしない。すなわち余計な戦闘行為は慎まなくてはならないのだ。
一人の勇猛な兵士により、蜘蛛モドキ達は戦力の大多数をそちらに割いている為、別働隊が後退していっている事に対してあまり気にしている余裕はないようだ。その結果、背を向けて逃げ出している集団には歯牙にもかけていない。
「あの大きな兵士があの蜘蛛達の狙いなのか……?」
『恐らく。でなければ本隊の撤退をあれほど無視するはずがない』
結果的にあの蜘蛛達は自らの食糧を確保するために戦っているだけなので、戦闘AIの分析は180度間違った指摘なのだが、それを彼らが気付くことは出来ない。
そして紙のように薄くなった敵の包囲網を、一丸となった残された兵士たちはまるで槍のように突破し、敗走していった。
A-4685は献身的に自らが犠牲になってまで部隊を逃がす事を選んだ勇敢な兵士を一瞥し、彼らに見つからないように逃げて行った部隊を追いかけ始めた。
読んでくれてありがとうございます!
超個人的な趣味嗜好ですが、どデカいハンマーを振り回す渋いおっさんキャラが好きです。
圧倒的な仕事人感ありませんか?笑