第十二話 エルフの森
「シロー。ありがとうございます……」
「礼を言われる謂れはない。これが俺にできる最大限の譲歩だ」
シローが選んだ選択は敵のPAS『ルーシー』を破壊する、事だった。
彼には帝国軍とキャスリンを共に立てるためにはそれしか選択肢は残されていなかったのだ。連合軍の戦力を削ぎながら、現地住民との外交摩擦は回避する。そんな条件を達成するために彼は知恵を絞りだし、敵PAS『ルーシー』を破壊するという決定を下したのだった。
無論トゥーマイは不服そうではあるが、シローの決定に口を出す気はないらしく、黙って敵PASを破壊する事で手を打った。
「それで? サンゴは何をしたらいいの?」
そしてそうこうしているうちに日もすっかりと暮れ、彼らはキャスリンが起こした焚き火を囲いながら、今後の展望を話し合っていた。
「それはこれから私が教えていきます。まずは今日はゆっくりと休みましょう」
「……わかったの」
キャスリンはそう言いながら、食事の準備を始めていた。
シローはサンゴとは火を挟んで反対側に座り、彼は睨み付けるように彼女を見つめているが、それに気付いたサンゴは不思議そうに首をかしげる。
「どうしたの?」
「……いや、貴様、PASを破壊されたのに元気そうだな」
「あたし?」
「あぁ……。いや、どうでもいい」
PASを破壊されるなんて、シローからすれば存在意義を失うことと同義なのだ。だからこそサンゴがあまり気にした様子もなく平然としていることに違和感を覚えていた。
「うーん。あたしはあまり考えることが得意じゃないの。だからよくわからないの。でもキャスリンの狗になればいいのはわかるから、あたしはキャスリンの狗になるの」
「……なんだそれは」
キラキラと月明りをその白い瞳に反射させながら、サンゴは言った。無表情のように見えるが、シローにはその顔はとてもこれからの生活を楽しみにしているように感じた。
「……私の犬になる必要はないんですが……。ま、それはそれとして食事にしましょうか。明日にはエルフの森に入ります。二人とも、粗相のないようにしてくださいね」
「お前……キャスリン・アーデに言われなくても俺は帝国学を履修している。その中にマナーを学ぶ機会もあり、その成績は他のクローン達と比べて俺は優秀で……」
「キャスでいいですよ。はいはいわかりました。貴方初対面で私の胸を触ったくせによく言いますね?」
干し肉とパンをクローン達に渡しながらキャスリンは困ったように笑う。そして受け取った食料を不思議そうに眺めているのは他でもない新入りクローン、サンゴだった。彼女はスンスンと鼻を鳴らしながらその与えられた食料を嗅ぎ、掌の上で弄んだ後、困ったように口を開く。
「これは一体何なの? 武器?」
「武器ではありません。それは干し肉とパンです。予め言ってきますが、それは贅沢品ではありませんからね?」
「……ほしにく。ぱん。ぜいたくひん」
「ですから贅沢品ではないですって」
と、言いながらキャスリンは自分の食料をサンゴに見せるように食べ始めた。するとその瞬間、サンゴのお腹の音が大きな音を立てる。彼女は不思議そうにお腹を擦り、キャスリンの言葉を待っている。
「……それを食べるの?」
「えぇ。硬いのでよく噛んでくださいね?」
「わかったの」
と言いながらサンゴは大きく口を開き、手に持っていた干し肉を放り込んだ。勿論そんな簡単に飲み込めるはずもなく、数回咀嚼したあと困ったようにキャスリンを見つめてきた。
それはこれまで軍用食料レーションしか食べてこなかった故の習慣だろう。シローはその点いきなり口の中に頬張ることはしなかったのは、彼の性格によるものだろう。
そしてキャスリンは困ったようにため息をつき、シローの方をチラリと視線を送ると、シローはふんっ、と鼻を鳴らしながらそっぽを向いたのだった。
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早朝。
彼らは再び『エルフの森』へ向けて歩き始めていた。
晴れてキャスリンの召し使いとなったサンゴは、これまでキャスリンが背負っていた大きなバックパックを嬉しそうに背負い、自分がそれまでいた沼を左手に眺めながら、テクテクとキャスリンの後ろに続いている。
シローは少し後ろでサンゴの様子を見張っていたが、拍子抜けするほどの敵意のなさに逆に困惑していた。
「……トゥーマイ、何か奴に怪しい様子はあるか?」
『定期的に不自然に地面を踏みしめる、や、辺りを見渡す、といった不可解な行動は見受けられるが、危害を加える思惑は読み取れない』
「……そうか」
シローのクローンシリーズ、『アンドレイ・クローン』でも個体差による性格の違いはあったが、まさか他の種類のクローンと考え方がここまで違っているとはシローは夢にも思わなかった。あんなにも能天気に周囲を見渡し、この状況を素直に受け入れているという事実が彼には信じられなかった。
まぁ最も本人は気付いていないが、辺りを不思議そうに見渡すという行為ならシローも常に行っている。クローンにとっては自然が溢れるこの世界はやはり新鮮なのだ。
『追加報告。先程この付近で地球上に存在している昆虫を確認した』
「なに!?」
『生物学的な調査は当機のスペックでは行えないため、断定することはできないが、特徴が地球上の草食節足動物と一致。『グラスホッパー』の一種である』
「ぐらすほっぱー、か」
と、言いながら彼は頭をかいた。勿論グラスホッパー、すなわちバッタを直接見たことがあるわけではなかったが、そんなことよりもその生物が『アリス』に存在している、ということに頭がいっぱいだった。
「やはりここは地球なのか……?」
「現時点では不明。不確定要素が多すぎる」
地球に似た惑星、という可能性はまだ捨てきれていないが、結局の所謎は深まるばかりだった。
そしてそのまま歩くこと数時間。静けさが支配していた沼の迂回が終わり、一行は巨大な木が群生している『エルフの森』にたどり着いていた。
その木は基本的に枝葉自体が幹に少なく、森にしてはそれなりに奥地まで見渡すことができる。また、溢れでる木漏れ日がその背の高い木の上から森内部を照らし、幻想的な雰囲気を作り出していた。
「……到着です」
「うわー、こんなおっきな木、初めて見たの」
サンゴは目の前にそびえ立っている大木を不思議そうに眺めながら感心したようなため息をついた。
そもそもサンゴは自然に生えている木事態を見るのが初めてだ。
勿論シローも、その雄大ともいえる大木が立ち塞がってくる感覚になんとも言えない感動を覚えていたが、それをおくびに出した様子も見せずに口を開いた。
「キャスリン、これからどうするんだ?」
「まずは私から彼らに事情を話します。貴方達はなるべくエルフを刺激しないように、黙って立っていてください」
そこまで言うと彼女は足元を気にしながら歩いていき、一番手前にある大木の前に止まったと思うと、両手を広げながら大きく息を吸った。
「森の民よ! 私は供人、キャスリン・アーデ。『ヒーラン』からの移動中、魔物に襲われ命からがらここまで逃げてきました。可能なら助力をお願いしたく、参上した次第です」
そしてキャスリンは左の拳を握り、それを額に当てながら片膝をついた。その様子を後ろの二人は困ったように見つめている。
静かな森からは何の返答もない。通信技術に囲まれて暮らしていたシローとサンゴはこの行為の意味がわかっていないようで、二人はキャスリンの手元に受話器らしきものがないのか確認していた。
『警告、複数の二足歩行の生物が突然木の影に出現した。戦闘態勢をとるか?』
「いや、待て……。だが警戒は続けろ」
『任務受認』
と、トゥーマイは囁くように言ったもののシローには見渡してみてもどこに生物が出現したのか全く検討がついていなかった。目の前には優しいそよ風の音だけが聞こえる静かな森しかない。
そしてキャスリンは先程の姿勢を崩してゆっくりと立ち上がる。
すると次の瞬間、彼女の目の前には『人間』、いや、『エルフ』が立っていた。まるで初めからそこにいたかのように、そのエルフはキャスリンを見つめていた。
それは『凜とした兵士』という印象が漂っているエルフの女だった。伸ばした白髪を金の髪留めで一本にまとめ、その間から覗く耳は大きく尖っている。整った顔筋から試すような視線を、まっすぐにキャスリンに送っていた。
左手には身の丈ほどもある巨大な剣槍を地面につきながら、時折警戒したようにシロー達へと視線を送ることも忘れない。
厳しい視線を送られているキャスリンだったが、目の前に現れたエルフを見てみるみる顔を綻ばせていく。
「この最強無敵のアスハちゃんに頼りに来たのは正解ねキャスリン?」
「アスハ!!」
そして次の瞬間、キャスリンは突然目の前のエルフに抱き付いた。その行為の意味がわからないシローとサンゴはただただ困ったようにキャスリンを見つめている。
「会いたかったですよーアスハ」
「……あたしもよキャスリン。大丈夫?」
アスハと呼ばれたエルフの女兵士はキャスリンを引き剥がすと、傷を確認するかのように彼女の体を上から下に眺めていく。
そして特に目立った外傷がないことを確認すると、突然シロー達へと厳しい視線を向けた。それは武器こそは向けてはいないものの、その視線には明確な殺気が含まれている。
「それで? 貴方達は一体何者? このエルフの森に何の用かしら?」
「ま、待ってくださいアスハ! 彼らは私の護衛です!」
「……護衛? ならキャスリンは私達が引き取るわ。ご苦労様。帰っていいわよ?」
アスハは右手をひらひらと振り、シロー達へと森から出ていくような仕草を向ける。が、それを見て顔を青くしたのは他でもないキャスリンの方だった。彼女にはシローとの約束がある。それを反故にしてもしシローが怒りでもすればエルフの森に甚大な被害をもたらす可能性もあるのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 彼らは必要です!」
「この最強無敵のアスハちゃんがいるから護衛なんて要らないわ。それに見ず知らずの人間をこの森に入れるなんて……」
「そういう問題ではありませんよ。そ、そこは他でもないアスハの力でなんとかなりませんか? 彼らは必要な人材なのです」
と、キャスリンは困ったような表情でアスハを見つめる。その表情は初めてシローに会ったときに見せたそれと同じもので、シローは騙せなかったが目の前のアスハには効果はてきめんのようだった。
「え? あたし? うーん……」
「いいんですかっ!? ありがとうございます!」
「え? いや、まだいいとは言ってない……」
「おーい! シローとサンゴ! アスハの許可を貰いました! こちらに来てください!」
「いや、ちょっ! 待って!」
呼ばれたシローとサンゴはキャスリンへと近づいていき、その後ろからトゥーマイが続く。トゥーマイは白いオーラを微かに纏っており、いつでもシローの合図で戦闘が可能な状態となっている。
そしてクローン達はアスハの目の前に立つとお互い不思議そうな目で相手の出で立ちを確認する。シローはキャスリンに貰った青いローブを羽織っているため、そこまで見た目に大きな違和感はないが、問題はサンゴの方だ。彼女は体のラインにピッタリと貼り付くPAS駆動用の赤いバトルスーツにその身を包んでいるのだ。アスハからすれば怪しいことこの上ない。
「紹介しますね。こちらは『最強無敵のアスハちゃん』。こっちは護衛のシローとサンゴ」
と、キャスリンは冗談混じりの紹介をシローとサンゴにしたが、シローとサンゴは警戒した視線を解くことはしない。
「俺は帝国軍所属のPAS駆動者、A-4685だ。この星の座標情報を貰いたい、最強無敵のアスハちゃん」
「あたしは連合軍PAS駆動者、FGT-3587……あ、いや、キャスリンの狗のサンゴなの。よろしくお願いします。最強無敵のアスハちゃん」
サンゴはペコリと頭を下げたが、キャスリンは頭を抱えていた。この二人に冗談の類が通じると思った自分がバカだった。
そんな彼らの様子を見てアスハは困惑したように口を開く。
「や、まぁ、何を言ってるのかほとんどわかんないけど、まぁいいわ。私はアスハ・ユリハ。境界警備隊第一部隊副隊長よ」
と、アスハは二人の出で立ちに身を奪われながら自己紹介を終えた。だが不審気な表情を崩すことなく言葉を続ける。
「……キャスは私の親友よ。それに私達にはこの子を確保する義務もある。だから私はこの子がこの森に立ち入ることを許すけれど、ただの人間のあなた達はここに入ることは許されないわ。申し訳ないけど、立ち去ってくれるかしら」
アスハは凜とした視線をシローとサンゴに向ける。断固として意思を変える気がないという思いがその言葉には見え隠れしていた。
だがシローははいそうですかと撤退するわけにはいかない。聞かなければならないことが山のようにあるのだから。
「それは困る。俺はあなたたちにこの惑星の情報を貰いに来た。情報開示を要求する」
「そんなこと知ったこっちゃないわ」
シローとアスハの視線がまるで睨み合うかのように交錯する。
もちろんその光景に内心怯えていたのはキャスリンで、彼女はどうやってアスハを説得したものかと頭を抱えていた。
「そこを何とかなりませんか?」
「いくらキャスリンの頼みでもそれは……無理ね」
アスハは申し訳なさそうに首を振った。
実際特別な理由もなしに人間を招き入れたと同族に知られたら、何をされるか分かったものではない。この神聖な場所に他の人間を入れることなど本来到底許される事ではないのだ。
少し緊迫した空気がシローとアスハの間に流れる。
もちろんシローとしては現地生命体と衝突したくはない。が、彼はキャスリンと『契約』を結んでいる。それが履行されないのならば、こちらも対応を考える必要があると思っていた。
「これはキャスリン・アーデとの契約だ。こちらに敵対する意思はない。速やかに情報の開示を……」
「だから何度も言っても……」
口論になりかける寸前、光の粉のようなものが彼らの目の前にヒラヒラと落ちてきた。彼らは思わずそれに目を奪われ、会話を中断してしまう。
木漏れ日を受けて光るそれは神秘的に光っていて、見るものを幻想的な気分にさせる。
「ねー。あなたはだれー? わたしとあそんでくれる?」
「なっ……!?」
そして次の瞬間、羽の生えたとても小さな『人間』のような生き物がシローの前に現れた。それは手の平程度の大きさしかない生き物で、背中にある半透明な羽を懸命に動かしてシローの顔の近くを飛んでいる。
「な、なんだこの生物は……??」
『不明。データベースに該当する項目はない』
「なっ……! なぜ精霊が人間の前に……」
金髪の少女のような精霊は困惑するシローの顔をまじまじと見て、楽しそうに笑った。そして次はサンゴに近付いて行き、彼女の頭の上に小さく座った。
「あなたはー? なんでそんなかっこうしてるのー?」
「あたしはサンゴ。これはPAS駆動用のバトルスーツ」
「あははははは! さんご、なにいってるのかわかんないよー?」
その精霊はぺしぺしと楽しそうにサンゴの額を叩く。サンゴは特に驚いた様子も見せず、されるがままになっている。
読んでくれてありがとうございます。キリどころがなくて少し長なっちゃいました。申し訳ないです




