第二十一話 応急処置
アスハは突然表れた黒い人型の『何か』を見つめることしかできなかった。
その人間からはかけ離れたものは、青白いオーラにその身を包み魔法ではない何かに覆われている。
それはアスハと眷属の間に入ったと思うと、眷属の手首を締め上げる要領でその手をあっという間にアスハから剥がし、彼女を優しく抱き抱えた。
「ギャアアアア!」
まるで腕を折られるかのごとく締め上げられた眷属は、痛そうな悲鳴を発した。
そして何が起こったのかわかっていないその群れから『黒い人間』はアスハを抱えたまま跳ぶように離れると、白いオーラを全身にまといつつ声を発した。
「大丈夫か?」
「……あ、う……」
アスハは混乱していた。というより夢を見ているんじゃないかとすら考えていた。
眷属に殺される寸前、全くもって意味のわからない存在に助けられたのだ。一瞬エルフの兵士が助けに来てくれたのかとも思ったが、どう見ても自分を助けてくれた何かはエルフではなかった。
「あ、あなたは……?」
「俺はA-4685。帝国軍所属の軍用クローンだ」
「……?」
「……お前は俺のことを『シロー』と呼んでいた」
「……し、しろー? しろー。シロー?」
と、少し照れ臭そうに、シローはそう言った。アスハは繰り返し呟くように彼の名を口にすると、信じられない物を見るかのように彼の顔をマジマジと見つめた。
「シロー!? なんであなたがこんなところに!? っつ……」
「無理をするな。お前が負っている怪我は軽いものではない」
「で、でも、あなたは人間で……。あたしが戦わなきゃ……」
アスハはそう言うと、自分の足で立とうと地面に足をついた。が、体は言うことを聞かずそのまま地面に座り込むように尻餅をついた。
敵は突然表れたシローに対して警戒したような視線を送り、姿勢を低くして攻撃体勢をとった。
『本当に意思疎通が不可能か試みることを提案する』
「……こちらに戦闘の意思はない! 話し合いを……」
無意味だと思いながらシローはトゥーマイの提言に従う。が、敵はそれを最後まで聞くことなく鋭い爪を向けて彼に襲いかかってきた。
「下がって!」
「下がるのはお前だ」
言うことを聞かない体に鞭を打ちながら、アスハは懸命にシローを守ろうと両手を開く。が、敵はそんなアスハもろとも貫くかのごとく、鋭く尖った爪を二人に向けてつき出してきた。
が、シローはアスハを制しながら片手でその攻撃を止めた。
「……え?」
アスハはまるで時が止まったかのように、シローと眷属を見つめている。
『彼我の戦力差は明白である。抵抗をやめろ』
「キシャアアア!」
腕を掴まれた眷属は身を捻り、器用に鋭い蹴りをシローの顔面へと炸裂させた。が、彼はかわす素振りすら見せずにそれを頭で受け止める。
「撤退を推奨する。命までとる気はない」
敵の脚などまるで気にした様子もなく、シローは淡々と言葉を続ける。が、敵はそんな言葉を聞き入れるつもりは毛頭ないようで、攻撃的な姿勢を全く崩さない。
敵は腕を掴まれたまま器用に浴びせるような攻撃を続ける。だがシローにダメージが通っている印象はない。
「……シロー? ……あなた、人間、なの?」
シローはアスハの呟きには答えずに、眷属を砦の壁に向かって放り投げた。敵は受け身をとれずに叩きつけられ、地面に落ちる。
するとそれが皮切りになったように、他の眷属達が群れをなして襲ってくる。だがシローは特に回避行動もとらずに敵を次々と弾き飛ばしていく。
「う、うそでしょ……?」
アスハはそれを信じられないとでも言わんばかりに、今起きている光景を目を丸くして凝視していた。アスハがあれほど苦戦していた眷属を彼はほとんど片手のみで制しているのだ。それはアスハの知る人間からは遥かに離れた行為で、幻覚を見ていると言われた方が納得できる。と、彼女は思った。
だがそれは紛れもない現実で。
エルフの天敵、と呼ばれる存在をこうも徹底的に迎撃している様子はアスハを少し高揚させた。
だがそんなアスハの視線に気づくことはなく、シローは少しうんざりしたように言った。
「敵が戦意を喪失しない。迎撃レベルを引き上げる」
『了解。念のためもう一度確認を行い、反応がなければ敵を排除する』
投げ飛ばされた敵は、殺気をおさめることなく果敢にシローへと向かってくる。そんな敵を再びはね除けながら、シローはゆっくりと息を吸った。
「それ以上の敵対行動は許容しない。……次に歯向かって来たものは、殺す」
アスハはその言葉を聴いて、身も凍る思いをした。が、敵はその言葉が通じているのかいないのか、シローの言葉を全く聞く耳を持たず、敵は更に怒ったように彼へと突撃していく。
「キシャアアア!」
「……撤退勧告は行った。排除する」
それはアスハにとっては困難でも、シローにとっては容易いことだった。
向かってくる敵の攻撃をいなし、首もとを掴み、首の骨を折って脊椎を断ち切る。
ゴキリ、と言う嫌な音を立てた後、その眷属は地面に沈んだ。
それをただただ四回繰り返しただけ。
たったそれだけで敵は全員地面にひれ伏していた。
「……な、あ……」
『敵生命体沈黙』
「任務完了。アスハ・ユリハを確保。容態を確認する。お前は周囲の索敵に当たれ」
『了解』
いくら圧倒的な回復力を持っていると言っても、脳から命令を送るための神経がやられていては回復のしようがないようで、その眷属達は生命力を見せつけるまもなく、こと切れようとしていた。
死にかけの眷属からは灰色の邪悪な魔力が抜け出していた。それは彼らを縛り付けていた吸血鬼の魔力だった。その証拠にその眷属は過去の自分を取り戻し、今はただのエルフへと戻っていく。
だが全てはもう手遅れだった。自我を取り戻したエルフはその直後にはもう生きてはいなかった。それは吸血鬼の残した最期の慈悲か、それとも最期の悪意か。
それは誰にもわかることはできないものだった。
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そして敵が片付いたと判断したシローはトゥーマイの前面を切り開くようにしてPASを脱いだ。体に吸い付くような黒いスーツには彼の鍛え上げられた肉体の輪郭が浮かび上がっている。
アスハはその非現実的な光景に目を奪われる。
まるで魔人が召喚されたみたいだ、と彼女は思った。
「手当てをする。傷を見せろ」
「なっ……」
と言いながらシローはアスハの服を脱がせようとしたが、アスハは恥ずかしそうにそれに抵抗する。
だが、シローは不思議そうな顔を浮かべながらアスハを見つめる。
「何をしている。足の止血の為にも布が必要だ。お前の肌着を貰う」
「で、でも……。うぅ……」
アスハは治療だと頭ではわかっていたが、同年代の男の手によって服を脱がされるのは一人の乙女として恥ずかしい。
が、やがて諦めたのか抵抗をやめ、シローに為すがままにされる。
シローはアスハの着用していた衣服からなるべく清潔で汚れていない部分を的確に切り出し、手当て用の布を作っていく。それは中々の手際の良さで、アスハは内心シローの器用さに舌を巻いていた。
そして彼は包帯を作りながら、アスハの容体を確認する。
彼女の体は随所に切り傷があったが、致命傷に至る傷は一つも見られなかった。眷属から足を掴まれた際に、敵の手ごと自分の足を吹き飛ばした時に負った怪我以外は特に大きなものはなかった。
シローはアスハの命に別状がないことを知り、少し安堵したため息をついたが、そこであることに気が付いた。
「……? なぜ肌着の下に布を巻いている? 苦しくないのか?」
「なぜって……」
アスハはサラシのようなものを自分の胸に巻いていた。が、もちろんシローはそんなものの存在は知らない。彼は汚れていない布の方が良いと思い、その布に手をかけた。
が、堪えきれなくなったようでアスハは顔を真っ赤にしながら口を開いた。
「だ、大丈夫だから! 恥ずかしいからやめて!」
「……恥ずかしい? お前は一体何を言って……」
だがシローはアスハが示すような反応に見覚えがあった。恥ずかしそうに顔を赤くしながら少し怒ったような態度。
そして彼は何かに気が付いたようで、躊躇いがちに口を開く。
「……お前。もしかして『女』か?」
「……は?」
少しの間、時が止まったかのように二人の間に静寂が流れた。
「……どうなんだ?」
「え、えぇ」
アスハは混乱したように頷いたが、困っていたのはシローの方だ。
またセクシャルハラスメントをしてしまった。軍法会議ものだ。と、彼は困惑していた。
「……すまない。女と思わなかった。配慮に欠けていた」
「う、嘘でしょ?」
アスハは自分の女としての魅力のなさに少しショックを受けていた。エルフの男達からはそれなりに好かれているとの自負はあったが、まさか女としてすら見られていないことに驚き、少し悲しかった。
「俺はあまり性別について詳しくない。気を悪くしたなら許してくれ。この肌着は使ってもいいか?」
「え、えぇ。……詳しくないってどういうこと?」
アスハから許可を貰いその手に取った肌着を引き裂くと、シローはそれをアスハの足へと巻いていく。それは手慣れたもので、あっという間にあの応急処置が進んでいく。
アスハはその手際の良さに感心しながらシローの言葉を待つ。
「俺は帝国のクローンとしてクローン達と共に生活していた。お前のような『女』の存在は知識としては知っていたが、実物を目にしたことはほとんどないんだ」
「……くろーん?」
「クローンとはある人間の遺伝子細胞を元に製造された人工人間のことを指す。俺は帝国の歴史的英雄、アンドレア・グレイのクローン、A-4685だ」
「……」
アスハはシローの独白を複雑な表情で聞いていた。
客観的に聞くならばそんなものはただの与太話。普段の彼女ならそれは妄想の産物だと一蹴しているだろう。が、シローは実際四人の眷属を苦もなく殺した。
そんな芸当は普通の人間にはできるはずもないのもまた事実だ。
アスハはシローの言葉の信憑性を図りかねたまま、彼女の足は処置が続けられていく。
「よし。これでいい。後は医療機関での治療を推奨する」
「あ、ありがとう」
「……そんなものは必要ない。これはグラナダとの間に交わされた契約に過ぎない」
淡々とそう言いながらシローは立ち上がった。
たがそれだけでアスハは満足するはずがない。彼女はシローの目を真っ直ぐに見つめたまま、もう一度口を開く。
「いえ。あなたがいないとあたしは死んでいたわ。……だから言わせて、本当にありがとう」
「……やめてくれ」
シローは恥ずかしそうに顔を逸らせた。
彼にとって任務は絶対で、完了して当たり前なのだ。だからこそこんな風にお礼を言われることに慣れていない。
アスハはそんなシローの様子を見ておかしそうに笑い、怪我をした足を庇いながら立ち上がった。
読んでくれてありがとうございます!
すいません昨日は所用の為更新できませんでした。
今からカタンやってきます