第十六話 エルフの森の調査
翌日。彼は微かに響く頭痛を振り払うように頭を振りながらがら、木でできたベッドの上で目を覚ました。
横にはキャスリンが心配そうにシローを見つめていて、彼が目覚めたのを見ると嬉しそうな笑顔を漏らす。
「シロー! よかった……。大丈夫ですか?」
「う、あぁ。ここはどこだ?」
「エルフの迎賓館です。一体何があったんですか? あなたが近くでふらふらと歩いていたのが見つかったそうですが……」
シローは頭を振りながら昨日の記憶を呼び起こす。
彼はその後、シローを探しに来た衛兵に発見され、この迎賓館に運び込まれていた。少し酔っていたことや、度重なる疲労により彼は倒れこむように眠り、ここまで運び込まれてきたのだ。
「グラナダというエルフに襲われた。意味がわからなかった」
「……グラナダさんですか? あの人はほんとに全く! 人間に対して偏見を持ちすぎなんですよ!」
「……」
と、グラナダの名前を聞くとキャスはほっぺを膨らませながら怒ったように言う。
「最近眷族がこの辺りを彷徨いてるらしくて、それの影響もあって少しピリピリしてるんでしょうね」
「……眷族? 確か……吸血鬼、とやらに血を吸われた者、だったか」
「……知ってるんですか?」
「あぁ。アスハに聞いた。お前の境遇も」
「……そうですか」
キャスはシローからそう聞くと、ほんの少しだけ悲しそうな表情をした。が、人の機微に鈍感なシローはその些細な変化に気付くことはできない。彼はゆっくりと体を起こしながら、少し頭痛が残る頭を覚醒させていく。
だがキャスは少し戸惑ったように視線を泳がせ、そしておずおずとシローに尋ねる。
「……どう思いましたか?」
「何がだ?」
「その、私についてです。私は供物で生贄です。だから、その……」
キャスは目を伏せながら少し辛そうに言った。
だがシローは彼女のその辛そうにする意味がわかっていなかった。彼は深く考えることもなく言葉を紡ぐ。
「……『吸血』という文化には少々驚きはしたが、それについてとやかく言う筋合いは俺にはない。従ってお前に対して何か思うこともない」
「そう……ですか」
そのキャスの様子に疑問符を隠せないシローだったが、シローの境遇もあながちキャスと離れたものではなかった。
シローは、いや、アンドレア・クローン『A-4685』は死ぬために生まれてきた命だ。帝国の為に生まれ、帝国の為に死ぬことでその存在している意義を獲得する。
だからこそキャスの境遇に驚きこそするものの、疑問を抱くことはないのだ。
そしてベッドから起き上がろうと腕に力を込めた瞬間、部屋のドアが大きな音を立てて開き、外から見知った顔になりつつあるアスハが飛び込んできた。
「やっほー! 史上最強美人かわいいのアスハちゃんが到着よー! シロー君は元気かしらー?」
革でできた軽鎧を身に付けた自称最強の兵士が笑顔を浮かべながらやかましくシローに近付いていく。太股から下を露出した短いズボンからスラリと伸びた白い足は、付近の男エルフの視線を集めていたが、シローはそこに目もくれることなくアスハの目を見つめる。
「……何の用だ」
「アスハー。こんにちは」
「やっほーキャス! 何ってアンタの様子を見に来たのよ。大丈夫?」
「大丈夫だ」
アスハは体を起こしたシローの元へと近付いて来ると、彼の頭をポンポンと叩いた。シローは嫌そうに顔をしかめ、その手を振り払う。
すると彼女は申し訳なさそうに下を向き、小さく息を吐いた。
「えっと、その、昨日はごめんね? その後いろいろ大変だったみたいで」
「……お前が謝る必要はない」
「でも……」
「それよりもお前がまた俺の前にいることの方が問題だ。この光景を見るとまたあのグラナダというエルフの怒りを買うだろう。できれば現地人との信頼関係を失うことは避けたい」
「……どういうこと?」
シローとしては遠回しに出ていってくれ、と頼んだつもりではあったが、等のアスハは理解していないようで困ったように首をかしげている。
だが敏感に何かを察知したキャスリンは突然何かを思い出したかのように手を叩く。
「あー! アスハ、久しぶりに『見晴台』に行きませんか?」
「あそこに? どうして?」
「昔よく遊んだじゃないですか。久しぶりに見てみたいのです」
「……別にいいけど」
「決定です! じゃあ行きましょう!」
「え、今から? ちょ、ちょっと待って……」
と言いつつアスハはキャスリンに腕を引っ張られ、ズルズルと引きずられていく。そして嵐のようにやってきたアスハはキャスリンに嵐のように連れ去られていった。
一人部屋に残されるシローだが、彼の現状任務は『待機』だ。彼はその職業柄待機することは往々にしてあったことだが、今回ほど心の落ち着かない待機は未だかつて経験したことがなかった。
彼はしばらくその場で何もせず座っていたが、やがていたたまれなくなったのか体を起こしてその場で筋肉トレーニングを始めた。ここのところ習慣となっていた筋トレが当然できていなかったので、自分の自慢の筋肉が弱くなっているような気がしているのだ。
そしてしばらく自重による筋トレを行っていた彼だったがインターバルの時間に入ると同時に、おもむろに首すじに備えつけられているPAS駆動用のデバイスに右手を伸ばした。
「……こちらA-4685。トゥーマイ、応答せよ」
『A-4685より通信を受信。要件は』
「現状報告だ。こちらはここの神樹……いや、代表に情報提供の約束を取り付けた。だが2日ほど待てと言われた。だがその間この世界の情報を少し収集した」
『了解』
トゥーマイに木が脳内に直接語りかけてきた、と言っても機械に通じるはずがない。だからシローはあえて言葉を変え、重要な事柄のみを伝えることにした。
「そっちは何かあったか?」
『何もない。エルフの兵士が当機を見張ってはいるが、既に飽き始めているのかほとんどこちらを見ていない。また定期的に外来生物がその森に浸入しているが、上手く撃退、撃破しているようだ』
「……なるほど」
『ただしエルフの同族と思われる種族が、衛兵達と接触することなく卿のいる地点に向けて浸入している。密入国の気配があった、留意されたし』
「……ここの索敵網も大したことがないな」
『否定する。あの『精霊』という生物を使い、外敵をほぼ100%察知している。確かに脆弱性はあるが外敵を察知するには最適とも言えるシステムだ。あの生物を捕らえ、帝国に持ち帰れば大きな軍事転用が可能と推測する』
「そんなことをすればアスハに殺されそうだがな」
『もちろん交渉は必要である。あの生物の代わりにこちらの何かを差し出せば……』
「いや、いい。他に報告はあるか?」
『ない』
「なら切る。待機しておけ」
『任務受任』
えらく精霊に感動した様子のトゥーマイだが、彼の提案を実行するのは不可能に近いだろうと彼は思った。エルフの様子を見る限り、彼らも精霊を管理している様子はないし、もし精霊を捕らえたとしてもどのように飼育するのかわからない。何にしても今のシローが考える問題ではない。
その時、彼の目の前のドアをコンコンと叩く音が聞こえたと思うと、シローの返事を待つことなくドアがゆっくりと開いた。
その先からおずおずと顔を出したのは連合軍クローン、サンゴだった。
「なんだ」
「……キャスはどこに行ったの? どこを探してもいないの」
「知らない。さっきアスハと共にどこかへと出掛けていった」
「そんな……」
サンゴは絶望の表情でドアにもたれかかった。シローからすればなぜサンゴがなぜそこまでキャスリンに固執するのかわからなかった。
「用はそれだけか?」
「違うの。朝、皆が作ったごはんがあるから、起きたら食べるように伝えてって言われてたの」
「俺にか?」
「うん」
「……わかった。どこに行けばいい?」
「……着いてきて」
シローはお腹に手を当て、確かに少しおなかがすいているのを感じた。
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様々な味付けが施された料理に舌をならし、これこそ真の贅沢品だと唸ったシローだが、そんな食事も終え彼はエルフの街中に出ることにしていた。
道行くエルフにいい顔はされないが、別に外出を禁止されたわけではない。彼はここの生活の情報を集めようと考えていた。
が、彼にとってある問題が付きまとっていた。
「なぜ着いてくる」
「一人はやなの。本当はキャスがいいけど、いないし、仕方ないの。我慢する」
「何を言っているんだお前は……」
サンゴはキャスリンに着せ変えられたのか、すっかりこの世界に馴染んだ格好をしていた。短めの茶色のスカートに肩を出した肌着を着ており、露出した肌を隠すように上からスカーフをかけている。
それに対してシローは筋肉が浮き出るような黒いバトルスーツを着ている。上からキャスリンに貰った青いローブを羽織っているためそこまで目立たないが、今となってはサンゴよりシローの方が怪しい出立ちとなっていた。
「……着いていったらだめなの?」
「……どうでもいい。好きにしろ」
悲しそうな表情をするサンゴだったが、シローは気にした様子もなく歩き始めた。するとサンゴは嬉しそうにシローの後に続き、彼と共に歩き始める。
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「ふむ。農業は行っているのか」
彼らは街の外れたところにある農業地帯に足を運んでいた。エルフ達は比較的樹木が少ないところに畑を作り、そこで作物を栽培しているようだ。たかどうしても日光の照射量を確保できないためか、要所に光る木の実のようなものを配置し、その光をもって光量を確保しているようだった。
「……こんなこと調べて何になるの?」
「この地の文明を調べることは重要だ。文化や生活様式を知ることで、この世界全体の文明レベルについてある程度の推測をすることができる」
「ふーん」
聞きはしたものの、サンゴはシローの話には興味がなさそうにキョロキョロと辺りを見渡している。
シローもこうは言っているものの、真の理由は好奇心だ。彼自身、これまで生活していた所とはどう違うのかをその目で見てみたかったのだ。
農地には農具の他に地を耕すための家畜が飼われていた。もちろんシローの知っている動物とはかけ離れていたが、水牛に近いその魔物は、強固に組まれた柵の中で餌を食んでいた。
ただシローの想像と違っていたのは思っていた以上に魔法は農業の発展に寄与していないという所だ。クワのような農具は見るものの、用途の全く分からない農具、つまり魔法具に当たりそうな設備はほとんど見られなかった。
結局農業は植物が育つことを待つことが最も大切で、意外と魔法は入り込む余地がないのかもしれないな、とシローは勝手にそう結論付けた。
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次に彼らが足を運んだのは、エルフの街の中心街だ。ここはそれなりに広さのある商店街のような位置付けになっていて、エルフの商売人が元気よく鬨の声をあげている。
シローが辺りを見渡すと、街のあちこちに武器を構えた兵士達が仁王立ちで辺りを警戒しているのが目に入ってきた。エルフの森の軍部は外敵の為の軍事力だけではなく、街の治安維持管理も一括して行っているらしい。
また、定期的に街に荷馬車が到着しているらしく、その他の街との街道を護衛する際にも兵士の力は借りられているようだ。
シローは店先に並べられた商品を眺めながら、考え込むように口を開く。
「大量生産品のようなものは見受けられない……か。産業革命はまだ起きていないようだな」
「……産業革命?」
「なぜお前が知らないんだ。連合は教育をしてくれなかったのか?」
「わからないの。してくれたかも知れないし、してないかもしれない。忘れちゃった」
「なんだそれは……」
むしろシローのように教育されたことを完璧に覚え、理解しているほうがクローン全体で見ると稀有な例なのだ。たが真面目な彼はそれに気が付かない。
連合、帝国問わずにクローンは学習が苦手な傾向にあるのだから。
そして彼は商品をやり取りしているエルフ達を眺め、その手でやり取りされているお金に目をやった。それは手のひらより少し小さいくらいの硬貨で、様々な色の金属が彼らの手で交換されていた。
「金貨、銀貨……か? あの貨幣の価値の出所はどこだろうか」
「……?」
本来、『貨幣』というものは政府が保証することでその価値を産み出している。エルフの行政機関がその保証を行っている可能性は高いが、彼はまだ行政機関という行政機関を彼は確認していないため、その硬貨の価値がどこから産み出されているのか彼は気になった。
「なんだてめぇ……」
「いや、何でもない。すまない」
「ちっ。臆病な人間が……。目障りなんだよ消えろ」
流石に難しい顔で他人の持っているお金を眺めていたことに反感を覚えたのか、買い物を行っていた一人のエルフがシローの方へと近寄ってくる。が、シローはそそくさと謝罪し、踵を返してその場から離れていく。
だが移動した先でも状況は同じだった。軽蔑の視線を向けられ、ことあるごとに侮蔑の言葉を投げ掛けられる。やはり『エルフの里』では潜在的に『人間』は嫌われ、差別の対象であるのだということを彼は学んだ。
きっとアスハのようなエルフは少数派なのだろうな、とシローは思った。
そして街中を調査するシローに道行く人々は嫌そうな顔を向けられつつも、繁華街から離れた彼らは、街の隅で疲れたようにため息をついた。サンゴは不思議そうな顔をしながらシローに尋ねる。
「何で皆、あんなこと言うの?」
「……人間とエルフの間に歴史的な軋轢があるらしい」
「私たちは人間じゃないのに?」
「……あぁ。重ねて言うなら遥かに昔の話で、現在エルフに対して何か影響があるわけでも無さそうだ。俺たちにはわからない精神的な理由だろう」
「ふーん……。難しいの」
サンゴは首を傾げるが、あまり理解した様子もなく、ぐーっと体を伸ばした。そしてシローのローブを掴み、疲れたように言う。
「もう帰ろう? 疲れたの」
「……知るか。お前一人で帰れ。俺はまだ見たい所が……」
冷たくあしらおうとしたシローだったが、急に言葉を止め、鋭い眼光をサンゴに対して向ける。
サンゴは突然のシローに戸惑いを隠せないようだったが、それが彼女に向けた視線でないと悟ると、シローの視線の先を見るために振り返った。
複数人のエルフがシロー達に向かって歩いてきていた。
彼らは手に小さなメイスのような武器を持ち、見下すような視線をシローとサンゴに向けている。サンゴはその様子を見て怯えたようにシローの後ろに下がる。
どう見ても友好的ではないエルフ達が近付いて来る中、シローは必死に打開策を探していた。
そこは人気のない路地裏で、もう少し行くと街から出て森に入りそうな位置だった。走って逃げようにも、今来た道は複数人のエルフが立ち塞がっている。
シローは目を合わさないように横を通りすぎようと思ったが、その一行はシロー達の前に広がり、静かに睨み付けてくる。
「……何の用だ」
シローは一番先頭に立つ目付きの悪いエルフに対して言った。そのエルフは彼を睨み付けながら、吐き出すように口を開く。
「何の用だ、だと? それはこっちのセリフだ。人間がこの街に何しに来た?」
本当はエルフの森の設定をもっと盛り込みたかったんですが、長くなりそうだったので断念しました。
個人的な意見ですがファンタジー世界の通貨の設定って凄い気になります。設定次第では敵を倒すと手に入ったりする作品もありますからね。通貨の価値が崩壊してインフレを起こすだろうそれじゃ。とツッコミたくなるのを堪えながら読んでます笑
読んでくれてありがとうございます。