第二十四話 失意の底で
シローは混乱していた。
それもそのはずだった。彼は生きる意味を失いつつあったからだ。
彼は本来、月面都市防衛戦で華々しく死ぬはずだった。原種様達のためにその命を使う。それこそが彼の生まれてきた意味で、死ぬための意味だったのだ。
それなのに今となってはそのどちらも失っていた。
帝国のために死ぬことはできない。だからといって帝国のために働くこともできない。
彼は完全に生きる意味を失っていた。
「……俺は、どうすれば」
シローは一人で町の中をあてもなく歩いていた。町行くエルフや衛兵達はシローの顔を見ると怪訝そうな顔をするが、彼は気にも止めていなかった。
町はようやく眷属騒ぎから解放されたのか、これまでの活気が少しずつ戻ってきているようだった。
結局、エルフの森に侵入した眷属は全部で六体だった。そのうち四体はシローが駆除したのだ。彼がした働きはエルフの者達からすれば大変感謝すべき働きなのだが、それに彼らが気が付くのはもう少し後になってからの話だ。
「帝国への帰還は……できないのか? 俺は……」
彼は人通りが少ない一画に立ち入ると、そのまま木に体を預けたままずるずると腰を下ろす。
そして空を見上げると、葉の間から曇った空が目に入ってきた。彼にとっては曇り空を見ることも初めてなのだ。ぼーっと雲の動きを観察していたシローだったが、突然彼と雲の間に見知った顔が割り込んできた。
「何してるんですかこんなところで? 危ないですよ?」
「……キャスリン・アーデ」
「本名で呼ばないでくださいよ。キャスでいいですってば」
「……何をしている」
キャスリンは微笑みながらシローの横に腰を下ろした。そしてシローと同じく空を見上げ、前髪をかきあげた。
シローはその横顔を見つめていた。まるで光の粒子が舞っているようだ、と彼は思った。
キャスリンの金髪は辺りを走り回ったせいで薄汚れているはずなのに、元から持つ輝きは失われていない。また吸い込まれそうな紫色の瞳は曇天越しの太陽の光を受けて鈍く輝いているように見えた。
「悪い天気ですね。まるで貴方の心を表しているみたいですか?」
「俺の心は雲のように機微に富んではいない」
そんなシローのひねくれた返答に首をすくめつつも、キャスリンは大きくため息をついた。
「はぁー」
「……どうした」
「ていっ!」
キャスリンの手刀はぼんやりとしたシローの頭を直撃したが、シローは困ったようにその手を眺めていた。
「げ、元気になりました……か?」
「脳天を手刀で打てばこの世界の住人は元気になるのか?」
「いや……そういうわけではないのですが」
シローの頭に手を置いたまま、キャスリンは口を尖らせた。そして迷ったように少し視線を泳がせた後、躊躇いがちに彼の瞳を見詰めながら口を開く。
「えっと、あまりよくわかってはないんですけど、シローは『帝国』に帰ることが難しくなったんですよね?」
「……それはトゥーマイの仮定が正しければの話だ。まだ不可能と決まったわけではない」
「そうですか……。ではもし、もしも帰還ができない、となったらどうするつもりですか?」
「……わからない」
と、シローは辛そうに呟いた。
「俺は『帝国』の為に生まれ、『帝国』の為に死ぬはずだった命。もし『帝国』に戻れないとなれば、それは俺の存在理由の消失を意味し、俺のこれまで生きてきた証にもならない」
それは彼にとって死ぬよりも辛いことだった。彼はこれまでの人生全てを『帝国』に捧げてきたのだから。
そんな辛そうな彼を見て、キャスリンは人差し指を立てて呟くように声を出した。
「……なら自分のために生きてみてはいかがですか?」
「……自分のため?」
「えぇ。自分の行きたいところに行き、自分の見たいものを見る。自分の聞きたいものを聞き、自分の知りたいものを知る。幸いこの世界は広いんです。シローの知りたいもの、見たいものはたくさんあると思いますよ?」
キャスリンは両手を広げ、嬉しそうにそう呟いた。その言葉はまるで彼女自身の気持ちを表しているかのようで、言葉の端々が震えている。
そしてキャスリンの言ったことを脳内で反芻し、暫く考えるように虚空を見つめるシローだったが、ついに彼は首を横に振った。
「……ダメだ。俺は『帝国』の為に生まれ、死ぬべき命。利己主義などもってのほかだ」
と、シローがそう言うとキャスリンは悲しそうに首を振った。そしてシローをまっすぐに見据え、もう一度口を開く。
「いいですかシロー。死ぬために生まれてくる生き物なんていません。あなたは、あなたが思うように生きればいいんですよ」
「……それをお前が言うのか」
「えぇ。私は確かにイスラ様に血を捧げます。ですがそれは『死』を意味する訳ではありません。私はイスラ様の血肉として永劫の時を生きるのです。ですからシロー、あなたも死ぬために生きる必要などないのですよ」
「……詭弁だ」
キャスリンはそう力強く言った。
シローはそれをぼーっとした表情で聞いていた。彼は作られた命、作られた心、作られた意味を持つ帝国のクローンだ。キャスリンの言葉の意味がわからない訳ではなかったが、彼女の心の声はシローには響かない。シローには自分自身に帝国に奉仕する意外の生き方があるなんて、理解できなかった。
だがシローはもちろん生きてもいい、と言われたことなど生まれてこの方一度たりともなかった。だからこそ、キャスリンの言葉はシローの心に小さな楔のようなものを打ち込んだのだ。
「……わからない。俺に他の生き方があるなんて……」
「なんならサンゴのように、私の専属の護衛になってくれてもいいんですよ?」
キャスリンはそう言うといたずらっぽく笑った。シローは彼女その真意がわからなかったが、キャスリンの屈託のない笑顔を見ると、何となく彼の心は晴れていくような気がしていた。
そして彼はゆっくりと体を起こし、再び空を見上げる。
「まだ帝国への帰還の芽が完全に潰えた訳ではない。だが、もし帰還が物理的に不可能とわかったときには、お前の言っていることをしっかりと考えてみることにする」
「……そうですか」
キャスリンも笑顔を浮かべながら起き上がる。
シローの心には、クローンとして作られた心意外のものが生まれようとしていた。
「……こんな時、俺はなんと言えばいいのかわからない」
「あなたは今、何を思っているのですか?」
彼はキャスリンの優しい目を真っ直ぐに見つめながら、じっくりと考える。
それは今までに感じたことのない感情だった。だが彼は貧困な語彙を必死に手繰り寄せ、呟くように言葉を漏らした。
「……感謝している」
「そういうときは、ありがとう。って言うんです」
「あ、ありがとう」
「……ふふっ。どういたしまして。これで『一つ貸し』は返せましたか?」
「……どういう意味だ?」
だがキャスリンはシローの問いに答えずに、再び嬉しそうな笑顔を見せたのだった。
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「席を外してすまなかった」
「いえいえ、いいってことよー。で? 大丈夫なの?」
「俺は平気だが……」
キャスリンと共に病室に戻ったシローだが、もうベッドに座りながら元気そうにヒラヒラと片手を振っているアスハに驚きを隠せないでいた。
どう控え目に見ても全治に数週間はかかりそうな怪我であったはずなのに、アスハは既に包帯を外し、これまでと変わらない健康的な素足を見せている。
「あたし? あたしは大丈夫よー。何せ最強ですからね! エルフの最強かわいいアスハちゃんとはあたしのことよ?」
「……なんたる生命力だ」
『同意する。これほど早く外傷を修復する哺乳類は例を見ない。昆虫を遥かに凌駕する生命力である』
「だれが虫以上の生命力よ! 魔法よ魔法! さっきもあなた達も見ていたでしょ?」
アスハは怒ったように言った。シローは再び魔法という謎の技術に驚きを通り越して恐れを抱いていた。
「……全く。魔法について本当に知らないのね」
「あぁ。だが魔法についても教えてもらう契約だ。グラナダはどこに行った?」
その狭い病室にはアスハとトゥーマイ、サンゴしかおらず、いつの間にかグラナダの姿は消えていた。
だがアスハは気に止めた様子もなく口を開く。
「おにいは上に呼び出されて行ったよ。でも魔法のことについてはこのあたしにお任せなさいな! なんでも教えてあげるよ?」
アスハは元気よくそう言った。流石にあれほど重症を追っていた者にあれこれ聞くのは不味いのではないかとシローは思ったが、トゥーマイはまるで気にした様子もなく質問をぶつけていく。
『では問う。魔法とはなんだ?』
「魔法とは、アリスに満ちている魔力を使って現象を引き起こす技術のこと」
『現象、とは何を指す?』
「それは使い手次第よ。例えるならば魔力は燃料。燃料をどう使うかは使い手次第でしょ?」
と、言いながらアスハは右手を部屋の隅に伸ばした。すると彼女の回りに白いオーラをが出現し、その手の先にある彼女の武器へとその靄のようなものは伝わっていく。
「これは『制動魔法』。物体とあたしを魔力で繋ぎ、動かすの」
そのオーラが剣槍へと達すると、まるでその武器は命を与えられたかのようにアスハの元へと近づいていく。
その様子にトゥーマイは驚いたように姿勢を下げた。
『警告! 不審な挙動を観測!』
「トゥーマイ。落ち着け。これが奴の言う魔法だろう」
シローは剣槍とアスハを繋ぐ白いオーラのようなものに手を触れてみたが、何となく生暖かいような温度が伝わってくるだけで、その靄を掴むことができなかった。
「トゥーマイ。この成分の観測はできるか?」
『卿の発言の意図が不明だ。この成分とは何を指している?』
「何って……この白い霧のようなもののことだが」
『観測不能。当機のセンサーには何も捉えられていない』
「は? お前にはこれが見えていないのか?」
『何を言っているA-4685。そこには大気以外特筆する成分はない』
「……」
ふよふよと漂う霧のようなものはどうやらトゥーマイには観測できないらしい。そういえば初めてこの白いオーラを見たときもトゥーマイは何の反応もしていなかったな、とシローは漠然と思った。
「この霧は何だ? お前が放出しているのか?」
「厳密にはあたしって訳じゃないわ。あたしは回りの魔力を操作して導いているだけ」
そしてキャスリンは手元に来た彼女の武器をベッドの横に立て掛けた。白いオーラから切り離されたその槍は今はただの置物ように黙りこくっていた。
「その技術は誰にでもできるのか? 例えば俺にも習得は可能か?」
「これが見えるのなら習得はできると思うけど……」
「ならば教えてくれ。その『魔法』という技術は『帝国』にはないものだ。……もし帰還が叶ったときの為に、是非習得したい」
少しシローは視線を下げ、少し悲しそうな顔をした。
だがそれに全く気付く様子のないアスハは笑顔を浮かべ、元気よく立ち上がった。そしてそのままシローの手を取ると、部屋の外へと引っ張っていく。
「よしっ! じゃあ教えて上げるからついては来なさいな!」
「お、おい。歩いても平気なのか?」
「平気よ。もう治ったし」
そしてシローはアスハに連れられるがまま、外へと連れ出されて行ったのだった。
読んでくれてありがとうございます!
まだまだ続きますよー。シローくんの葛藤を楽しんでいただけたらなと思います。