第十五話 居酒屋『ハテナ』
「は? あたしの酒が飲めないっての?」
「いや待て! ここはどこだ!」
『神樹の間』を後にしたアスハとシローだが、そのまま宿らしき所に行くと思ったら繁華街から少し離れた所にある居酒屋に連れられていた。
そこは町外れにある巨木の幹をくり貫いて作った店で、アスハとシローはその中でも高い位置に案内され、そこはエルフの街並みが一望できるスペースだった。
「私の行きつけの飲み屋さんよ。あんたみたいな人間を連れてくるにはうってつけの寂れた店よ」
「おーいマスター! こいつこの店を寂れてるっていっとるぞ!」
「うっさいわよカール!」
「がははははは!」
別の席に座る、外見的には中年を少し越えたくらいの男が豪快に笑った。無論シローは『居酒屋』になんて来たことがあるわけはないし、そもそもその存在も知らないに等しい。
「だ、だれだあいつは!?」
「ここの常連のカールよ。飲んだくれてるのはいつものことだから気にしないで」
シローはキョロキョロと回りを見渡すことがやめられない。無機質な部屋、無機質な食事、無機質な隣人しか知らないシローにとってはこの空間は不思議空間意外の何者でもないのだ。
そしてそんなシローを見ながら、微笑みを浮かべた長い銀髪が特徴的なマスターが、彼らが座る席に近付いてくる。紳士な雰囲気を漂わせる彼は、バーテンダーを思い起こさせる黒い服を着ている。
「さて、変なお二人さん。ようこそハテナへ。注文は何にします?」
「待ってマスター。変なのはこいつだけよ。あたしじゃないわ」
「まて。俺は変ではない! 帝国軍では模範的なアンドレア・クローンとして……」
「あーはいはい。もうそのおとぎ話はいいっての。マスター、いつもの2つお願いね」
「くくくくく。人間なんて連れて飲み屋にくるアスハは十分変よ。了解。いつもの2つね」
べーっと舌を出しながら、アスハはマスターを見送った。
今の彼女はずっと装着していた剣槍を装備しておらず、軽鎧も脱いでそこらにいる町娘と同じような格好をしている。
長いまつ毛と一つに束ねた流れるような銀髪はくり貫かれた窓から差す月明かりを反射して輝いているように見えた。
「はいよ。いつもの2つね」
「おー。きたきたぁ」
「な、なんだこの飲み物は……?」
木で作られた大きめのジョッキに並々注がれたその液体は、アスハにとっては至福の飲み物だが、シローにとっては得たいの知れないものに過ぎない。彼は泡立つそれを不思議そうに見つめながら、どうしたものかと思案に明け暮れていた。
「ほら、乾杯するわよ」
「か、かんぱい? なんだそれは」
「何だ、って……。いいから持ちなさい。ほら。かんぱーい」
「……??」
アスハに言われるがままに彼は手にもつそれをアスハの物とぶつけた。アスハはその後一気にグラスを傾け、中の液体を美味しそうに飲んでいるが、当のシローは困ったようにアスハを見つめていた。
「……ぷはー! やっぱこれよこれ! どう? なかなかいい飲みっぷりでしょ……ってあれ? 何してるの?」
「そっちこそ何をしている。何だこの液体は」
「何だ……って。え?」
「……?」
時が止まったように見つめあう二人。
アスハはまだシローの言うことは全て冗談だと思っているのだ。彼の行為を、ましてや手に持っている物を不思議そうに見つめている彼の様子を見て、やっとアスハはシローに対して疑念を抱いたのだった。
「あんた……何者? 本当にキャスの護衛なの?」
「何度言わせればわかる。俺は帝国軍のクローンだ。キャスリン・アーデとの護衛契約はここに着いた時点で解消されている。俺はここに情報を貰いに来た」
「……護衛を解消?? ……待って。言われてみればあなたからは魔力の流れを感じないわ。キャスはグランツスパイダーに襲われた、って言ってたけど。……あなた達グランツスパイダーからどうやって逃げたの?」
シローの返答を初めて真剣に聞いたアスハは、口の回りに白い泡を着けたまま、少し考え込むような表情を作る。
シローはやっと真剣に自分の話を聞いてくれる機会が来たと思い、気を少し引き締めて口を開く。
「あの群れていた変な蜘蛛のことか? それならキャスリンの仲間が囮になることで逃げていた。俺が手を出したのは角の生えた黒い巨馬が彼女に襲いかかった時だ。キャスリン以外は全滅していたため、手を出すしかなかった」
「……は? 黒い角の生えた馬? ユニコーンのこと?」
「名前は知らない」
「いやいや待ちなさい。一角獣を人間が相手にすることなんてできるわけがないわ。ましてや魔力を全く感じないあなたじゃ……」
疑心に満ちた視線を送るアスハだが、そのような視線を送るのも無理はない。一角獣を怒らせることは死に直結することなんて、それこそ子供でも知っている話だからだ。
「お前がどう思おうと、それは事実だ」
「にわかには信じられない話だけど……」
アスハは試すような視線をシローに真っ直ぐに送る。が、シローはそれを気にした様子もなく口を開く。
「なんだ」
「……なんでも。ま、いいわ。飲んでみなさいなそれ」
アスハはペロリと口の回りに着いた泡を舐めとりながら、もう一度ジョッキを口に運ぶ。シローはもちろん得体の知れない物を口に運ぶということに不安感はあったが、それ以上にその液体の味が気になると言う好奇心に負け、恐る恐る口にその飲み物を運んだのだった。
「……にがい」
ーーーーーーーーー
「だーっ。もう! あたしだって戦えるのよ!? なのになんでいつもいつもキャスから離されるのよ! いつもそうよ!」
「お、落ち着け……」
「は? 何よあんたあたしのお酒が飲めないっての?」
「いや、お前の1.5倍は飲んでいるんだが……」
「あー生意気ねー! 人間のくせに生意気ねー!」
アスハは酒に弱かった。
彼女は尖った耳の先まで真っ赤にして、口の回りに着いた泡を拭うこともなくシローをキッ、と睨み付けている。そしてまた無造作にジョッキを傾けたと思うと、大きくため息をついた。
「……キャスは私の親友よ。だから守りたいって思うことはいけないことなのかしら」
「……なんの話をしているんだお前は」
意外なことに、シローは酒が強かった。居酒屋に来てアスハはもちろんのこと、客のカールにまで絡まれてお酒を飲まされているが、少し顔を赤らめる程度で特に酔った様子もない。だから彼はアスハのこの子供のような雰囲気に戸惑ったように視線を泳がしているのだった。
「キャスが『供人』としてここを出るって聞いた瞬間。悲しかったけど、だからこそ護衛はあたしが絶対やる! って息巻いてたの。でも神樹様がダメだって言うから、私は仕方なく……」
「……まて。さっきから『供人』とはなんだ」
「もー。なんでそんなことも知らないのよ。『供人』は吸血鬼イスラ様に捧げられる人間の事よ」
「……は? 捧げられる?」
「……つまりは吸血されるってことよ」
「血を吸われるのか!? ……き、奇妙な文化だ。あ、いや、決してバカにしている訳ではないが……」
アスハから告げられた驚きの真実に彼は目を丸くした。帝国軍の教育の中で、様々な文化をもつ人間の事を教えられているため、その固有の文化を蔑むような行為は慎まなければならないことは彼は知っている。
だがアスハはそんなシローの様子に対して訝しげな視線を彼に向けた。
「文化ですって? そんなわけないでしょう……。この世界は力を持っているものが全てよ。だからあたし達はイスラ様の言葉に従っているだけ」
「……血を吸われたものはどうなるんだ?」
「……死ぬか、イスラ様の眷族として一生仕えるか、ね」
苦虫を噛み潰したような表情で、彼女は言った。そしてまるで取り繕うようにもう一度口を開く。
「あの子は17年前に人間から送られてきた『生贄』の女の子よ」
「送られてきた?」
「えぇ。イスラ様は純血の人間かつ魔力が溢れた地域で過ごした人間、すなわち『ハーフエルフ』の血が好みなの。だから五年に一度、複数の女の子が人間から送られてくる。今となっては人間とエルフの交流がそれだけってのも皮肉な話よ」
「……」
「……あたしはその頃親を亡くしたばかりでね。両親がいないという共通点があったあたしたちはすぐに親友になったのよ」
まるで遠い昔を思い出すかのように、アスハは差し込む月の光を眺めながら言った。
「……だからこそ、例え死に向かう道だとしても、あたしは護衛として最後まであの子の側にいたいの。あの子はあたしの親友だから」
「……」
辛そうな彼女の独白にシローは大きな衝撃を受けていた。
シローはクローンだ。その存在意義は『原種様』を守るためにある。と、そう信じてきた。だが、それは彼にとって『教えられて』きた概念だったのだ。
なぜ守るのか。なぜ戦うのか。その理由について考える機会はほとんどなかったし、そもそも考えるような教育はされていなかった。
だからこそ、アスハのように戦う理由を内部に宿している考え方に驚きを隠せないでいた。
「……でもダメ。いつもいつも神樹様や他のエルフはあたしをキャスから引き離すのよ」
「それはなぜなんだ?」
「……知らないわ。あたしが若いから。あたしがキャスを大好きだから。あたしが森の外に出たことがないから。理由は色々あるでしょうね」
突っ伏したように愚痴をこぼすアスハをシローは黙って見つめている。夜も更け、爛々と照らす月明かりがアスハを優しく照らしている。
「あたしには眷族討伐実績もある。そこらの兵士より絶対に強いのに。あたしは最強無敵なのに……」
「……」
「だから、あんたも手伝って……。あたしが、キャスの……。そばに……。くー」
彼女は机に突っ伏したままそう呟くように言うと、そのまま気持ち良さそうな寝息をたてて眠り始めた。
清々しい酔い潰れ方だが、シローにとっては突然眠る意味不明な行動に過ぎない。彼は寝息を立て始めたアスハを不思議そうに見つめている。
「お、おい。寝たのか? な、何を考えている……」
「くー。……くー」
少しシローはアスハの体を揺すってみたものの、起きる気配は全くない。だがこんなところで一人放置されると困るのはシロー自身だ。彼は困ったように辺りを見渡すと、やれやれとかぶりを振りながら、マスターがこちらへと歩いてきた。
「あー。また酔い潰れたのかいこの子は」
「……揺すっても起きない。俺はどうすればいい」
「そんなこと私に言われてもねぇ。取り敢えず運ぶしかないでしょう。あなた、この子を下まで運んでくれるかしら」
と呆れたように言うマスターだが、シローは素直に頷いた。そして彼はゆっくりと立ち上がり、アスハを両手で抱え込む要領で持ち上げた。
「お。なかなかやるわね。いい筋肉してるじゃない人間のくせに」
「こんなことは造作もない」
中性的なマスターは少し嬉しそうにシローを見てそう言った後、着いてこいと言わんばかりに店の外へと向かって先導する。アスハは首の座りが悪いのか、シローの胸元に完全に首を預けたまま気持ち良さそうな寝息を立てている。
そして彼はマスターに続くように店を後にしたのだった。
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月は美しくエルフの街全体を照らしていた。
シローはマスターに教えられた道をアスハをその腕に抱えたままゆっくりと歩いていた。少しずつ腕に乳酸が溜まってきていたが、気にした様子もなく彼女の顔を眺める。
端正な顔立ちだ。と、彼は思った。
透き通った肌に、切れ長の目。人とは異なる尖った耳や銀色の髪は月明かりを受けて優しく輝いている。アスハが寝息を立てる度に何か銀色の粒子が飛び出してくるかのような錯覚を覚える。
人間の美意識には疎いシローだったが、アスハは美しい。と感じていた。
「……おい。貴様……」
「?」
すると再び歩き始めたシローに対して後ろから図太い声が届いてくる。シローは何の気なしに声のした方向に対して振り返る。その視線の先には肩を怒らせた筋骨粒々のエルフ、グラナダがシローをキツく睨み付けていた
「貴様、アスハに何をした!! 返答によっては殺す!」
「……は?」
そう言った瞬間、グラナダは大きく筋肉を隆起させ、白い靄のようなものをその肉体に纏い始めた。そして腰を落とし、戦闘の姿勢に入る。
「お、俺はなにもしていない! こいつが勝手に……」
「勝手にアスハが倒れるはずがないだろう! 先ずはアスハを離せ!」
「な、何を言ってるんだお前は……。意味がわからない」
かなり理不尽な怒りに対して疑問符を禁じ得ないシローだったが、彼にグラナダの言葉に従わない理由はない。シローはゆっくりとアスハをその場に横たえると、敵意がないことを示すかのように両手を軽く上げた。
が、次の瞬間グラナダは強く地面を蹴ったと思うと、矢のようにシローの首を掴み、持ち上げた。
「がはっ……! や、やめろ! 何をする!」
「この人間無勢が……! いくら精霊や神樹様がお許しになったからと言って調子に乗りやがって……」
シローはその拘束を取り払おうと必死になってもがくが、完全に首を掴まれている彼は、いくら足掻いても振り払うことができない。
「お、お前は何に怒っている……? お、俺は何もしていない。その怒りの意味がわからない……」
「やかましい! 人間の分際で、歴史も知らない人間の分際で! 挙げ句の果てにはお前らのせいで、お前らのせいで俺の家族は……」
「か、家族……?」
「……ちっ!」
そこまで言うと、グラナダはシローを乱雑に地面に放り投げた。そして殺意の籠った視線を再びシローに向けた。
「俺は貴様らを許さない。俺達を見棄て、聖域に逃げた貴様らを許さない。あまり俺とアスハに近付くな。次に視界に入ったら殺されると思え」
吐き捨てるようにそう言うと、グラナダはすやすやと気持ち良さそうに眠るアスハを抱えあげ、エルフの街並みの中へと消えていった。
シローは嵐のように去っていった彼に対して疑問を抱えながら、アザが残る首もとをさすっていた。
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