第十八話 アスハ
街は混乱に包まれていた。
至るところでエルフは怯えたように走り回り、家に到着した彼らは即座にドアを閉め、息を潜める。
シローも取り敢えず迎賓館へ向けて走ってはいるが、ごった返すエルフの波に押され、思うように進めていなかった。
「ミギーナ地区で別の眷属が出たらしい!」
「クラッソでも出たって聞いたわ!」
嘘か真かわからない罵声が飛び交っている。時折武装した兵士らしき集団がその人混みをかき分けて進んでいくのが目に入る。
「……くそっ。前に進めないな」
「……こわいの」
人通りが最も多い地域を選んでしまっているのは彼のミスだが、路地に入ってしまうと迷子になってしまう可能性もある。都市計画を見直してこの人が密集する町造りをやめるべきだとシローは思ったが、そんなことを口にしている余裕はない。
「まぁ! アンタ、アスハと一緒にいた人間の子じゃないの!」
シローが人混みに翻弄されていると、彼を見たあるエルフが声をかけてきた。シローは声の方を見ると、昨日アスハに連れられていった飲み屋のマスターが口元に手を当てながらこちらへと近づいてきた。
「こんなところで何をしてるの? 危ないわよぉ?」
「『眷族』とやらに襲われた。今から迎賓館に逃げる予定だ」
「迎賓館……? あぁ。いや、でもあそこ周辺でも眷属が出たって話らしいわよ?」
「……なんだと」
その中性的なマスターは心配そうに言った。
シローはその答えに落胆を隠せないようだが、それをなるべく見せないようにしながら口を開く。
「俺はどうすればいい? どこに行けばいい?」
「……私に言われてもねぇ。……しょーがないわね。アスハに恩を売っときますか。着いてきなさい」
「……?」
マスターはシローの腕を掴み、人混みをかき分けるように進んでいく。彼はその手腕に驚きながらも、されるがままにして着いていったのだった。
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そして彼らが到着したのは昨日アスハと飲んでいたその居酒屋だった。流石に人は一人もおらず、店に入った瞬間マスターはドアの鍵を閉め、少し安心したように息を吐いた。
「ふぅ。取り敢えずこれで大丈夫よ」
「すまない。感謝する」
「いえいえ、お礼はアスハに言いなさいな。ところでそちらの可愛らしいお嬢さんは?」
もちろんサンゴもその場にはいるわけだが、彼女は恥ずかしそうにシローの後で隠れてしまっている。
自分の所属もロクに名乗れないのか、とシローは内心呆れていたが、彼は代わりに口を開いた。
「こいつは連合のクローンだ。今はキャスリン・アーデに使えているらしい。キャスリンにはサンゴと呼ばれている」
「くろーん? ……まぁどうでもいいわ。サンゴちゃんね、よろしく。私はマスターでいいわよぉ」
と、言いつつマスターはウインクをした。シローより高い身長から繰り出されるウインクはサンゴを怯えさせ、よりいっそうシローの後ろに隠れてしまった。
「あらあら。嫌われちゃったかしら」
「……こいつはどうでもいい。それよりなんだあの『眷族』というのは?」
「……貴方も存在は知っているでしょう?」
『眷族』。吸血鬼イスラに血を吸われた生き物だ。話には聞いていたが、まさかこんなに早く出会うことになるとは彼は夢にも思わなかった。PASを着ていれば苦戦することはないだろうが、生身の彼ではとても勝てる相手ではない。
そしてマスターは小さく肩を竦めながら口を開く。
「あれは元々はエルフだったものよ。イスラ様に吸血され、そして恐らく解き放たれた」
「解き放たれた?」
「……えぇ。イスラ様は定期的に眷族を開放させるのよ。つまりイスラ様の支配から解き放たれ、自由に行動する状態。……そして開放された眷族は本能的に血を求めて故郷に帰ってくるの」
「……ということはあのエルフを知ってるのか?」
「知ってる人もいるでしょうね」
辛そうにマスターは言った。シローはグラナダがその眷族に対して名前を言っていたことを思い出す。
「そうか。だからグラナダは名前を知って……。そのエルフはもう元には戻せないのか?」
「無理ね。もうエルフとしては死んでいるもの。殺してあげることが最良。いや、それしかできないわ」
「……なるほど。ある種の洗脳といった所か。軍事転用すれば強力な兵器になりそうだ」
シローは難しい顔で頷きながら言った。もっとも、クローンによる代理戦争が主となっているシロー達の世界では、あまりその戦術は役にはたたないだろうが。
「……兵器、ね。悲しい感想だこと」
「……? どういうことだ?」
「いや、いいわ」
マスターは少し悲しそうにため息をついたが、そんな風にする意味がシローにはわからなかった。エルフ達にとっては眷族は友人であり故人なのだ。兵器呼ばわりはこの上なく失礼なのだが、兵器と呼ばれることに慣れ親しんでいるシローにはそれがわからない。
「何人の眷族が入り込んでいるかは知らないけど、取り敢えず家の中にいると安全よ。彼らはわざわざドアを開けてまで入ってこないし、そこまでには衛兵達が倒してくれるわ」
と、言いながらマスターはそこらに置いてあった椅子に腰掛けた。その時、シローは彼の手が不安そうに小刻みに震えているのに気がついた。
「なぜ震えている。怖いのか? ここは安全ではないのか?」
「……少し前まで隣人だった人が、少し前まで友人だった人が、血を求めて襲ってくるのよ? 怖くないわけないわ。想像してご覧なさいな」
「……よくわからない。例え隣人だろうが襲ってくる時点で敵だ。殺さなければ殺される。そこに恐怖や戸惑いなど生まれるはずもない」
シローの隣人と言えば同じ顔をしたクローンだ。例えそいつらを殺したところでシローは何も感じないだろう。前提が全く異なる二人の議論が噛み合うはずもなく、マスターは小さくため息をついた。
「あなたが育ってきた環境を哀れに思うわ。死んだ友が襲ってくることほど悲しいことはないもの」
「……」
シローにはわからない。わからないことだらけだ。そもそも誰かが死んだところで悲しむという精神を持ち合わせていないのだから、マスターの言うことが理解できようはずもない。
だが彼は分からないなりに必死に考えてみることにした。
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「……? 何か聞こえないかしら?」
他愛もない雑談に花を咲かせきり、と言っても殆どがマスターの質問だったが、無言が彼等を支配しつつあると、マスターが何かを聞き付けたようで、席を立った。
そして彼はドアへと歩いていくと、小さく備え付けられた覗き窓に手をかける。そしてゆっくりとそれを開けると、目だけをそこから覗かせて辺りの様子を伺う。
すると遠くから微かに誰かが叫ぶ声が届いてきた。
その声を聞いた瞬間、シローの後ろで縮こまっていたサンゴは突然顔を上げ、そして呟くように口を開いた。
「……キャス。キャスの声がするの」
そして椅子から立ち上がったと思うと、彼女は慌てたようにドアへと近付いていき、マスターを押し退けるようにして外へ出ていった。
「ちょ、ちょっとまだ危ないわよ?」
「……キャス!」
シローはサンゴのことなどどうでもよさげだったが、外の様子が気になるのか彼も腰をあげてドアへと向かう。そして家から顔を出すと何の気なしに声の聞こえた方向へと視線を走らせた。
するとキャスリンらしき人影がこちらに走ってきているのが見えた。
キャスリンは街中に相応しくない速度で全力で走っていた。美しかった白色軽鎧は泥で汚れ、体の至るところに枝葉で切ったであろう傷が見られた。
恐らく山の中を走ってきたのだろう。その顔は泥で汚れ、以前見られた光沢に富んだ金髪も色褪せたように見える。
「だれかっ! だれか助けてください!!」
と、キャスリンは息を乱しながら言う。
シローはキャスリンが何かに追われているのかと目を凝らして辺りを見てみたが、そんな様子は見られない。だが彼女の表情は緊迫を要するそれで、シローとマスターに不安を抱かせた。
「キャス! 会いたかったの!」
「サンゴ? どうしてここに?」
そして走るキャスリンを止めるかのように、サンゴがキャスリンに抱き付いた。突然抱き締められたキャスリンは驚いたように足を止め、切れた息を整えながらサンゴの顔をマジマジと見た。
「……ねぇサンゴ。グラナダさんを見なかった!?」
「……グラ……ナダ?」
キャスリンはサンゴの肩を掴み、焦ったように言った。たが当のサンゴは心当たりがないようで首を傾げている。
実際はサンゴはグラナダと先程遭遇していたが、そもそも人を覚えるのが苦手な彼女は、グラナダという人物を把握していなかった。
だがサンゴは何としてもキャスリンの役に立ちたいのか、困ったようにシローの方を見た。それにつられてキャスリンも視線をシローへと走らせる。
そしてキャスリンはシローの姿を見たと思うと、一気に表情を明るくしながら彼のもとに駆け寄ってきた。
「シロー! シロー!? ……良かった。助けてください!」
「……?」
切羽詰まったその口振りに、思わずシローは一歩引いてしまった。が、キャスリンはそれを気にした様子もなく、いや、気にしている余裕もなく、彼に詰め寄っていく。そして焦ったようにシローへと頭を下げる。
「シロー! アスハを助けてください! お願いします!」
「……は?」
キャスリンはそう懇願した。が、シローはいきなりのお願いに戸惑っている。
「いきなり何を言っている」
「見晴台で眷族が四人も来て……アスハは私を逃がしてくれました。でも、あの子は今も戦ってます……! お願い! 流石にアスハでも眷族が四体なんて相手にできません! このままじゃあの子は……!」
「……? 落ち着け」
必死になって何かを伝えようとしているが、情報が断片的過ぎてシローには伝わっていない。彼は困ったようにキャスリンを見詰めていた。
キャスリンは息を深く吸い、気持ちを落ち着けるようにゆっくりと息を吐いた。そして再び言葉を紡ぐ。
「アスハが今、見晴台というところで眷属に襲われています。シローの力で助けて貰えませんか?」
マスターは今の情報に驚いているが、加えてキャスリンがその救助を人間のシローに頼んでいることに戸惑いを隠せないようで、信じられないものを見るかのようにキャスリンを見つめている。
そしてキャスリンに懇願されたシローは少し考えるように視線を泳がせた。
今、彼の脳内では昨日のアスハの姿が鮮明に写し出されていく。偏見なくシローに接してくれて、そして様々な表情を見せるアスハの姿が浮かんでは消えていった。
だが、しばらく考えた後シローはその首を横に振った。
「すまない。できない」
「……!? ど、どうしてですか!? アスハですよ? あのアスハですよ!?」
「私怨で現地紛争に参加することはできない。これはエルフと眷族との問題だ」
「ま、またそれですか……。これは紛争などではありません! 一方的な蹂躙と補食の場です!」
「だとしてもだ。それにエルフは俺達の介入を快く思わないことは明白だ。ここでの政治的なしがらみはなるべく帝国軍として残したくない」
淡い希望を他でもないシローに断ち切られ、絶望の表情を浮かべるキャスリン。
彼女は忘れているが、シローは敵でも味方でもないのだ。帝国の利益にならないことはしないし、義理人情なんてものはクローンが抱いているはずもない。
「キャスリン。その話が本当なら急いでグラナダの所へ行くべきよ。彼なら恐らく兵舎にいるわ。場所はわかるわね?」
「……っ! でも、シローの方が……」
「貴女は混乱してるのよ。人間が眷族をどうこうできるはずがないわ」
「違うんです! シローはできるんですよ!」
「……そうね。でも断られた以上、ここにいるより兵舎のグラナダを頼った方が賢明よ。急ぎなさいな」
「で、でも……。わかりました。でもマスター、シローを兵舎まで連れてきてください! お願いします。それがアスハを助けるためには一番なんです」
必死にキャスリンに懇願され、 マスターは頷きながらキャスリンを兵舎へと向かうように促した。彼女は名残惜しそうにシローを見つめながら、マスターの家を後にして兵舎へと走っていく。サンゴもキャスリンに続いて走り出す。
「……アスハが」
「……?」
「いや、アスハは大丈夫よ。あの子は強い子だもの……」
キャスリンが去った後、マスターは隠していた不安が溢れでるかのように手を口元に当て、視線を泳がせていた。
読んでくれてありがとうございます。
実はこの土日旅行に行っていて更新できませんでした。
コロナ? 納豆毎日食べてるんで大丈夫ですよ!




